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- / ISBN・EAN: 4523215095662
感想・レビュー・書評
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録画をようやく観ました。
圧倒されました。1953年に、1945年8月6日とその後の広島を描く、それも被爆した広島市民も大勢エキストラとして参加して…これほど現実味を感じさせる説得力のある戦争映画を観たことはありません。
過ちは繰り返さない、ということを改めて強く思いました。遠藤くんの訴え、重い。
山田五十鈴さんが出会ったセーラー服の女学生さん尊い。わたしもうダメだからおばさんの子どもにこれあげて…とお弁当を差し出すのがもう。。
加藤嘉さんも凄かったです…「砂の器」より先に拝見してしまいました。こちらも観よう。
限定してしまうのですが、アメリカの人々はこの作品を観ても、原爆投下は正しかったと言えるのだろうか…と思いました。 -
【過ちは繰り返しませぬから】
※以下、WOWOWの番組紹介欄より引用させていただく。
【原爆の惨状を訴える映画『ひろしま』が、被爆から8年後に広島で製作された。月丘夢路、岡田英次など当時のスターが出演し、被爆者も含む延べ約9万人がエキストラとして参加。第5回ベルリン国際映画祭で長編映画賞を受賞しながらも、日本で上映される機会は少なく不遇の運命をたどる。】
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…とあり、更にWOWOWオンデマンドを開くと、、、
【当時上映するにはGHQへの配慮から被爆シーンの一部カットを要求されたため、限られた映画館でしか上映されなかった。広く観られることなく半世紀が過ぎてしまった『幻の映画』をオンデマンド限定配信でお届け。】
…とあったので、これは是非とも観ておくべきと自分に呟いての観賞となった。
山田五十鈴さんの母親役、月丘夢路さんの女教師役、そして岡田英次氏の英語教師ぶりの素敵なこと。
更には中堅どころの俳優諸氏の若かりし頃のお姿も何名か拝見できた。それにしても、あの原爆投下という悲惨な状況下をよくぞ当時ここまで再現・演技されたなぁと感服した。
//《安らかに眠って下さい 過ちは 二度と 繰り返しませぬから》
原爆死没者慰霊碑に刻まれたこの言葉に、ともすれば背きかねない焦(きな)臭い、一触即発的な背景を孕みつつある世界情勢にあるような今ーーー
そんな今であるからこそ本作の重味が、ずっしりと胸にのし掛かってくるのを禁じ得なかった。
ピカドンを受けた広島の地。ここに75年間は草木すら生えないと、傷病した人々がそう口々に語り始める。 幸いにも深手の傷から免れた人々。 だがそうした人々も一様に、自らの身体にも放射能の影響が忍び寄りやがては原爆病の発症が待ち受けている、という不安と恐怖に苛まれながらその日その日を、着の身着のままで生きている。
そんな中== 廃墟と化した病院の外の片隅に、医師が大根の種を植えたと皆に話す。「これでもし、芽が出たならば75年不毛の地になるという説は否定されます!」と…。
看護婦は来る日も来る日も水やりをし、発芽していないかをを確認するのだったが。 傷病者たちが窓から尋ねると、首を横に振る看護婦を見ては失意と悲嘆にくれる日々が続いた。=== が、ある日… 一人の傷病者が大根の発芽を確認した!
まさしくこの瞬間、《人々の心に希望(復興)が発芽》したのだ!! //
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本作公開に際して、アメリカによって削除を強要されたシーンもあったとのこと。 ありのままの戦争がもたらす、ありのままの悲劇。
世代が交代し記憶が希薄となって行く段階で、《歴史が危険なループを繰り返す》 そんな予感に胸痛を覚えるのは私だけだろうか?
戦後70年目の今年。 今、この時にこそ日本人として観ておくべき一作だと痛切に感じた。
日本人として1度は観ておくべき作品。
《過ちは 二度と 繰り返しませぬから》
碑に刻まれたこの言葉に背きかねぬ、きな臭さ、一触即発的な背景を孕んだ情勢下にあるような今…
そんな今に、初めて鑑賞した本作の重味がずっしりと胸にのし掛かってくる。
ピカドンを受けた地は、75年は草木すら生えないと傷病した人々は口々に語る。
幸いにも深い傷からは免れた人々も、一様に自らにもやがて原爆病の発症が待ち受けているという不安と恐怖におののきながらその日、その日を着の身着のままで生きている。
そんな中…
廃墟と化した病院の外の片隅に、医師が大根の種を植えたと皆に話す。「」これでもし、芽が出たならば75年不毛の地になるという説は否定されます!」と…
看護婦は来る日も来る日も水やりをし、発芽していないかをを確認。傷病者たちは窓から尋ねると、看護婦が首を横に振られては失意にくれる。
が、ある日…
一人の傷病者が発芽を確認した。
まさしくこの瞬間、《人々の心に希望が立派に発芽》したのだ。
本作公開に際して、アメリカによって削除を強要されたシーンもあったとか。
ありのままの戦争。それがもたらす、ありのままの悲劇。歴史の危険なループの予感を背筋に感じるのは私だけだろうか?
今、この時代だからこそ観ておくべき一作だと感じた。 -
1953年8月に発表された原爆映画。全編よかったが特に印象に残ったシーン。
夏はダルくて起きてられないという原爆症の女生徒の言を、同級生の男児が「夏は誰だってダルい」と笑うと、1人の男子生徒が「原爆を鼻にかけてると言われるから何も言いたくなくなる、世界の人よりむしろ日本の人、それよりか広島市民、もっとはっきり言えばクラスの人たち、先生に知ってもらいたい」と言う。ケロイドを見せたり、同情で寄付を集める原爆乙女や広島駅で乞食する人はまだしも強いが、隠して日陰で働く人や戦争孤児となり身持ちを崩していく子に心が暗くなるという意見にははっとさせられる。
原爆直後、川の中で女生徒達が先生を囲んで君が代を歌いながら力尽き散り流れて行く場面は「さざれ石の千代に八千代に」とは真逆の命の儚さを感じる場面で弱々しい歌声と共に泣きそうになった。
ぼろぼろの被爆者の船で「おばさんの子どもにこれあげて」と弁当箱を差し出すセーラー服の少女。あんたが食べなさい、と言うと「私もうダメだから、私のお母さんにあったら、おばさんに私の名前を伝えるから」といって絶命する。
軍人のただ行け行けどんどんな意見は聞いていてひどい…けれど、軍部の洗脳状態も知っている。だからといってこの惨状を目の当たりにした上で「米国の原子爆弾もなんら恐るるものでなく、我々の必勝の信念を持ってすれば、原子爆弾に必ずや打ち勝つ方法があるのであります!」学者さんの聞くに耐えないと言った苦い顔が全て物語る。
大砲玉を作り始めた工場をやめた少年が言う「戦争が始まれば、今度は僕達が引っ張り出されます。なんの恨みもない人間同士で殺し合いをするんです。また何の罪もない人たちが死ぬんです。みんなこの通り(髑髏)になるんです。」
メッセージ性が強くて物語の作りもいい。市民が参加した映画だからこそ戦争被害者達の率直な眼差し、物言いが胸に刺さります。観てよかった。 -
わずか戦後8年。
こんな映画が製作されている事実が凄い。
まさに当時の広島の街並みが映っていた。
約9万人の広島市民が手弁当で映画に参加している。
数多くの実際に被害にあっている人までも。
後世に残されるべきドキュメンタリー映像のひとつ。
娯楽映画にはない、さざ波が残る観賞時間になった。
鬼気迫る。
演技とは言えないものが、どんと伝わる。
上映された半世紀前の人達には、今の私なんかでは味わえない様な、記憶や体験や日常として、強く心に伝わっていたんだろうな、と感じた。
映画の導入、エノラゲイ号の乗組員の心情。
基地から飛び立つ。
仕事としての操縦。
景色の美しさ。
敵としての想い。
神に勇気と力を求める。
まさに淡々と、B29の中での想いを代弁するかの様にラジオを通してその喋りが流れる。
この最初の数分間、この映画の始まり部分が、戦争というものを、加害者被害者を含めた人間としての経験を、「身近に、平等に、冷静に、公正に」、観る人に表現しようとしていると思った。
発表後、ベルリン国際映画祭で入賞した。 -
Japan SocietyでのMonthly Classicsに復活参戦、今回は人の出足もまずまずなようで街の皆さんの興味の度合いの強さがそこからも見て取れる。
例のごとく予備知識なしで飛び込んだ故の開き色々。上映前の紹介でも触れられたHiroshima mon amour (1959) において本作の映像が多数流用されているという話は特にそちらの作品を先に劇場にて鑑賞していただけに特に興味を持って耳を傾けた。元となる文集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』が出発点で、それが新藤兼人版と本作とに分岐したという経緯(新藤版が1年先に公開)を知るに、これはもう一作も観ないことにはと新たに誓った次第。
とはいえ終戦からほんの7〜8年で本作を撮り公開していたという事実に対し、改めてその熱意に敬意を表さずにはいられない。手弁当で参加したエキストラ広島市民の中には当然被爆体験の記憶も生々しかったわけでよくもまぁあの惨状を再現する現場に居合わせることに合意をしたものだと。まだできたてほやほやのトラウマを抱える人達を前に本作への参加を促した人たちがどのようにして彼らの気持ちを鼓舞したのか、そのあたりも気になるところ。
奇しくも2017年は自身にとっても随分と久方ぶりに原爆ドーム周辺に足を運べた年となり、その後Jean-Gabriel Périotというフランス人映画監督が撮る「なつのひかり」(2016) という叙情的なすばらしい作品にも出会えた年だった。それに続く形でまたこうして機会を与えられ、「もう70年以上も昔のこと。」として単純には風化させられない、何らかの別の風が自分の中に吹いてきていることを感じる今日このごろ。
まずは新藤版の達成からだな。 -
1953年、北星映画。関川秀雄監督、八木保太郎脚本。音楽は伊福部昭。岡田英次、月丘夢路、山田五十鈴、加藤嘉ら出演。制作費2400万円を日教組の組合員たちがカンパして準備し、広島県教職員組合と広島の企業、市民たちが協力した伝説の作品。エキストラの数は88,500人に上ったという。
高校で英語を教える岡田英次の授業中に倒れた女子生徒のエピソードから、広島市民の中でも被爆者たちが差別されている状況から説き起こし、「あの日」の広島の記憶へと遡っていく構成。伊福部昭は翌年に『ゴジラ』に参加し、岡田英次はのちの『二十四時間の情事』で広島の建築家を演じることになるという意味では、彼らのキャリアにとっても重要な作品だったことは間違いない。
関川は8月6日から始まった広島の地獄絵図を、時間をかけてじっくりと描いていく。だが、見ているとどうしても丸木位里・丸木俊の『原爆の図』の光景を思い出してしまう。もちろんこれは倒錯なのだが、それだけ「ヒロシマ」の経験がメディア化されて記憶されている、ということだろうか。
また、原爆のために孤児となった少年が工場勤めを始めたが、その工場が朝鮮戦争のための砲弾を作りはじめたことに耐えられなくなって辞めてしまうという挿話や、8月6日の「平和祭」の人の波に原爆で命を落とした人々がその時の姿のままで亡霊としてデモンストレーションに参加する、という描写は1950年代ならではのものだろう。
同じ監督・脚本コンビで作られた『黎明八月十五日』はやはり見ておかないと、という気持ちになった。 -
広島原爆7年後に作られていて、実際の市民が撮影に参加しているということも、重みを感じる。
丁寧に、静かに、粛々と描れていく人々と街が、悲しく、
そして、口先だけ形だけの 平和と言う言葉への怒りは、この時から既にあったのだと思うと
今現在の有り様に、そのままぶつけたい気持ちがした? -
作品自体は素直に考えさせられる興味深い物語だが、脚本がチト…かな。
前半と後半でテーマがいきなり変わるので心の整理がつかない。
個人的には遠藤青年に焦点を絞って、彼の視点から物語を進行させれば良かったと思う。 -
広島を生き延びた人もエキストラに多く含まれているという、原爆の映画。
制作は1953年、まだ米軍の占領が終わってから間もなく、経済が再び活性化してきていた頃。朝鮮戦争が続き、警察予備隊が作られ、米ソによる核兵器の開発が進むというある特定の政治的社会的文脈の中で、特定の政治的社会的動機のもとに作られた作品。それと同時に、何もかも奪われた被爆者の方たちがこの映画を通し自分たちの声を取り戻そうとしたのだと思う。この映画を撮影した後に原爆症で亡くなった人もたくさんいたはず。いろいろなことを考えずにはいられません。 -
体験した人たちがエキストラで大勢出演している。
子供たちは一様にお母ちゃんと叫ぶ。