外交回想録 (中公文庫) [Kindle]

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  • 中央公論新社
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  •  内心では軍や内閣の方針に異を唱えながらも、外交官としてひとたびカウンターパトに対すれば国家の代表者として国益に沿う主張を断固として行う。まさに公人の仕事として感服する。

     一方、外務省の考える「国家戦略」というものが出てこないところは不思議に思う。外交官の集合体である外務省は、官僚としてはそのような意見をもたず、政治家の意向を実現させるのみなのであろうか。とすれば、たとえ誤っていたとしてもまがりなりにも国家戦略をもっていた陸軍とは決して話が合わなかったことに納得できる。

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著者プロフィール

1887年大分県生まれ。子供の頃朝の沐浴と教育勅語の朗読を日課とする。東京帝大法科大学独法科卒業。
外務省に入り、上海総領事、駐華特命全権公使等を歴任、上海事変停戦協定を成功させた直後、上海天長節爆弾事件で右足を失う。
その後、外務次官、駐ソ、駐英、駐華の各大使、さらに東条内閣、小磯内閣、東久邇宮内閣で外相を務める。
日本政府全権として戦艦ミズーリ艦上で降伏文書調印。昭和天皇の信頼厚く、調印前天皇から激励を受ける。
張鼓峰事件の解決、ビルマ援蒋ルートの一時的閉鎖、戦後の占領軍による軍政阻止などは、
重光の卓越した交渉能力を示す例である。大東亜共同宣言も終戦の御聖断も重光の提言によって実現。
日華和平を目指し、三国同盟や日米開戦には反対の立場だったが、極東国際軍事裁判ではソ連の横やりで
A級戦犯の被告人となり、禁固7年の判決。政界復帰後、改進党総裁、日本民主党、自由民主党副総裁、
そして鳩山内閣の外相として日本の国際連合加盟に尽力。1957年没、享年69歳。

「2023年 『[新字体・現代仮名遣い版] 巣鴨日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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