- Amazon.co.jp ・電子書籍 (210ページ)
感想・レビュー・書評
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世界的クライマー山野井泰史さんのヒマラヤ山行記録。
何度も何度も九死に一生を繰り返し、多くの友人を山で失くし、両手両足の指の大半を凍傷で失くしても、彼は何故今も垂直の岩壁に挑むのか?そこに岩壁があるからか?それは違う。多くの人は目の前に垂直の岩壁が会っても命を賭けて登らない。怖いし死にたくないから。せいぜいハイキングかちょっとした登山くらいである。
「僕は、日常で死を感じないならば生きる意味は半減するし、(死を感じないなら)登るという行為への魅力も半減するだろうと思う。」
「僕だって長く生きていたい。友人と会話したり、映画を見たり、おいしいものを食べたりしたい。こうして平凡に生きていても幸せを感じられるかもしれないが、しかし、いつかは満足できなくなるだろう。」
ほとんどの人の人生は死を感じるようなドラマティックなことは稀で、宮台真司の言う「終わりなき日常」を生きている。そして「終わりなき日常」に満足できず退屈して、人は刺激を求める。酒、ドラッグ、SEX、趣味、仕事などに。それで死を感じるまで行く人も稀にいるので、山野井の気持ちもよく分かるが、普通は死を感じる手前で適当にやっている。
ほとんどの人が適当に生きているので、山野井のようにクライミングに命のすべてを賭けるような人間は、ほんとにピュアな存在である。刺激的で感動的である。何かを生産したりサービスしたりという社会的貢献が何も無いのが清々しくカッコイイ。(彼は企業などのスポンサーは一切持たない)
しかし、と私は思う。
何キロも落差のある垂直の岩と氷の壁を命がけで登るのは凄いし感動するが、さほどドラマティックなことも刺激的なことも無い平凡な人生を機嫌よく生きるのも凄いことなんだよ!
この本の中で出てくる、彼と妻(彼女も世界的クライマーである)がまさに九死に一生を得たヒマラヤの難峰ギャチュカンからの生還については沢木耕太郎のノンフィクション「凍」が圧巻である。一気に読んだ後体中の力が一気に抜ける。山野井のこの本は山行記録であり作家の作品と違い淡々と事実が描かれている。物語としての迫力は作家に劣るが、それはそれで本人が語る言葉として非常に面白い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
沢木耕太郎の超名作『凍』で知った著者の自作。登山を知ってからずっと冷静な発狂状態、という著者自身の名言がまさにといった内容で改めてすげーなこの人、と感動というか感嘆しました。何気に奥様妙子様も相当で、こんなご夫婦もいるもんだと理解はできないけどやっぱり感嘆しました。このお二人クラスだと、畳の上で死ぬのがいいのか山で死ぬのが本望なのか、傍から見る限りにおいてはちょっと何とも言えませんな。
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本物の冒険者、クライマー。
自分の命をかけて、自分の、そして人間の限界に挑む男。
本物だけが語れるノンフィクション。
途轍もない冒険に挑み、危険な山登りに挑戦している人たちは、多くの場合、山で死んでしまう。
山野井さんが凄いのは、生きて帰ってきている、生き延びている。
生命力が異常に強いのか、幸運に恵まれているのか。
それで私はどの山に登る?
映画「人生クライマー」も見た。 -
登山の話といろんな話が書いてあった。
いろいろ考えさせられる。 -
山岳本を読んでいると必ず出会う本のひとつ。
沢木の「凍」の主役である著者が、その体験を自ら綴る名著。何度でも読み返したい。 -
著者の山野井泰史は1965年生まれの登山家。単なる登山ではなく垂直近くに切り立った崖を昇るクライマーだ。崖の高さが1000mとか2000mで何日もかけて登るため、途中の夜は崖にぶらさがって寝るというのだから、ハイキングレベルの登山でもぜぇはぁしてしまう自分にはまっっったく縁のない世界だ。
数多くの挑戦の中から7つを選んでエピソードを記述している。いずれも全然知らなかったが、こうやって本を読んで想像しても、多分現実の1%も想像できていないだろう。
ただ凄いというほか感想の持ちようもないが、この人たちの生死や危険に対する感覚は一体どうなっているのか。敵が攻めてきたわけでもなく、財宝が埋まっているわけでもないのに、死ぬかもしれないと覚悟しながら雪山に挑む。しかもわざわざ急な坂というか壁になっている側から。
それで死ぬ寸前で帰還して、手足の指のほとんどを凍傷で失って、それでもまた登ろうとする。バカじゃないかと思う。でも、これほど天才的なバカになれたら人生は本当に幸せなんだろう。羨ましいことだ。 -
「凍」のあとに続けてkindleにて。2002年のギャチュン・カン北壁に至るまでの軌跡。山野井さんの登攀年表を見ただけでは伝わらない、それぞれの挑戦への意気込みや仲間たちへの思い、体調、気候などを本人の記録から辿ることができた。
過呼吸になっているから口元に手を当てて、二酸化炭素を再吸入して呼吸中枢を刺激してやる、なんてちゃんとフィジカルの知識を持っていて驚く。
ポータレッジという、垂直な壁に吊るして横になれるテントのようなもの。気になるけど高所恐怖症のわたしはきっと休めないだろうなあ。
161210 -
なぜ命をかけて登るのか。そんな凡人の単純な疑問に著者は、僕は山で死んでもよい数少ない人間のひとりだと答える。そんな決意を持った著者が挑んだ5つのヒマラヤ冒険記集。
どの冒険も、山で死んでもよいと思える人間じゃなきゃ果たせない壮絶な登山だ。眼球の凍結で一時的に視力を失ってしまうこともあれば、雪崩で生き埋めになって掘り出されることもあるし、手足の指の半分を切断もしている。多くの友人を失ってもいる。それでも登り続ける。不安や恐怖すら楽しみや喜びに変えてしまうクライマーという人種は、平凡に暮らす人間とは異なる人種なんだろう。
そんな人種が凡人と同じ言葉で語ってくれる貴重な一冊だ。
5冒険記のクライマックスはギャチュンカン北壁登攀。妻をパートナーにして挑んだ著者は雪崩でふっとばされながらも奇跡の生還を果たす。沢木耕太郎が小説化したことで有名な冒険だが、当事者夫婦が語る記録も緊張感がみなぎる。 -
本当の意味で「自分に正直に生きる」とはどういうことか。多分これはその究極の答のひとつ。自由に生きることはつまり、それと引き換えに大きな代償を払うことであり、それをすべて自分ひとりで引き受ける「覚悟」を持つということ。それが出来ない人間は心地よい妥協の日々の中に沈んで生きるしかない。「死」すらも内包しながらひたすら前へ進む生き方に、ただただ言葉を失う。