「空気」の研究 (文春文庫) [Kindle]

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  • 文藝春秋
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感想・レビュー・書評

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  • 日本人のお家芸でもある「空気読め」の「空気」ってなんだ、ことを民族学的な観点から考察した一冊です。

    いろいろ感じ入ったことはありますが、正直、難解すぎたので拾い読みしました。
    これを書いた人は大変頭の言い方だし、よ見とくことができる方も同様に頭の言い方なんだろうな、と思う一冊です。

    感想もなにも、内容を理解できていないので、読んでいて疑問に思ったことを書き並べることにします。


    疑問1 空気の醸成には日本文化、風土が大きく影響すると読める。これは正しいか?日本以外では空気は存在しないのか?
    疑問2 なぜ空気が醸成されるのかの説明になっていない。その日本文化において、どういうプロセスを経て空気が醸成されるのか?

    疑問3
    空気はどういう機能を果たすのか?論理が封じられ、さらに気圧が強まるのはどういうプロセスによるのか?水を差すはどう機能するのか?

    疑問4
    現在のネットワークが結びついた社会では空気の影響は強まっているのか、弱まっているのか?炎上は関係あるのか

    総合的にいえば、評価不能です(KYですいません)

  • ようやっと『空気の研究』を読了。立ち止まり立ち止まりだったのでえらい時間かかった。最終章での大正期に関する山本七平の認識がいまいち納得できんかったので少し深堀りしたい

  • 山本七平による日本人論の古典。
    池田信夫氏のブログなどによく登場するが、Kindleで購入して一読してみた。

    ここでいう「空気」とは、「とてもそんなこと言える空気ではなかった」「その場の空気が許さなかった」の「空気」。
    山本は、「空気」を「臨在感的把握の絶対化」と定義する。
    というと難しいが、簡単な言葉で言えば「対象物への感情移入」。
    単なる物体や事象に感情が移入されることで、それを客観的に語ることは許されず、科学的な分析が立ち入る余地がなくなってしまう。
    本著の中では、(執筆当時に話題になっていたのであろう)イタイイタイ病の原因物質とされたカドミウムが事例として多く取り上げられているが、原発や核、御真影、甲子園の砂、などいくらでも思いつく。
    言い換えれば、「そんなことをしたらバチが当たる」存在といったところか。

    日本人はなぜそんなに「空気」に支配されやすいのか。
    日本的な世界はアニミズムの世界である。
    そこでは原則的に「相対化」が無く、絶対化の対象が無数にある。
    他方、一神教の世界においては、「絶対」は唯一神のみであり、他の全ては対立概念で相対化が可能である。
    相対化をしない(できない)から、「空気」に支配されてしまう。

    そしてもうひとつの特徴、「空気」は容易に一変し得る。
    典型的なのは終戦。
    軍国主義的価値観が一夜にして吹き飛び、民主主義と自由主義が国是となる。
    山本は、これを「水」と表現する。
    「水を差す」の「水」。
    ※なお、山本は「水」=「通常性」と定義しているが、この「通常性」という概念を理解するのが難しい。

    山本は、その背後にあるのは、「情況」を行為の正当化の根拠とする考え方であるとする。
    「そういう情況だったのだから仕方がない」という正当化。
    そこでは、情況の創出には自己もまた参加したのだという最小限の意識さえ完全に欠如している状態となる。
    自己の意志の否定であり、自己の行為への責任の否定である。
    この考え方をする者は、同じ情況に置かれても、それへの対応は個人個人でみな違う、その違いは、各個人の自らの意志に基づく決断であることを絶対に認めようとせず、人間は一定の情況に対して平等かつ等質に反応するものと規定してしまう。
    これは「日本的平等主義」に起因している。

    この本が書かれてから40年が経過しているが、日本社会の本質はまったく変わっていない。
    依然として「空気」と「水」だけがある世界。
    その社会の一番の問題は、「空気」「水」に乗れなかった少数の人たちを排除する方向に社会の力学が動きやすいことだろう。
    菊池桃子が言っている「社会的包摂」とは真逆の方向性だ。

    とはいえ、堅固な「空気」と「水」の社会もグローバル化の波には抗し切れず、少しずつ崩れていく方向にあるのは間違いないだろう。
    だが、その一方、ネット社会・世論の大衆化によって支配の傾向が増幅しやすくなっている面も感じられる。
    これからの日本社会は、「空気」「水」の支配から一線を画して生きるグローバルな人々と、そこから相変わらず抜け出せないローカル・マジョリティ、そして排除される側の不幸なローカル・マイノリティの三極にわかれていくのかもしれない。

  • 一神教では空気による支配が起きず、日本的な汎神論でいかに「空気」が蔓延するかの考察が鋭い。今までなんとなくモヤモヤと感じていたことを言語化してくれる本。

  • 2018年4月12日紹介されました!

  • ・12/17 読了.難しいね.でも空気の正体がそれほど単純なものではなく、かつ空気に水を差すのが勇気がいるだけじゃなくそれによってどこまで効果があるかも未知数という時代の状況だったということか.この状態はいつ終わるのかもわからないぐらい未来の予想ができないね.問題なのが「社会の空気」だけに少数の人達だけ空気から自由であってもあまり意味はないだろうから、社会全体が発想の転換を実現できない限り空気の拘束から逃れられる術はないんだろうね.

  •  場を支配する「空気」なるものの正体は何か。多くの人が漠然とイメージを抱いているであろうこの問題を真剣に検討した一冊。「KY」などという言葉が生まれたのは比較的最近だが、本書の単行本が発行されたのは昭和52年(1977年)なので40年近く前だ。

     筆者はこの感覚を「臨在感的把握」や「情況倫理」という言葉で解説する。調べてみてもこれらの単語は著者以外は使っていないようなので造語かと思われ、その意味する所を理解させるための解説がかなりの量を占める。

     本書の言わんとする所は単に「空気」なるものの理解だけでなく、それが日本においてどうしても払拭できないことの指摘と諦めではないだろうか。そのことが次の一文に凝縮されていると感じた。

    「人は、論理的説得では心的態度を変えない。特に画像、映像、言葉の映像化による対象の臨在感的把握が絶対化される日本においては、それは不可能と言ってよい。」

     本書の主張には説得力があると思うが、全体に表現が硬く難解な文章な上に参考として引用された文章がやたら長く続いたり、執筆当時の時事問題が例として挙げられている箇所が多数あってやや理解しづらい面もある。最近の作家が同じ趣旨でもう少し平易な表現の本を書いたりはしてくれないものだろうか。

  • 採決は空気が決める。従って空気と言われて拒否された場合、こちらは反論のしようがない

    空気を気にした記憶がありません。議論や会議では、必要だと思ったら発言して、どうでも良いも思ったら何も言いません。

    となると、自分は空気の読めないやつ、というレッテルを貼られているのでしょうか。空気読んでないなーとか言われたことがないので、結果論として、空気に会わない発言をしなかっただけかもしれません。これからもそんなに空気読むことはないと思います。

  • ちまちま読んでいた本なのだけれど、やっと読み終わった! 「日本的根本主義について」に入ってから、途端にわからなくなった。昔の本だと言われていたので、ある程度覚悟はしていたのだけれど、そもそも事前知識が全然足りなかったみたいだなあ。

  •  一時期,KYという言葉が流行っていたことがあった。今じゃあ,小学校の子どもも普通に使う日本語?になった。
     つい先日も,自分がクラスに撒いた言葉に,誰も追随しなかった時,「空気読めよ~」とそれを続けることを半ば強制する発言をする女子がいた。しかし,だれもそれについて行かない…実は,「空気」を読めなかったのは,その言い出しっぺの女子の方なんだけど…。
     そんな「空気という捉え方」が,実は,日本人の持ち味であることを知らされて愕然とした。著者によると,善くも悪くも,日本人には,これがあるのである。先の戦争に対して,後世の人が「国力を科学的に見れば負けて当たり前の戦争をやって,昔の人はバカだったなあ」「一億玉砕なんてあり得ないだろう」「東京が襲撃されているのに,まだ勝てるとは…」というのは簡単だけど,当時の人にしてみれば「そんな空気だったのだ」「そういうふうにしか進めなかったのだ」ということになる。それは,後から見ると「責任回避」でしかないのだが,そのときには,その選択肢しかなくなるのだ…それが「空気」なのだと。
     山本は,このような「空気」は,戦前だけではなく,現代でもあるという。公害問題で,「こうあるべき」となったからには,それに反することを言いだしにくくなり,「わかっちゃいるけど,言えないよ」となることがあるのではないか。より科学的に考えるよりも,公害反対という空気で考える(というか,合わせる)。
     これは,現代でも,たとえば放射能の問題に関して言えることかもしれない。私自身が〈空気の中にいるのだ〉ということを意識していないと,より実証的な結果が提示されても,間違った判断をしてしまう危険性があるということだ。

     「現人神と進化論」が,ダブルスタンダードとして成立している日本人の姿は,西洋から見ると,大変奇妙に見えるのは間違いないだろう。一方,西洋に目をやると,キリスト教信者である科学者が多く存在していて,自己矛盾も感じていない人が普通だが,これも日本人から見ると奇妙に映る。
     結局,一人の人間の中には,いろんなものがごちゃ混ぜになっていて,それが矛盾なく存在していることが多いのだ。その矛盾(あるいは空気の存在)をだれかにつつかれて気づかされてはじめて,生き方を見つめ直すことになるのかも知れない。
     本書の内容は,他のレビューでも触れられているように,大変難解である。とくに,後半の部分は,キリスト教を巡る歴史をある程度知っていないと,ついて行けない。
     世界史の知識が乏しいと,こういうときに,困るんだよなあ。
     今の日本の政治の流れを見るときに,一度,読んでおいて良い本だ。当時の国民がバカだったから,戦争を始めたわけはない。だから,いつでも,同じような事が起きるとも限らない。「空気」に対抗するのはとても難しいことだから。
     そうそう,「水を差す」という言葉も取り上げられていた。ある空気の中に水を差す…すると,違う空気に支配されるのではないか…。これもまた,深く考えるべき,日本人の言葉である。

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著者プロフィール

1921年、東京都に生まれる。1942年、青山学院高等商業学部を卒業。野砲少尉としてマニラで戦い、捕虜となる。戦後、山本書店を創設し、聖書学関係の出版に携わる。1970年、イザヤ・ベンダサン名で出版した『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。
著書には『「空気」の研究』(文藝春秋)、『帝王学』(日本経済新聞社)、『論語の読み方』(祥伝社)、『なぜ日本は変われないのか』『日本人には何が欠けているのか』『日本はなぜ外交で負けるのか』『戦争責任と靖国問題』(以上、さくら舎)などがある。

「2020年 『日本型組織 存続の条件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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