白鳥の歌なんか聞えない 赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫) [Kindle]
- 中央公論新社 (2002年10月10日発売)


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本 ・電子書籍 (225ページ)
感想・レビュー・書評
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薫くんシリーズの第三作。
てっきり第二作と思い込んでいたが、第三作だった。
「赤頭巾ちゃん」「黒頭巾」に次いで東大闘争真っ盛りの1969年が舞台。
薫くんは、受験を控えた日比谷高校の三年生、18歳だ。
本作品をシリーズ中一番に推す人は多い。
テーマは、死と性。
セックスは小さな死だ、と言ったのはフランスの哲学者ジョルジュ•バタイユだ。
正確には、バタイユはそう言ってはいない。
「エロティシズムは小さな死だ」と彼は言ったのだ。
彼がここでエロティシズムと言っているのは、生殖行為であるセックスのことではない。
何かを生み出す「ために」という目的性の彼方に、他者と一体となる(そのためには自己は消滅=死ななければならない)境地としてエロティシズムという概念を望み見たのだ。
青春時代にあって、愛と性の関係に誰もが悩む。
薫くんも例外ではない。
愛だと思っていた感情は、単なる性の別名なのではないか。
そんなこと悩む必要ない、と薫くんに言ってやりたいところだが、ウジウジといつまでも悩むのが薫くんの特質(若者全般の特質)だから、余計な助言はするまい。
そして、性を燃え立たせるのが、死であることはバタイユの発言を待つまでもない。
主人公は薫くんというよりも、薫くんよりも大人びた同級生の由美ちゃんだ。
薫くんはそんな由美ちゃんに翻弄され、オタオタするだけだ(オタオタしながらちゃんと成長もしている)。
由美ちゃんは死に瀕した知の巨人の死を看取る。
それは、美しいものではなかった。
人間生きている限り、物理的に汚いのだ。
由美ちゃんは、老人の下の世話までしていたのだ。
その小林秀雄を彷彿とさせる老人が死んだ直後、由美ちゃんは薫くんに「抱いてほしい」と頼むのだ。
このシーンを読んだ時、まだ高校3年生だったが、驚愕した。
女性から性の営みを誘う!?
女性の「謎性」を深く感じたものだった。
そして、コトに及べず、ただ耐えに耐え、遂には無闇に発射する薫くんが愛おしい。
高校生時代に読むべき本。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
駆け落ち未遂の小林の言葉は真意だと思う。
「おれは、一人の女の子を見て、きれいだな、って思ったんだ。きれいだな、って。そして、それだけでもう十分だと思ったんだよ。そういう瞬間ってのがあるものなんだ。おそらくは、女の子でなくてもいい。ほんのささいなこと、ほんのちょっとしたことで、この世界のすべてに対して柔かに心を開くような時、そんな時があるんだよ……。」
多くの男はその瞬間を胸に生涯、命がけでその女の子や家族を守るようにできている。ほんとにめでたい生き物だと自分を含めて思う。年をとって嫁に煙たがられ娘に疎まれても……。薫が持つ、由美がどんなところにいても一目で見つけ出せる能力は実は好きな女の子がいる男みんなにあるんじゃないだろうか。オイラはたぶん嫁のことは見つけられる。本人はきっと気持悪がるだろうけど。そもそもこれって能力と言っていいのかな。これが発揮されることってあまりない気がするし。もし、能力を選べるなら、ちがう能力をください、っていう男だって沢山いるだろう。デフォルトでついているから世の中、上手くいくようになってるんだろうけど、最近は機能しなくなってきてるみたいだな。
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