カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) [Kindle]

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  • 2020年最初の小説はロシアの文豪ドストエフスキーの大作。
    まだ1巻だけ、ですが、カラーマゾフ家のアクの強さと、親父フョードルのクソ野郎っぷりが際立つ。あとはやはり信仰が非常に重要なテーマなようで、その点はキリスト教文化に疎いと少し読み進めるのが難しい。

    ゲスな親父を憎みつつ自らも女好きでどうしようもない一面を持つ、長男ドミートリイのセリフが秀逸。血は争えない、とね。
    「おれは女遊びが好きだったし、女遊びの、なにか恥っさらしなところがすごく好きだった。残酷なことも好きだったな。でも、こういうおれって、南京虫じゃないか。たちの悪い、ただの虫けらじゃないか。要するにカラマーゾフなんだよ!」

    長いですし、馴染みにくい描写も多々ありますが、続きをがんばって読んでいこうと思います。

  • 【『カラマーゾフの兄弟』に関する基礎的なノート】

    『罪と罰』(1866)や『白痴』(1868)や『悪霊』(1871)を書いたロシアの文豪フョードル・ミハイロヴィチ(=ミハイルの息子)・ドストエフスキー(1821-1881)の最後の長編小説が『カラマーゾフの兄弟』(1880)である。作家の村上春樹の『海辺のカフカ』などにおけるそれをはじめとして、この『カラマーゾフの兄弟』に強烈な影響を受けた作家は数えきれない。『カラマーゾフの兄弟』は、複雑な4部構成(第1部が1〜3編、第2部が4〜6編、第3部が7〜9編、第4部が10〜12編)の長大な作品であり、この作品の「序文」によれば、続編が考えられていたらしい。『カラマーゾフの兄弟』は翻訳が全部で2000ページを越えるような大長編作品なので、多くの読者は、第二部の三男アリョーシャが綴るゾシマ長老の生涯のあたりで挫折する。ここまでまずは読破することを「ゾシマ越え」という。ちなみに、哲学者のヴィトゲンシュタインはこの『カラマーゾフの兄弟』を自身の生涯で30回も読んだらしい。劇中に挿入されているサイドストーリーの中で、もっとも有名なもののうちのひとつである「大審問官」編は第2部第5編「プロとコントラ」のとくに第5章である。また、この物語を複雑にしている要因として、アグラフェーナ(通称グルーシェニカ)という女性が、①父フョードルと、②長男ドミートリーと、③品性下劣なポーランド人将校ムッシャローウィチ、この三人の男性の間で揺れていること、そして、カラマーゾフ家の兄弟の長男であるドミートリーは、グルーシェニカのために婚約者のカテリーナを捨てようとしているのだがそのカテリーナにドミートリーは3000ルーブル借りていること、そのカテリーナとイワンは相思相愛であること、などなどに注意しなければならない。また、この物語を読むときには、「チェルマシニャー」という領地はカラマーゾフ家の遠方の領地でありつつ、ドストエフスキーの実の父親ミハイル・ドストエフスキーが農奴たちによって殺された(とされることが多い)場所であることを留意せねばならない。つまり、「チェルマシニャー」という言葉は「遺産」と「父殺し」のふたつを象徴しているのだ。

    【主人公は誰なのかという問題】
    主人公は三男のアレクセイ・カラマーゾフであるとされているが、主人公は皮肉屋の料理人スメルジャコフという見方もある。ちなみに、主人公はイワンであるという説が最も深いと考える向きもある。いずれにせよ、父フョードルとその3人(あるいは4人)の息子たちの愛憎劇が描かれている。要するに、主人公が誰かをひとりに決める意味はあまりない。

    【『カラマーゾフの兄弟』に描かれている主題】
    ①愛と憎しみ、
    ②淫蕩と純潔
    ③三角関係
    ④金銭欲と殺人
    ⑤悪と恥辱の関係
    ⑥無神論と敬虔
    ⑦大地と生命
    ⑧父親殺し
    などなど数え上げればきりが無い。

    【1866年の「スコトプリゴニエフスク」が舞台】
    『カラマーゾフの兄弟』の舞台は19世紀後半の農奴解放令(1861)の直後である1866年(←アレクサンドル2世暗殺未遂事件が起きた年であることに注意)のまだ社会秩序が混乱したロシアの架空の田舎町「スコトプリゴニエフスク」(Skotoprigonievsk:家畜追込町)である。この街は、まだ社会構造が安定せず拝金主義と犯罪は横行している、という設定である。ただし、この「スコトプリゴニエフスク」は架空であるから、実在しない。では、そのモデルとなった街はどこかというと、ドストエフスキーは1875年から1878年と1880年に「スタラヤ・ルーサ」というロシアのノヴゴロド州中部の古い実在する街に住んでおり、「スコトプリゴニエフスク」というこの架空の町のモデルは、このスタラヤ・ルーサであるとされている。

    【ドストエフスキーの生涯】
    1821年にモスクワの慈善病院の次男として生まれる。
    1838年にペテルブルク陸軍中央工兵学校に入学。
    1839年に父が領地の農奴に殺害される。
    1846年に処女作『貧しき人々』で華々しい作家デビュー。「第二のゴーゴリ」などと言われる。
    1849年に社会主義者グループの「ぺトラシェフスキー会」のメンバーとともに逮捕される。この「ぺトラシェフスキー事件」でドストエフスキーは逮捕され、同年12月にドストエフスキーを含む21名の被告が死刑判決を受ける。12月22日、セミョーノフスキイ練兵場に引き出され、銃殺刑執行寸前のところで、皇帝ニコライ1世による恩赦の知らせが届き、死刑にかえて、シベリアのオムスクで4年間の懲役刑に処せられる。ただし、最初から直前恩赦の予定で銃殺刑が言い渡されていたらしい。
    1854年にオムスク出獄。
    1859年に兵役解除となり、10年ぶりにペテルブルク帰還を許される。以後、作家活動を再開。
    1861年 『死の家の記録』を発表。
    1864年 『地下室の手記』を発表。
    1881年1月28日死去。
    1881年3月1日、ロシア皇帝アレクサンドル2世が革命家によって暗殺された。ドストエフスキーはそのほんの一月ほど前に病気で亡くなった。しかし、彼が住んでいた建物の中の隣の住居には、皇帝の命を狙う「人民の意志」党のアジトがあり、テロリストたちがさかんに出入りしていたらしい。

    【ドストエフスキーの後期5大長編】
    ①『罪と罰』(1866年)
    ②『白痴』(1870年)
    ③ 『悪霊』(1872年)
    → 革命家たちによるリンチ殺人事件や、人神思想にとり憑かれた男、陵辱された少女の自殺などが描かれる。最もディープな作品は実はこれ。
    ④『未成年』(1875年)
    ⑤『カラマーゾフの兄弟』(1880年)

    【ドストエフスキーの父ミハイル・ドストエフスキーの死】
    1839年6月、ドストエフスキーの父ミハイルが死ぬ。ミハイルの死の真相はいまだによくわかっていない。ミハイルは「チェルマシニャー」という村の領主だった。『カラマーゾフの兄弟』の中で、次男イワンは「スコトプリゴニエフスク」から遠く離れた農村チェルマシニャーを引き継ぐことになるがそれはここである。また、次男イワンと料理人スメルジャコフがこの街について言及した翌日に殺人事件が起きることも忘れてはならない。ドストエフスキーの父親ミハイルの死因は、実は他殺ではないかとされることもある。ミハイルは泥酔に見せかけて窒息死させられていたらしい。この件について、ミハイルは自分の領地の農奴に殺されたのだ、という噂は当時から広く流布していた。 ドストエフスキーの父ミハイルは、元軍医で、領民である農奴たちに対して非常に残酷な人物で、農奴の子女をレイプしたりしていたらしい。これは若き理想主義者のドストエフスキーにとって耐えがたいことであった。

    【ドストエフスキーと父的なものの関係】
    『カラマーゾフの兄弟』における「父親殺し」の主題とは、①家庭の父、②国家の父(すなわち皇帝)と、③人類の父(すなわち神)の3層を含んでいるという解釈がある。父ミハイルが死んだとき、ドストエフスキーはまだ18歳であった。この時、サンクトペテルブルクで学生生活を送っていたドストエフスキーは父の死を知らされると激しい癲癇(てんかん)の発作を起こしたらしい。フロイトが有名な論文「ドストエフスキーと父親殺し」という1928年の論文で分析するところの「ヒステリー発作」である。この父の死によって、ある意味でドストエフスキーは解放を味わったのだろうとされている。その後ドストエフスキーは『貧しき人々』(1846)で作家デビューを果たしたのち社会主義思想青年の会合「ミハイル・ペトラシェフスキーの会」に接近していく。貧富の差の拡大に抵抗する活動をしているうちにドストエフスキーは危険分子とみなされ、1849年、28歳で仲間と共に「反逆罪」で逮捕されて死刑判決が下される。しかし銃殺執行直前にドストエフスキーはニコライ1世から恩赦されて4年間のシベリアのオムスクへと流刑となる。1858年にペテルブルグに帰還する。刑期を終えてからのドストエフスキーは、革命運動からは手を引き、「理想主義的社会主義者」から「キリスト教的人道主義者」へと転身し(たとされていて)、作家活動に入るが、それでも皇帝権力からの手紙の検閲などは生涯続いた。重度の賭博癖と恍惚感を伴う「てんかん発作」も生涯続いた。雑誌では、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を絶賛したり「プーシキン論」を書いたり「反ユダヤ主義」や「ロシアメシアニズム」を唱えたりもした。ロシアの父である皇帝(ツァーリ)(の権力)と自分の緊張関係(あるいは和解)と、そして、父ミハイルと自分との関係(あるいは和解)がドストエフスキーにとって極めて重要であった。ドストエフスキーは歳をとるにつれて皇帝派にすりよっているように見えるが、「カラマーゾフ万歳!」というシュプレヒコールで『カラマーゾフの兄弟』を終えているのは流石である。というのは、「アレクサンドル2世暗殺未遂事件」(1866)の主犯の名前は「ドミートリー・カラコーゾフ」だったのであり、しかもそのシュプレヒコールを叫ぶのは熱狂的社会主義者の若者コーリャ・クラソートキンなのだから。そもそも、この「父親殺し」という主題を拡大解釈すると「国民の父」、すなわち「皇帝殺し」に繋がるという読み筋はふつうにありえたわけだ。実際、ソ連のドストエフスキー学者のグロスマンは予告はされていたが書かれることのなかった『カラマーゾフの兄弟』の続編において「アリョーシャはアレクサンドル二世の暗殺計画に加わり断頭台に登る」と推定している。『カラマーゾフの兄弟』発表(1880)の1年後、つまり1881年3月1日、ロシア皇帝アレクサンドル2世が革命家によって実際に暗殺される事件が起きていることは非常に興味深い。


    【田舎地主のフョードル・カラマーゾフ】
    強欲でアルコール依存症で、無類の女好きで守銭奴。離婚してから彼は3人(あるいは4人)の息子たちと別れて暮らしている。スメルジャコフを息子ということにするなら息子は4人だが、そこが問題なのである。商人サムソーノフの妾であるグルーシェニカが好き。総資産は12万ルーブルであり、その遺産が愛憎の元になっている。彼は物語の中で撲殺される。

    【長男ドミートリー・カラマーゾフ】
    息子たちのうちの長男がドミートリー・カラマーゾフ。1866年4月4日,ロシア皇帝アレクサンドル2世が狙撃された事件の首謀者の名前がドミートリ・カラコーゾフDmitrii Vladimilovich Karakozov(1840‐66)であることを考えるといかにこの名前がギリギリの名前かがよく分かる。ドミートリーの愛称は「ミーチャ」。熱血漢の元将校で非常に切れやすい。父とグルーシェニカをめぐって争っており、父フョードルと仲がとても悪い。父フョードルと長男ドミートリーの仲がどのくらい悪いかというと、父が長男ドミートリーを『群盗』というシラーの戯曲に登場する「父を裏切る息子」であるフランツ・モールに喩えるくらい仲が悪い。しかも、愛憎を複雑にするのは、長男ドミートリーがグルーシェニカに恋するあまりに捨てようとしているドミトリーの婚約者カテリーナのことを次男のイワンが好きなのだ。長男ドミートリーは3000ルーブルをカテリーナに借りており、これを返すためにお金が必要で、父親の財産をあてにしている。よって長男ドミートリーに父親を殺す動機は十分にある。最終的に彼の情熱にほだされたグルーシェニカとついにモークロエ村で相思相愛になる。最終的に、ドミートリーは「馬車の中から火事で焼け出された女性たちと赤子とグルーシェニカにまつわる神秘的な夢」を見て、「すべての人間の中で最も下劣な悪党は私だ」と判事たちに宣言し、「私は無実だが、父を殺したいと思ったのだから罰を受け入れる」と宣言して20年のシベリア流刑に処される。

    【ポイント:二系統の母親】
    長男のドミトリーの母親はアデライーダ(金持ちで、フョードルを捨てて駆け落ちする情熱的な女性)。次男イワンと三男アレクセイの母親はソフィア(敬虔で静かな女性)。カラマーゾフの兄弟のうち長男だけ母親が情熱的で、次男と三男は母親が敬虔的である。

    【次男イワン・カラマーゾフ】
    次男がイワン・カラマーゾフ。愛称はワーニャ。ただし、次男イワンだけは、愛称で呼ばれることは基本的にない。イワンは無神論者(とされる)。スメルジャコフ曰く「父フョードル・カラマーゾフに最もよく似て欲深いのはイワン」らしい。モスクワで活躍する批評家。劇中で「大審問官」という叙事詩を述べる。ドミトリーの婚約者のカテリーナが好き。しかも、カテリーナもイワンのことが好き。次男イワンは「大審問官」において、「地上の不幸に神が手を差し伸べないこと」に激しい怒りを表明しておきながら、他方で、これから殺されようとしている階下の自分の父親の足音を聞いていながら、父がこれから殺されようとしているのを分かっていてそれを許容してしまう。なぜなら、彼は自分の父親が死んだらいいとどこかで思っていたからだ。それを癲癇で病室にいるスメルジャコフに指摘された時、彼は激昂することになる。そして最終的にイワンは狂気に落ちていく。

    【イワンと「大審問官」】
    イワンは、「大審問官」という叙事詩を作中で語り始める。物語詩「大審問官」の舞台は異端審問が吹き荒れる中世末期のスペインのセビリヤである。大審問官は自分は反キリストであるとキリストに宣言する。

    【三男アレクセイ・カラマーゾフ】
    三男はアレクセイ・カラマーゾフ。三男アレクセイが『カラマーゾフの兄弟』の主人公(ということになっているが、実際問題主人公はスメルジャコフという見方もできる。もっと深く読むならばこの物語の主人公はイワンだともされる)。アレクセイの通称が「アリョーシャ」。アレクセイは、ゾシマ長老がいる修道院に通う修道僧である。アレクセイは穏やかで優しく、人に悪意を抱かず、欠点だらけの父親や兄たちを愛している。大金持ちで美人な未亡人、ホフラコワ夫人の一人娘であり、小児麻痺が原因で、車いすの生活をしている女性リーズと相思相愛の関係にある。ドミトリーに侮辱された過去のある退役した二等大尉スネギリョフ(←誇り高い軍人だったが自尊心を完膚なきまでに叩きのめされていて、貧しい)の息子で、アリョーシャの指を川辺で噛んだ地元の子供イリューシャ(←この子は物語の終盤に若くして死んでしまう)と、その師である社会主義者のコーリャ・クラソートキンに、アリョーシャは尊敬されている。ゾシマ長老の死後に、アリョーシャはゾシマ長老の一代記(伝記)を書くことになる。当時のロシアの伝説では、「聖人の死体は腐らない」はずだったのに、尊敬する師匠ゾシマ長老の死体が速やかに腐り、アリョーシャは信仰のゆらぎに直面する。絶望しかけたアリョーシャは、ドミートリーを翻弄しているかに見えたグルーシェニカに出会い、彼女の中に純粋な魂を見出す。その後、棺の傍らでゾシマ長老の夢をみて、ゾシマ長老から促されたアリョーシャは歓喜に満たされ、打たれたように大地と口づけをする。ロシア的土壌主義の力で精神的に復活した(とされる)。ちなみに、ゾシマ長老の「長老」とは、ロシア正教会の高位の僧が持つ尊称で、ゾシマ長老は三男であるアレクセイの精神的な父であり師匠である。

    【四男(とされうる)スメルジャコフ(パーヴェル・フョードロウィチ)】
    農奴のことをロシア語で「スメルド」という。ドストエフスキーの父は「チェルマシニャー」で農奴に殺されたことが思い出される。父フョードル・カラマーゾフは、次男イワンが「俺はチェルマシニャーに行く」とスメルジャコフに言ったその日の夜に殺された。この暗示の意味はもはや明白である。スメルジャコフは、カラマーゾフ家の料理人。母親はリザベータ・スメルジャーシチャヤ。スメルジャコフは料理人なのもあって潔癖症。スメルジャコフは、父フョードルの支援を受けてモスクワに料理修行に行って帰ってくるとかなり老けこんでおり、「「虚勢派」(=ロシア正教からまったく独立した異端宗派)の宗徒のようだった」とされている。「虚勢派」は性器を切除して神との一体化を目指すため、皇帝権力からしても脅威であったとされている。スメルジャコフは、フョードルの4人目の息子というか庶子かもしれないのだが、カラマーゾフ家の召使として扱われている。スメルジャコフは次男のイワンに、強い影響を受けている。そもそも、スメルジャコフの誕生からして暗示に満ちていて、長年、カラマーゾフ家に仕えている召使夫婦である下男グリゴーリイとその妻マルファの間に6本指の赤ん坊が生まれるのだが、その赤ん坊が生後2週間で死亡し、その赤ん坊が死亡した日の夜中にカラマーゾフ家の風呂場に迷い込んだスメルジャーシチャヤという死にかけの女が風呂場で産み落とした赤ん坊がスメルジャコフなのだ。そしてグリゴーリィとマルファがスメルジャコフの育ての親となる。ちなみに、パーヴェル(=名前)・スメルジャコフ(=臭い男)・フョードルヴィチ(=フョードルの息子)は、カラマーゾフ家の敷地内で産まれたが、父フョードルの息子かどうかについては議論がある。「カラマーゾフ」と名がついた者は、みんな生命的だが、「スメルジャコフ」は虚勢的で非生命的であるし、名前にも「カラマーゾフ」とついていない。最終的に、真犯人探しの裁判が始まると彼は癲癇(てんかん)の発作で倒れる。靴下の中に3000ルーブル隠している。イワンに3000ルーブルを返してスメルジャコフは首吊り自殺。

    【フョードルの死】
    フョードルが何者かに撲殺され、3000ルーブルが奪われる。同日の夜、カラマーゾフ家の召使グリゴーリィは、塀を乗り越えて逃げ出すドミートリーを見つけるが、ドミートリーに殴り倒され気絶する。ドミートリーは血まみれで商店に行き食物や酒を買い込む。ドミートリーが向かった村の宿では、グルーシェニカが、昔の恋人ムッシャローウィチと再会していた。ドミートリーは、自分がグリゴーリィを殺したと思っている。警察官と検事がやってきてドミートリィを父親殺しの罪で逮捕し、ドミートリィは、自分は父フョードルは殺していないと言うが信じてもらえない。ドミートリー裁判にかけられる。一方真犯人のスメルジャコフはイワンに、「あなたにそそのかされたのだ」という。スメルジャコフは、イワンの「神も不死もなければ全ては許される」という無神論にそそのかされて実行しただけだと言い、イワンこそ主犯だと言い、そして自殺する。イワンは彼の言葉によって自分自身の隠された欲望に気づいて狂気へと追い込まれる。イワンはスメルジャコフの告白に戦慄し、自分が従犯として訴えられることを覚悟のうえでイワンは法廷で真実を話すが、誰にも信じてもらえない。イワンを愛するカテリーナが、イワンをかばうために、ドミートリーが酔って「父を殺してやる」と書いた文書を提出したため、ドミートリーの有罪が確定する。

    【第2部第5編「プロとコントラ」第5章:大審問官】
    作中叙事詩「大審問官」は、16世紀のスペインが舞台で、異端審問の時代。大審問官と復活したキリストが対峙する。大審問官は「人間は自由の重荷に耐えられない生き物であり、自由と引き換えにパンを与えてくれる者に従うのだ」と主張する。これは20世紀の全体主義の問題を予言するかのような問題提起だった。そもそも福音書のマタイ伝には「人はパンのみに生くるにあらず」とある。しかし、大審問官は地上のパンの大切さを確信している老獪な人物である。「聞くがいい。我々はお前とではなく「あれ」とともにいるのだ。これが我々の秘密だ。我々はもうだいぶ前からお前につかず、「あれ」についている。」と大審問官はキリストに言い放つ。ここでいう「あれ」とは悪魔のことである。キリストは、大審問官に敗北を認めつつ大審問官に口づけをする。その瞬間、大審問官の心は燃え上がる。イワンは、「大審問官」の中で「神がいなければ全てが許されるのではないか」「神がいるならなぜ世界に悪がこれほどはびこっているのか。」「神が創った世界は調和に満ちているなら、なぜこれほど世界には幼児虐待があるのか。」とアリョーシャに問いかける。アリョーシャは、その問いかけを受けて、ただイワンに口づけする。それはキリストが大審問官にした行為と同じであった。


    【『カラマーゾフの兄弟』の何が興味深いのか】
    『カラマーゾフの兄弟』の興味深さは、「イワンではなくむしろアリョーシャこそが現実主義者である」、という点だろう。ドストエフスキーは、「アレクセイこそが現実主義者だ」と言っている。つまり、ドストエフスキーは人間の心を本当の意味で見抜いているのはイワンではなく実はアレクセイだと言っているのだ。『カラマーゾフの兄弟』のまさにここが根本的である。なぜなら、無神論者のイワンが現実主義者で、修道僧のアレクセイが理想主義者だという解釈に誰しも引きずられるからだ。しかし、それがちょうど逆なのである。ここが端的に深い。というのも、「大審問官」は次男イワンが作った作り話なのである。それなのに、その劇中物語「大審問官」の中に、大審問官がキリストに敗北宣言をされつつ、最後にキリストにキスをされ、なぜか一瞬大審問官の心が燃え上がるようなシーンがあるのだ。なぜイワンは、自分で作った反キリスト的な話に信仰のかけらを潜ませてしまったのか。イワンが、実は自分の信仰を否定しつつもそれを捨てきれていないことをアリョーシャは見抜いていて、それでアリョーシャはイワンにキスをするのである。アリョーシャはイワンの心に信仰が残っていることを見抜いたから、そこに賭けようとしてキスをするのである。対するイワンは、この「大審問官」において、一方で「地上の不幸に神が手を差し伸べないこと」に対する激しい怒りを表明しておきながら、他方で、これから殺されようとしている自分の父親に対しては、彼がこれから殺されようとしているのを分かっていながらそれを許容してしまう。つまり、イワンは冷静で知的に理論武装しているように見えるが、実は弱さと不安と欲望を抱えているのだ。



    【ドストエフスキーに影響を受けたとされている作家】
    ⑴埴谷雄高の『死霊』
    ⑵加賀乙彦の『宣告』
    ⑶高村薫の『照柿』
    ⑷大江健三郎の『さようなら、私の本よ』
    ⑸島田雅彦
    ⑹鹿島田真希の『ゼロの王国』は『白痴』を踏まえた長編
    ⑺中村文則
    などなど

  • 心血注がれてよく考えられた作品だと感心する。時代の流れに耐え、世界に広まるだけのことはある。

  • カラマーゾフの兄弟1
    (和書)2009年06月09日 15:58
    2006 光文社 ドストエフスキー, 亀山 郁夫


    米川正夫翻訳は読んでみたのですが、内容の理解が自分自身全然できていない感じでして、今回読み易くなっているという亀山郁夫新翻訳でもう一度読んでみようと思いました。1巻しか読んでいないからなかなか比べることはできません。佐藤優などは読書一般に関して3回は読まないと精読できないと言うようなことを書いていて実際自分でも何回か読まないと駄目だなーと感じるのです。今回翻訳者を変えて2回目ということで力を抜いてゆっくり読んでいきたいと思っています。

  • (Mixiより, 2010年)
    
とにかく、重厚。 
なんとなく難解なイメージがあったけど、早とちりでした。 
ストーリーも丁寧に復習してくれるし、 
心情の大半は主人公達のセリフで 
(それが本心から出る言葉ではないコトが多いけど) 
表現されるので、とても読み易く、ストーリーも入ってきやすい。 

まず、敬遠している人にはこの読みやすさを知ってもらいたいです。 

ストーリーにあれこれ言うのもためらわれますが、 
とにかくセリフの面白さに尽きる。 
イワンの長い長い演説や、 
ゾシマ長老の前でのヒョードルの道化を描いたシーンが大好きです。 

物語全体が一つの推進力で動いているというよりかは、 
綿密なシーンの描き分けにより、 
各々のキャラクターに確実に感情移入しながら世界に誘ってくれるイメージ。 

そして、 
僕の心には 
ドミートリーの気持ちも、 
イワンの気持ちも、 
もちろんアリョーシャも存在する。 
そんな気がしてなりません。

  • とりあえず頑張って読んだ。
    今のところ、何が素晴らしいと言われる所以なのかは全く謎。

    ただドミートリーの男臭い感じは嫌いじゃない

  • もう何度目かの挑戦である。史上最強の文学に挑むことにした。しばらくはこれに集中することになる。

  • 前回、全巻読み終わらないうちに途中でやめてしまったので、2度目のチャレンジ。ロシアの名前の呼び方やロシア的な文化に未だ馴染みがない。が、多少チェーホフを読んだり(やけに人を夕食?パーティー?に呼ぶことが多い)、米原万理さんのエッセーを読んだり(これで父姓がどうのという仕組みがやっとわかった)したお陰か、前回より面白く読めた。

  • フョードル・ドストエフスキーの最後の長編小説。『罪と罰』と並ぶドストエフスキーの最高傑作とされ、『白痴』、『悪霊』、『未成年』と併せ後期五大作品と呼ばれる。信仰や死、国家と教会、貧困、児童虐待、父子・兄弟・異性関係などさまざまなテーマを含んでいる。(ここまでwikiより引用)
    山での暇つぶしに少し難しい本をと思い、手に取った。登場人物の把握に苦労したが、把握が出来てからはそれなりに楽しめた。
    が、今のところはこの本がなぜここまで高い評価を得ているのか全くの謎である。続編を楽しみにしたい。

  • 初めて買ったのが多分21歳の時で、苦節13年の時を経て遂に1巻を読み終わった。
    最初に読んだときはヒョードルとイワンが寺でガチ口論する辺りで挫折して、2回めは28歳頃にチャレンジしてスメルジャコフが産まれる辺りで挫折した。34歳にして再チャレンジで読了し、達成感がある。

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著者プロフィール

ロシアの小説家、思想家。トルストイやチェーホフとともに19世紀後半のロシア文学を代表する文豪。

「2008年 『罪と罰 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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