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感想・レビュー・書評
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帝国ホテル総料理長を勤めた村上信夫氏の自伝である。三國清三氏の師が村上氏であることを知ったのをきっかけに読んだ。開いてみれば、序文をまさに三國氏が書いていて、胸を打つ。師に対する慈愛に溢れているのだ。最終章には村上氏が20歳の三國氏について書いている。「よく気が付く男」で、そのセンスの良さを見込んでスイス行きを打診したとのことだった。
村上氏は戦争体験を淡々と書いているが、筆舌に尽くせないこともあったに違いない。帝国ホテルから出征した13人のうち生還したのは3人だけだった。お国のために死ぬつもりで出征した。生きて帰ってからは猛烈に働いたに違いない。軍隊を経験した者の精神力。戦後はそういった人たちが復興を牽引した。日本の戦後復興は、戦争を生き延びた人がその強靭な精神力で成し遂げたに違いない。
1939年:帝国ホテル見習い
1942年:陸軍入隊
1945年:シベリア抑留
1947年:帝国ホテル復職
しかし、本書で学ぶべきは村上氏の勤勉さであろう。小学校しか出ていなかった氏は、社会に出てから勉強した。言葉にすれば簡単だが、それは並大抵のことではない。漢字さえろくに書けないところから始めて、フランス料理に関連する膨大な知識を、また本書を書き上げるだけの知性を獲得するには「剣豪の修行」のような不断の努力を要したはずだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦前の修行時代、戦時中の最前線での戦闘やシベリア抑留、戦後帝国ホテルへの復帰と1964年東京オリンピックでの選手村食堂料理長の経験など、著者の半生が記されている。
『若い料理人に与える言葉は何か、とよく聞かれるが、私は何よりもまず、「欲を持て」と言うことにしている。そして、もう一つの助言は「急ぐな」である。』『チャンスは練って待て』などの記載があるが、戦略家としても優秀だったのではないかと思った。 -
題名だけで買ったので、もう少し長文のものを想像していたが、短編の長さのコラムが続く感じだった。今とは時代が違うのだろうが、ものすごい努力と根性で這い上がってきたということが分かった。
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若い料理人に与える言葉は何か、とよく聞かれるが、私は何よりもまず、「欲を持て」と言うことにしている。そして、もう一つの助言は、「急ぐな」である。流行に追われ、先を走りたがる若いコックが多いが、最も大事なのは基本だ。基本に尽きる。それをおろそかにして、目先の流行ばかりを追いかけていると、必ず中途半端になって、お客様に飽きられる。焦らず、慌てず、じっくりと一生懸命に勉強することだ。そして、現場を踏み、経験を重ねながら、お客様が喜ぶ料理を絶えず考え続け、工夫することが大切だ
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帝国ホテルの総料理長だった村上氏の日経新聞の私の履歴書をもとにした内容。フランス料理を極めたシェフの話。
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2017/09/28
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フランス料理の伝道師として帝国ホテルで26年間料理長を務めた伝説的シェフの自伝。料理に夢中になる人ってこんなことを考えてるんだなと新しい世界が開けた感じがした。いつの時代も、どこにいても、人の縁が自分を引き上げてくれるのだなってことも。
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一流になっている人は、やはり信念を持って努力をしていますね。
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丸の内警察の柔道場で木村政彦や牛島辰熊に混じって練習していたというのに驚き。
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帝国ホテルの料理長として、またNHK「きょうの料理」の講師として、日本にフランス料理を広めた第一人者、村上信夫の自伝。戦前の帝国ホテルの雰囲気、戦下の日本、中国での戦闘、シベリア抑留、GHQ 支配下の帝国ホテルの描写などは、まさにそこに居たものにしか書き得ない記述が真に迫る。そして、帝国ホテルの料理長としてシェフの高みを極める一方で、経営者としても、またフランス料理の伝道師としても成功をおさめる立志伝は圧巻の一言。料理を何よりも愛しつつ、与えられた役割は全てチャンスと思ってチャレンジする著者の旺盛な好奇心と情熱は、確かに日本の高度経済成長を支えた何ものかの一部であった。
齢80を越えてもなお「自分の店を持ちたい。30人くらいで満席になるような小さな店で、肉と魚を濃厚なソースで、ワインは安いものも揃えて手軽に楽しんでいただけるような…」と夢を語る著者は、本当に楽しそうだ。残念ながら自分の店を開くという夢は果たせずに目をつむることになったが、まさに「人生はフルコース」であった。