独立プロ名画特選 ひろしま [DVD]

監督 : 関川秀雄 
出演 : 月丘夢路  岡田英次  原保美  利根はる恵  山田五十鈴 
  • 紀伊國屋書店 (2013年7月27日発売)
3.50
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レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4523215095662

感想・レビュー・書評

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  •  原爆の子(★1) ―​― 70年・・・     戦後民主主義の終焉。 

    評価:2.5 

    '53年日教組プロ製作・公開。第 5回ベルリン国際映画祭長編映画賞('55)。私ごときが謂わなくとも日本映画特撮史上最高傑作である。
    拙レビュー『原爆の子』では無く黒澤の『わが青春に悔なし('46)★2』と止揚したい。
    私にとって当時、小・中・高等学校の映画人生で観る事も叶わなかった慚愧に堪えない作品…『ハウルの動く城('04)』の様な(笑)ラピュタ阿佐ヶ谷だったっけ・・・

    ♪ To The End Of The World ☆1♪「We Live Here('95)」Pat Metheny Group.

    ・・・
    「これから死のうとしている哀れな奴らになんの同情があるだろうか、いや真珠湾とバターン死の行進を考えれば、そんなことは取るに足らない・・・ 人々よもう時間は無い・・・★3」

    「二十何万かの非武装の何らの罪もない日本人が、あっさりと新兵器のモルモット実験に使われたのであり、それは日本人が有色人種だからであるということが筆者も含めて大多数のドイツの知識人が思っているところだ★4」

    I took light of the historic first glory.(歴史上初めて栄光の光を浴びた。)★5

    ♪ 明日は僕らの手で ♪
    ・・・

    公開から半世紀以上も経ってやっと鑑賞出来、感慨も一入だったが当然、拙レビュー『原爆の子』が過ぎった。

    両作品の基となった作文集「原爆の子~広島の少年少女のうったえ('51)」(長田 新・編纂)は
    “敗北主義的な原爆エレジーに堕していない”そうだが・・・

    ★3~5が当時、全国公開を阻んだ要因と云われている。

    '51(昭和26)年 9月 8日 サンフランシスコ講和条約締結。
    '52年 4月28日 発効・公布により GHQ 廃止。
    '53年10月 7日 配給・封切り。

    『作品』として★5 だけで充分だと思った★3 ★4 を引替え条件に★5 を残して全国公開を…
    或いは'54年以降の封切りでノーカットを模索出来なかったのか知らん。

    差別、風化への危機感、日教組の功罪、硬直した正義・・・多様なご意見はおありでしょう――。
    「本作」と『原爆の子』互いに半世紀を補完し合えていたら…。_ _)。oO ザンネン!

    君は何も見ていない――“そう、私は何も見ていなかった。”と自答させられた私(☆5)とは言え、後世に“この人達を見よ(Ecce homos)”と伝えたい作品。 m(_\_)m

    “彼の国”では アンジェリーナ・ジョリー『UNBROKEN('14)』を上映中止にと叫ぶ声を聞く…
    『The Interview('14年12月25日(限定))★6』のK民主主義人民共和国ではあるまいし…。

    世界公開を目指している「本作」も“不都合な真実”を封殺しようとする輩から ★4 は物議を醸すのではと老婆心ながらも…
    「表現の自由」の終焉?「死(Charlie Hebdo 2015年 1月 7日)」の今――。_ _)。oO

    ――小説・映画版「渚にて('57・'59,'60年日本公開)」についての オーストラリア 制作 ドキュメンタリー 映画『FALLOUT』
    2015年 3月19日広島 ジャパン・プレミア――を想い。


    ★ 1 1952/11/25
    日教組製作の映画「原爆の子」の題名を『ひろしま』と変更することで原作の編集者である長田新広島大教授がクレーム。日教組は「これは組織決定」。☆2
    1953/1/19
    日教組製作の映画「原爆の子」の題名変更問題で広島大の長田新教授が原著版権者として語る。「『原爆の子』は2度目の映画化だからといって『ひろしま』に変更することは絶対承服できない」☆3
    ★ 2 GHQ 推奨・民主主義映画。
    ★ 3 「Dawn Over Zero(0の暁'50)」ウィリアム・L・ローレンス(実際は長崎'45年 8月9日午前11時02分での事) 正義≠真理。
    ★ 4 「僕らはごめんだ──東西ドイツの青年からの手紙('52)」篠原正瑛 大多数≠真実。
    ★ 5 中沢啓治「はだしのゲン(週刊少年ジャンプ'73年25号~74年39号。~'85)」
    「このガイコツ(☆4)がアメリカ兵に買われてアメリカへ渡ったら、アメリカにいる原爆を落としたやつらをうらみ殺してもらいたいんじゃ。」
    私の嫌いな(笑) ジョルジュ・バタイユ が ジョン・ハーシー の ルポルタージュ「ヒロシマ('46,'59)」に触発された「広島のひとたちの物語('47,'72)ヒロシマの人々の物語(2015)」が過ぎった。
    ★ 6 果して、国名・人名まで実名で制作する内容だったのか? orz.

    ☆ 1 「本編」とは関係ありません。m(_\_)m
    ☆ 2 ヒロシマの記録1952年11月 - ヒストリー - Hiroshima Peace Media Center 中国新聞社
    ☆ 3 ヒロシマの記録1953年 1月 - ヒストリー - Hiroshima Peace Media Center 中国新聞社
    ☆ 4 “怨”と額に書かれたガイコツ。
    ☆ 5 拙レビュー『Hiroshima mon amour』――“そう、眼球は何も見ていなかった。”「眼球譚 "Histoire de l'œil"('28,'77)」バタイユ 繋がりで…ε=ε=ε=(;-_-)/ アンダルシア ノ イヌ。 ダダ~


    以​下​ ​レ​ウ​゙​ュ​ー​ ​の​体​を​為​し​て​無い​の​で​読​み​飛​ば​し​て​下​さ​い​。 ​m​(​_​\​_​)​m​ ​撤​収​ ​シ​テ​ク​タ​゙​サ​イ​。

    ・・・
     そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。
    たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
     いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
     もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

     だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
     しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

     また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。

    「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
    ・・・

    戦争責任者の問題 伊丹万作(四月二十八日)
    (『映画春秋』創刊号'46(昭和21)年 8月)より抜粋。


    ―​― 戦後民主主義の終焉。

    それは'80年チトー大統領死去、ポーランド「連帯」、イラン・イラク 戦争から緩慢な死を迎えて逝ったのか・・・それとも前年『チャイナ・シンドローム』公開の12日後、スリーマイル 島原子力発電所事故が戦後民主主義の メルト(カウント)ダウン だったのか、アフガニスタン 侵攻(~'89)だったのか知らん。
    いや待てよ P・K・ディック が幻視した・・・「彼」が此の年の12月 8日に ダコタ・ハウス で銃殺された時、ローマ人たちが神殿を破壊した紀元70年に止まっていた本当の「時間」が再び流れ始めたから!?(★1)( ´_ゝ`)ゞ ♪ Starting Over … ★1 ♪ コトシ ハ 紀元105年?
    '81年 2月23日 スペイン で発生した軍事 クーデター 未遂事件(23-F)、イラク 原子炉爆撃事件、エジプト 大統領サダト暗殺。
    '82年 フォークランド 紛争、レバノン 内戦('77~90,2006)。
    '83年インターネット誕生、フィリピン のベニグノ・アキノ上院議員射殺。
    '84年 インド 首相インディラ・ガンディー暗殺。
    '85年ゴルバチョフが民主体制 ペレストロイカ を起こす、パレスチナ・ゲリラ、ローマ・ウィーン 両空港同時テロ、NTT・ハンディタイプ携帯電話機「ショルダーホン」発売。
    '86年 フィリピン・エドサ革命、チェルノブイリ 原子力発電所事故の反省から グラスノチ 始まる(“彼の国”は負の ベクトル へ)。
    '87年世界人口が50億人突破、ブラックマンデー。
    '88年 イラン・イラク 戦争停戦('80~)。
    いよいよ'89年昭和天皇崩御で幕を明け、東欧革命が始まる。天安門の蹉跌はあったが11月10日ベルリンの壁が崩壊。
    '90年 イラク が クウェート に侵攻、湾岸戦争へ。
    '91年 ユーゴスラヴィア 紛争が始まる。ペレストロイカ は12月25・6日 ソヴィエト 社会主義共和国連邦を葬り( ロシア 帝国へ)・・・

    民主主義、資本主義の勝利の凱歌が響き渡っていた筈だった―​―。

    「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」が2003年解体消滅(★2)。

    民族主義が民主主義を屠るとは、想えば遠くに来たものだ(★3)。
    いやいや、既に中国(非・共産“中華漢民族”主義)政府によるチベット・新疆ウイグルの統治・政策('49年~)は民族(民主主義)を屠り続けて―​― 66年。


    ―​― 資本主義の終焉。

    「一億総白痴化('57)」から「一億総中流」は遠くになりにけり・・・。_ _)。oO バブル Oo。
    果たして、沖縄の今、東北(東日本)の復興の道・・・梯子を外すにしか思えない―​― 戦後民主主義の終焉。
    彼の国の ビー 玉の目をした“厨二病”の シミュラクラ 首相の戦後70年談話に期待する方が無駄なのか知らん・・・。
    資本主義の夢―​―資本民主(民主資本)主義の終焉は『エリジウム('04)』か、私の嫌いな(笑) ジョルジュ・バタイユ「呪われた部分―普遍経済学の試み('49,'90)」にでも シュクダイ?

    当時、血迷った(笑) フランシス・フクヤマ「The End of History and the Last Man(歴史の終わりと最後の人間'92 邦題“歴史の終わり”)」に強烈な違和感を感じていたが、既にアルベール・カミュは自伝的未完の遺作('59~60)『最初の人間('12)』で「歴史の終わりと最初の人間」を幻視していたのだから―​―未完でこそ、良かった。 彼の生国 アルジェリア の隣国 チュニジア で 3月18日犠牲になられた方々へ「メメント・モリ」。

    20世紀を観ずに逝ったニーチェ(★4)は“歴史には終わりも始まりもないという永劫回帰”を幻視したが…
    不幸な事に歴史は終わらない、世界の外で生活している人間にとって―​―。


    ★ 1 「ヴァリス('82)」「ティモシー・アーチャーの転生('84)」。「私(達)は彼の世界に居る(、と警官は言った('81)」)今――。_ _)。oO オソルベシ! ♪ (Just Like) Starting Over ♪「ダブル・ファンタジー('80)」
    ★ 2 拙レビュー『アンダーグラウンド』
    ★ 3 当時「アクエリアン革命('80'81)☆1」の20代前半・・・
    チトー死去の報は頭の片隅にあったが・・・前年 メルト・ダウン した「死の迷宮('79)」の彼方から♪ T・E・C・H・N・O・P・O・L・I・S ♪♪ RYDEEN ♪が聞こえ “東京” は “TOKIO” ♪ “TKO” NIGHT LIGHT('80) ♪と♪ 頭狂奸児唐眼(TALK YOU ALL TIGHT)'81 ♪にされていた。
    私『の・ようなもの('81)』は『エレファント・マン('81)』にとっくに見透かされていたが…
    私の「1Q82 ☆2」が♪ Are You Going With Me? ☆2♪と誘い『E.T.('83)』の『戦場のメリークリスマス('83)』プレゼント「1Q84 ☆3」には落胆した。
    『ルー・サロメ/善悪の彼岸('85)』はバブル景気開始年を『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン('86)』と呼べ無かった。
    『私をスキーへ連れてって('87)』と頼んだ人が『ラストエンペラー('88)』とは『恐怖省('88)』だったよ。
    いよいよ'80年代最後の年 1月 7日♪ 臨時ニュース ♪で起こされ「1980X('80)」は間に逢ったっけ。
    『彼女が水着にきがえたら('89)』『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2('89)』した只今の2015年は―​―「1995.1.17, 3.20」「2001.9.11」「2011.3.11」が無かった。
    『稲村ジェーン('90)』が『波の数だけ抱きしめて('91)』と囁き、泡の数だけ夢が弾け飛んだ時にはとっくに30代だったっけ―​―。_ _)。oOOo。♪ One of These Nights … ♪♪ Welcome to The Hotel California … ♪♪ That I can Change the World … ♪
    ★ 4 拙レビュー『サロメ』

    ☆ 1 拙レビュー『アラビアのロレンス』
    ☆ 2 「ヴァリス('82)」「聖なる侵入('82)」「Offramp('82)」Pat Metheny Group.
    ☆ 3 「ティモシー・アーチャーの転生('84)」

  • 【過ちは繰り返しませぬから】






    ※以下、WOWOWの番組紹介欄より引用させていただく。



    【原爆の惨状を訴える映画『ひろしま』が、被爆から8年後に広島で製作された。月丘夢路、岡田英次など当時のスターが出演し、被爆者も含む延べ約9万人がエキストラとして参加。第5回ベルリン国際映画祭で長編映画賞を受賞しながらも、日本で上映される機会は少なく不遇の運命をたどる。】  



    ===============================



    …とあり、更にWOWOWオンデマンドを開くと、、、

    【当時上映するにはGHQへの配慮から被爆シーンの一部カットを要求されたため、限られた映画館でしか上映されなかった。広く観られることなく半世紀が過ぎてしまった『幻の映画』をオンデマンド限定配信でお届け。】

    …とあったので、これは是非とも観ておくべきと自分に呟いての観賞となった。    


     山田五十鈴さんの母親役、月丘夢路さんの女教師役、そして岡田英次氏の英語教師ぶりの素敵なこと。
     
     更には中堅どころの俳優諸氏の若かりし頃のお姿も何名か拝見できた。それにしても、あの原爆投下という悲惨な状況下をよくぞ当時ここまで再現・演技されたなぁと感服した。  


    //《安らかに眠って下さい  過ちは 二度と 繰り返しませぬから》
    原爆死没者慰霊碑に刻まれたこの言葉に、ともすれば背きかねない焦(きな)臭い、一触即発的な背景を孕みつつある世界情勢にあるような今ーーー   

     そんな今であるからこそ本作の重味が、ずっしりと胸にのし掛かってくるのを禁じ得なかった。  

     ピカドンを受けた広島の地。ここに75年間は草木すら生えないと、傷病した人々がそう口々に語り始める。   幸いにも深手の傷から免れた人々。 だがそうした人々も一様に、自らの身体にも放射能の影響が忍び寄りやがては原爆病の発症が待ち受けている、という不安と恐怖に苛まれながらその日その日を、着の身着のままで生きている。   

     そんな中== 廃墟と化した病院の外の片隅に、医師が大根の種を植えたと皆に話す。「これでもし、芽が出たならば75年不毛の地になるという説は否定されます!」と…。   

     看護婦は来る日も来る日も水やりをし、発芽していないかをを確認するのだったが。 傷病者たちが窓から尋ねると、首を横に振る看護婦を見ては失意と悲嘆にくれる日々が続いた。=== が、ある日… 一人の傷病者が大根の発芽を確認した!  
     まさしくこの瞬間、《人々の心に希望(復興)が発芽》したのだ!! //  


    ===============================


     本作公開に際して、アメリカによって削除を強要されたシーンもあったとのこと。  ありのままの戦争がもたらす、ありのままの悲劇。  


     世代が交代し記憶が希薄となって行く段階で、《歴史が危険なループを繰り返す》  そんな予感に胸痛を覚えるのは私だけだろうか?   


     戦後70年目の今年。  今、この時にこそ日本人として観ておくべき一作だと痛切に感じた。  







    日本人として1度は観ておくべき作品。

    《過ちは 二度と 繰り返しませぬから》
    碑に刻まれたこの言葉に背きかねぬ、きな臭さ、一触即発的な背景を孕んだ情勢下にあるような今…

    そんな今に、初めて鑑賞した本作の重味がずっしりと胸にのし掛かってくる。

    ピカドンを受けた地は、75年は草木すら生えないと傷病した人々は口々に語る。

    幸いにも深い傷からは免れた人々も、一様に自らにもやがて原爆病の発症が待ち受けているという不安と恐怖におののきながらその日、その日を着の身着のままで生きている。

    そんな中…
    廃墟と化した病院の外の片隅に、医師が大根の種を植えたと皆に話す。「」これでもし、芽が出たならば75年不毛の地になるという説は否定されます!」と…

    看護婦は来る日も来る日も水やりをし、発芽していないかをを確認。傷病者たちは窓から尋ねると、看護婦が首を横に振られては失意にくれる。


    が、ある日…
    一人の傷病者が発芽を確認した。
    まさしくこの瞬間、《人々の心に希望が立派に発芽》したのだ。

    本作公開に際して、アメリカによって削除を強要されたシーンもあったとか。
    ありのままの戦争。それがもたらす、ありのままの悲劇。歴史の危険なループの予感を背筋に感じるのは私だけだろうか?

    今、この時代だからこそ観ておくべき一作だと感じた。

  • Japan SocietyでのMonthly Classicsに復活参戦、今回は人の出足もまずまずなようで街の皆さんの興味の度合いの強さがそこからも見て取れる。

    例のごとく予備知識なしで飛び込んだ故の開き色々。上映前の紹介でも触れられたHiroshima mon amour (1959) において本作の映像が多数流用されているという話は特にそちらの作品を先に劇場にて鑑賞していただけに特に興味を持って耳を傾けた。元となる文集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』が出発点で、それが新藤兼人版と本作とに分岐したという経緯(新藤版が1年先に公開)を知るに、これはもう一作も観ないことにはと新たに誓った次第。

    とはいえ終戦からほんの7〜8年で本作を撮り公開していたという事実に対し、改めてその熱意に敬意を表さずにはいられない。手弁当で参加したエキストラ広島市民の中には当然被爆体験の記憶も生々しかったわけでよくもまぁあの惨状を再現する現場に居合わせることに合意をしたものだと。まだできたてほやほやのトラウマを抱える人達を前に本作への参加を促した人たちがどのようにして彼らの気持ちを鼓舞したのか、そのあたりも気になるところ。

    奇しくも2017年は自身にとっても随分と久方ぶりに原爆ドーム周辺に足を運べた年となり、その後Jean-Gabriel Périotというフランス人映画監督が撮る「なつのひかり」(2016) という叙情的なすばらしい作品にも出会えた年だった。それに続く形でまたこうして機会を与えられ、「もう70年以上も昔のこと。」として単純には風化させられない、何らかの別の風が自分の中に吹いてきていることを感じる今日このごろ。

    まずは新藤版の達成からだな。

  • ひろしま 1945年8月6日、原子雲の下の真実

    この作品が本当に生々しいのか、私には分からない。
    けれど、実際にあの場に居た人たちがいる。
    放射能を浴び、焼けただれ、何もかも無くし その後も同じひろしまの人たちに日本の人たちから蔑まれた人たちが。
    何十年経っても人間は変わってない。

    「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
    自分に出来ることはなんだろう?
    分からないが、忘れてはいけないと強く感じる。
    きっとそれが変わる方法。

  • ☆7

    2012.5 視聴

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