Free! 1 [Blu-ray]

監督 : 内海紘子 
出演 : 島崎信長  鈴木達央  宮野真守  代永翼  平川大輔 
  • ポニーキャニオン
4.15
  • (22)
  • (12)
  • (11)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 136
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988013428560

感想・レビュー・書評

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  • こどもたちが大好きなアニメです♪ けいおんの京都アニメーションの作品だそうです。みるたび泳ぎたくなるうちのお兄ちゃんは、このメンバーのひとりとおんなじ名前です♪

  • まだ定まっていない感じとか、ドッペルゲンガーとか小ネタがあって一期1話が個人的にいちばんヒットです。裸エプロンは少しぎりぎりな感じが否めないけどこのくらいはじけていた頃が面白かった。

  • スポ根ではないスポーツアニメ。
    終始イチャつきを見せつけてくる。ほんとにずっとイチャつきを見せつけてくる。

  • 水泳モチベを上げるために見始めた。映像がキレイで、泳いでいるシーンとか、「私もこんな風に綺麗に泳ぎたい!」と、想像していたとおりのモチベーションアップ。スポーツものは多いけれど、水泳が題材のものって初めてみたけれど、なかなかに面白い。

  • 全12話。のっけからの男子の裸エプロンや壁ドン、「責任とってくださいね」など、ちょっとキュンキュンしてしまった。

  • 京都アニメーション制作の水泳男子を主人公に据えた青春アニメ。男性キャラクターの登場が基本的に多いですから、主たるターゲットは女性だと思いますが、同じく軽音部女子を主人公に据えた『けいおん!』と、技法的に重なる部分もかなり多く、やはり映像表現に関してはさすが感が漂います。1話に詰め込む物語の情報量も多ければ、視覚的な映像表現の情報量も非常に多く、見終わった後30分以上画面を眺めていたかのような錯覚に陥ります。

    基本的に水泳というのをテーマにした作品ではありますが、主題は「共生型の同一化」(※後述)であり、それを可能にするために、個々の人物がそれぞれ非常におもしろい問題を抱えてそれぞれに関係しあっているのが見所ですから、部類としては思春期から青年期にかけての青春ドラマに入りますので、スポ根ものや競技そのもののおもしろさを期待して見る作品ではありません。
    「共生型の同一化」に対立する概念として、「支配型の同一化」というテーマが始終示されていますが、各キャラクターの抱える問題のうち、主人公・遥の抱える問題以外はおそらく、女性の共感しやすい問題(たとえば親との愛着の問題をクリアできず、思春期以降にひきずってしまうライバルキャラクター・凜や、内向的で依存的な性質を持つ親友・真琴がトラウマを克服していく過程など)ですから、登場人物をほとんど男性でそろえ、女性をターゲットに本作を展開したのは非常に効果的というか作為的というか、繊細な物語であったと思います。また、アニメーションの密度が濃く、その情報量や細かな動作、象徴的な視覚表現が多用され、言外のコミュニケーションも非常に多くなっていますから、行間を読ませたり、言葉ではなく感情を伝えたりするシーンが多く、こういったところも女性に評価されやすい表現手法でしょう。基本的には、主要なテーマ以外、文章としては黙して語らず、視覚としては非常に雄弁で、実際のリアルなコミュニケーションと近い部分が多いのかもしれません。

    作中に使用されているBGMも、これでもか! というくらいシーンを強調するものも混ざりつつ、基本的には綺麗で映像表現の邪魔をしないものが選ばれていますから、全体的な統一感も高かったように思います。わりとコテコテです。

    基本的には、優しくて繊細な少年たちの話になりますから、人物像や出来事にリアリティがあるか、といわれれば、こんなリアリティがあればよかったのに、と自分の青春時代と比べつつ、落ち込む人も出てくるかもしれませんが、最初から最後まで、のたうち回るようにして揺れていた凜に示される受容と再起の可能性には、勇気づけられる人も多いのでは。

    以下、各話個別に感想を書いていますが、当然ながら、1話の段階では全体像が見えず、最終話になると1話からの情報を踏まえて書くことができていますので、最初のほうの感想ほど底が浅く、最後のほうになればなるほど、重要に思うところのみを書く形になっています。見事にミスリードに引っかかっているところも前半には多くなっています。そして連続作品だとついやってしまう、全話に感想を書くという執拗な整理の仕方のせいで、非常に文章量が多くなっております……。
    ※例によって、1話から最終話までの感想を詰め込んでいます。

    1話:
    基本的に、遥の行動のアレさにドン引き……もとい振り回される回でした。京アニはじまって以来、もっともぶっ飛んでいる主人公として、しばらく記録を塗り替えられることはないのではなかろうか。
    観察眼は鋭く、夢破れて教師になった担任を内心批判するなど、純粋で本物志向のこだわり派、ただし慎重なのか保守的なのか、同じ食べ物(鯖)を連日食べ続けるなど、興味のないことには極端に関心がなく(興味のあることには異常な執着を見せ)、社会生活も健全に送ることができない(頻繁な欠席や早退、社会的には重要な場でも自分にとって無意味であれば堂々と姿をくらます、目的のためなら不法侵入にもためらいはない)ほどの自己中心的なマイペースぶりということもあって、1話から完全に世話焼き女房ポジションについている真琴の苦労がしのばれます。すごく、大変だと思う、彼の世話するの(笑)。しかもそんなフリーダムすぎる遥の口から、他者への冷静な指摘の言葉がズバッと入ると、なかなか応えるものもあると思いますから、そもそも遥と長く付き合うこと自体に困難を感じる人も多そうですね。遥自身は一人でも大丈夫そうですが、遥の周囲には、何も知らない遥に傷つけられ、遥を快く思っていない人も一定数いるかもしれませんね。マジメ系クズを装ってはいますが、中身は純粋な子どものまま、というところでしょう。
    いっぽう遥のよき理解者であり、もはや親友の域を超越して世話係か家族かという具合になっている真琴は、完全に近所の幼馴染系ヒロインのポジションを地で行っていて、こちらはこちらで戦きました……たぶん結婚を考え始める年齢に差し掛かると、異様にモテるんじゃないだろうか、真琴。ものすごい倍率になると思います、彼。ただ、遥の行動原理や生活スタイルを熟知している彼の巧みな飴と鞭作戦により、遥がいまのところギリギリセーフな社会生活を贈れているようですから、水泳に関しても、それ以外の部分にしても、遥という素質ある青年を才能ある青年として開花させるのには、この真琴の力は不可欠でしょうから、本当にいろんな意味でダメな遥としっかり二人三脚してあげるという意味では、凜にも劣らない重要な人物でしょう。その役回りゆえに、彼自身が遥にすりつぶされ、人生を奪い取られてしまわないか心配ではありますが、ちゃんと遥に自己主張もして、線引きもしっかりできるような姿が作中でも見られれば、かなり安心感の持てる人物です。
    他に登場する重要なキャラクターとしては、そんなふたりの後輩で、かつて同じスイミングスクールに通っていたという渚と、ライバルポジションで帰国子女の凜、すっかりスレた兄に思うところのある凜の妹・江ですが、三人ともまだそれほど本編に絡んでくる状態ではなかったり、行動原理が明らかにはなっていなかったりという状態なので、ここでは保留にします。

    しかし1話の情報量は非常に多かった。たった1話で遥と真琴の関係を描き切り、遥と凜の確執にも切り口をつけ、遥のドン引きのライフスタイルもしっかりと描写して、プールに忍び込むわ他校に忍び込むわ凜と遥の因縁の対決が始まろうとするわ4人の過去も断片的に描かれるわで、やれば30分でここまでの展開を見せることも可能なのですね、と感心した回でした。そしてOPとEDにも非常に力が入れられていて、とくにEDなどははじめて『けいおん!』を見たときが思わず懐かしくなるレベルの、外さないPV感溢れる演出が非常に良かった。あまり実験的な手法は使わず、保守的なほどに保守的な題材をとるけれど、その緻密さやこだわった微細な表現で、本当に外さない演出をしてきますよね。非常に手堅い攻め方をしてくる作風だと思います。手堅い。

    2話:
    遙の奇行と視覚的情報量の多さは相変わらずですが、今週は凜の性格と凜と遙の関係、それから前回にもまして際立っていた真琴のプロのフォロー職人ぶりが中心でした。
    まずは本質に関係のないところから書いていきますが、身体感覚にすぐれ、感覚的なインプットとアウトプットの双方にすぐれるという点で、遥は芸術家気質ということが判明しましたね。とりあえずあの絵の壮大さと寸分の狂いもない彫刻作品の量産ぶり、そして料理も含め意外とそれが万人受けするというところから、1話でかなり心配していた遙の社会生活に関しては、意外と商業的かつクリエイティブな環境ではやっていけそうに感じたので、ひとまず安心いたしました、組織には向かないと思いますけれども……。
    次に真琴のフォロー職人ぶりですが、もはやプロの仕事だと思うので無駄な言及は避けます。
    問題なのは凜の性格と、凜と遙の確執ですね。「昔に戻ったんだ」なんて真琴は言いますが、勝ち負けなど関係なく、ただ泳いでいたころの遙と、勝負で誰かを負かす=誰かを傷つけることを恐れて勝負自体を避け、避けきれなくても相手の闘争心を交わして相手にしないで勝利を譲る現在の遙の姿勢というのは、似ているようでぜんぜん違うように見える。なんとしてでも勝負の世界に引きずり込み、自分が正当に勝たなきゃ気が済まない凜も凜ですが、凜が他人に要求し過ぎなら、遙が自己完結しすぎて、まったく噛み合っていないところにも問題があるように思うのですよね。何かに向き合う姿勢に良いも悪いもないはずなのですが、もしかするとお互いに向き合っているもの自体も違うのかもしれませんね。遙は単純に泳ぐという行為を目的にしていますが、凜はそうではなく、たまたま得意だったのが水泳で、ほんとうの目的は勝負をして勝つことで、泳ぐことはあくまで手段なのかもしれない。そうなってくると、泳ぐことに対する心構えの違いというレベルではないわけですから、お互いへの理解というのはさらに難しくなりますね。ただやっぱり、凜の勝ち負けにものすごくこだわるところは、凜本人も、凜の周囲の人もしんどくなるのでどうだかなあと思う一方、勝ち負けがかかわると人を傷つけるからと逃避に走っている遙も遙なので、両方が歩み寄りを見せるとベストなのでしょう。足して2で割ればちょうどいいくらいでしょうね。

    3話:
    映像表現と台詞の間合いで、完全に視聴者を笑わしにかかっていました。
    あとフォロー職人の真琴は今週もフォロー職人でしたが、素の価値観はわりとシビアなところもありますね。回を重ねるにつれ、主体性のない日和見的な世話焼き女房ポジションではないなあ、と思うようになってはいましたが、たぶん現実的だから不可能なことには挑戦しないし、現実味を帯びてきたら乗り気にもなるけれど、同時に見切りをつけるのも早いし諦めもすぐに呑み込めるタイプですね。1話でうまいこと遙を載せていた時にもちらっと思いましたが、人の情を解するよき理解者の側面をもち、表向きフォロー職人としてふるまいながら、実際にはけっこうしたたかであざとい人間だろうという気がしてきました。世渡りめちゃくちゃうまそう。

    4話:
    「いいや、おまえは俺のために泳ぐんだ」
    もうほんとに凜の態度はこの一言に集約されていますね。この会話までに怜が展開したせっかくの酷すぎるギャグ展開も、一気に青春ドラマに様変わりしましたね……(笑)
    オリンピック選手になる、その理由は、水泳が好きだからとかじゃなくて、やっぱり水泳はただの道具、手段でしかないんだろうか。遙と分かり合える瞬間が来るとしたら、遙は泳ぐことそのものが目的であるという譲れないポイントがあることを、凜が理解する必要があるのですけど、その遙に向かって、堂々とこんなこと言っているようじゃ、そりゃ相手にもされないし、ただ自分が追いつめられるだけだなあという……。
    「だったら、ひとつ約束しろ。俺に負けても水泳を辞めるとか言うな。醜態を晒すな。負けても泣くな」
    でもこの遙の台詞も大概ひどいと思うのですよね。言い換えると、「勝ち負けにこだわるな。負けたくらいで水泳を嫌いだなんて言うな。負けたからって悔しがるな」ということで、それは凜の水泳への動機をすべて断たせる言葉であるように思うのですが……凜が遙に、遙のあり方を否定するような、無理やり競争に巻き込むような言葉を投げつけた後に、なら競争は受けてやるけれど、そのあとは自分と同じ価値観を共有しろと言っているわけで、正直ほんとうにどっちもどっちなのですよね。
    実際、遙より泳ぐ技術が低くても、真琴や渚のように、遙と一緒に泳いでいられた人たちもいたわけで、ではなぜ凜はそれができなかったか、凜と真琴や渚との間にある違いは何かと言えば、それは勝ち負けにこだわっていないこと、遙のあり方を受け入れてやっているかいないかということ。遙はただ水が好きで、泳いでいられればそれでよい一種の病気のようなもので、好きこそものの上手なれというか、どこか水棲生物じみた遙をそのままそっとしておけること、自分たちの価値観に巻き込まず、棲み分けができること、これが遙とうまくやっていく必要最低条件になる。そして遙自身は周囲を巻き込んで混乱に陥れるようなことはしないから、遙へ沸き起こるさまざまな感情を周囲の人たちが自分の中だけでこっそり処理している限り、遙は人畜無害な存在で居られる。ただ、なかには遙の存在の前に、自分の感情をうまく処理できず、遙に振り回される形で問題を起こし、最終的には自らが火種となって周囲を混乱に陥れはじめる凜みたいな存在も当然ながら一定数現れる。でも火種になった凜を人畜無害な存在にするのは難しいし、むしろその火種になるような性格が凜の本質だと言ってもいいくらいだから、それを損ねてしまうのもどこかおかしい、けれどそんな扱いづらい凜を前に、凜を無意図的にとはいえ火種にしてしまった張本人である遙が、勝ち負けにこだわるのを辞めろ、俺と棲み分けろ、と言ってしまうのは、売り言葉に買い言葉だったとはいえ、ちょっと理不尽な感じもしますね。遙はたぶん、いまはふつうに接してくれてる真琴や渚(とくに真琴)にもおそらく湧き上がったであろうさまざまな感情を知らず知らずに摘みとってそこにいるし、同じように摘み取られたなかで、もっともストレートに摘み取られたことを表現した凜の涙に、自らが自らの生きがい=水泳をある程度まで捨てることを選んだからといって、それを「負けても泣くな」だなんて、さも凜のせいだと言わんばかりに堂々と言ってしまうのは、ちょっと押し付けすぎのように感じてしまう。摘み取られたことをよしとせず、ひたすら努力した凜は、それが自分の感情に折り合いをつける唯一の手段だと思っていたからそうしたのであって、それはプラスの努力であったと思うのですが、凜を前に逃げ出して、逃げた理由を凜のせいだと言わんばかりの遙のそれは、やっぱり言い訳にしか私には見えない。凜のために水泳を捨てたというのは、ごまかしにしか過ぎないように思うのですよね。凜のことをどうしようもない、自分が水泳を捨てるしか方法が思いつかなかったのは遙がまだ未熟だったからで、少なくともその一件を真琴や渚に相談していれば、そんな酷い台詞を吐く羽目にも、そもそも水泳を諦める羽目にもならなかったのでは、と思うのですよね。演出上、凜のほうが未熟な感じに描かれていますが、実際にはどっちもどっちだという……。
    凜の問題点としては、勝ち負けにこだわりすぎというところ以外に、すべてが水泳を中心に回っているというところもそうですね。これは遙もそうですが、遙は泳ぐことが好きすぎて社会生活に支障が出ている程度で済んでいますけれど、凜の場合は、その水泳の技術が遙と凜、真琴と渚の、自分たちの周囲にいるすべての人間をはかる唯一にして絶対の基準になってしまっている。たとえば真琴は遙のあまりの社会性のなさから、お兄ちゃんポジションを築き上げ、遙や他の部員たちのフォロー職人兼まとめ役として欠かすことのできない存在になっていますし、そんな真琴ももちあわせていない未知への積極性という分野は、渚が一身に担っている。既存のものを守り生かす役目を真琴が担う一方で、渚がひとり開拓者の役割を担っていて、このふたりなくして、水泳部がまともに機能することはないし、正直、泳ぐことと芸術に特化した遙より、汎用性の高い重要なスキルをふたりは持っているわけです。なんか感覚的なことはハルに任せておけばいいけど、それ以外は自分たちがやらなくちゃね、という棲み分けで、とくに問題を起こすこともなくうまくやれていて、表現こそしないものの、遙もそこは充分にわかっているところだと思い……たい。一方の凜は、ものすごく負けず嫌いで努力家で、目的のためなら手段も選ばず邁進することができるという立派な美徳を持っていますし、遙とは別の種類の本物志向で、彼のああいう、周囲を巻き込んでストイックに努力するところは、誰かに憧れられてもおかしくはない十分な美点のはずなのですが、理想が高いのか何なのか、そういう美点は彼の中では美点としては意識されていない。凜の中にもまた水泳しかない。怜とは別の意味で頭が固いんですね。自他ともに厳しいというか。おそらく、作中で最もストイックな努力家なのはほかでもない凜だと思うのですが(怜はちょっとなんか違う)、そしてそこはきっと真琴も渚も評価しているから凜にきつくあたらないのだと思うのですが、たぶん凜目線では、そういうストイックな努力家なんだからいいじゃない、なんていう言葉は、逃げとか甘えとか、そんなふうに聞こえるのでしょうね。
    次回への宿題と予想:
    ・「俺も自由じゃない」という遙の台詞。本当に自由なら、凜を前に泳ぐのをやめることも、真面目系クズになろうとして、すべて忘れ去ろうとすることもなかったと、そういうことだろうか。凜も自由じゃない、その凜の出現によって自分も自由じゃなくなった、自分は誰かに自由な存在として憧れrられるけど、自分は自由な存在じゃなくて、自由になりたい存在でしかないのに、自由を諦めて生きているいまの自分を、どうして自由だなんて言うのだろうかと、そういうことだろうか。
    ・「前に進めない」という凜の台詞は怜が前に進めない件(ただし物理的に)と掛けていますね。ただ、両方とも、自分がぶち当たった壁の先に行けないという点では共通している。そしてそのふたりの共通して漏らした言葉が「自由になれない」(凜は自由な遙を越せない点をこう解釈しました)ということ。怜の場合は、自由じゃなくていい=無理して水棲生物になる必要はない=半分は陸棲生物のようなバタフライでいいじゃない、というふうにつながっていくのですかね。
    ・怜に遙が教えた件。結局のところ、凜のことを見ないふりして逃げていたことを遙は自覚していた、ということでしょうか。めんどくさいと切り捨てて、自分の自由も、凜の気持ちも切り捨てた、自分が切り捨てたものを必死で求めている凜を見て、そんな凜と怜が重なって、見捨てないという選択を久しぶりに選んだシーンがここだったのでしょうか。しかし怜と遙という2大変人がわけのわからないかんじで何かを共有したらしいので、はた目には4割くらいギャグシーンでしたね……。
    もしかすると、負けたからと言って凜が遙を遠ざけたことで、遙のほうが先に、「凜が自分を見なくなった」と自覚したために、遙は凜を責めるのかもしれませんね、凜のせいで水泳を辞めたと。ただどちらも無意識にお互いを傷つけたわけですし、やっぱりどっちにもお互いをどういう言う権利はないように思うなあ。でもどっちが自己中心的かと言ったら、やっぱり遙だろうなあ、凜は自己中心的というより、自分専用色眼鏡でしか周囲が見えないタイプですし。劣等感から萎縮して友人関係を維持できなくなるのも、劣等感から萎縮して友人関係を維持できなくなった友人にショックを受けて自分の殻に閉じこもるのも、どっちも自己完結できる問題に端を発して、いまその問題の解決の途上にあって、ふたりともまだうまく解決できていないから、お互いにつんけんしているだけですし。そのうえで、自己解決に向けて積極的に努力した凜はよしとして、内々に引きこもって、自分の存在意義ごと諦めた遙はちょっと、弱すぎだろうと言いますか。遙のほうが、ちょっと面倒な傷つき方をするのですよね。

    5話:
    「なんで、あそこにお兄ちゃんがいないのかな」
    5話はだいたいぜんぶこの一言に集約されますね。それはお兄ちゃんが飛び出してしまう系の傷つき方の人だからです。引きこもる系の傷つき方の人ではなくて。
    しかし、地味に凜と江の兄妹仲のよさが微笑ましい回でもありました。ちょっと傷つきやすいお兄ちゃんですが、昔の仲間の心配をしたり、滅多に会わない妹と少しでも長くいるためか、宿にまで送って行ったり、彼は彼なりに周囲の人のことが好きだし、自分本位じゃなく気遣うこともできることがよくわかる回でした。兄妹仲に限っては、かなりいいほうに入りませんかね、あれ。あれだけお互いに相手のことを思いやっているのだから、松岡家は安泰ですね。
    真琴は相変わらずの、もはやお母さんなのか面倒見のいいお兄ちゃんなのかよくわからないドン引きの存在感でしたが、今週は遙も後輩や親友を積極的に気遣うシーンが見られましたし、凜もあの調子だったので、全体的に優しい雰囲気が流れていました。が、個人的に、あれだけ気遣いの男っぷりを見せられると、どうしてか引いてしまう……リアリティが感じられないというか、下心ありきで妙に気遣いの男っぷりを発揮する人であれば納得もするのですが、高校生にしてあの女子のようなコミュニケーションスタイルを築いている(気遣うことができるとか、口に出して表現できるとかいうレベルを超えて、かなり積極的に誉めたりフォローしたりということが、ごく自然に誰に対してもできている)というのは、相当稀有なことなのじゃないかと……そういう意味で、今週の真琴の存在感は正直、気持ち悪いレベルで際立っていました(笑)
    「夜の意味で泳ぐことは危険ですので真似しないで下さい。」
    今週のもうひとつの存在感、怜の夜の個人練習シーンでのテロップ。その後のシーンのことや、毎年雨で荒れた後の川や海での死者もあとを断たないことから、入れておくべきテロップではありますし、このテロップが入ったことに関しては非常に良いことだと思っていますが、なぜよりによってこのタイミングなのか。ことがおこってからでは話に集中していてテロップの効果がないと判断したためなのか。それともことがおこってからテロップを流したのでは、ことがおこらなければそれもまたよしと判断されかねないと考えてのことか。制作スタッフさんの意識の高さを垣間見た瞬間でした。でもできるなら、その後のシーンに関しても、荒れた海で溺れている人を見つけた場合、自分ひとりで飛び込む前にしかるべきところへ連絡、可能であればロープなどを利用し、複数名で救助にあたる旨も流しておくとよい気もしましたが、夜の海で泳ぐ人と、荒れた海に単身飛び込んで救助に向かう人と、どちらのほうが数としては多いのでしょうか。

    6話(前半):
    「ハルじゃなきゃダメなんだ、ハルと一緒に泳ぎたいんだ」
    遭難回でしたが、今週は無駄に女子的コミュニケーション能力の高い真琴がそんなポジションに落ち着いている理由の明かされる回でもありました。
    とりあえず先にどうでもいい問題から処理しておくと、
    ・劣等感から単身夜の海に泳ぎに出てしまった怜
    ・連絡しておけという指示を無視して単身海に飛び込んだ渚
    ・一も二もなく誰にも知らせず海に飛び込んだ、海限定カナヅチの真琴
    あたりは確実に反省会ですね……遙に関しては、真琴の生存確認より先に状況確認をしていたところで、とてもオロオロとしていたわけですが、あれは状況によっては正解の順序だと思いますので、あながちまずいとも言い難い……
    非常事態の行動って、何がより確実で効果的なのか、よくわからないだけに難しい。遭難のニュースも、それを助けに入って助けられないどころか、自分も被害に遭うというニュースを毎年聞きますので、やっぱりつい考えてしまいます、できるだけ正解に近い行動ってなんだろうと……
    本題に話を戻します。
    「もう一度、みんなとリレーをしたいって。でもそこには、ハルがいないと」
    この台詞からも明らかなように、たぶん真琴は、遙を勝負の世界に引き込み、フリーしか泳がない、とこだわりを捨てない遥をリレーの世界に引っ張り込んだ凜を、すごくありがたい存在として小学生時代から認識していたのでしょうね。そして凜と遙の間に起こったことも知らなければ、今回の凜の帰国を、「どういうわけか知らないけれどマジメ系クズに落ち着こうとしている遙を、ふたたびあのいきいきとした魚のような遙に戻してやれるんじゃないか」という、そういう期待ばかりのこもったまなざしで喜んでいたと考えられます。おそらく凜はそんな真琴の状態を、遙を通して察した。自分の携帯に真琴から着信があったのも、おそらく遙を気遣い、遙をどうにかするためというのがメインで、遙への気遣いに比べるとほんのわずかな割合でしか、自分に向けられているものはないと察したでしょうし、遙のためにわりと必死になっている真琴を前に、凜だって真琴を気遣わずにはいられなかったでしょう(まだそんな奴らとつるんでるのか、と遙には言いながら)。真琴はただのフォロー職人じゃなく、すっかりマジメ系クズになりかけている遙の前で、泳ぎたいとか、遙と泳いだリレーが楽しかったとか、そういう、遙なしでは成り立たない水泳への想いというのをすべて押し込めて隠して隠して、遙に合わせて本心を偽って生きてきた、だからそんな今の環境から抜け出すチャンスがあるのなら、藁をもつかむ思いでそれにすがりたかった、そういうことなのでしょうし、凜は凜で、遙を宝の持ち腐れ状態に置いているのは真琴や渚のせいだろうと思っていたのが、実はそうじゃなくて、遙自身の問題であると気づくことになった、そしてそんな遙をどうにかしようと、わりと恥も外聞もないかんじだけれどとりあえず、お兄ちゃんの仮面の下にそれを押し込めて、狡猾に遙の逃げ場をふさいで、強制的に自分たちが戻りたいと思っていた、凜もいて遙もいる水泳の世界へ捕らえようと考えている真琴の思惑も察し、ここでおそらく、ひとつの共犯関係がなりたちやすい状況が生じていますよね。実際に段取りを組んだりはしていないでしょうし、凜も凜で、知ったことかと放り投げているところも多いですが、たぶんこの真琴の工作活動の真意を見抜いていたからこそ、先週の「真琴は大丈夫なのか」という、真琴を気遣う台詞になったのでしょうね。どこかで、真琴が無理をし続けていることを察して。
    本来の真琴は、おそらく気弱で優しいお兄ちゃんというだけで、一応リーダーシップもないことはないけれど、それはたぶん、家庭に小さな弟妹たちがいて、親友と呼べるポジションの遙があんな性格だからこそ、ああいう振る舞いが身についたというだけで、実際の彼はいまの彼が見せかけているより、ずっと芯の強さも包容力もないのかもしれない。実際見ていて、岩鳶水泳部に限って言えば、いちばん頼りになるいろんな意味での功労者は渚でしょうし。遙は完全に別枠ですね。遙は遙という存在であって、遙という役割だけこなしているような感じですので(笑)
    俺のせいで真琴は言いたいこともやりたいことも言えずに沈黙して、ただただフォローする役回りに辛抱強く徹してくれていただけだったんだ、ということに、遙が気付いてくれていればな、と思う次第です。そんな真琴の弱さもおそらく知っていて、そのうえでまるっと部長職を真琴に投げた渚の慧眼たるや凄まじい……本当は渚も部長ができる器だと思いますが、渚はどっちかというと、陽性の存在と見せかけて、裏方でまずい状況をコントロールする、ピンチの時だけ登場するヒーロー的ポジションなのかもしれませんね、通常運転時は真琴がリーダーで、非常時に真琴が機能不全を起こしたら、遙がメンテナンス、怜は右往左往しつつツッコミ、渚が舵取り、というように。その出現頻度からすると、お父さんポジションですね、渚。いざというときだけは頼りになるけれど、ふだんはリビングで寝そべってるか、趣味のために自室にこもってる系の。

    6話(後半):
    相変わらず情報量が多いというか、この前半からの廃墟探索→再び真琴、という流れ。詰め込んできますね。
    真琴が今回の件をきっかけに、自分の内面を周囲に対してオープンにしていくのとは対照的に、そんな真琴に触れられたくない部分もあるだろうと、語気も荒く真琴の開示を阻止しようとする遙を見ていると、やっぱり遙の傷つき方というのは、内へ内へ引きこもるタイプなのだなあと実感します。
    真琴にとっての海とは、大切にしていたものを次々と引き込んでいく、恐ろしい何か、なのでしょうね。小さいころに慕っていたというどこかのおじいさんや、そのおじいさんにもらった金魚、彼らの命が、引き込まれるように海にのまれて消えてしまう。海には「得体の知れない何か」がいる、と真琴は言いますが、それは生命をさらっていく何かで、真琴にとっては、もしかすると、海で泳ぐことが好きで好きでたまらない遙も、すでに命まではさらわれていないけれど、心を海にさらわれてしまった何か、あるいはさらわれそうになっている何か、半分はもはや海のものになった生き物、に見えているのかもしれませんね。遙はどこか水棲生物じみていますが、もしかすると真琴の中では、半分水棲生物だからこそ、海にさらわれず、陸に上がってきて、自分と同じ時間を共有してくれる存在として、遙が認識されているのかもしれない。海にさらわれてしまった存在ではなくて、はじめから半分は海のものであったものなら、残酷な形で海にさらわれてしまうことはない。
    「この4人で泳いだら、どこまでも行けそうな気がするんだ」
    この真琴の台詞は、まるごと凜の、「見たことのない景色、見せてやる」とまったく同じですよね。凜がいまいる世界の外に飛び出そうとする人なら、真琴は飛び出したいけれど怖くてできない人、遙はいちばん飛び出せる能力を持っているのに、そもそも飛び出す気もないし、無意識に飛び出すことはあっても、意識的に飛び出すことはまだできない人、なのですね。ただし真琴は遙がいれば飛び出せるし、遙は凜や真琴に心を動かされて、最終的には飛び出せるようになっていく人、という位置づけ。

    7話:
    才能があるくせにそれを生かさない人間を妬む、というのも勝手な話ですよね。この妬みの連鎖が広がっていっているわけですが、本人が望んでいないことに無理やりその才能を巻き込んでいくというのは、けっこう残酷な話に思えます。遙の場合、競争とは無縁のところで楽しんでいたのを引きはがして、無理やりに競争に巻き込んだ結果、不本意に加害者の立場に落とし込まれてしまったような、そんな気がして好きなものを諦めざるを得なかった、そういう経緯があるのだから余計に。凜の競泳に対する執着というのはわかりましたが、凜のお父さんというのは、凜と似た存在であると同時に、遙と似た存在でもあると思うのですよね。凜はおそらく、父親と遙が似ているとは思ってもいないし、思ったところですぐさま否定するのでしょうが、凜と目標を同じくしていたというだけで、本質的には、遙と同じ部類の存在でしょう。父親の願いを自分が変わって叶えるというのは、同時に父を超えるということでもあって、遙を越えなければ父を越えられないというのももっともと言えばもっともですが、今週の凜の笑顔はあまり見ていて気持ちのいいものではなかったなあ。
    凜のあの過度に挑発的な言動も、勝負を好まない遥を何としてでも勝負の場に引きずり出すためのものだとしたらなおのこと、凜の努力も苦しみもわかったし、遙が内へ内へ閉じこもるタイプなのも問題だと思うけれども、でもやっぱりそれはやりすぎでは、という感じがします。
    凜はおそらく拒絶されるのが怖いのだろうな。父親を波にさらわれ奪われ、父親に触れることができなくなった、けれどそんな憎い海で父は生き、憎い海を父は愛し、そんな憎い海を何よりも愛する遙がいて、ふたりともまるで波の間に帰るように、地上の生き物ではなかったかのように水にずぶずぶと入っていくのが、陸棲生物である凜には理解ができない。理解できないけれど自分と近くもある存在が、理解できないあり方をして、自分とは遠いところに行ってしまうのを、拒絶だと感じてしまう、それが凜なのでしょうね。それは拒絶でも何でもないのに。遠いところにある存在を遠いまなざしで見つめているという点では真琴とも共通しますが、海を恐れる真琴と違って、凜は海を支配しようとする。共生の感覚をもっているのが遙で、そこから逃亡したがるのが真琴、けれど支配して克服しようとするのが凜。支配しなければ飲まれることを知ってもいるから、力でねじ伏せるのがお決まりのスタイルになるし、それは水そのものに対してばかりではなく、半ば水棲生物のような遙という人間にまで適用される。困難を前に逃亡して内々に引きこもる癖があるのが遙と真琴、困難を見たら泣いて暴れて喚いて、でも最終的に克服すべく支配することに躍起になるのが凜、こう考えると、「まだそんな奴らとつるんでるのか」という1話の凜の台詞にも納得がいきますね。遙には水を支配できるだけの力があるのにそれをしない、克己する力があるのにそれをしない、逃げて怯えて縮こまるだけの真琴を凜は心配もしていましたが、同時に情けないとも思っていたのでしょうね。でも同時に、真琴にはそれほどの能力もないから、凜は彼を痛烈な批判にも晒さなかった。自分と同じ、支配というスタイルで、遙にともに立って欲しかった。未知のもの、わけのわからないものが怖いから、支配したがるのですよね。わけがわからなくても共生できる、遙のような存在はわけがわからなくて怖い、だからわけのわからない遥ごと、自分の恐怖を支配してしまいたい。とりあえず遙はもっと獰猛になっても確かによいと思いますが、凜は凜で、怖がりでいろんなことに怯えてばかりの、そういう本質的な弱さが少しずつ改善されるとよいですよね……拒絶されたくないから拒絶するというのはちょっと。

    8話:
    凜としては、遙が中学生時代に委縮した件は自分とはかかわりのない別件というか、遙に負けても闘志を絶やさなかった凜視点からすると、ありえない反応だし、一種の裏切りにも見えているから、裏切り者への報復という意味も込めて、強烈な闘争心を遙に燃やしていたところもある。確かに、スポーツマンシップ的なものの考え方をする人には、珍しくない反応なのですよね、凜の反応というのは。
    一方の遙の側も、おそらく凜に裏切られたような気がしていたのでしょうね。共生型の遙からすれば、支配型の凜により自らの世界観をぶち壊された面があるというか、もちろん凜の敗北した姿の前にすっかり萎縮した遙の個人的な問題でもありますが、その後の凜の振る舞いによって、やっぱり遙の世界観はずたずたに壊されていったわけですから、それは小学生時代、おそらく凜の手によって万華鏡のように姿を変えた水中の世界を凜自身に壊されたとも言い換えられるわけで、それは遙からしてみれば裏切り以外の何物でもない。遙より遙に詳しい真琴の解説を参考にすると、こういうことですよね。
    リレーというのは、相手と自分とを同化してしまえる種目なのかもしれませんね。今週、凜は真琴の泳ぎを迷いがなく荒々しいと、渚の泳ぎを手が伸びるようだと、それぞれに評価していましたが、それらすべての、自分の持たない型というのを繋いでひとつの結果に残す種目は、それらの、一体にはなれないはずの存在同士を一体にしてしまえるものだと解釈すると、確かに勝敗にこだわらない遥にも魅力的な種目になるはずです。凜が遙に教えたのが、誰かと一体化してしまえる、感覚の共有が可能になる、そういう魅力だったのだとすると、共生型の遙にとっては非常に魅力的なはずです。もちろん、勝敗も絡みますし、互いの技術もいつも以上に注視することになりますから、向上心が強く勝敗にこだわる凜にとっても、非常に魅力的な種目でしょう。

    9話:
    基本的に連続している作品は休日に一気に見るタイプなので、ほぼ1週間ぶりに見たのですが、9話までは連続して見たほうが話の流れとしてはよかったかもしれませんね……6話の記憶が鮮明だと、よりよかったと思います。
    話の大筋としては、遙と凜の双方がリレーへの参加意思を固める、という回でしたが、相変わらず台詞のない場面での、映像による表現が多いので視覚的な情報量が非常に多く、行間を読ませるつくりになっています。必要なところから、とくに重要ではないところまで、とにかくみっちりと視覚表現が詰め込まれているので、わりと画面の隅々まで見ている必要もあり、相変わらず20分程度とは思えない密度です。
    そういえば凜がリレーに出なかった理由(彼のメインであるバタフライに不参加=何としてでも遙に勝ちたい、というのに気を取られて、特に気にも留めていなかったのですが)を考えてみると、もしかすると、バタフライに関しては、フリーにしか出ない遥へのあてつけ(遙の土俵に限定して遙を下す)という意味が強かったと思いますが、リレーに関しては、遙以外の連中が目に入っていないという理由以外に、遙に裏切られた感覚から忌避感があったというのもあるかもしれませんね。凜はあの頃の自分たち、というのにとらわれすぎていて、新しい自分の居場所でも、気にかけてくれる人がたくさんいるにもかかわらず距離を置いているところがあるし、人の話もわりと聞かない。そういうところは遙も似ていて、ふたりともどこにいても、そんなありかたを許してもらえる環境だったから、それでそのまま見守ってもらっているけれど、彼らの面倒を見る側はけっこう大変そうですよね。
    遙の変化に関しては、個人で自分の世界だけに没頭していられる楽しみとは違う、誰かと一緒の世界を共有することの楽しみ、そういうものを得られる、それも悪くないと思えた、これがリレーへ再び向かうことになった理由ですが、凜の場合は、そんな世界を味わいたい欲望に、まだ遙への得体の知れない敗北感が混ざっている感じですよね。ただ手放すものの優先順位が違うだけだというのに、ないものねだりしてしまう。凜にあって遙にないものもあるし、遙にあって凜にないものもある、それを受け入れられない、何もかもと思ってしまう、向上心とも完璧主義ともないものねだりとも幼児性とも言いますよね。
    意外と重要なのが、6話の、真琴が海にさらわれたおじいさんからもらった金魚の話、7話の、凜の見た遙の夢に出てくる金魚の描写。遙の位置づけは、普段は陸棲生物として生きているけれど、半分くらいは水棲生物なので、誰にとっても、少し遠いところにいる存在で、それは凜の父親とも同じ。凜の父もおそらく半分水棲生物のような人で、そして最後には海に帰っていった。でも凜の世界には水棲生物なんておそらく存在しなくて、周囲の誰もを陸棲生物だと考えているから、水棲生物じみた遙や自分の父に、おそらく理解できないところがある。真琴に関しては、自分は根っからの陸棲生物でも、水棲生物じみた人間がいることを受け入れてもいるから、水に帰ってほしくないと思いながらも、凜と違って、その日が来たらそれを受け入れることもできる人間でしょう。そんな水の向こうの存在から送られたものが金魚で、その金魚も、陸にいる自分と寄り添ってくれることはなかった。けれど遙はそうではなく、フリーしか泳がない悪癖を辞めて、リレーで陸棲生物である自分たちと繋がることを選んでくれた、水に帰らない金魚でいてくれると言った、リレーというのは、水の向こうと陸地を繋ぐものでもあり、リレーを通して陸と繋がっていてくれる限り、その金魚は死なない。金魚というのは、水棲生物の存命を保証するものでもありますが、同時に水と陸とがつながっているという証であり、金魚=リレー、ということもできる。その金魚を今回、遙が他でもない真琴に渡した。遙は真琴がおじいさんからもらった金魚のエピソードも知っているから、「おじいさんはいなくなったけど、俺はいなくならないよ」という意味を込めて金魚を贈ったのだと思いますが、真琴にとっては遙が思う以上に、重大な意味を持ったでしょう。
    対する凜に関しては、遙の家を訪れて、勝負を申し込むときに、足の周りに金魚の影がまとわりついている、という描写。軽くホラーでしたが、この描写からも、遙の家というのは金魚の家=遙は水棲生物であり、陸と水とを繋ぐキーマン、凜が父親を理解するキーマン、父の無念を現世へ引き戻し達成するキーマン、であることがうかがえます。そんな金魚が足元にまとわりついているというのは、水棲生物の世界へ凜が引きずられかけているとも取れますが、同時に、遙が凜を凜の望む世界へ連れて行ってくれる存在であると解釈することもできます。ただ、凜の金魚描写が真琴の金魚描写の比ではなくホラー描写なのは、海を恐れながらも、海と繋がりたい、みんなと繋がりたい、と考えている真琴にとっては、水と陸とをつなぐ存在=遙=リレーは恐怖の対象ではなく、むしろ望ましい存在であり、超えるべきもの、支配すべきものとして、水=父=遙、を認識している凜から見れば、それは敵であり、得体の知れないものであり、恐怖の対象である、とも取れるわけです。
    あの金魚の描写、気になって気になって仕方がなかったのですが、9話まで見て、ようやく謎が解けました。金魚=水と陸とをつなぐパイプの象徴、あるいは陸棲生物と繋がった半水棲生物の命がまだ続いていることを保証するもの、と取れば、納得のいく描写になるのですね。だから金魚を渡す行為は繋がる行為=リレーを示し、金魚の生存は、半水棲生物の生存を示す。納得しました。
    9話はけっこう軽めに作られていることもあって(夏祭り)、うっかり見過ごすところでしたが、6話を見ていると(そして7話の冒頭だけでも見ていると)、けっこう納得のいくつくりになっていますので、9話を見終わったあとにでも、該当する部分を見ておくと、すんなり理解できるかも。
    しかしこの理解の仕方をしていると、少し恐ろしい解釈も可能になるのですよね。陸棲生物=生きている存在、水棲生物=死んだ存在、という解釈が可能になる。遙は水棲生物じみていて、だからこそどこか遠いところに行ってしまいそうな恐怖をいつも真琴に与えていると思われますが、それって常に、遙は死の淵にいる存在であるということもできる。理解の及ばない場所へ行く、理解の及ばない存在、死の世界にいる存在。現に遙以外の、水中の世界を示してくれた存在はすべて亡くなっているわけですし、ちょっと怖い世界観になりますね。

    10話:
    「凜ちゃんさん、ですね」
    今週はみんなの聞きたかったことを、代わりに怜が聞いてくれました。
    凜がリレーにこだわっている理由がそういえばわからない、と9話の段階で書きましたが、今週その理由のひとつが明かされました。父親がリレーでの優勝経験があったため、父と同じスイミングスクールに所属して、父と同じ種目で勝ちたい、そして父を優勝に導いたのは父の独力ではなく、父の仲間たちにも大きな功績があったはずだから、自分も最高の仲間とともに、リレー優勝したかった、とりあえず現段階で明かされているのはこれだけですね。ここからだけでも、父を早く亡くした息子を憐れんで、凜のために学校を転校させ、スイミングスクールを変わらせ、最後にはオーストラリアにまで留学させたのに、中学して1年も断たないうちに挫折した息子は水泳を辞めると言っていた、という、なんとも、そこまで息子に許した凜の母には頭が下がります。
    以上のことから考えると、凜は最初から、特定の高い能力を持った人と友人になるべく、はじめから遙たちに自分の目標をかなえてもらうために近づいていたということになります。自分の名前をネタに自己紹介したり、機転の利いた切り返して何なきを得たり、処世術にも長け野心を隠すのにも長けていた凜は、遙たちに比べると、けっこう最初から純粋じゃなかった。打算的で、でもそのことに自覚もあったから、その理由も打ち明けたうえで、「わがままにつきあわせてごめんな」と言った。これが12歳の時。そして何があったか知らないが、オーストラリアから帰省した時の凜はすでにいままでの凜ではなく、そのいままでの凜ではない凜と勝負をし、凜は負け、涙し、引き留める遙にもかまわず、水泳を辞めるとだけ言い残して去った。
    このころの遙は、いまよりは他人に関心があって、ただ不器用なだけの存在に見えましたから、このときの凜の不可解な行動に責任を感じたせいで、自分の殻に閉じこもるようになっていっただけで、最初からあそこまで閉じた人間ではなかった。オーストラリアで何かあったのだろうということも感づいていたから、いままでのお前とは違うと言って凜を引き留めた、でも最終的には、水泳を辞めるという凜の弱々しい言葉を聞き、なぜか自分を責めるようになって、遙はああなった。実際にはもしかすると、勝敗の結果で自分を責めるようになったのではなく、凜がああなった理由はわからないけれど、凜のあの姿がショックで、どうしていいのかわからなくて、とりあえず混乱して、自分を責めることで精神の均衡を保った、そういうことかもしれません。罪悪感から水泳を辞めた、とは事情を知らない真琴によるミスリードで、本当のところは、罪悪感を感じたからではなく、自分にとっては新しい扉を開いてくれた、道しるべのような存在だった凜が崩れてしまい、そんな凜をよそに自分だけ水泳を続けることができなくなった、凜を助けられない自分に責任感を感じた、そういうことかもしれません。つまり、真琴によれば、遙が勝ったことによって凜を傷つけたので、その罪悪感から水泳を辞めた、というふうに受け取れるわけですが、そうではなく、理由は知らないけれど凄まじく傷ついていた凜にどうすることもできない自分に責任感を感じて、凜といっしょに傷つくことを選んだ、凜と一緒に水泳を辞めることを選んだ、それが遙だった、そういうふうに解釈が可能になったと思うのですよね。いままで、勝敗の結果から遙が辞めたと思い込んでいただけに、遙に手厳し目の感想を書いていましたが、そうではないのなら、4話での遙の一連の言葉も、凜への慰めと受け取ることが可能になりますね。やられた。
    ただ、やっぱりしっかりと理解しようとするなら、実際にオーストラリアで凜に起こったことは何なのか、それでも結局水泳は続けていたようだし、あのときの凜には何があって、あんな迷惑千万な感じになっていたのか、明かしてほしいと思うのも人情ですので、そこを次回、怜が聞いてくれるのかな。リレーに出ず、フリーにだけ出たことを考えると、オーストラリアで人間関係につまづいた線が濃厚な気もしますが……。

    11話:
    OPに関してわからない点があったのですが、今回の話で明らかになりましたね。全員に平等に見せ場があるわけではなく、圧倒的に因縁のある凜と遙(とくに凜)に重きの置かれたOPで、ところどころ海の怖い真琴のエピソード=水と陸を繋ぐ存在(遙)という概念の提示者である真琴、に見せ場が多いところまではわかります。その流れで、冒頭の真琴の背景がだだっ広い海、というのもわかるのですが、渚の、校舎の屋上から見渡せるプールと海の描写、それから怜の、ひたすら時間が経過してゆく車ひとつ通らない高速道路が何を暗示しているのか、これがわからなかったのですよね。渚の背景は真琴の背景であったとしてもおかしくはないし、怜の背景に至っては、理由がさっぱりわからなかった。そういうわけで、まず渚の解釈から行くと、彼は海とプールという過去と、学校の水泳部という現在を繋ぐ役割を果たした、そういうわけで、海とプールの見渡せる校舎の屋上。これは真琴と被る部分もあるけれど、真琴の場合は水と陸を繋ぐ存在の提示という大役があるうえ、発案者は渚ということで、ここは渚ひとりの仕事になっている。次に怜の背景は、県大会の会場のある場所へ移動するための、高速道路でしたね。そしてその高速道路を通過して、風力発電のある会場近くで、凜から最後の答えを聞く。怜は、残された3人のメンバーを外へ連れ出す、過去から現在、未来へ連れ出す存在であるという暗示で、県大会会場へ至る高速道路が背景に据えられた、そういうことでしたね。
    さてそれでは本編の話。凜の海外でのエピソードに関しては、人間関係ではなかったものの、あーやっぱりそれか……というかんじでしたね。でも、リレーをやっていたから負けたんだ、だなんてどうして思ったんだろうか。海外にもリレーはあるし、凜の実力で及ばなかったのなら、遙の実力でもおそらく及ばない相手も多かったはずでしょう。あのときに、遙たちのことを思い出して、井の中の蛙だったんだなと、一言連絡でも入れれば、速さに興味のない遙は、自分のペースで泳げばいいだけだとか寄越しそうですし、真琴は、大変だけど、凜ならきっとできるよとか言いそうですよね。弱音吐くのが下手だから、最悪のタイミングで最悪の形で弱音を吐くことになる。
    遙が恨めしくてたまらなくなったのも、もしかすると、凜が辿った経過と同じ経過を、遙も辿って、それでやる気のない人間になってしまったのだと思ったからかもしれませんね。凜はあのあと持ち直したけれど、また水泳を始めることにしたよと、ひとこと遙に連絡していれば、遙だってああはならなかったかもしれない。高いレベルの個人が集まってこそ、集団の力も高くなる、もっともな話ですが、でも自らを孤独に追い込んで戦おうと思ったのなら、その決意の直後くらいにでもいいから、「あのときには心配させて悪かった」と、一言いうくらい、いいんじゃないかと思うのですが、決めたら頑として譲らないところが災いしたんだろうなあ。もしかすると、凜には遥が、孤独の中戦っているように見えていたからこそ、遙に及ばない=遙のように孤独になっていないから勝てない、と解釈していたのかもしれない。遙は孤独なのではなく、たんにマイペースで単独行動が多くて空気を基本的には読めないし読まない、それだけの人間なのですが、そういう存在なのだと認識することができなかった、ああいう存在なのだとそのまま受け入れることのできなかった凜が、遙の実像を曲解して、遙のように孤独に、と思った結果があれなのかもしれない。そういう存在なのだと受け入れすぎてしまうと、真琴のように常に、遙は去ってしまう存在なのだと怯えなければならないかもしれませんが、でも凜に必要だったのは、自分の思考回路をそのまま周囲に転用するのではなく、相手は別の思考回路で動いているから、自分の理屈では必ずしも理解しうるものではないと納得すること、だったのかもしれません。オーストラリアでの実力差に関しても、そう考えると埋められたかもしれませんしね。筋肉量、体格差、トレーニングの種類や質、量、そういうことを考える能力は、かつての凜といま同じポジションにいる怜が持っている。自分なりに楽しみ、迷わず自分らしくある遙が道しるべ、よき理解者であり奉仕者でもあるのが真琴、集団をまとめ行動する推進力となるのが渚、この3人の中にあると、確かに凜というのは不安定でバランスが悪く、努力家で職人肌の怜のほうが馴染みやすいと言えば馴染みやすいでしょうね。
    さて、今週の凜の発言によると、遙と最初に勝負した1話の段階で、実はもうリレーが泳ぎたくて仕方がなかったことが判明しましたね。孤独を貫くために、ひとりだけ違う高校を受験したけれど、やっぱりまた遙たちと泳ぎたかった、それをするためには、大会に勝ち進んでもらわなければならない。4話も含めて、これまでの凜のあのつっかかった姿勢はすべて、遙に発破をかけるためのものだった、ということですね。ただし、自分の中にも迷いというのが生じていて、新しく獲得した孤独なやり方を捨て去るのにも勇気は要ったし、それでまた弱くなるのも怖かったし、遙の言動もわけがわからない、むしろ凜が見たかったのは、仲間たちとリレーを楽しんでいても、悠々と自分の前を泳いでいる、道しるべになってくれる遙の存在であって、自分と同じようにしょぼくれてしまった遙ではなかった。遙にもう一度、自分が遙と出会って楽しいと思えた瞬間を呼び戻してほしかった、そういうことですね。凜を通して見せてもらえたものが壊れてしまった遙も、遙を通してみたものをもう一度見たいと思っていた凜も、どちらも期待が裏切られて、結果つっかかりあいになってしまったと。
    凜は基本的に遠いところにあるものとか、無茶なものとか、そういうものに惹かれる傾向がありますね。死んでしまった父親、半ば水棲生物の遙、孤独と引き換えに得られる速さ。頑張りすぎというよりは、地に足のついていない夢を見すぎなのだろうな、本人には自覚がないけれど。それをオブラートに包んでいえば、真琴いわくロマンチストということになるのだろうけれど、無理なものは無理なのですよね。知りもしない父親の面影を追うのも、自分とは違う存在の遙を理解しようともせず同じ土俵に引きずり降ろして自分の意のままにしようとするのも、完全な孤独に耐えられる人間などほぼいないというのに、そんな自分になろうとするのも、基本的に無茶。どちらかといえば私は凜と似たような思考回路をしているので、はた目に見るとかなり迷惑な存在だよなあ、と客観視しつつ、胃がえぐられるような思いです(笑)

    12話(最終話):
    凜は本当に困ったやつですよ……(笑)という最終回でした。凜の父親への想いというのは、やっぱり早くに父親を亡くしたがゆえに父親を求める、ということなのですよね。そのためにまず、父親と自分とを同一視する、目標を共有する、父親を自分の内部に取り込み、消化しようとする、でも想像できる範囲の父親を内在化したところで、父親には遥と同じような、水棲生物じみた、

  • 本編は水着エプロンとスタイリッシュ脱ぎが印象的な1話と、シュールな岩鳶ちゃんがじわじわくる水泳部設立の2話収録^^ 映像特典はノンテロップOPとED、WEB版の予告、そしてショートムービー「FrFr!」…なにこれ天使しかいない…(〃ω〃)ブックレットは凜推しで凜がインタビュー答えたりしてるwあとは、1、2話のエンドカードのポストカードと、チェンジングジャケットが付いてるんだけど、チェンジングジャケットのsideBは怜推しなのに後ろが気になってしゃーない(^¬^)

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