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- / ISBN・EAN: 4988013326460
感想・レビュー・書評
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<敗戦の焼け跡から国土を復興し、文明を築いてゆく日本人たちの勇気の記憶>として、世紀の難工事と言われた黒部ダム(黒四ダム)建設の苦闘、それを巡っての人間模様を描いた映画。
三船プロダクションと、石原プロモーション制作、電力会社や建設会社、国土開発業者の協力の元に、2部構成3時間(途中休憩あり)という大作となっている。
映画というよりドキュメンタリーというか、登場人物たちも実在の人たちが実際にこんなおお仕事をやり遂げたんだというプロジェクトX的な感じ。
昭和31年、険しい雪山を登頂する一行がいた。関西電力が着工した黒部のダム建設工員たちだ。戦後の日本は火力電力だが、ピーク時には電力供給が落ちる。そこで電気供給の安定のために巨大なダムでの水力電力が不可欠となる。
しかしその黒部は標高2,900m、その地下にはフォッサマグナ、破砕帯、日本列島を二分する断層があるはずだが、黒部のあまりの険しさに事前調査もままならず、見積もりも建てられず、建設しながら調査、調査しながら建設となる大工事だった。
工事は1工区を1社、合計5社で行い、互いにトンネルを堀合って合流するというもの。こうして黒部の山奥に集結したのはそのお互いを見知った建設外車や行員のプロたちだ。最初はショベルカーなどの大型工具が運べず、ショベルにトロッコという手作業だった。
映画では、そんな工事の計画などは、セリフ、ナレーション、絵や地図などを使ってわかり易く説明している。
破砕帯にあたった後は、1日1メートル掘り進むのがやっとで、そうやって掘ったトンネルが土砂崩れで陥没、鉄砲水や毒ガスに襲われ、まさに掘っては調査、調査しては堀りの繰り返しで、そのためせっかく掘ったトンネルを放棄しなければいけないことも多々あった。
そして工事に関わったちと人たち。
関西電力から黒四建設事務所次長に選ばれたのは北川覚(三船敏郎)。
留守を守るのは奥さまと3人の娘たち。この時代の家庭なので、女性は男性を支えることが大事な価値観なのだが、一家をどっしり支えて苦悩を見せない大黒柱の父親と、そんな父親を尊敬する女性たちはしっかりした家庭が描かれている。それにこの時代の女性は言葉遣いが綺麗。背筋を伸ばして「ようこそおいでくださいました」「父はどのような覚悟を決めたのでしょうか」という言葉は芯が通っている。
第一工区は間組。
工事責任者の国木田(加藤武)はいつも賑やかで工員たちを鼓舞する。そんな建設班の班長の上條(大滝秀治)もひたすら掘り進む。
第三工区は熊谷組。
現場責任者は土方の岩岡源三(辰巳柳太郎)で、体はボロボロだが日本一のダムを創りたい、ダイナマイトに吹き飛ばされて死にたいと言って現場に出ている。「土方は考えちゃいけない、自信がありゃ何でもできるんだ!」と自ら先頭に立つが、意見が合わなかったり怯える行員にはぶん殴って仕事をさせる。
その息子の岩岡剛(石原裕次郎)は、今まで何人も犠牲者を出しながら工事を敢行してきた父親に反発して大学を出て建設会社での図面を引いていた。黒部の工事を聞いたときは、理論的に日本の地理と計画の見通しの甘さとを説いて真っ向から反対した。しかし父を憎むばかりでなく土方達とともに働き彼らを知りたいという思いから工事に参加し、その知識のため計画の中枢人物として活躍する。のちに彼と北川の長女の由紀は結婚する。
第四工区は佐藤工業。
社員の森(宇野重吉)は、昭和13年に着工された戦時中の電力供給のための黒三ダム工事に関わっていた。あの地獄のような工事を思うと今の工事の進んだ時代を感慨深く思っている。
息子の作業員の賢一(寺尾聰)は、行員と言っても優しく工事にも理想を求めるので他の工員たちからは子供扱いされている。
関西電力の役員たちは現場には出ないが、厳しく、しかし情熱を持って工事を支える。
途中で破砕帯につまずきもう無理だという行員責任者たちを集めた太田垣社長(滝沢修)は、彼らに手を付き「金は心配する必要はありません。必要な手立てはなんだって使ってください。何が何でも私はこの工事を成功させたいのです」と真摯に願う。その姿に工員たちは「無茶だがこうなったらやりましょう!」と気炎を上げる。
映画では悪い人は出てこないし、意見は食い違ってもダム建設という目的は同じなのでお互いを認めあっている。最初は「一人も死人を出さない」といっていたが犠牲者も当然出るし、途中で離脱する工員たちとの揉め事もあった。
撮影現場もかなり臨場感がある。ほんとうに暑そうだし、すごい勢いで流れてくる鉄砲水を全身に浴びたり、やっと掘ったトンネルの天井がギシギシ歪むあたりは崩れそうだという恐怖を感じるし、発破かけての大爆発などもよく撮影したなあと思う。そのため双方からトンネルが貫通するとやっぱりやったーという開放感があった。
また、関西電力の社長が各社の責任者を集めて接待兼食事会だとか、工事が滞る中で北川が建設会社社長とサシで風呂に入って腹を割って話しましょう!というあたりはいかにも日本的な本音を出し合いかただなという感じだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
最近観た映画の備忘録です。
「黒部の太陽」。1968年日本映画。カラー、196分。
石原裕次郎、三船敏郎が制作・主演。監督は熊井啓。
上映時間の長い映画はそれだけであまり好きではないです。
でも、この映画は好きでした。
存在自体に脱帽の映画です。
娯楽、という意味でも十分面白いです。少なくとも、男子部としては。
実話に基づく映画です。1956-1963の、黒部ダムの工事のお話です。
つまり、建設会社さんたちが一生懸命ダムを作る。
今でも、黒部ダムはあります(当たり前ですが)。
富山県です。山の中にあります(当たり前ですが)。
関西の電力は、この黒部ダムの水力発電のおかげです、と言われています。
(最近は原発なのかな・・・)。
この映画を楽しむ前提として、封切りの1968年当時、日本人のほとんどにとって常識だったことがあります。
それは、「黒部ダムを作るのは大変だった」ということですね。
詳しくは僕も知りませんが、難工事。人がいっぱい死にました。
だから、いっぱい新聞記事になったりしていた訳です。
「黒部ダムを作るのは大変だった」ということと。
「いやあ、できて良かったね。これで日本(関西)の経済が成長するね」ということ。
それを踏まえて観ないと、ちょっと空気感がつかみづらいんですね。
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1945年、昭和二十年に、太平洋戦争/日中戦争/第二次世界大戦が終わっています。
この直後の日本は、昭和初期の日本よりよっぽど貧しかったそうです。
その状態から、アメリカさんの都合で、
「朝鮮戦争もあるし、ソ連と中国という2大、共産/社会主義国が目の前にある。
日本は、"多少貧しくても理想主義の平和国家” にしようかな、と思ってたけど。
やっぱりやめた。
共産主義が東アジアを制圧しないよう、アメリカの子分として踏ん張り給え。
国民が貧しいと共産主義に走る。支援するから工業起こして、多少金持ちになれ。
そのためには、強い政府が必要。
そのためには、アメリカの言いなりになるなら、戦犯も財閥も復活していいや」
ということになったんですね。これが1946-1950くらいに断続的に起こるわけです。
これが戦後の「逆コース政策」と一部で呼ばれることですね。
当然ながら、それまでやってたことをいきなり180度転換です。
労働組合ってものをどこまで自由に活動させるのかとか。
そういうところでいきなり弾圧が始まるわけです。
そのあたり、松本清張さんなど、異常な執念と情熱で暴いております。
「日本の黒い霧」とか、一章だけでもいいので、是非読んでくださいね。
自民党的な世間で言いますと、ゼッタイに学校の歴史の授業で教えないトコロであります。隠すところっていうのは、いちばん大事なトコロと決まっております。ヒトのカラダと同じですね(笑)。
閑話休題。
と、言う訳で、1955年から、55年体制。自民党安定政権。
1959年、美智子さんご結婚。怒涛の勢いでテレビが普及します。
1960年、安保闘争。で、岸信介さん辞職、継いだのが池田内閣「所得倍増論」ですね。
1964年、東京オリンピック。
四大公害病と呼ばれるものは1950年代後半からありましたが、
世論と民意が昂ぶり、シラを切る企業と行政にようやく訴訟に踏み切ったのは、
水俣病が1960年代終盤でした。
何が言いたいかっていうと。
戦後の日本は、そういう経緯で、おっとっと、という間に経済成長。
復興したんですね。
なので、急激に大量の電力が必要になりました。
関西は電気が足りず、停電がしょっちゅうだったそうです。
という訳で、黒部ダム。水力発電。
戦前から水力発電用のダムとして地形は最適、という調査はあったそうです。
関西電力が全力で取り組みました。
ま、日本国が政府が。国を挙げて取り組んだんですね。
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映画は、関西電力の「黒部ダム担当者」役が、三船敏郎さんです。
熊谷組、大成建設、間組、エトセトラエトセトラ。
とにかく全日本ゼネコン各社がそれぞれ、工区を担当します。
もちろん、正社員が現場で泥にまみれたりはしませんから、下請けに出します。
その下請けの社長さん、土方の親方が、辰巳柳太郎さん。
とにかく昔気質。経験論と精神論。権威主義で金にガメツイ。強い強いオトナのオトコなんですね。辰巳柳太郎、名演です。すごいです。
で、この辰巳柳太郎の息子で、犬猿の仲なのが、石原裕次郎さんです。
でも似たような仕事、建築デザインの仕事をしている。
裕次郎は、はじめ、工事と関係ないんです。
だけど、ひょんなことから三船敏郎と面識を得て。三船の娘である樫山文枝と交際するンですけど。
「黒部ダムは無理だ。
なぜなら山にトンネルを掘れないから。
フォッサマグナを貫くことになる。
破砕帯にぶちあたったら、アウトだ」
と予言。
破砕帯とはなにか。
僕も全く知りませんでした。
何だかトニカク、岩みたいなものが塊になっている、ヤッカイ極まりない地層らしいんですね。
さて、工事が始まります。
当初から、「大変だ大変だ」と言われてたんですね。何が大変なんでしょうか。
物凄い、山奥なんですね。
まあ、ダム作るっていうんだから、平原な訳はないんですけど。
あまりにも山奥だってコトなんですね。
無茶苦茶に山奥で、ヒトも資材も機械も運べないんですね。
でも、ソコに作らねばならぬ。
馬に乗って行く。歩いていく。ヘリコで空から落とす。
工期に絶対間に合わぬ。
という訳で、トンネルが要る。トンネルを掘ろうと。
A地点からB地点まで、山を貫いてトンネルを掘ろう。
コレさえ掘れば、物資運搬、飛躍的に楽になる。
そうなんです。
この映画は、黒部ダムを作る話なんですけど、実際にはこの「関電トンネル」を作る話なんです。
「穴」「抵抗」「大脱走」。穴を掘る映画は面白いんですね。
ま、当然、客層的に女性向けの映画は一本もないんですけどね。
三船は現場、黒部の山中、事務所に泊まり込んで暮らし始めます。
辰巳柳太郎も飯場に暮らして土方を仕切ります。
もうとにかく、実際にひとつの町くらいの労働者たちが何年も富山県の山中に住み着くわけです。
工事始まりしばらくすると。
辰巳柳太郎、持病があって、ダウンしちゃう。
そしてその頃、裕次郎。
たまたま黒部登山に訪れて。
たまたま気になって現場を見に来て。なんだか体の血が騒いで。
たまたま現場を仕切っちゃう。
親父の跡を継ぐように。現場監督になっちゃう。そのまま工事に居残る。
このあたり、超絶に強引で素敵です。
僕は好きでした。むちゃくちゃです(笑)。
という訳で。
●関電正社員・総指揮=三船敏郎。
●関電から見たら孫請けの現場監督=石原裕次郎。
●裕次郎の会社の社長、親玉=辰巳柳太郎。
まあ大体のところ人間ドラマとしてはこの三者で進んでいきます。
で、当然ながら。
破砕帯が立ちふさがります。
水が噴出します。
もう、結局はこの破砕帯をどう攻略するか、という話です。
コレは非常にわかり易い。
もう破砕帯さえ突破すればダムはできたようなもの、という気分です。
トンネルが、日露戦争に於ける、旅順港みたいな位置づけ。
で、旅順を落とすための二〇三高地が、破砕帯ですね。
分かり易い例えですね。「坂の上の雲」読者の方たちにだけは。
と、言う物語なんです。
歴史的事実のお話ですから、最終的にはもちろん、破砕帯は突破。トンネル感動の貫通、ダムも完成します。
技術的に言うと、ボーリング打ち込みまくったり、水逃がしのトンネル掘りまくったり。物量投入大作戦で乗り切ったそうです。
だけど映画の見所としては、そういう技術の具体なお話ではなくて。コレはなかなか、重厚な人間ドラマでした。
さすがに、熊井啓監督ですね。
薄っぺらなプロジェクトX的な「ニッポン頑張った」物語にはしていませんねえ。
(プロジェクトXが薄っぺらいって悪口言ってるわけじゃないですよ。アレはアレでスゴイんです)
三船敏郎はそもそも、「この仕事はやりたくない」って関電内で言うんですね。ヒトがいっぱい死ぬだろうって予期してるんですね。
でも役員たちに押しつぶされて、受けちゃう。
石原裕次郎は危険性を指摘してます。つまり、この工事は人が死ぬぞ、と。
三船も裕次郎も、とにかく人命尊重なんですね。
ところが辰巳柳太郎は昔気質で、最後の最後では土方が死んだって掘りぬくんだっていう精神。
で、破砕帯にぶつかって。
どんどん人が死ぬ。
実際黒部ダム工事で171人死んでるそうです。
三船敏郎は、現場の最高責任者。
なので、人命尊重なんだけど、工期も守らねばならぬ。
社運を賭けて挑む関電の予算も気になる。
矛盾する要求に引き裂かれていく。
裕次郎と激突することもある。
「下請けの現場は、限界まで頑張ってます。これ以上は無理です!」。
うーん。2014年の今も、日本中で叫ばれている言葉ですね。
裕次郎と辰巳柳太郎の親子確執も根深い。
辰巳柳太郎は戦前、「皇国のために」って無理な工事でバンバン土方をぶん殴って、暴力で支配してた男なんですね。
戦後派の裕次郎との断層が深い。
そこにもってきて、破砕帯で人が死んでいく。土方は逃げる奴は逃げる。
面と向かって裕次郎や辰巳柳太郎や三船敏郎をなじる者も当然いる。
「所詮お前らも経営側だ」なんて言われちゃう裕次郎。無言。
現場を知らぬオエライさんが視察に来て、好きなこと言ったりする。
合間に、三船敏郎の娘が裕次郎と結婚したり、別の娘が病死したりします。
かなり群像劇です。他の人も出ます(説明が雑だなあ・・・)。
宇野重吉の息子役で寺尾聰が出ます。
ルビーの指環の12年くらい前になるんですかね。若いです。下手です。この役、死ぬだろうなあと思ったらヤッパリ死にます(笑)。
舞台設定は1960年前後ですから、戦後わずかに十五年。
「戦争の頃は」「戦争の頃と同じじゃないか」という会話も飛び交います。
結局、日本のため、という旗印は同じなんですね。
そのために、多少の人命の危機はやむなし、という結果論にならざるを得ない現実なんですね。
コレ、21世紀ニッポンの原発問題に置き換えたって、ビンビン来ますね・・・すごいお話です。
そういう、重い重い問題に、安易な解決は何も用意されていません。
そこが潔くて好きです。
そういう気まずさや、苦い思いを残したまま、トンネルは進む。
破砕帯は突破されます。ダムは完成します。
ラスト。完成したダムと発電の威容を見せながら、佇む三船と裕次郎で終わるんですね。
工事でなくなった人の慰霊碑があります。
なんとも複雑で苦い表情のふたりで終わります。
というのが、なんていうか、筋書きベースのこの映画の見所なんですね。
それで、是非指摘しておきたいのが語り口ですね。撮り方。
コレがまた・・・唖然とするくらい。大半の場面、ワンシーンワンカットなんですね。
ほとんど、なんじゃこりゃぁ・・・というカメラワークもあります。
滝沢修と三船敏郎の関電社内の場面とか。
そして、決めの場面で、裕次郎のアップの長回し。
これも・・・度肝抜かれます。
まずは、辰巳柳太郎と親子対決して、辰巳柳太郎が大暴れして荒れる場面。
コレ・・・ずーーーーーーっと裕次郎のアップなんですよ。暴れてる辰巳柳太郎、音だけ(笑)。もう、目が点でした。
さらに、終盤。下條正巳たちが裕次郎に「お前も所詮経営側だ」みたいな罵倒をぶつける場面。
ここももう、ずーーーーーっと裕次郎。すごい。ひれ伏します。シビレます。
手法的に、男気。
ほかにもソンナ場面がいくつもあります。すごすぎます。
つまりなんていうか、物凄く割り切ってる。男気溢れてます。
だからといって、ケチくさいワケでもないんです。
なにせ、題材が題材ですから。予算はすごいことになっています。
迫力溢れる映像がかなり目白押しです。
巷間有名な「出水事故の場面」もすごいです。
けど、僕がいちばんすごいなあ、と思ったカットは。
佐野浅夫さんが爆死したあとで、遺体を乗せたトロッコで出口に向かう裕次郎。
その見た目のように。冷たいモノクロームのような坑道の出口が迫ってくる。
魂が震えましたねえ。名カット。(終盤で同じカットがもう一度使われているのには爆笑しましたが)。
制作裏話的なことは、wikipediaでも詳しいですが。ひとつ大事な点。
これは、映画の斜陽化を受けて、独立プロを作った石原裕次郎が中心になって、三船敏郎を巻き込んで作った映画なんですね。
「五社協定」に縛られて動けないところ、「劇団民藝」の宇野重吉のお陰で役者を手配して。※言葉が分からない人はぐぐってください。
裕次郎も三船も、予算がないところを、関電と熊谷組、ほかのゼネコンの協力を取り付けて。
ほとんど、自主映画なんです。裕次郎と三船と熊井啓が、関電とゼネコンから金を貰って作った自主映画なんですね。
その荒々しい感じというか、原初的な感じが映画に現れています。と、僕は思います。
そして、石原裕次郎さんの強い意志で、「映画館で見て欲しい」。DVD化もテレビ放送もしてこなかったんですね。
スポンサーで金主な訳ですから。当然、関電とゼネコンに悪いようには描かない。というか、描けない。
自民党的プロジェクトX的ヨイショ傾向はやむを得ないんですね。
と、思って観たんですけど。
そうでもないんですよね・・・。それがすごい。
意外に、ダムや工事や経済成長というのを、俯瞰的に突き放してます。
なんていうか・・・スポンサーの企業さんたちに、バレない程度にね(笑)。
ラストの水力発電装置の、まあ、無機質に撮られてること(笑)。
撮りたかったのは、巨大な困難に命懸けで挑んで苦しみ悶える男たちの姿なんですね。
その姿っていったいなんなんだろう、っていうような映画ですね。
モッタイつけずに死ぬほど恥ずかしいど真ん中の言葉で言うと
"巨大な敵と戦う男のロマン"
・・・ってやつですね。恥ずかしいですね。言っちゃいましたね。
なんだけど、その戦いの、原動力の大義名分には情熱がないんですね。
情熱があるのは、"戦っちゃう男たち" なんですね。
"戦う理由" はおろか、究極で言うと "戦いの結果" すら、実はポイントじゃないんですね(笑)。
そこ、ハッキリしてます。
なんていうかな・・・この「黒部の太陽」・・・ハッキリ言って、戦争映画、戦場映画なんですよね。そういう意味で言うと。
オトコの子は、どこかで戦争が、戦場が好きなんですよね。
「最前線物語」も「戦場のはらわた」も「大いなる幻影」も「大脱走」も「宇宙戦艦ヤマト」も「機動戦士ガンダム」も
「騎兵隊」「ガリポリ」「地獄の黙示録」「日本のいちばん長い日」「アウトロー」「MASH」、
「勝利への脱出」も「独立愚連隊」も「スター・ウォーズ」だって「七人の侍」だって「ワイルドバンチ」だって「機動警察パトレイバー」だって、
そしてほとんど全ての西部劇と言われる映画や、ドン・シーゲルの「ラスト・シューティスト」。
規模の大小はあっても結局、戦争であり戦場の映画なんですよね。それと同じなんです。
どれも、戦争行為を政治的経済的人道的に礼賛はしてないんですよね。
別に、勝った方の上の偉い人を称えるワケでもないですよね。
でも面白い。大半、男子的には。
上に挙げた作品全部がマッタク好きじゃない、なんていう男子がいたら、それぁ、ニセモノです。よくわかんないですが。
だいたい、「ラスト・シューティスト」を面白くないという男の子は、僕は信じない。
脱線でした。
(まあつまり、設定に戦争が出てこなくても、ジョン・フォードとペキンパーとイーストウッドの映画はほぼ全部、ソレなんですね。
"戦いの場の男の子たちの映画" なんですね。
で、そこには、右翼とか左翼とか関係ないんですね。
個別に監督さんのその時代における政治的立場はあるとは思いますけど、本質はそこじゃないんですね)
だんだん何の話だかわからなくなってきましたが。
最後に特筆すべきは、脇役の魅力ですね。まあ、上記のように女優さんはほぼ出ないんですが。
大滝秀治さん、加藤武さん、佐野周二さん、下條正巳さん、宇野重吉さん、志村喬さん・・・そうそうたる面子です。
分けても、滝沢修さん演じる関電社長は出色でした。さすが。脱帽です。
日本映画ばなれしたスケール感と情熱。
戦後史、経済成長の歩みを叙事的にざっくりわしづかみにした手応え。
傑作だと思います。
でもって、撮り方や制作スタイルを見ると、唯一無二の異色作でもあります。
映画らしい力感溢れる映画です。なんていうか、テレビドラマ的な、セリフの作品、じゃないんですね。
脚本すなわち構成は重要ですが、セリフの映画ではないんです。
脚本だけ読んだって、ツマラナイです。確実に。だって、映画になるための脚本です。設計図だけなんですね。
スクリーンで観ないと本来しょうがないような割り切りの文体です。
そして、ペキンパーやフォードに連なる、まごうかたなきオトコ映画です。
オトコ映画好きな人は、お時間のあるときに是非ご覧ください。
もっと、評論家や批評家に語って欲しい、再評価して欲しい映画ですね。
(・・・って告白すると、年末に大阪市内の名画座にかかっていて観に行こうと思ったら風邪を引いて果たせず、悔しいから年始に知る限りで最も巨大なテレビのあるおウチでDVDで観てしまったんですけどね)
(これ、香取慎吾さんでテレビドラマになったんですねえ。観てないけど、どんなだったんだろうか・・・。映画は、名作です) -
意外に今まで見ていなかった。
名作。トンネルを掘るシーンが多くて、今、どの部分を掘っているのかわかりづらいところもあるが、ダムの完成を願う熱い思いに圧倒され、とにかく最後まで見てしまった。 -
本当にあった話(ノンフィクション作品)は,やはり気になる。
北アルプスにトンネルを掘るというとんでもない発想。それを実現しようと奮闘する現場の労働者たち。一方,会社の上部は,「がんばってやってね」という感じしかない。何人もの殉職者を出したこの黒四ダムの工事は,ある意味,国策の犠牲になったと言ってもいいだろう。水力発電だから環境にいいということではないことが,この映画を見ても分かる。戦後でありながら,これだけの命をなくしてまで,あのダムは本当に必要だったのかという気持ちも沸いてくる。「プロジェクトX」で見たときとは違った気持ちになってしまった。
破砕帯があるだろうことは指摘されていたのに,とにかく掘ってみようということで始まった工事。フォッサマグナが本当にあったという証明でもあるけど。
数年前,長野県大町の方から,このトンネルを通って黒四ダムへ行ってみた。途中,トンネルのあかりの色を変えて「ここからが破砕帯でした」ということが分かるようになっていた。殉職者の碑も見てきたが,そこにはあまり観光客がいなかった。
黒四ダムから落ちる大量の水。その水から巻き上がるしぶきには,綺麗な虹が架かっていた。
本作品は,トンネル工事だけの物語だが,ダムそのものの建設も大変だったと思う。これを機会に,もう一度,「プロジェクトX」を見直してみよう。
そうそう登場人物には,宇野重吉と寺尾聰が親子役で出てきていてビックリした。こんなこともあるんだねえ。
《NHKプレミアムシネマ》の解説より
昭和30年代、黒部峡谷に巨大なダムを建設する世紀の難工事。トンネルの掘削や次々起こる困難に、不屈の精神で挑んだ男たちを描く人間ドラマ。
現場責任者の北川を三船敏郎、下請け会社社長だった父に代わり、工事を指揮する岩岡を石原裕次郎、昭和を代表する2大スターが製作も手がけ、名優たちが共演、大ヒットとなった超大作。
今回は、1968年(昭和43年)に劇場公開された3時間を越えるオリジナル完全版を放送。 -
男気満載の硬派な作品。
リアルな映像の迫力は凄まじい。
3時間15分…流石に尺が長いと感じるけれど、
破砕帯との終わりの見えない戦いのジリジリ感が伝わってくる。
昨今、新国立競技場の建設費が2500億円だ!といって大騒ぎになったけれど、このダムのプロジェクトは、今やろうとしたらいくらになるのだろうか。
三船敏郎のカッコよさにシビれる。
着物姿が似合うと思っていたけど、洋服の着こなしも素晴らしい。
トンネル工事を再現したセットの中での撮影中、
石原裕次郎が大怪我をする事故があったらしい。
必死に逃げる様子を捉えた映像は、
映画というよりはドキュメンタリーに近い。 -
1968年公開
監督 : 熊井啓
==
黒部ダム建設をめぐる男たちのお話。
昔の映画って、いろいろガチだからすごいなって思います。破砕帯掘削シーンの切羽落盤洪水のシーンは、ほんとに洪水起こしてて、本気で逃げている、あの表情は、演技じゃでないものねw 黒部ダムももちろん、この映画そのものに携わっている人の熱量の質量がすごいビシビシ伝わってくるというか。
俳優陣、男臭い泥まみれの映画です。黒部ダム帰りに見れて、記憶が複層化されてよかった。 -
長い。黒部の勉強がしたかったのでためになりました。
三船の娘が白血病なのは余計。それでも仕事に励む美を追求しているのだと思うけど、家族よりも勤労という日本人の美徳意識は見直すべき。
下記、映画の中で言及された内容
資本金130億で400億の工事
構想は戦前からあった。30-40年かけて調査はしていた
第三発電は電力確保のために戦時下で軍の指令のもとつくられた。300人近く死亡
黒部はトンネルができるまで手彫り。その後はドリルで少し掘ったところにダイナマイトを投入して爆破。崩れた石をトロッコで運ぶ。木の板と鉄で周りを固める。ダイナマイトやトロッコに巻き込まれる事故も発生。
一日三交代、700人体制で工事していたが途中で技師さんたちが逃げる。
一日平均10mで1700mまでは到達。その後、破砕帯にぶち当たり、湧き水が噴き出たり、崩れたり。水抜き用のトンネルをつくる。パイロットを掘ってもガスが発生したり、水がすごい勢いで湧き出て難航。結局、10本500m先端から大口径のボーリング124本2900m。地盤がための薬液13万リットル。破砕帯は864m
シールド工法を使う案もあった。シールドは転用不能。 -
東劇にて
「黒部の太陽ノーカット版 」3時間30分(途中休憩あり)
三船敏郎(北川)すごい。辰巳柳太郎(岩岡の父)すごい。熊谷組と迎え掘りの間組、それらの下請け業者、そしてそして関西電力。
冒頭の雪山みただけで、いいよダムいらない、怖い。と思った。そこから関電トンネルの貫通まで、破砕帯(フォッサマグナ)にぶちあたる難工事で、何度同じことを思ったか。
この工事が始まったのは昭和31年(1956年)、戦争から10年しかたっていない。ここに登場する岩岡(石原裕次郎)ら若者たちにも戦争の記憶は色濃く残っている。 -
黒部第四ダム建設に挑む男たちのドラマ。三船敏郎が関電側、石原裕次郎が現場側として出演。
ドラマのメインは、工事の山場でもあったトンネル掘削中の破砕帯での苦闘。破砕帯での大量出水などが迫力の映像で描かれるとともに、工事にかかわる人たちの悲喜劇が繰り広げられる。その裏で岩岡(裕次郎)と父との暗い過去(最後に誤解が解ける)と葛藤、北川(三船)の家族を襲う不幸が描かれる。
ドラマは良くも悪くも昭和の空気をまとったもので、令和の目で見るとやはり時代感やテンポの悪さを感じてしまう。逆に、近年あまり見ることのない、人間の"お上品"でない部分をストレートに描いている点など、今の日本映画に参考にする部分もあるのではないかと思う。 -
TVにて