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感想・レビュー・書評
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「松本山雅劇場 松田直樹のいたシーズン」という書名は、サッカーファン以外には分かりにくいものだと思う。
松本山雅は、長野県松本市のサッカークラブである。現在、J2リーグに所属している。J1リーグにも昇格したことがあるが、いずれも残念ながら1シーズンでJ2に降格している。サッカーのリーグは、都道府県リーグから地域リーグ、そして、全国リーグであるJFL、そこで勝てればJリーグに昇格できる仕組みとなっている(Jリーグクラブとなるにはスタジアムの確保などクリアしないといけない条件が他にも多くあるが)。
松田直樹は元日本代表だったサッカー選手。2011年のシーズンに横浜マリノスから松本山雅に移籍してきた。当時、松本山雅はJリーグの下のJFLで戦っていた。日本を代表するDFだった松田が名門マリノスから地方の小クラブに移籍するのは珍しいことであった。松田はところが、2011年のJFLのシーズン中に練習中に急性心筋梗塞で倒れ、そのまま亡くなってしまう。移籍後、松本山雅での出場はわずか15試合であった。
本書は、2011年のJFLでの松本山雅の戦いを追いかけたものである。この年に松田を迎えた松本山雅は、JFLで4位以内に入れば、Jリーグ昇格が可能になるというシーズンであった。この年は、色々な意味で特別な年であった。3月11日に東北地方を大震災・津波が襲った。JFLに所属していたソニー仙台の事業所も壊滅的な打撃を受ける。関係者の努力と協力によって、ソニー仙台は、後半戦のシーズンに復帰することになる。そして、8月には松本山雅に移籍していた松田直樹が亡くなる。松本山雅ファンにとってだけではなく、日本全国のサッカーファンにとって衝撃的な出来事であった。
松田が亡くなった時点で、松本山雅は昇格圏内である4位以内にはいなかったが、その後のチームの頑張りにより、最後は昇格圏内にとどまり、翌シーズンのJリーグ入りを決めた。松本山雅は、リードされていた試合を最終盤に追いつく等、劇的な試合を行うことが多く、「松本山雅劇場」と呼ばれていたが、このシーズンの戦い方も、まさに「松本山雅劇場」そのものであった。
以上が、「松本山雅劇場 松田直樹がいたシーズン」という書名の背景の説明だ。
長野県松本市は人口が2021年10月現在で24万人弱。地方中核市であるが、プロのサッカーチームが存在する都市としては規模が小さく感じる。が、実はJリーグには中小都市を本拠とするチームが多い。松本市と人口で同規模、あるいは、それよりも小規模の都市は、鹿島、鳥栖、徳島、磐田、甲府、山形、等数多くある。現在、JリーグチームはJ1からJ3までで57チーム。Jリーグの開幕は1993年なので、歴史は30年に満たない。開幕時のJリーグのチーム数は10チームだったので、チーム数は6倍弱に増えている。松本山雅は、サポーター数が多いことで有名である。そのようなチームが日本全国に60近くあるわけだ。
私は小学校の頃からサッカーをやっていたが、私の世代では、サッカーは部活でやるものであった。プロリーグもなく、日本代表チームは弱く、W杯出場等は夢にもあり得ないくらいの話であった。それが今のように変わるきっかけは、間違いなくJリーグの創設だったと思う。松本山雅は、現在、J2リーグで最下位。来年はJ3に降格する可能性もある。J1リーグに所属していたチームがJ3を戦った先例はある。大分トリニータだ。大分も、現在、J1で降格圏内で、来年はJ2に降格する可能性がある。そのような状況でも応援してくれるサポーターの存在自体が、日本のサッカーを支えているのだろうな、と思えるような本であった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
松田直樹がいたJFL2011シーズンを追いかけながら
松本山雅というクラブに引きずりこまれてしまった人々を通して
このクラブが持つ不思議な底力について追求してゆく。
こんな冒頭から始まるこの本を読んでいくと確かに読んでいるだけでも
松本山雅というチームに徐々に引き込まれていき
最後には好きになっています。
退場者が以上に多かったり、
格下チームにひねられたり
それでも、最後の最後まで見ている人を諦めさせないそんなすごさが
このチームにはあるようです。
そして何と言っても、このチームの舞台となる
アルウィンというスタジアム。
ぜひ、ここに行ってみたいですね。
2011年、大震災があったこの年に
松本山雅には、松田直樹というビッグネームがいました。
彼の加入、そしてその死。
物語はやはりこのことを中心に進んでいきますが
松本山雅をJリーグに昇格させる力となった彼の存在を
最後には一つの踏む台としてさらなる頂を目指すべきだと語っています。
J2 2年目で、反町監督の下、
新たなチームとなろうとしている松本山雅にこれから注目していきたいと
思いました。
○関係者の誰もが悩み、苦しみ、涙し、絶望と歓喜の間を往き来しながら、
山雅と共に歩み続けたこの1年。
かように濃密なシーズンを当事者として経験することで、誰もが少しだけ
去年とは違う自分になれたのではないだろうか。
さまざまな危機と悲哀と試練を乗り越えて、気がつけばクラブも自分自身もひとつの高みに到達している。
そうした経験を得られるのが、クラブと共に生きる、ということなのだと思う。