NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2013年 05月号 [雑誌]

  • 日経ナショナルジオグラフィック社
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  • / ISBN・EAN: 4910068470539

感想・レビュー・書評

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  • 2013年5月号の目次
    100歳の遺伝子

    がんや糖尿病にならない人は、何が違うのか。今、遺伝子から長寿の秘密を探る研究が進んでいる。

    文=スティーブン・S・ホール/写真=フリッツ・ホフマン

     沖縄の人、長野の人が長寿なのは、独特な食習慣のおかげ――。
     最近の研究で、こうした従来の説に疑問が投げかけられ、別の新たな要因に注目が集まっている。

     その新しい長寿研究を支えているのが、ゲノムの解析技術と基礎分子生物学。遺伝的に隔絶された小さな共同体から得られる遺伝子データを用いて、老化についての洞察を深める研究だ。

     そんななか、世界の研究者が注目する人々がいる。その一人が、南米エクアドル南部のエル・オロ県に暮らす17歳の青年、ニコラス・アニャスコ。
     彼は、多くの点で普通の青年と同じ。ゲームとサッカーが好きで、部屋が四つある自宅で家族と暮らす。ただし、現在の身長は、114センチ。遺伝子の劣性突然変異が原因で成長が阻害されるラロン症候群を抱えているからだ。
    俺たちは、がんや糖尿病にならない

     ある日の午後、アニャスコたち4人のラロン症候群患者が、インタビューに応じてくれた。椅子に腰かけた彼らは、子ども用の靴を履いた足をぶらぶらさせていた。
     ラロン症候群の最新の研究成果について知っているかと質問されると、頭をのけぞらせて笑った。
    「そんなの常識だ。俺たちは、がんや糖尿病にならないんだろう?」

     さすがにまったくならないとは言えないが、ある病気にかかりにくかったり、人並み以上に長寿だったりするのは事実だ。しかもこうした集団には特徴的な遺伝子があることもわかってきた。

     彼らと長寿の関係を探る研究者の一人が、アニャスコの主治医であるハイメ・ゲバラである。1987年頃から、エクアドル南部にたくさんいる「小さな人」の研究に着手した。米国の南イリノイ大学のアンジェイ・バートケも、同様の研究に取り組んだ。1996年、バートケはマウスの成長にかかわる遺伝子を操作して成長ホルモンの経路を遮断し、体が小さなマウスをつくりだした。驚いたことに、そのマウスは通常のマウスよりおよそ1.4倍も長生きした。

     人間の遺伝子でも、同じことが起こるのだろうか。遺伝子変異は、加齢に伴うさまざまな病気から体を守ってくれるのか。
    成長因子がないから

     ゲバラ医師と、米国の南カリフォルニア大学の細胞生物学者バルター・ロンゴは2006年から共同で研究に取り組んでいる。その研究によると、ラロン症候群のグループに糖尿病患者はゼロだ。悪性腫瘍の患者は一人いるが、命にかかわるものではない。

     一方、同じ地域に暮らす同年代の人々を調べると、5%が糖尿病を発症し、20%ががんで死亡していた。ロンゴ博士の追跡実験によると、エクアドルのラロン症候群患者から採取した血液には、人為的に発生させたがんからヒトの細胞を守る働きがあることがわかった。
     いったい彼らの血液に、どんな秘密の成分が存在するのか?

    「そんなものはありません」とロンゴは言う。

     正確には、ないというより、あるべきものが不在という意味だ。不在なのは、IGF-1(インスリン様成長因子1)というホルモンである。IGF-1は子どもの成長に重要な役割を果たしているが、一方でがん細胞の増殖や代謝の調節に深くかかわっているとされている。

    ※ナショナル ジオグラフィック5月号から一部抜粋したものです。電子版では、元気なお年寄りたちが語る長生きの秘訣を動画でご覧いただけます。
    編集者から

     「人にばかにされたら、絶対許しちゃだめ。自分の誇りのために、とことん戦いなさい」。米カリフォルニア州在住の103歳、マリオン・ステフーラさんの力強い言葉がいちばん印象に残りました。本誌では、元気なお年寄りたちの写真に、それぞれ含蓄ある一言が添えられています。遺伝子の話は苦手という方は、写真とともにその言葉をお楽しみください。電子版では、長寿の方々が語る長生きの秘訣を動画でご覧いただけます。(編集T.F)

    極北の孤島に生きる

    雪と氷に閉ざされたロシアのウランゲリ島は、人間を簡単には寄せつけない野生動物たちの聖域だ。

    文=ハンプトン・サイズ/写真=セルゲイ・ゴルショフ

     霧が晴れた。北極圏のまばゆい光に照らされて、島の輪郭がくっきりと浮かび上がる。東西150キロほど。ツンドラの大地に点々と花が咲き、山々が黄金色に輝いている。

    「こんにちは。ようこそウランゲリ島へ!」

     監視員の声は、わざとらしく思えるほど明るい。太陽と人間との接触に飢えた若者のようだ。「1年のうち9カ月は、白、黒、灰色の3色しかありません。ここの冬は好きになれませんよ」

     ウランゲリ島は、1976年にロシアが管理する自然保護区に指定され、2004年にはユネスコの世界自然遺産にも登録されている。厳しい気候にもかかわらず、あるいはその気候のおかげで、ここには驚くほど多様な生物が生きている。極北のガラパゴス諸島と言っていいかもしれない。

     この島は、ホッキョクグマの世界最大の繁殖地で、冬には400頭もの母グマが子育てをすることがある。気候変動の影響で海氷が年々減ってきているため、最近では夏の居場所を求めてやって来るホッキョクグマもいる。またここは、タイヘイヨウセイウチの世界最大の個体群が生息する場所で、ハクガンのアジア唯一の繁殖地でもある。そして、シロフクロウやジャコウウシ、ホッキョクギツネやトナカイが暮らし、タビネズミと海鳥の大規模な個体群もいる。
    人間を寄せつけない島

     動物たちが大昔からこの地で生き延びてきた一方で、人間はそうはいかなかった。シベリア北東部の沖合140キロにあるウランゲリ島は、19世紀後半まで、霧に包まれた幻の存在だった。

     ウランゲリ島が大陸の一部ではなく、島であることを確認したのは、1879年に出航した司令官ジョージ・ワシントン・デ・ロング率いる米国の北極探検隊だ。だが、一行は島に上陸することはなく、乗っていたUSSジャネット号は、巨大な海氷に取り囲まれて2年間近く身動きが取れなくなった末、最後には沈没してしまった。

     初めて人間が上陸したのは、1881年8月のことだ。上陸したのは、行方不明になったジャネット号を捜索していた蒸気船トーマス・L・コーウィン号に乗り込んでいた米国人たちだった。

     その後30年以上、島に近づいた者はなかったが、1913年のカナダ北極探検隊を皮切りに、不幸な出来事が再び続くことになる。探検隊が乗っていた2本マストの帆船カールック号は破損。8カ月後に救助隊が到着するまでに、25人のうち11人が島やその周辺で命を落としてしまう。1921年にもカナダ人が中心となってウランゲリ島に移住し、英国本国のために領有権を主張しようと試みたが、新たに4人の死者を出す結果となった。

     1926年には、領土拡大をもくろんだソ連が、シベリアの先住民チュコトをウランゲリ島に強制移住させた。1970年代までは小さな集落があったが、自然保護区の制定と同時に移住者の子孫たちはシベリアへ送還されることになった。

     当面ウランゲリ島は、極北の動物と彼らを研究する学者のための“野生生物研究所”として存続するだろう。

    ※ナショナル ジオグラフィック5月号から一部抜粋したものです。電子版では、ウランゲリ島の美しい自然を動画でもお楽しみいただけます。
    編集者から

     フリーランス時代は、ひたすら自分の部屋に缶詰状態になって仕事をしていました。久しぶりに人に会うと(私の場合、相手は数カ月に1度行く、美容師のお姉さん)、うれしくてマシンガン・トークを炸裂させたものです。ですので、この北の孤島に残された監視員ロジオノフの、人間と太陽との接触に飢えた“から元気さ”はとてもよくわかります。人間にとって生きにくい島だからこそ、動物たちにとっては楽園となるのでしょうね。(編集H.O)

    ジンバブエ 沈黙の果てに

    人種差別、独裁政治、貧困、暴力――。幾重もの苦難を乗り越えて、立ち上がろうとする人々の姿を追う。

    文=アレクサンドラ・フラー 写真=ロビン・ハモンド

     アフリカ南部の内陸に、独裁と暴力の国がある。ジンバブエだ。

     1980年の選挙でジンバブエ共和国が成立し、ロバート・ムガベが初代首相に就任すると、以後、彼は暴力と恐怖によって人々を支配してきた。

     米国の外交専門誌『フォーリン・ポリシー』は2010年、ムガベを世界最悪の独裁者ランキング第2位に選んだ(第1位は北朝鮮の前指導者、金正日)。2012年には、米国のNPO「平和基金会」による失敗国家ランキングで、ジンバブエは世界第5位とされた。
    横行する暴力

     この国で「民主変革運動(MDC)」を率いるモーガン・ツァンギライは2000年以降、幾度となく逮捕されている。ムガベの手先に殴り殺されそうになったこともある。建前上は言論の自由が保障されていても、権力の座にある者は、自分たちの都合のいいように法律をねじ曲げる。いつどんな形でムガベが政権の座を降りるにせよ、独裁支配の後遺症が癒えるまでには長い時間がかかるだろう。

    「暴力の歴史を乗り越えようにも、それについて語ることができなければ、道筋も見えてきません」と、33歳の劇作家タファズワ・ムゾンドは言う。「貧しさと恐怖に支配され、言葉まで奪われたら、人々は生きる希望を失います。つまり今進行しているのは、大量殺戮と言ってもいい」

     かつてジンバブエの識字率は90%以上で、アフリカでも最高レベルだったが、今やその比率は着々と低下し、2020年までに75%に下がるという予測もあるほどだ。外国人記者や人道支援の活動家がジンバブエの苦境を伝えてはいるが、このまま識字率が下がると自分たちの言葉で語り、自分たちの声を世界に届けることができなくなると、ジンバブエの人々は恐れている。

    「語ることができなければ、選択もできなくなるのは、わかっています。選択ができなければ、どうなるでしょう。暴力的な圧政に永久に耐えるしかなくなるんです」とムゾンドは語る。
    立ち上がり始めた市民

     こうした状況でも、ジンバブエの作家や芸術家や劇作家は、まだ諦めていない。時には痛烈なユーモアを込めて、政治的な議論を引き起こすような作品を次々に生み出している。秘密警察も取り締まりが追いつかないほどだ。ムゾンドは過去8年間に、差し迫った社会問題や政治的なテーマを扱った戯曲を6作書き上げた。「声なくして選択なし」と題した最新作は、2012年8月に上演を禁止されたが、それ以前に各地で公演を行い、熱狂的な反響を巻き起こしている。

    「今の状況を生んだのは、私たち自身です。普通の市民が、隣人である普通の市民を襲ってきた。自分たちがお互いに何をしてきたのか、目をそむけずに考える必要があります。政府は私たちが話し合うことを恐れています。もし話し合ったら、何が起きると思いますか?」

     ムガベは、あまりにも多くの市民を加害者に仕立ててきた。兵士や警察官はもとより、学生まで駆り出され、レイプや拷問に加担させられた。苦しみという共通の絆で結ばれた人々が、いつか解放を求めてともに立ち上がる――そんな事態も起こり得る。

     次の選挙は2013年7月に予定されている。

    ※ナショナル ジオグラフィック5月号から一部抜粋したものです。電子版ではフォトギャラリーに掲載した人々を含め、市民の声を紹介しています。
    編集者から

     筆者は、自身も幼少期をジンバブエで過ごしたというアレクサンドラ・フラー(2012年8月号「米国先住民の苦闘と希望」も担当しています)。ジンバブエを支配してきた暴力の歴史は読んでいるだけで胸が苦しくなりますが、悲しみを乗り越えようとする人々の姿に、希望の光を感じました。「私たちを見捨てないで、耳を傾けてほしい。私たちの物語はまだ終わっていないのです」。これはレイプ被害者の支援活動を行う女性の言葉です。皆さんもどうか、彼らの物語に耳を傾けてみてください。(編集M.N)

    化学肥料と地球の未来

    豊かな恵みをもたらす化学肥料は、同時に環境汚染を引き起こす。70億人を養う方法はほかにあるのか。

    文=ダン・チャールズ/写真=ピーター・エシック

     食の国と言われる中国は、食料の枯渇を何よりも恐れている。もっとも、訪れた旅人の目には、そんな心配など杞憂に思えるほど、食生活は豊かに見える。魚の蒸し物に焼いた羊肉、菊の葉入りの卵スープ、ブロッコリーの炒め物、そして炊きたての白飯……。

     その豊かな食を支える影の立役者が「窒素」だ。窒素は肥料として、地球に暮らす膨大な人口の胃袋を満たすのに、重要な役割を果たしている。植物はこの元素なしに光合成ができないばかりか、たんぱく質もつくれず、ひいては成長もできない。
     しかもトウモロコシや小麦、米など人間が主食にする農作物は、とりわけ多くの窒素を必要とするため、自然が与えてくれる窒素だけでは足りないのだ。

     大気中に大量に含まれる窒素ガスは、巨大な工場で化学反応によって水素ガスと結びつき、植物が利用しやすい窒素化合物に生まれ変わる。こうして生産された窒素肥料が、毎年、世界中で1億トンも使われている。今や、窒素肥料なくして70億人を養うことはできないのだ。現に、私たちの体に含まれる窒素の約半分は、元をたどれば化学肥料に由来している。
    窒素肥料漬けになる農家

     1970~90年にかけて、中国では人口が3億人も増えた。農家もそれに合わせてさまざまな手を試みた。南京近郊に住むある農夫は、0.5ヘクタールの農地をなんとか肥沃にしようと、生ごみを堆肥にし、人や家畜の糞尿をまいたという。そうして農地1ヘクタール当たりの米の収穫量は3000キロを超えるほどになった。世界の水準を上回る立派な数字だ。

     だが現在、彼はさらにその倍以上の8100キロを収穫している。農夫が田畑にまく窒素は以前の約5倍に増えた。農地は固形肥料として与えられた尿素で飽和し、窒素の投与量は1ヘクタール当たり590キロに達している。

     この農夫に限った話ではない。中国政府は1975~95年に窒素肥料の製造工場を数百カ所建設、生産量は4倍に増えた。今や中国は、生産量、使用量ともに世界最大の窒素肥料依存国となった。
    現れ始めた代償

     だが、窒素を使い過ぎた代償が、環境問題や地球温暖化という形で現れ始めた。

     田畑にまかれた窒素化合物は、じわじわと周囲に流出し、しばしば環境に悪影響を及ぼす。一部の窒素は、直接河川に流れこむか大気中へと蒸発する。そのほかは、農作物に吸収されて一旦は人間や家畜の体内に取り込まれるが、下水や家畜の糞尿を通して、再び自然界へと循環するのだ。

     近年、中国政府が国内40カ所の湖で実施した調査によると、半数以上の湖が大量の窒素やリンに汚染されていることがわかった。リンを含む肥料は、湖に生息する藻類の異常増殖の元凶とされている。最もよく知られるケースが、中国第3の淡水湖、太湖だ。

     太湖では有毒なシアノバクテリアが幾度となく異常発生し、2007年には近くの無錫市に暮らす約200万人の生活用水が汚染された。また、中国の沿岸部では現在、「デッドゾーン」と呼ばれる酸欠状態の海域が生じ、魚が窒息死して漁業関係者に打撃を与えている。

     中国だけでなく世界的にも、窒素肥料の使用は増えこそすれ、減ることはないだろう。中国は人口が増え続け、日常的に肉を食べる傾向が広がっている。食肉用の豚や牛を飼うには、人間が直接消費する量の何倍もの農作物が必要になる。「中国人の食生活が欧米並みになれば、環境にかかる負担は極めて重くなるでしょう」と、中国農業大学の巨暁棠は語る。

     さらに増えていく人口を、世界の農業はどう支えていくのか。各地の取り組みを紹介する。

    ※ナショナル ジオグラフィック5月号から一部抜粋したものです。
    編集者から

     栄養過多はかえって健康によくないというのは、人間も自然も同じようです。 ヘルシーな日本食が欧米でブームになったように、農業のヘルシー化もブームにならないでしょうか? 日本の有機野菜も、もう少しお値段が下がるとうれしいのに。(編集H.O)

    未知の元素をつかまえろ!

    新たな元素を手に入れ、物質のフロンティアを切り開こうと、世界の科学者がしのぎを削っている。

    文=ロブ・ダン/写真=マックス・アギレラ=ヘルウェグ

     学生時代に覚えさせられた元素の周期表は、19世紀後半、ロシアのドミトリ・メンデレーエフが分類し、作り上げたものだ。

     世界の万物は元素でできている。物質を構成する小さな粒子(原子)にはさまざまな種類があり、その「種類」が元素だ。元素の誕生は今から100億年以上前。大半は宇宙誕生のビッグバンや恒星の爆発によって飛び散り、できたばかりの地球に取り込まれ、岩石や生物などあらゆる物に姿を変えながら循環を続けている。

     1940年までに、地球上に古くからある安定した元素はすべて発見された。だが、92番元素のウランの先には未知の世界が広がっていた。そこにあるのは何十億年も存続できない、放射性が高く不安定な元素だ。探求するには、まず目当ての元素を作り出すところから始める必要がある。
    新元素誕生の瞬間

     突然、ベルが鳴った。

     2012年10月22日、モスクワ北方の都市ドゥブナにあるフレロフ核反応研究所では、ユーリ・オガネシアン率いる核物理学者のチームが実験に取り組んでいた。廊下の向こうでは粒子加速器サイクロトロンが秒速3万キロのスピードで、カルシウム原子を金属の薄膜に衝突させていた。小さなベルの鳴る音は、新しい原子が誕生した合図だ。それは、その瞬間、地球上に唯一存在する117番元素の原子であり、過去を含めても19個目の原子だった。過去の18個もこの研究所で作られ、すべて短時間で崩壊した。この原子も、1秒もたたないうちに消え去った。

     このドゥブナの研究所のライバルにあたるのは米カリフォルニア大学バークレー校のグループだ。同校にいたグレン・シーボーグは1940年、同僚らと実験中に94番元素プルトニウムの生成を確認。翌年には原爆の開発を目指すマンハッタン計画に引き抜かれた。日本の長崎に投下されたプルトニウム爆弾の開発に携わった後、シーボーグはバークレーに戻り、もっと地味な新元素の合成を続けた。

     1970年代半ばまでに、バークレー・チームは102番、103番、104番、105番、106番の元素を合成したと発表したが、ドゥブナ・チームも同様の成果を主張した。結局、105番元素はドゥブナにちなんでドブニウム、106番元素はシーボーグにちなんでシーボーギウムと名づけられた。

     一方、理論物理学者の研究によって、新元素探しの新たな目標も生まれている。

     極めて重く大きな原子核でも、陽子や中性子が「魔法数」と呼ばれる個数になる場合には、驚くほど安定な状態となる可能性があるというのだ。原子核のうち、陽子や中性子が占めている殻にはいわば“定員”があり、ちょうど満員のとき安定すると考えるとわかりやすい。あくまで予測だが、この理論が正しければ、陽子数が114、120、126といった極めて重い超重元素でも数分間、数週間、あるいは数千年間も存在しつづけられるかもしれない。

     昨年春、114番元素は周期表への追加が正式に認められ、フレロフ研究所の名にちなんでフレロビウムと命名された。

    ※ナショナル ジオグラフィック5月号から一部抜粋したものです。電子版では、未知の元素の合成方法や、新元素の横顔を紹介しています。
    編集者から

     元素といえば「水兵リーベ僕の船」などと、語呂合わせで周期表を丸暗記した記憶がよみがえります。学校で教わったのは既知の元素のことばかりでしたが、周期表にない未知の元素をいち早く見つけ出そうと、世界の研究者たちはしのぎを削ってきたんですね。日本からも理化学研究所が113番元素の発見をめぐるトップ争いに参戦中。近い将来、日本にちなんだ名前の元素が誕生するかもしれないと思うと、わくわくします。
     記事には長年この分野をリードしてきたオガネシアン博士が登場し、あまり見聞きする機会のない、ロシアでの研究事情も垣間見られます。また電子版では、元素界のニューフェイス26種類を一挙ご紹介。各元素の、科学と世界情勢が織りなす発見譚をお楽しみください。(編集H.I)

    中国の大運河を行く

    隋の時代に初めて運河が築かれてから約1400年。現在も活躍する京杭大運河を、ある家族の船でめぐる。

    文=イアン・ジョンソン/写真=マイケル・ヤマシタ

     中国の首都・北京と、経済成長著しい都市・杭州。その距離1800キロを結ぶ運河がある。京杭(ジンハン)大運河だ。だがその北半分は、40年近く前から水位が下がり、船は航行できなくなった。現在、商業の動脈として主に機能しているのは、華北の都市、山東省済寧から長江 (揚子江)までの520キロほどの区間だけだ。

     この大運河を最初に築いたのは隋の煬帝である。中国の歴史家は、彼の行為を「狂気の偉業」と表現する。中国の主要な河川は、西から東へと流れているが、煬帝はこの地理的な制約を打ち破ろうとした。長江流域の肥沃な土地から北西に向けて米を運び、廷臣や兵士たちを養う必要があったのだ。

     宮廷の役人たちは、大運河の最初の区間を建設するため、農民を中心に男女を問わず推計100万人を動員。人々は休みなく働かされた。隋の公式記録によると、工事は紀元605年にわずか171日で完了したとされている。だが実際には、完成までに6年を要し、飢餓などで数えきれないほどの人命が奪われた。

     大運河は政治的に重要なシンボルであり、文化の伝達路でもあった。運河の水位を調整する閘門(こうもん)や堤防の視察に訪れた歴代の皇帝は、地方の暮らしぶりに目を留め、さまざまな文物を都に持ち帰った。

     現在、北京を代表する二つの文化は、こうしてもたらされたと言われている。山東省由来の北京ダックと、安徽省と湖北省発祥の京劇だ。京劇の役者たちは船で大運河をめぐり、旅回りの合間に各地の波止場で祈りを捧げた。詩人たちもまた、大運河に心動かされた。8世紀の詩人、張継は「楓橋夜泊」という有名な詩でこう詠っている。「夜半の鐘声 客船に到る」
    大運河の船上に暮らす人々「船民」

     現在、大運河で生きる人々は「船民」と呼ばれる。彼らが暮らしているのは、建造費およそ1000万円の荷船の上だ。大抵は家族が一緒に船で生活し、朝から晩まで船を動かす。夜になると、数隻の船を横づけして船体を固定し合う。

     船民はめったに自分を甘やかしたりしない。現実主義で、常に計算しながら生きている。私がそれを痛感したのは、出航初日の晩。朱思雷と同郷の鄭成芳の船を訪ね、二人で朱思雷の船を眺めていた時だった。夕日に輝くその姿を見て、「素敵な光景ですね」と私が言うと、鄭はすかさず否定した。「いやいや、あんたはわかってない。素敵かどうかなんて、どうでもいいんだ。わしら船民には船が必要だ。船がなければ生きていけないんだからね」

     朱思雷の船に戻ると、鄭もたばこを吸いにやって来た。「わしらのことを書くつもりなら、ほかにも知っておくべきことがある」と彼は言った。
    「船民は受け身の立場だってことだ。石炭の所有者が運賃を決め、金貸しが借金の利率を決め、役人が手数料を決める。わしらにできるのは、ただうなずいて働き続けることだけさ」

    ※ナショナル ジオグラフィック5月号から一部抜粋したものです。
    編集者から

     皆さん、北京ダックはお好きですか? 現在、北京料理の代表格となっているこの北京ダックは、実は山東省由来だそうです。その昔、大運河を通じて北京にもたらされました。また、伝統芸能の京劇も、同じく大運河を渡って北京にやってきました。こうしたことからも、大運河の果たしてきた役割がいかに大きかったがわかります。(編集M.N)

  • 100歳の遺伝子
    極北の孤島に生きる
    ジンバブエ 沈黙の果てに
    化学肥料と地球の未来
    未知の元素をつかまえろ!
    「すごい素材」を探せ
    鳥たちの未来を守る
    中国の大運河を行く

  • 「極北の孤島に生きる」の写真に目を奪われました!
    ロシアのウランゲリ島という場所に生きる野生動物達の特集です。

    ハクガンの卵をこっそりくすねてくるホッキョクギツネ。
    岩場で獲物を分け合う大量のホッキョクグマ。
    真っ白な雪原でにらみ合う2頭のジャコウウシ。

    野生の動物はたくましいな。
    世界で最も立ち入り制限が厳しく、訪問者の少ない自然保護区の一つ。
    真っ先に気候変動の被害を受けてしまう場所ですね、、、

    「中国 大運河を行く」の記事も面白かったです。

    杭州と北京を結ぶ大運河。
    遥か昔、隋の時代から続いているというから凄い。

    いつも揺れ動く船上で暮らすというのは、どういう生活なんだろう?
    こういう風景も、いずれなくなってしまうのでしょうね。

  • 写真が綺麗!

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