- Amazon.co.jp ・電子書籍 (388ページ)
感想・レビュー・書評
-
終戦の時期でもあるし、松江市での閉架が話題なので、久しぶりに再読。
改めて読むまでもないことだが、この作品に資料的価値としても教育的価値にしてもさしたるものはない。とくに第一部、ここが一般的に「はだしのゲン」と聞いて多くの人がイメージする原爆の惨劇が描写されるあたりなのだが、このあたりは(作者自身が認めているように)いたずらに衝撃的な描写を繰り返すだけでなんの面白みもないし、なにより戦後の価値観で当時を描くという点において知的誠実さを決定的に欠いている。これを反戦反核の文脈で読もうとすることの知的貧困さには呆れる他ないし、この程度の作品が教育的教材として多くの学校に置かれ、何十年も全国で読まれていることがそもそもくだらない。教育的観点からすれば、より誠実な、そしてより綿密に取材された作品は他にもあり、それらに取って代わられてしかるべき作品でしかない。
しかし、たとえその程度の作品であっても、ひとたび政治性を帯びてしまえば閉架云々がなんらかのイデオロギー対立の焦点として議論されてしまう。貴重な図書室の予算・空間をこの作品に費やすことの無駄を思えば、閉架を求めるのもそれを非難するのもあまり意味のあることとは思われない。
一方で、教育的教材という束縛を離れてこの作品を見たならば、ひとつの怪作として評価することができる。第二部以降における、隆太を中心とするアナーキーなサバイバルゲームの様相は、戦争・原爆の悲惨さという中心的主題とは全く異なる文脈として、異様な熱量を持って描かれる。第二部で描かれるのは、小中学生が金や食い物のために犯罪を繰り返し、麻薬に溺れ、果ては拳銃でヤクザを射殺するようなカオスな世界。そこでは生のためにはあらゆる行為が、ときには殺人さえも肯定されうる。
反戦反核で読まれうる部分とアナーキーな世界とが渾然一体となって成立しているのが「はだしのゲン」であるが、そのことがこの作品をある種異様なものにしており、それこそがこの作品の真価だと言える。つまり反戦反核の文脈から、あるいは教育的教材としての役割から離れたところでこそ「はだしのゲン」という作品は輝く。詳細をみるコメント0件をすべて表示