この本を読んで思ったのは、お金についてです。
お金が多く持っている人は心に余裕が現れます。
持っていない人は余裕をなくします。
余裕がないとはつまり、けちになったり、人に優しくできないということです。
悲しみにも襲われます。夢を実現できなくなるからです。
生活も貧しくなり、結果精神を減退させます。
行動の自由も奪います。
お金がないということは不幸の始まりである、と思います。
主人公のラスコーリニコフは、金貸しのお婆さんを殺して金品を奪って逃げます。
「金貸しの婆さんがいかに貧しい若い人から搾取し生きる力を奪っているか」を理由に、婆さんの頭めがけて斧を振り下ろし、殺します。
そして逃げます。
そのあと主人公は病気になって熱病にずっと浮かされ、周囲の人に狂ったのではないかと心配されます。
熱病のぼうっとした頭で、ろくにはっきりものを考えることができずに、夢の中のできごとのように殺人を振り返ってみたり、また殺人をひどく後悔したりします。
どうして殺人なんてしたのか・・・金貸しのおばあさんが一人この世からいなくなったとて、すべての金貸しが消えていなくなるわけではありません。自分がお金に困って殺したわけでないのなら、何の意味があったのでしょう。野生のライオンであっても満腹であれば無駄にシマウマを殺したりはしません。ラスコーリニコフはお金がほしくて殺人をしたのではありませんでした。
・・・殺した意味はなんだったのか?
殺人を犯すことによって凡人を超越したいという観念から、殺人を犯したのであるとの告白が後半の物語で述べられます。正直意味が分かりませんでした。
自分はナポレオンのような超人なのである、と信じたいがために殺したということです。
でも結局は自分の世界の中だけで「自分は超越した人間である」との思いを持つことしかできていません。外部世界とのつながりの中で生きられない人間がこの小説のテーマなのかなと思いました。