海と毒薬 (角川文庫) [Kindle]

著者 :
  • KADOKAWA
4.02
  • (16)
  • (26)
  • (11)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 235
感想 : 24
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (165ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 実際にあった、九州大学医学部生体解剖事件をモチーフにした小説。
    何も知らないアメリカ兵の捕虜を、実験台にしてしまうなんて、グロすぎて読むのに耐えられなかった。

    太平洋戦争時、空襲で死ぬか結核で死ぬか。死んでしまうのなら、いずれにせよ、別にどうでもいいのではないかと、日本人が死と隣り合わせな時代。
    医療に携わっていたものなら、この実験に参加してしまった罪を責められるであろうか。

    私は、きっと勝呂と同じなのかなぁ・・・。

  • 遠藤周作を読むのは中学校での課題図書以来2作目。
    飛行場の本屋さんでジャケ買い。
    タイトルとあらすじに惹かれた。

    暗い暗い内容で、グロテスクでもあり、今このコロナ一色の中読むのにはピッタリと言える。

    もっと深く読むべき本であろうが、実話ベースの小説として軽く読んだ。
    ドイツ語があちこちにふりがなとして現れるのも不気味さを強調していた気がする。

    戦時中の話だがあまり時代を感じさせなかった。

  • 高校の国語の時間で課題図書に指定され、「タイトルの『海』と『毒薬』とは何を象徴しているのか述べよ」と問われた記憶があり、大人になって再読。

    当時は戦時中に起こった「外国人捕虜の生体解剖実験」「前代未聞の事件」(※裏表紙あらすじ)を初めて知った衝撃が強かったが、今回はそれに関わった人たちの苦悩や罪の意識のほうに意識を集中して読んだ。
    自分が年齢を重ねたからこそ理解できる登場人物たちの心情もあり、自分だったらどうする?と考えてしまった。

    再読してよかった。やはり名作。

  • 「九州大学生体解剖事件」を題材にした話。
    諸外国においては、大多数の人間が宗教といったある種の統一的かつ絶対的な行動規範を持っているもの。
    一方で、それを持たない日本人。
    戦時下という極めて非日常の状況において、絶対的な判断基準を持つ欧米人、絶対的な判断基準を持たず揺れ動く日本人という二項対立を描いています。
    高校の現代文にもってこいの構成。
    ただ、内容はつらい。

  • 暗かった。
    そこはかとない暗さがあった。
    でも、何か惹きつけられる作品だった。

    ラストまで読んで・・・・
    それで、どうなったんだろうって凄く気になる終わり方だった。
    ある程度は分かっているんだけど、もっと詳細な行方が知りたかった。

    人の中にある、闇の部分がとてもリアルに描けていると感じました。

  •  九州大学生体解剖事件をモチーフにした作品、という枕詞はもはや不要かもしれない。太平洋戦争後の日本、生体解剖に立ち会った一開業医の独白、そして戦後のGHQによる捜査記録(?)内の関係者2名の供述録という形を取った小説である。3名に共通するのは生体解剖に対して直接携わったり判断を下してはいないことと、自ら積極的に決断して参加したのではなく場の流れに何と無く引きずられて参加したことである。

     気弱な研修医、勝呂。患者より功績第一とする第二外科の空気に違和感を持ちつつも、自ら意見を述べて反対するにはいたらない。皆が見捨てた患者”おばはん”を一人見捨てず治療しようとはしているが、第二外科が”実験的手術”をすることになるが表だって反対をするまではできない。一応正義感はあるようだが、押し通すまでの強さはない。”おばはんは神”という文中の表現にもあったとおり、医療を通じて正義を遂行する振りをして自ら救いを求めている。幼少期から優秀で要領のよかった戸田。要領の良さの中に時折持つ罪悪感は、押しのけた相手に対してではなく、世間。あくまで対面であり、対面に対しての言い訳さえ立てば消滅する程度の罪悪感である。妊娠中絶、離婚後に看護婦として復職した上田。自らより幸福な女性を羨み、どこか見下す点を見出し、さげずんで毎日を過ごす。

     三者三様の傍観者たち。生体解剖後の反応も異なる。
    「”お前は自分の人生をメチャメチャにしてしもうた”だが、そのつぶやきは自分に対して向けられているのか、誰に対して言っているのか、彼には分からなかった。」
     正義を遂行する振りをしている勝呂にとっては、生体解剖の傍観は、自ら救いを求める行為に反している。一応良心の呵責を感じてはいるが、救いを求める対象がもはや存在しない。
    「俺が恐ろしいのはこれではない。自分が殺した人間の一部分だけを見てもほとんど何も感ぜず、何も苦しまない心なのだ」
     携わってはいたが、直接手を下していない。なのでおそらくはばれることはないので世間への言い訳は立つ。どこかでそういう思いを持つ戸田は、生体解剖という禁忌を踏んだ今も、罪悪感は感じない。感じない自分自身を恐れる
    「(橋本先生、ヒルダさんに今日の事を言うのだろうか。言えないだろうな)ノブはヒルダに勝った快感をむりやりに心に作り上げようとする」
     看護婦という、少し立場が違うからだろうか、一部始終を完全に横目で見ていたのにもかかわらず、何事もなかったかのようにその日を過ごす上田。

     本書の中、生体解剖を正面切って反対した人物はいない。では、本書の全ての登場人物が生体解剖に直接的間接的にかかわることになったとしても、反対しただろう人物はいただろうか?
    「あなたは神様がこわくないのですか」
     医師の指示で、末期患者に安楽死処置を行おうとした上田に対して、こう言い切ったヒルダだけは正面切って反対したかもしれない。ドイツ人ながら昭和初期に日本人と結婚し、日本にまで来るような強さからくるのだろうか?一神教ではなく、古来多神教と仏教のハイブリッド教を進行してきた日本人とは違うのだろうか?たぶんそうではないだろう。
    「彼女のブラウスから石鹸の香りがします。日本人のわたしたちは今、世の中では持っていない石鹸」
     ドイツ人だからか、ヒルダは周りの日本人たちより経済的にはるかに恵まれていた。

     死、かつ殺人者が身近にいた時代だから起こったことなのだろうか?現代でも起こりうるのだろうか?おそらくは起こりうるのかもしれない。それは毒薬のように人の心を麻痺させ、ドス黒く冷たい海のように人の心を覆い尽くす。

  • 最初の語り手が遭遇する引越し先の腕は良いがどこか謎めいた医師勝呂。偶然彼の過去を知ってしまい見る目が変わる。続いてその勝呂中心の話が始まる。謎めいた隣人のプロローグに夏目漱石の『こころ』みたいな展開かなと思ったら、更に複数のキャラクターの声が書き分けられて挿入される。罪悪感を覚えない医師とか歪んだ女心とかよくもまあそんな人達の気持ちがわかるもんだな。やっぱり昔の作家先生は偉かった。
    (続きはブログで)
    https://syousanokioku.at.webry.info/201904/article_4.html

  • 意志の薄弱な勝呂。生来の虚栄心を誰にでもあると嘯きながら、己の卑近さを決して忘れることができない戸田。勝呂は戸田に強さを見出し、戸田は彼が乞い願う良心の存在を勝呂の中に見る。また、何も手元に残らなかったと思う余生を生きる上田の、ヒルダや大場への憎しみも虚しい。
    空襲で人がどんどん死ぬ世の中で、死や悲惨に対して鈍磨していく雰囲気が、彼らの方向に速度を加えたのかもしれない。

    勝呂は海から遠く離れるため、砂漠のような土地に移ったのだろうか。
    それでもたぶん、刻まれた光景はその体を侵して、一人でじっと横になった夜には、海鳴りが聞こえてくるんだろう。

    作品の読みどころではないが、医師と患者の関係や、男性は支配的で女性は隷属的というあり方、学校で医者と百姓の子供が当然のように区別される様子などは、今の日本社会ではありえないほど野蛮で無教養、もはや鬼畜のように感じられるけれど、権威を笠にきた性的暴力や子供への虐待が日々ニュースになる今の時代も、後世においては非理性的で無秩序の坩堝のように見えるのだと思う。

  • ここまで読む手が震えた小説は久しぶり
    生きた捕虜の解剖によって良心の呵責というものに惑わされる戸田と勝呂の苦悩を描いている
    とても面白く考えさせられる内容だった。

  • -

全24件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1923年東京に生まれる。母・郁は音楽家。12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶應義塾大学仏文科卒。50~53年戦後最初のフランスへの留学生となる。55年「白い人」で芥川賞を、58年『海と毒薬』で毎日出版文化賞を、66年『沈黙』で谷崎潤一郎賞受賞。『沈黙』は、海外翻訳も多数。79年『キリストの誕生』で読売文学賞を、80年『侍』で野間文芸賞を受賞。著書多数。


「2016年 『『沈黙』をめぐる短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

遠藤周作の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×