乞はない乞食 [Kindle]

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  • 2012年10月3日発売
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  • 添田唖蝉坊(1872-1944)。演歌師である。

    唖蝉坊とは自らを「歌を歌う唖しの蝉」と称したところから採っている。
    名前からして人を喰ったようだが、社会主義活動にも関わった経歴もあり、反骨精神のある人物だったのだろう。
    「まっくろけ節」や「ノンキ節」などで知られる。歌詞は、笑わせつつも、社会風刺を宿し、庶民の本音を巧みに拾い上げている。そもそもの演歌というのは、政治的なものであったものか。ロックやラップなどに通じる部分があるのかもなと思ったりする。

    本稿は浅草の「乞食」を取り上げたもの。
    青空文庫の注意書きにももちろん「今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます」とあるが、タイトルからして「不適切」といえば「不適切」だろう。
    だが、出てくる人は皆、どこか泰然自若として愉快である。
    「指がなくて三味線を弾く男」は、左手の指が親指しかない。それでいて器用に三味線を弾く。自分から身の上を語ることはなく、執拗に聞かれれば「工場でやられてね」というばかりである。誰かが金を置けば友達にでもいうように「どうもありがとう」という。
    「哲学者の乞食」はアインシュタインやらカーネギーやらを持ち出して演説を打ち、周りのものを煙に巻く。何だか感心してしまい、人々は金を出してしまう。そして「あれはきっといい生まれの者に違いない。何といっても高尚な言葉を知っているから」などとありがたがっている始末である。
    その他、風琴を弾くどこか風格のある老人、何も言わずに汚い身なりでぶつぶつ言いながら歩いているだけの男と個性的な者が闊歩する。
    いずれもある意味、人から投げ銭をもらって生きている人々なのだが、誰も施しを乞うてはいない。人々は自然と彼らに金を払ってしまうのだ。

    時代の違いももちろん感じるのだが、何というか、ある種の「芸」の根源的な形を見るような気もする。
    いずれにしてもしたたかに生き抜いている人というのはいたものなのだなと思う。

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