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感想・レビュー・書評
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物量戦である第一次世界大戦を経験した上で、なぜ日本軍が精神論に頼ってしまったのかそこへの考察が進んだ
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欧州大戦で出現した物量勝負の国家総力戦の脅威(日露戦争で垣間見え、青島攻略戦で日本軍も少し経験した)への対処に苦慮する真面目で先進的なエリート軍人達を、
政党政治の腐敗と機能不全が、外交の無力が、1等国の幻想に酔う国民と現実を無視し国民を煽るマスコミが、決定的に不足する国力と必敗の総力戦と言う数値が示す逃れ得ない現実が、
帝国防衛に直接的な責任を持つ彼らを追い詰めた。
孤立無援のなかで苦悩するエリート達は国防方針をめぐり分裂抗争。
皇道派は精神主義による戦力底上げと限定戦争戦略を練り上げ、統制派は高度国防国家建設を目指す国政介入を志す。
それらは政治の助け舟も国民の後ろ盾も何もアテにできないと絶望した軍人達がそれでも帝国存続の道をと無理を重ね編み出した策であり、
ついには玉砕特攻を戦略に組込み狂気で敵軍の戦意を砕くという究極の戦争哲学へと昇華させ、日本を大戦末期の地獄に引きずり込むことになる。
皆が真面目に頑張った結果だね、とボクは軽く絶望し、せめて強権を握る政治的なファシズム体制なり成立してれば大戦最後の1年の悲惨は防げたとさらに絶望。
まさに未完のファシズムの悲劇であり、持たざる国日本の運命とはよくも言ってくれたよ。
そんな冷徹な研究者の戦前日本のエリートの脳内を腑分けしたかのような書です。こうゆう本を読むと昭和は完全に歴史になったのだと思うのな。 -
石原莞爾 「持たざる国日本の世界戦略」満州国を育て世界最終戦争に備える
満州でソ連経済をモデルに高度成長を実現 日本の資源・産業基地
明治政府の制度設計の誤り
元老による属人的な国家運営 組織ではなく個人に依存
兼務体制 伊藤博文 東條英機
シェリーフェン戦略(独参謀総長) 短期決戦主義→早期講和に持ち込む
ロジステックは必要ない 長期戦になれば敗北 国力の小さい方が不利
山本五十六の真珠湾攻撃・早期空母艦隊決戦を求めたのも同じ考え
その時代のロジックがあった
それをきちんと整理しないと反省も教訓も得られない 誤りを繰り返す
日本の風土 官僚主義・無謬主義 -
未完のファシズム: 「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)
(和書)2012年09月12日 13:35
片山 杜秀 新潮社 2012年5月25日
柄谷行人さんの朝日書評から読んでみました。
総力戦戦争における「持てる国」と「持たざる国」の葛藤の中で、陸軍軍人たちの顕教と密教が描かれている。極端な精神主義というものがどのように現れそして日本は破滅したのかが見事に浮かび上がっている。
片山杜秀さんの思考は見習うべきものだと強く思った。これだけ描ききるのは見事というほかない。良い作家を知ることができて良かった。
石原完爾についても関係性の中で見事に捉えられていて、その思想の根幹を漸く知ることができたように感じる。 -
戦前の日本陸軍において「皇道派」と「統制派」という二派の路線対立が存在したことは日本史の教科書にも載っている事柄ですし、それぞれの派閥を代表する人物としての荒木貞夫や永田鉄山といった名前も知ってはいだけれど、この歳になるまで、具体的にそれがどんな路線対立であったのかについては全く知識がなかった。
そのあたりを学ぶことができただけでも非常に興味深い。
第二次大戦期の日本軍、そして日本人を象徴するキーワードとしてまず挙げられる精神主義。
その精神主義はどの時点からどのようにして生まれ、拡がっていったのか。
日本が、第一次大戦に「参加」した時点では、日本の軍人は戦争の有り様が急激に変わっていることを客観的かつ合理的な視点で見ていた。
これからの戦争は軍隊だけでやるものでなく、国民総動員で国家としての生産力全体を競うことになる、「持たざる国」が「持てる国」に対抗することが極めて難しい時代になっていくことをよく理解していた。
それが何故極端な精神主義に振れてしまったのか?
皇道派は、日本が「持たざる国」であることを十分に認識した上で、勝てる戦いだけを選んで精神力と奇手奇策で短期決戦必勝を期すことを主張する。
精神主義でありながらも、戦いを選ぶ点では冷静な視点を持っていた。
一方、統制派は、「持たざる国」を「持てる国」に近づけるための経済運営に関心を集中する。
統制派の中でも最もラディカルな主張を持つ石原莞爾は、30年後の世界最終戦争を見据えて一大産業集積地として満州経営を提唱し満州事変を起こす。
拙速に戦いを挑むべきではない、という点でこちらもまた冷静であった。
ところが、時代の趨勢は皇道派の思い描くような短期決戦にも統制派が思い描くような経済運営優先にも展開せず、「持たざる国」のまま果てなき泥沼の戦争へと突き進む。
そして、ただ精神主義のみが文脈を外れて一人歩きして存在を増していく。
皇道派も統制派も、それぞれが抱いていた総力戦思想はいずれも行き詰まり、政治や軍事をコントロールすることができなかった。
著者は、その原因を明治憲法のシステムに求める。
誰も強権的なリーダーシップを取り得ないシステム。
しばしば戦前のこの時代は、「軍事独裁」と表現されるが、むしろ戦前の日本はファシズム化に失敗したと言えるのではないか、と。
それが「未完のファシズム」と表現される。
本著で、中柴末純という人物を初めて知った。
中柴は、「生きて虜囚の辱めを受けず」で有名な「戦陣訓」の作成に携わった中心的人物。
天皇制を精神主義に絡めていく中柴の主張は、本著でも詳らかに解説されるが、いくら説明されてもその論理展開は自分には殆ど理解不能だった。
著者は、総力戦に不向きな「持たざる国」でありながら中途半端に大国となっていたことに戦前日本の悲劇はあったと云います。
背伸びして列強と渡り合わなければ未来はない、しかし渡り合うための慎重に事を進めるだけの責任政治や強権政治のシステムに欠けている。
そして破滅を迎えることとなる。
翻って、21世紀の現代日本。
今の日本は「持たざる国」では最早ない。
その分余裕があるのかまだ救いだろう。
だが、その余裕もどこまで維持できるのかは怪しいところもある。
しかも、リーダーシップの不在という点では戦前から何も改善されていない。
身の程を知った上での、慎重に慎重を期した舵取りが果たしてできるのだろうか?
戦前の失敗から学ぶことができるのか、心許なくなって少々薄ら寒い。 -
第一次大戦の青島で、独軍を圧倒的な火力で制圧し、注目されたところから説き始める。
その時点で、これからの戦争は総力戦で物量の供給力によって決まると知っていた日本が、どうして対米戦争まで行くことになったか、さまざまな位置にある人々の様々なロジックが紹介される。それぞれに目を覆いたくなる話だが、敗戦しても抜け出せない深い谷間に暗澹とする。