八日目の蝉 (中公文庫) [Kindle]

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  • 中央公論新社
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感想・レビュー・書評

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  • 不倫相手と正妻の間に産まれた子供を拐って育てた女性の物語。

    切なくて、哀しい話なのだが、物語の中に引き込まれていってしまいます。小豆島の優しい風景描写も素晴らしいです。

    親子の愛とは血の繋がりだけではなく、どのように過ごすかの方が大切なんだと思いました。

    オススメ!

  • 不倫相手と正妻との赤ちゃんを誘拐し、逃亡を続けた女の話。
    最初は他人の子供を誘拐するなんて狂気じみた女だと思ったが、女の誘拐に至るまでの経緯などが分かるにつれ、自分が会うことの叶わなかった愛する男の血を引く子供に母性本能が生まれるのは女性として仕方がないことのようにも感じた。

    子供を憎むのではなく、自分の人生や財産を捨ててでも子供と生き抜きたいという実母と同じまたはそれ以上の愛情をかけられるのもすごい。

    兎にも角にも女性の身体も心も傷つけたにもかかわらず、何の悪びれもなく、のうのうと生きてる不倫男どもが許せない。

  • 自分を生んだ母も、自分を我が子のように育てた母もどちらも母親だったと彼女が回想するシーンに心打たれました。「この子はまだ朝ごはんを食べていないんです!」逮捕される時に誘拐犯の女が最後に発した言葉は只々子供を想う母としての言葉だった。自分はこれから刑務所に行くというのに。誘拐の是非や不倫の是非はともかくも血のながりと母性について考えさせられる話だった。小豆島の美しい風景と女性が持つ愛が爽やかに絡み合って哀しくも美しい小説だった。

  • 個人的にですが、入信したいとかではなく宗教施設に興味があります。

    以前、知り合いが信じている宗教に連れて行ってもらって1日体験をしました。

    服装の指定などがあり、お偉いとされる方の話を聞き、そこに入ることで良い教えにたくさん触れられるというようなグループワークがありました。

    その知り合いは自ら何かを決定することができず、何かを決めなければいけない時にはその宗教にお伺いをしてから決めます。

    洗脳だと思いました、私から見たら。

    私はそれらを否定しません。それでその人が幸福だと感じるなら。

    そういった経験があるので、この本を読んだ時に良く取材してあるなぁと感じました。

    話が逸れましたが、そのような話題を織り交ぜつつ最後には本当の愛?見返りを求めない愛?アガペー?

    そのような展開に面白いなと思いました。
    ただ、敢えてその愛について展開したかったのだろうという角田先生の思惑がいささか狙いすぎのように感じました。

    本当の両親がもっとまともな(なにをもってまともとするかですが‥)両親であれば物語は成り立たないでしょう。

    作品のテーマを伝えたいがために登場人物の設定をしたのでしょうが、やや狙いすぎ感を感じてしまいました。

    しかし、次どうなるのだろう!?と読み切ってしまったのも事実です。

    ごちゃごちゃ言いましたが、良い作品でした。

    ありがとうございます!

  • 2024.3.20 BS101 放映 
    直木賞作家・角田光代が全力を注いで書き上げた、心ゆさぶる傑作長編。不倫相手の赤ん坊を誘拐し、東京から名古屋、小豆島へ、女たちにかくまわれながら逃亡生活を送る希和子と、その娘として育てられた薫。偽りの母子の逃亡生活に光はさすのか、そして、薫のその後は――!? 極限の母性を描く、ノンストップ・サスペンス。第2回中央公論文芸賞受賞作。

  • 再読した。
    2回目読んでよく理解できた

    本物の家族とは、母とは、何か。
    物語で出てくる男はみな弱く、嫌なことから逃げる。
    そんな大人にはならないようにしよう笑

    薫(恵里菜)は二宮希和子に感謝しているのか。
    それとも憎んでいるのか。その時次第で気持ちは変わる。
    妊娠を機に考えが変わった気がした。

    ゼミで映画をちょっと見た。
    「愛憎」これがキーワードらしい。

    血が繋がっているかいないかは関係ないということ。
    全ては本人の気持ち。
    実の家族でもそう思えないかもしれない。
    なぜ私だったの。普通の生活がしたかった。
    なぜ私だったの。
    今を生きることができるのは自分だけ!

  • この小説を読んでいる時に浮かんできた言葉。
    切なさ。やるせなさ。希望。ジェットコースター。自分/他人の人生。これさえあればという思い。わからない。どうしようもなさ。不条理。理不尽さ。儚さ。小狡い。どうして。誘拐する側の論理。微妙にはまらないパズルピース。雨。自然。昔の記憶。うっすらと。ダメ男。強さ。踏み出した一歩。笑顔。子供。

    前に読んだ「対岸の彼女」での人間の思いの描き方が殊の外気に入ったこともあって、次作を読みたかったんだけど「誘拐犯の話」ってところでちょっと食わず嫌いしていた。が。前作同様、一気に読み終えてしまった。そしてレビューを書こうと思ったんだけど、うまくまとまらないので言葉だけ上に羅列した。レビューになってないか。

    それにしても角田光代という作家は、人間の感情と日常の風景を淡々とそれでいてどこか湿り気のある形で表現することがとてもうまくて、引き込まれてしまう。どうしようもない思いと、触れるとなくなってしまいそうなかすかな希望。それでも人間は生きていく、みたいな。

    うまく表現できないんですが。

  • めちゃくちゃスラスラ読めた、熱が伝わってくる文章、最後のあとがきにも、子どもを持つことや結婚について言及されていて、他の作品も読みたくなった

  • 長編でもさらっと読めてしまう没入感。
    無謀すぎる逃避行の中、確かにあった母子の愛の時間。彼女をそのまま愛していたのか、失った子の代替としての視点は残っていたのか…。
    自然豊かな小豆島の描写が美しい。

  • めちゃくちゃ良かった!最初から最後まで夢中になって読んだし、終わり方も安っぽい終わり方じゃなかった。
    薫がきわこと過ごした日々に戻りたいと願う描写や、小豆島の方言が実母に訂正されるシーンなど、引き込まれる箇所が沢山あった。間違いなく、薫ときわこの過ごした日々は安心出来る場所になっていた。血の繋がりはなくても、純粋にお互いに必要とする母娘だった。
    産んだから母になるものではなく、苦楽を共にする生活中で家族になっていくのではないか。
    実母は薫の母にはなりきれなく、自分の感情だけをただぶつけた1人の女性だったと思う。薫を妊娠し妻として勝ったように思っていたんだろうけど、きっと彼女は孤独から抜け出せないままだったんだろうと思う。

  • 私は当たり前のように、学校を卒業し、就職し、そして結婚すると思っている。希和子もそうだった。彼女は、男と出会ったことで犯罪者の道を歩んでしまった。今、皆が想像する「普通」の生活を送っている人は、奇跡なのかもしれない。一歩間違えれば、誰もが犯罪者になってしまうかもしれないと思った。

  • 子供を盗み、逃げながら育てる女の行動は共感できないし、女の子は人生が変えられてしまって可愛そう。どんな境遇でも生きていく女性たちのたくましさを感じました。

  • 絶対的に悪いことをしているのは希和子なのだけれど、どうにか薫と逃げおおせてほしい、と願いながら読んでしまいました。
    というか全ての元凶は丈博さんじゃん!って腹たった!奥さんにも希和子にも薫にも全てに対して不誠実だと。でもそんなどうしようもない男を好きになったのもまた希和子なのだけれど。

    8日目の蝉をどう思うか、私だったら仲間と一緒に死んでいきたいって思うと思いました。残されるのは悲しい。

    恵理菜とその赤ちゃんがどうか今度こそ、2人で幸せに生き抜けますように。

  • 略取した子供との数年に亘る逃避行。
    最初は自分の中を支配していたこの逃避行の終焉を望む思いが徐々に永続を祈る思いに圧倒されてゆく。
    司法も報道もすべて透明なフリをした色付きフィルタで、当事者の思いには決して到達していないことをあらためて感じる。

  • 小豆島が舞台として出てくる。小豆島は個人的にも思い入れのある地であり、この小説を読んでまた訪れたくなった。
    「子への愛情」という事について考えさせられる小説であり、意図していなかったものの、この時期(妊娠中)に読んでよかったと思った。

    ・「へんな施設で育ったこと、ずっと私には負い目だった。選んだわけじゃないんだし。でもさ、あんたが妊娠してから考えたんだ。あそこでは大人はみんな母親だった。好きな人も苦手な人もいたけど、全員母親だった。ふつうの子どもには母親はひとりしかいないのに、私はあんなにもたくさんの母親を持ったことがある、だからきっと、あんたが子どもを産んんだら、私も母親その二になってあんたの手助けができるに違いないって。男の人を好きになったことも好かれたこともないけどさ、でも私にだってきっとうまくできるって、そう考えたんだ」
    大きく深呼吸して、千草はつぶやいた。★「私、自分が持っていないものを数えて過ごすのはもういやなの」★
    → 他の人が持っていて、自分は持っていないものについて考えるより(隣の芝生は青い的な思考)、自分のいる環境・これまでの経験に目をむけて現状を前向きに、私だからできることを考えたいと思った。

    ・「前に、死ねなかった蝉の話をしたの、あんた覚えてる?七日で死ぬよりも、八日目に生き残った蝉のほうがかなしいって、あんたは言ったよね。私もずっとそう思ってたけど」千草は静かに言葉をつなぐ。★「それは違うかもね。八日目の蝉は、ほかの蝉にはみられなかったものを見られるんだから。見たくないって思うかもしれないけど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどにひどいものばかりでもないと、私は思うよ」★

    ・そんなものは何ひとついらなかった。凪いだ海も醤油のにおいも別の名前も。何ひとつ望んでおらず、何ひとつ選んだわけではない。それなのに私は知っている。自分からは一度も訪れたことのない場所の記憶を、こんなにも持っている。こんなにもゆたかに持ってしまっている。八日目の蝉は、他の蝉には見られなかったものを見られるんだから。見たくないって思うかもしれないけど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどにひどいものばかりでもないと思うよ。
    <中略>
    憎みたくなんか、なかったんだ。私は今はじめてそう思う。本当に、私は、何をも憎みたくなんかなかったんだ。あの女も、父も母も、自分自身の過去も。憎むことは私を楽にはしたが、狭く窮屈な場所に閉じこめた。憎めば憎むほど、その場所はどんどん私を圧迫した。

    ・新幹線のなかで感じた恐怖が、今、自分のなかにこれっぽっちも残っていないことに私は気づく。だいじょうぶ、きっとだいじょうぶと、何か大きな手のひらが、背中をさすってくれているように感じた。
    そう、だいじょうぶ。なんの心配もいらない。子どもが生まれたら立川の実家に戻ろう。母親になれなかった母と、どんな人を母というのか知らない私とで、生まれてくる赤ん坊を育てよう。父であることからつねに逃げ出したかった父に、父親のように赤ん坊をかわいがってもらおう。もし両親が役にたたなくても、私がだめ母でも、千草がいる。真理菜もいる。そうしたら私は働くことができる。働いて、赤ん坊にかわいい服を着せて、おいしいものを食べさせて、なんの心配もいらないんだということを教えてあげよう。あの人にー岸田さんに会いたくなったら、生まれた子どもを強く強く抱きしめよう。岸田さんが私にそうしてくれたように、世界でいちばん好きだと赤ん坊の耳に幾度もささやこう。そうしたら私は岸田さんを憎まなくてもすむだろう。きっとだいじょうぶ。

  • 希和子は不倫相手の子供である恵理菜を赤ちゃんの時に誘拐したけれど、与えたものは温かい愛情の日々で、読んでいると桟橋での別れのシーンでは泣いてしまう。映画も大好き。犯罪だけれど、希和子と暮らして欲しいと思ってしまうほど引き込まれる作品。

  • 逃避行の闇の中でも少しづつ育つ薫の成長は、小さかった光が次第に大きくなるように思えた。そして辿り着いた小豆島の日々の生活の眩しさ
     瀬戸内の島での何気ない生活
     醤油の香り、オリーブの緑、海の青さ、優しい人たちに母子はどれだけ光を見ただろう。
    突然終わった輝く世界も、罪を償い独りで生きることになっても生きているかぎり良いことばかりでなくても再び小さな光を見つけられた希和子さんの先をもう少し読んでみたいと思った

    可能性の世界
    「火事は希和子さんが原因ではなかったかも」とは考えられないだろうか?
    希和子さんがもし薫を連れ出さなかったら火事に巻き込まれていたかもという可能性
    私は人を断罪するより、優しい可能性の方を信じたい

    ------------------------
    読書の楽しみのひとつに、他の方のレビューを見るのが楽しみですが
    この作品の場合みなさん希和子さんに厳しすぎる印象が(;'∀')
    不倫+誘拐は強烈ですけどね・・・

    かの石田純一さんが「不倫は文化だ」で大炎上して
    消し炭も残らないほどの存在感になってしまったのが世間のいわゆる
    「不倫」というものがいかなる行為かまざまざと教えてくれている(^-^;

  • 赤ん坊を誘拐した希和子は明らかに悪いのだけど、どう読んでも希和子の気持ちに寄り添いたくなる。終盤、被害者の薫の気持ちの中に、恨んでいた希和子を許し、むしろ愛おしくさえ感じる感情変化があり、大きな救いを得たような気持ちになる。そして、小豆島の描写がどこまでも美しくて、涙が止まらなくなる。

  • 0歳の子供を誘拐して物心つくまで一緒に過ごした話。

    誘拐犯からの視点で物語は進み、その後誘拐された側の子供からの視点が面白い。
    誘拐されたはずが幸せだった幼少期の複雑な心境と小豆島という舞台が良かった。

  • 不覚にも泣いてしまった。
    読み終わってから数日経過しても希和子と薫のことを考えてしまう。数年に一度の余韻に浸れる小説だ。

    赤ん坊を誘拐して、五年ものあいだ逃亡先を転々としながら自分の子供として育てるが逮捕される。成人した赤ん坊は自分の過去を辿る旅に出る。

    最初は粗筋を聞いて拒否反応を感じた。自分自身に子供がいるので、この主人公に感情移入できると思えなかったからだ。
    そんな小説なのに何故読んだのかと言えば、他の角田作品が面白かったからだ。著者の代表作である本作もきっと面白いはずだ。そんな期待から読んでみた。

    小説は一章と二章の二部構成である。前半が誘拐犯貴和子の視点。後半が成長した娘・薫の視点。
    正直、前半は冗長だと感じながら読んでいた。誘拐、逃亡、宗教団体など非日常の出来事が起きるのだが、物語は淡々としていて貴和子の日記のような印象だった。様々なエピソードがバラバラと散らばり、底辺の日常をそれなりに楽しく生きている。そんな疑似親子の人情噺みたいな展開かと思いきや、ふいに逃亡劇は幕を下ろす。

    そして後半。20歳になった薫の視点で物語は進む。個人的には、薫が自身の過去を思い出していく過程に心を動かされた。前半の冗長だと思っていたエピソードが、薫の視点で見ると、キラキラした子供にとっての宝物のような記憶だと分かる。
    希和子が逮捕され、東京で暮らし始めた薫。どうしても小豆島に戻りたくなり住宅街を歩き続けるのだが、一向に海へは辿り着かない。そしてもう貴和子との生活は戻らないし、島へは帰れないと薫は理解する。そういった記憶の断片が胸に刺さってくるのだ。

    読む前の希和子のイメージは、身勝手な犯罪者だった。読み終わった後もやはり身勝手だとは思うが、同時に逃げ切って欲しかったという相反する感情を抑えられない。
    逃げ切ってほしかった。

    誘拐犯の貴和子は身勝手の極致だ。自分の子供が誘拐されて数年間も知らない場所で育てられたら、と思うと許せない気持ちでいっぱいだ。
    そんな身勝手な誘拐犯に感情移入させ、物語の結末を変えさせたいと思わせる角田光代は凄い作家である。

    「この子はまだ朝ご飯を食べてないの」
    ただの状況説明のような一言がとても大切な言葉として刻み込まれてしまった。

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著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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