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本 ・電子書籍 (188ページ)
感想・レビュー・書評
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日比谷高校の薫くんを主人公としたシリーズの第二作。
しかし、長いこと、これを第三作と誤解していた。
「赤頭巾ちゃん」に続く第二作を「白鳥の歌」と思い込んでいたのだ。
薫くんシリーズは、赤-白-黒-青の順番で刷り込まれていた。
何故なのだろうか、と考えてみた。
「赤頭巾ちゃん」と「白鳥の歌」は傑作だ。
「赤頭巾ちゃん」は、新たな青春饒舌文学という領域を開拓したという意味で、「白鳥の歌」は青春の盛りに出会った死と知という重いテーマを軽やかに描き切ったと言う意味で。
そして、この二作はとても分かりやすい「ザ•青春小説」だ。
誰が読んでも読みやすく、容易にナイーブで知的な薫くんに感情移入が出来る。
それに比べて、この「黒頭巾」は感情移入がしにくい。
何故なら、テーマが青春小説の域を離れて、大人の小説に近づいているからだ。
だから、地味で印象薄いのだ。
それは、「青髭」も同様だ。
「黒頭巾」と「青髭」を好きだという人に出会ったことがない。
初期三作は1969-1970年、東大闘争真っ盛りに書かれている。
いわば、時代のルポルタージュの趣きを持っている。
その中で「黒頭巾」が異色なのは、高校生である薫くんの兄貴世代、つまり、学生運動の最中にある世代の、もう輝かしくはない汚れた青春が色濃く反映されているからだ。
「赤頭巾」「白鳥」と「黒頭巾」「青髭」の間には深い溝がよこたわっている、と、考えるべきなのだ。
「黒頭巾」「青髭」を爽やかな青春小説として読むからいけないのだ。
「赤頭巾」「白鳥」と「黒頭巾」「青髭」は対になっている。
作者はそれを暗示するために、赤「頭巾」についで、黒「頭巾」というタイトルを並べてみせたのだ。
「赤」「白」が示すのは、爽やかな高校生の青春だ、ウブでナイーブな青春と言っても良い。
それに対して、「黒」「青」が示すのは、学生運動に傷ついた暗い青春だ。
本書は、東大医学部紛争真っ盛りの1969年が舞台。
東大闘争は、医学部学生を奴隷として使役するインターン制度の破棄を目指す要求に端を発し、運動は段々と先鋭化していき、「東大解体」を求めるまでに至る。
(その内容は、折原浩「東京大学」に詳しい)
学生運動を含めて、組織的運動には多くのドロドロとした闇が付き纏う。
著者はそれを「黒頭巾」に象徴させる。
問題の解決を図る正義の味方もダークにならざるを得ない。
ゴールデンウイークに薫くんは兄の友人である医者のたまごの結婚式に「人手不足解消」のために駆り出される。
しかし、東大医学部紛争のゴダゴタ、ドロドロで、式は異様な雰囲気を呈する。
医者のたまごは闘争を離脱して、社会に出て出ることを決めていたためだ。
これは運動をせっせとやっている者たちにとっては、戦線離脱、敵前逃亡、体制への寝返りとしか映らない。
全てを一挙に解決してくれる怪傑黒頭巾はもういないのか。
いや、黒頭巾は誰に対しても正義の味方なのか。
黒頭巾は実は、他者に対する思いやりを欠いた、単なる直情径行の暴力男なのではないか。
だとすると、それは正義の革命を唱える全共闘の闘士も、社会主義革命を目指すマルクス主義革命家も、連合赤軍の面々も黒頭巾ではないのか。
黒頭巾を求める心性が子供なのだと理解して、傷付き傷付けることを恐れずに社会に乗り出していくのが大人だと、薫くんは頭では分かっている。
それを薫くんは、「人生の兵学校」と、呼ぶ。
何とも即物的な、規律確立型の社会装置のようだ。
兄貴たちのように自分もその「人生の兵学校」入っていかなければならない。
それは分かっているが、その一歩を逡巡し、低徊する薫くんに多くの若者が共感したのだ。
薫くんが悩むのは、存在することが持ってしまう「存在の被拘束性」と言えるかもしれない。
「存在の被拘束性」の中では、何をやっても他人を傷つけるリスクを避けることが出来ない。
そのことを理解してしまう鋭敏な感受性が、行動を縛り、人生いかに生くべきかという答えのない問いの中に、薫くんを閉じ込めてしまう。
その「どうしようもなさ」を吉本隆明は「関係の絶対性」と呼んだのだと思う。
「存在の被拘束性」「関係の絶対性」としか呼びようのない、雁字搦めの状態に入り込むしかないことを、兄たちの世代に見てしまった薫くんを描いたのが、この人気のない「黒頭巾」なのだろう。
「黒頭巾」と「青髭」は、「赤頭巾」と「白鳥」とは別物である、と、考えて読むのが良い。
作中に、スバル1000が登場するが、家の車は、驚くほど狭い駐車場に見事収まるマツダキャロルだった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「赤頭巾」の次は「白鳥」の順で読みたかったが事情により「黒頭巾」が先になった。薫の物語というよりは、兄貴世代の社会に対する不安や絶望を薫の目を通して語られるという内容だが、まだ若い薫は掴みかけた?にとどまったみたいだ。「例えば、見渡す限りの広い荒野を一人で歩いていくといった夢だね。地平線がはっきりとゆるやかな弧を描くような広い広い野原で、空だけが夜明けの淡い紫色に染まっていたりするんだ。そしてふと気づくと、その広野には男がいっぱい横たわっていて、抱き起こして顔をのぞいてみると、それがみんな友達や知り合いなんだ。そして、どういうわけか、みんなどこかに涙のあとを残していたりする。しかもそれがどこまでもどこまでも続いているんだ。どこまでもどこまでもさ。ひどい話だ……。薫、毛布を一枚とってきてくれないか?」まいったまいった、てやつだ。今のオイラなら、そんなに悲観的になるなよ、って言いたい。この当時も時代の激動に老いも若きも揺さぶられていたんだと思うけど、今の世の中も変わらない。大学受験をやめた薫だから、スパッと切り捨てることを期待したがさすがにまだ若いようだ。だからこそ、これを読んでキュンとしているわけだけど、いいことばかりじゃないけど悪いことばかりじゃないよ、って言いたい。もちろん,自分にも!
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