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- / ISBN・EAN: 4523215101325
感想・レビュー・書評
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イタリアの演劇は、社会的排除された人 障害者、ホームレスの劇団があると言われている。DVDで、そのような映画がないかな思って探したら、レビッビア刑務所で、本物の囚人(変な表現であるが)による「塀の中ジュリアスシーザー」があった。最初に、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」の1場面が映し出される。そして、刑務所に舞台がうつり、オーディションから始まる。自分の名前、誕生日、出生地、父親の名前を言わせるシーンが秀逸である。刑に服するので妻にわかれる表情と怒りそして泣く表情で説明しろという。確かに囚人は、ぼっと生きていない。犯罪と刑に対する思いがある。選ばれた囚人たちで、練習が始まる。囚人たちは役作りをして行くが、劇の役者を演じているうちに、現実の自分の罪が思い出されて、苦しむ。シーザーの堂々とした雰囲気。マフィアで終身刑。
そんな人たちが、徐々に刑務所の中で、盛り上がっていく。
ブルータスは、シーザーを殺す。それは、ローマの為だという。そして、アントニーが、シーザーを擁護する演説をする。正義、国のためということを、囚人たちが演じることに真実味が増してくる。
なんと行っても、その悪人ヅラが、とても素敵なのだ。あーぁ。イタリアの文化は、人間を限りなく愛し、人間を大切にする文化が根付いている。
社会的な復帰のための矯正という役割を刑務所が果たしていることを理解できる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
さるイタリアの刑務所の囚人たちが、シェイクスピアの舞台『ジュリアス・シーザー』を上演するまでの稽古を、これが現実かフィクションかを曖昧にしたまま主に描く。出演者はどうやら現実世界の犯罪者だが、それでいて、演技は堂に入っていて、観ているうちに、現実と虚構の境界が曖昧になってゆく。
メタ演劇をやるために、映画という方法を選んだのは設定の妙。つまり、舞台をカメラで撮影すれば、それだけでもう批評的視線(あるいは観客の視線)を獲得できる。その一方で、俳優を本物の囚人にすることで、その観客の視線にも対抗できる。俳優・観客、いずれにも偏らない両義性が生まれる。また、監獄での看守たちの視線もまた、観客の視線にリンクしたりもして、心底、うまいなー、すごいなー、さすが巨匠タヴィアーニ兄弟、と感心した。
ところが、その反面、意外なことに、あまりにうまくできすぎている、という不満が贅沢なことに残った。素人俳優が、本物の俳優に見えたことに、ものすごく違和感が残った。しかも、90分たらずで無駄なく本作を編集しているその力量!コントロールしすぎている。
あまりに完璧すぎてつまらない。そんな感想を述べる人が信じられなかったが、初めて理解できた。評価は★5つだけれども、それ以上でも以下でもない。こんなこと、しつこいけど初めて。 -
早稲田松竹にて「ローマ法王の休日」と共に視聴。
ドキュメンタリーな内容でビックリしました。しかし、実在の囚人たちが演技に打ち込む姿は、とても人間的かつ真剣そのもので、終始緊張感が漂っていました。
また、あえて本編の9割をモノクロにすることで、その緊張感が引き立っていたように思えます。
彼らの表情、仕草、そして「シーザー」の役に成りきる姿は、とても真剣で、見入ってしまいました。
重厚な音楽もとても良かったです。
てっきりノンフィクションなのかと思いきや、明確には提示されていないみたいです。(個人的にはノンフィクションに感じてしまう程の内容でしたが