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感想・レビュー・書評
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ストーカー規制法制定のきっかけとなった事件を取り上げたノンフィクションです。
前に読んだ「殺人犯はそこにいる」と同様、ページを捲る手が止まらなくなり、一気に1日で読んでしまいました。
前半は事件の真相に迫る内容、後半は警察の信じられない対応などが記されています。
社会に一石を投じた作品。オススメです!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この事件はストーカーをした首謀者やその手下も怖いが一番怖ろしいと思ったのは著者が何度も指摘した警察という組織。 詩織さんが最後の頼みと駆け込んだ警察が彼女の期待を裏切りその死後も彼女の名誉を踏むにじったとい事実。
著者の清水さんがこの事件を書かなければ警察組織の闇は表に出なかっただろう。
しかしこれが事実というのに今更ながら驚愕する。
このような警察の対応は最近でも福岡大宰府の主婦がマインドコントロールされて家族が警察に助けを求めたが管轄の鳥栖警察が対応しなかった事件とかとよく似ている。結局この事件も主婦が無惨に亡くなっている。 -
殺された女性が若い美人でブランド物を身に着けていて・・ という事から人はいろいろな妄想を掻き立てられたのかもしれない。人を愛するという行為は美しいけれども・・うーん、こういった事件はどうすればなくなっていくんだろう。
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久しぶりにページをめくる手が止まらなかった。前半は加害者に迫る謎解きのような切迫感があり、後半は警察の異常性にホラーすら感じる。
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フィールドワークでの基本書である。実際に桶川市での大学生がストーカーされたあげく、依頼された2人組に殺された事件である。その告訴状を受け取った桶川警察署が告訴状をごまかし、告訴を取り下げようとしたり、捜査をせずに殺人を見送った事件である。この事件をFocusの記者が独自に捜査して犯人検挙及び桶川署の警察官の怠慢を追求していくドキュメンタリーである。
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1999年に発生した、桶川ストーカー殺人事件。
多くの報道があり、この頃から「ストーカー」という言葉が世間に浸透したように記憶しています。
しかし、この事件がなぜ起こったのか、犯人はどのような判決を受けたのか、よく理解できていないまま年月が経過してしまいました。
しばらく前にもストーカーによる犯罪が報道されていたこともあり、Audibleにラインアップされていたこの作品を、聴いてみることにしました。
著者は、写真週刊誌『FOCUS』の記者。
休みだった日の朝に同僚の電話で起こされ、事件現場に向かいます。
週刊誌に掲載する記事を書くため、その日から、この事件に関する情報収集に奔走します。
彼が行きあたったのは、被害者である女子大生の友人たち。
彼らは、元交際相手とのトラブルを、被害者から相談されていたと言います。
その内容は、ストーカーとなった元交際相手の、異常な行動の数々。
そして、「自分は手を汚さない」と豪語していた、ストーカーの卑劣な手口。
友人たちの証言を記事にした著者は、その記事を読んだ人たちから、さらなる情報を得ます。
これらの情報をもとに、犯人にアプローチしていく著者の奮闘が、ドキュメンタリータッチで記述されていきます。
その内容を読んでまずは、「こういう事件だったのか」と驚いてしまいました。
ストーカーというと、「内面に思いを込めた孤独な個人」というイメージがありました。
本書を読んでこの事件は、「犯罪組織」と呼べるような人々によって起こされたのだと、理解しました。
そして本書の後半では、被害者から相談を受けながら、殺人事件という最悪の結果を招いてしまった、警察組織の問題も提起しています。
市民の安全を確保する役割の警察官が、自分自身そして組織を守るために、このような振る舞いをしてしまったのかと、情けなさを感じてしまいました。
著者はこの事件に対し、サラリーマンである一記者としての領域を超えて、当事者に近い形で(結果として)関わることになった、と振り返っています。
その要因の一つとして、犯人グループや警察組織の人たちの言動に、「人としての心」が無いことへの憤りがあったように、本書を読んで感じました。
この事件をきっかけに、法令整備等、ストーカーへの対策は進んだと認識しています。
著者曰く“三流雑誌”の一記者が書いた記事が、社会を大きく動かしたという意味で、ジャーナリズムが持つ力というものを感じさせてもらいました。
しかし、20年以上がたった時点でも、ストーカーによる殺人事件は起こってしまっている。
社会を変えることの可能性と難しさの双方を学ばせてもらった、一冊でした。
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面白かった。熱意がひしひしと使わってくる。駅をゆく300人の女子高生に写真を見せて「この人知りませんか?」と聞き続けるなんて、もはや執念を通り越して鬼にならなければできないだろう。それが全盛期のフォーカスのカメラマン兼記者だとしても。
常軌を逸したストーカー集団に刺され命を奪われた若い女性への怒り、その家族へ対する憐れみがこの記者を運気に導く。若いだけの力まかせの取材力だけでなく、18年培った人脈や経験が総括されたものだと読者は読める。ただ、私は少し怖かった。それだけ被害者の家族に肩入れできるのに、この本に出てくる「家族」は、深夜に帰ったときに一緒に起きていてくれるハムスターの「のすけ」だけ。妻も子供もいるのに、その表記は一行もない。そして「この本を書くとき、一人称を「私」にしていいものだろうかと迷った」とまで書いているのに。あえてなのだろうが、仕事をしている自分しかいないのだろう。どうしてそこまで桶川の事件に執着したのだろうか。
警察のあまりにお粗末な、そして恐ろしいほどの保守体質に怒りを持ったのは何故だったのか。本人が本人への総括は必要だろうか。
日航機墜落事故時代の記者の本を読んでも思うけれども、業なんだな。何かに突き動かされる魂を持っていないとできない仕事ってのがある。
家族がいてはじめて、自分を保てる職業なんだろう。一人ならきっとすぐ死んでいる。一気に読みました。久々に面白かったです。 -
事件を追い、警察を動かし、犯人をつきとめた記者の手記。
本書を読む前からこの事件は警察がストーカー被害を受け付けず、殺人事件が発生したことは知っていた。けれど、こんなにも警察の対応が酷いものだとは……。
酷い憤りを覚える。
ただのいち記者、人員は3名で、特別な情報網や技術があるわけでもない人達が追ってできたことが100人の警官はできなかった……どころかきちんと調査した形跡もない。本当に酷いものだ。
とくに後半の、警察を訴える民事裁判の警察側の酷い反論、警察内部でのいざこざから放火事件がおきて逮捕者がでていること、など知らないことが多く、ページをめくる手が止まらなかった。
桶川ストーカー殺人事件では被害者をまるで男を手玉にとる悪女のように扱い、栃木リンチ殺人事件では被害者を不良として不良グループの仲間割れにし、女子高生コンクリート殺人事件では突然見知らぬ男に拉致監禁された女性を犯人仲間に入れ仲間同士のトラブルとした。なんの落ち度もない被害者の名誉を傷つけるのは警察官のお家芸である。殺人事件となりマスコミが騒いだからなんとか警察という大きな組織の悪を糾弾できたが、それよりも小さな事件はどれだけ揉み潰されたのだろうか……。もちろん大多数の警察官は我が身よりも他人を優先し人を守る使命感にあふれる人だろう。けれど、そのような個人の良識に頼るからこういう不祥事が起こる。人はミスをするし、組織が大きくなれば道徳感がない人が紛れ込むのは避けられない。ならば個人個人の良識に頼るのではなく、仕組みをつくるしかないのではないか。最低限、取り調べの録音・録画など。警察が真摯に我が身を振り返ることを願うばかりである。