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感想・レビュー・書評
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「ある程の菊投げ入れよ棺の中」(夏目漱石)
長谷川時雨による大塚楠緒子の短い評伝。
底本は岩波文庫の『新編 近代美人伝』(1985年)(親本はサイレン社『近代美人伝』(1936年))だが、本稿の初出は婦人画報(1915年)である。
『近代美人伝』は、「マダム貞奴」や「九条武子」など、明治から大正にかけて活躍した女性20人の評伝集であり、婦人画報や、婦人公論、東京朝日新聞などに書いたものをまとめて書籍としたもののようだ。
大塚楠緒子(くすおこ・なおこ)は明治末期の歌人・作家である。
長谷川時雨は若い頃、和歌を学びに行った竹柏会(佐佐木信綱主宰)で、楠緒子に会っている。往時の凛とした佳人ぶりを、今見てきたかのように鮮やかな描写で冒頭に綴っている。
見目麗しく才長けた麗人はしかし、流感が元で命を落とす。35歳の若さ。両親、夫、3人の女の子、1人の男の子を残しての旅立ちであった。
晩年、楠緒子が私淑した夏目漱石の『硝子戸の中』には、楠緒子に触れた箇所がある。これを読んだ夫の保治は、「漸く忘れようとすることが出来かけたのに、あれを見てからまた一層思いだす。」と嘆いたそうである。冒頭の句は漱石による手向けの句である。
歌人仲間が死を悼んで詠んだ数々の歌も、惜しまれて亡くなった楠緒子への想いがあふれて痛切である。
仲間たちは墓の傍らに八重山茶花の花を植えたという。時雨は白い大輪の八重の花に楠緒子をなぞらえる。すっきりとした佳人の立ち姿が目に浮かぶようである。
*長谷川時雨については以前少し、『兵士のアイドル』に書きました。こちらの評伝はごく短いのですが、時雨のまっすぐで温かい人柄が何となく偲ばれるように思います。時雨は昭和に主に活躍したイメージだったので、そうか、楠緒子と生きた時代が重なっているのかというのにちょっと驚きました。
*漱石は元々、楠緒子の父が婿候補としていた2人の1人だったという話があります。結局楠緒子は漱石の友人でもあった大塚(旧姓・小屋)保治と結婚するわけですが。さて、漱石の心の中には楠緒子は住み続けていたのでしょうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示
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