ワーニャ伯父さん ——田園生活の情景 四幕—— [Kindle]

  • 2012年10月7日発売
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  • ドライブ・マイ・カーの劇中劇。青空文庫で。閉塞感溢れる中での生きるじたばた。自然破壊についての皮肉も。やっぱりロシアの戯曲はいいなあ。

  • 「ドライブマイカー」をきっかけに読み始めた。何でワーニャおじさんが人生に絶望してるのか、原作ではどういう流れだったのか知りたかったので、整理を兼ねて記録。


    ワーニャ
    ヴォイニツカヤ夫人:ワーニャの母
    ソーニャ:ワーニャの姪っ子(妹の娘)
    セレブリャコフ:ワーニャの妹の結婚相手
    エレーナ:セレブリャコフの後妻

    ワーニャおじさんとソーニャが住んでいる地所は、ソーニャ名義の土地。
    元々は、父がワーニャの妹の嫁入り支度のために買ったもの。ワーニャは姪のために相続権を放棄したので今はソーニャの土地。

    父が土地を購入した時に払い終わらなかった二万五千ルーブリの土地代は、ワーニャおじさんが働いて返済した。

    その後は地主として得た利益のほとんどをセレブリャコフに送っていた。(土地所有者である妹の夫だから&かつてのワーニャはセレブリャコフを崇拝してたから)

    セレブリャコフが大学教授をしている間は、ワーニャとソーニャはこの地所に住み、セレブリャコフとエレーナはペテルブルク?に住んでたっぽい。

    セレブリャコフは大学を定年退職して急にこの土地に帰ってきて、「この地所を売り払って有価証券に変えて、フィンランドに別荘を建てて住もうと思う!」と言い出す。

    ワーニャ「そこで一体この僕に、年寄りの母や、またこのソーニャをかかえて、どこへ行けというんです?」

    セレブリャコーフ 「そのことなら、いずれまた相談するとしようじゃないか。そう一どきに話はできない。」(絶対あとで「そんなの自分で考えるんだな」って言って何もしない流れじゃないですか…)

    こういう流れがあったからワーニャが怒って今までの自分の人生に失望しているわけね!それは怒るしワーニャからしたらセレブリャコフが飛んだ恩知らずに見えるのもやむなし。

    ソーニャ「お父さま、情けというものを、お忘れにならないでね!あなたがまだ働き盛りでいらしたころ、ワーニャ伯父さんとお祖母さまは、毎ばん夜おそくまで、あなたのために参考書を翻訳したり、原稿の清書をしたり、していらしたものですわ……毎晩々々! わたしもワーニャ伯父さんも、息つくまもないほど働いて、一文の無駄づかいもしまいとびくびくして、みんなあなたにお送りして来ましたわ。……わたしたちの苦労も、察してくださらなければ!」

    最後のソーニャの長台詞は、戯曲として読むよりも舞台で誰かが演じているところを見る方がより沁みる気がする。

    ドライブマイカーのラストシーンでこの場面が演じられてる時には、思わず泣きそうになった。

    ソーニャ「もう少しよ、ワーニャ伯父さん、もう暫くの辛抱よ。……やがて、息がつけるんだわ。……(伯父を抱く)ほっと息がつけるんだわ!」

    ソーニャ 「ほっと息がつけるんだわ」



    突然出てくる素麺は、原文ではラプシャーというスープと麺の精進料理のようなもののことだそう

  • 人生を捧げたものが何の意味もないと悟ったワーニャ。自らの不器量に悩み、継母の美しさの前に成す術もないソーニャ。美しくはあるが、自分の内面の醜さと、所詮は人の添え物でしかないことに懊悩するエレーナ。人からの賞賛を集められず、「都落ち」をする中で、老化と病気に苦しみその生涯の終幕を迎えつつあるセレブリャーコフ。高い知性と環境保護のような高潔なビジョンを自負しながら、周囲には理解されず、自ら見下す農民の診察に忙殺されるアーストロフ。

    戯曲は、苦しみを抱えた同士がすれ違いざまに衝突をするも、苦しみはそのままに、また互いの方向に流れ去っていく様子を描く。登場人物誰しもが日々の生活に苦しみ、疲れているが、その解決策がまるで得られることがない。日々をただ働き、その人生を全うする先に神の慈悲によって包まれる、そう信じることしか救いが見えない。人々はただただ無力だ。

  • 自分の人生をかけて捧げたものが、何の価値もないものだったと気づいた無念。自分は何も手にできず、それでも生きて行かなければならない。

  • ワーニャ伯父さんという題名から、ワーニャが主人公とする考えもあるが、ワーニャを伯父さんとしているソーニャが主人公とする方がまとまっている。そしてソーニャがワーニャに語る最後の独白に、すべてを賭けているように思った。

    しかし、戯曲には気違いがいなければならないのだろうか。まだ戯曲を沢山は読んでいないので、結論は言えないので保留する。

    また、環境問題を考える一節があり、なるほど、そういう気運はあったのだということを知れてよかった。昨今のロシアとはまた違ったものを感じさせるものだった。

  • alexaで聞いた

  • 再読。中年になったからか、ワーニャの言っていることがメッチャわかる。訳がどことなくポップで面白かった

  • 「ー」

    知識人であるワーニャとセレブリャコーフが閉塞感に不満を言う話。今まで読んできたチェーホフの作品の中で一番ビビッと来なかった。

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著者プロフィール

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(1860~1904)
1860年、南ロシアの町タガンローグで雑貨商の三男として生まれる。
1879年にモスクワ大学医学部に入学し、勉学のかたわら一家を養うためにユーモア小説を書く。
1888年に中篇小説『曠野』を書いたころから本格的な文学作品を書きはじめる。
1890年にサハリン島の流刑地の実情を調査し、その見聞を『サハリン島』にまとめる。『犬を連れた奥さん』『六号室』など短篇・中篇の名手であるが、1890年代末以降、スタニスラフスキー率いるモスクワ芸術座と繋がりをもち、『かもめ』『桜の園』など演劇界に革新をもたらした四大劇を発表する。持病の結核のため1904年、44歳の若さで亡くなるが、人間の無気力、矛盾、俗物性などを描き出す彼の作品はいまも世界じゅうで読まれ上演されている。

「2020年 『[新訳] 桜の園』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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