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- / ISBN・EAN: 4523215095815
感想・レビュー・書評
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1967年フランス映画。監督・脚本はジャン=リュック・ゴダール。
主演は本作後にゴダールと結婚することになるアンヌ・ヴィアゼムスキー、それにジャン=ピエール・レオ。その他に彼らの同志役としてジュリエット・ベルト、ミシェル・セメニアコ、レックス・ド・ブリュイン。
中国の文化大革命発生後のある夏の毛沢東主義を信奉する学生達の共同生活。そこで赤いポケットブックの『毛沢東語録』を読み耽る彼らたち。アメリカを帝国主義と位置付け、ソ連や自国の共産主義を修正主義と断じ、中国の共産主義のみを狂信的に信じ込む彼らたち。次第に過激化する彼らはテロリズムによる目的遂行を目指し始めて・・・。
本作公開はパリの五月革命の前年にあたり、先取りをしていたとも言われますが、当初本作についての評価がそうであったように、自分には毛沢東主義(マオイズム)を茶化しているとしか思えませんでした・・・。(笑)(最もゴダールに風刺の意図は無く、逆にその思想を共有しつつあったとのことですが・・・)茶化すつもりで作ったけど、実は自分に合っていたという感じなのかな。(笑)
前半はずっと『毛沢東語録』の引用があり(これがまた抽象的でそれほど意味のない言葉の羅列)、それと被るように象徴的シーンなどがあってちょっとわかりにくい部分も多かったのですが、学生たちへのインタビューシーンやドキュメンタリー風なシーンを入れるなど、さすが映画としての作りは飽きさせないようになっていたように思います。特に中盤以降に出てくる挿入歌の『マオ・マオ』には爆笑物だった。(今晩の夢にこのフレーズが出てきそう。マオ!マオー!(笑))
アンヌ・ヴィアゼムスキーとジャン=ピエール・レオの政治と恋愛の描写はもっと突っ込んで欲しかったと思いますが、後半は狂信化する学生たちとその正当化の議論、そしてテロ実践に向けての話が面白くなってきたので、まっ、目の大きい整った顔立ちのアンヌ・ヴィアゼムスキーがたくさん見れたことに免じて大目にみてあげましょう。(笑)
あとジュリエット・ベルトよりもアンヌ・ヴィアゼムスキーに脱いで欲しかった!(笑)
一見すると、当時のマルクス・レーニン主義イデオロギー満載の思想映画のようなのですが、映像だけを見ていると茶化しているようにも揶揄しているようにも思えたり(笑)、また、後半の緊迫感ある展開もそうした主義・主張の無謀さを可笑しみをもって描いているようにも思え、この映画は自分には喜劇だと思えました。まあ、現代視点でみているというバイアスはもちろんあります。
まさに思想の時代を反映した映画ですが、その現代視点で振り返ってみると、あるいはゴダールの感性の深層部ではその後の成り行きまで見通していたのかもしれませんね。
ゴダールらしい。
最近、『文化大革命の真実 天津大動乱』っていう本を読んだんだけど、毛沢東を神...
ゴダールらしい。
最近、『文化大革命の真実 天津大動乱』っていう本を読んだんだけど、毛沢東を神格化した人たちって、各地にいたけど、結局、レーニンも、スターリンも、毛沢東も、未だにいる世界各地の独裁者たちも、個人を神格化しちゃった時点で、もうダメって思う。
コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
そうですねー。「神格化」されちゃうと人間、行き着く...
コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
そうですねー。「神格化」されちゃうと人間、行き着くところまで行ってしまった感がありますね。逆に何でもない人になってしまうというか、そういう「人格」がひとり歩きで暴走してしまうというか・・・。(笑)
いくら「革命」や「改革」を標榜して政治の実権を握ろうとも、人間いつまでも、お金、人事、軍事など政治の実権を握り続けることは容易なことではありません。結局、何の方向性も持たない事務屋に実態としての実権を掠め取られてしまい、神などの雛壇に祭り上げられた挙げ句に「事務次官」だの「書記長」だの「総書記」といった肩書の事務屋のトップが幅を利かすことになってしまうわけですが、さらにその「書記長」だの「総書記」までもが神格化される事態にまでなって、ここまでくるとこれはもう噴飯ものとしかいえないですね。(笑)