- Amazon.co.jp ・電子書籍 (175ページ)
感想・レビュー・書評
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阿刀田高の古典解説シリーズ、古事記版。このほかにも、新/旧約聖書やギリシャ神話、源氏物語、イソップ物語など、あるようです。
この阿刀田さんシリーズは、聖書とギリシャ神話は、10代の頃に読んだ記憶があります。そのおかげだけではなく、聖書とギリシャ神話に関しては、なんだかんだ言って有名なエピソードや有名な神様の名前くらいはなんとなく知ってるんですよね。聖書はミッション系女子校に通っていたときに本体に触れているし、ギリシャ神話は、子供の頃よく読んでいた星座の本に物語が紹介されていました。それから最近でいうとまんが「聖☆おにいさん」とか。
それにひきかえ、日本の神話って私知らない!という思いがずっとありました。プレステのゲーム「大神」は日本の神話を基にしたRPGで、主人公はアマテラス(姿は可愛い犬ですが)、スサノヲがオロチからクシナダちゃんを救う話があったり、最終ステージは高天原、因幡の白ウサギなんかも出てきました。で、その大好きだったゲーム「大神」が日本の神話をもりもり使っていることは明らかなんですが、元ネタ知らないなーというもやもやはずっと感じていました。
またこの「たのしい古事記」の中では、「童謡でも有名ですね」とか言って歌詞を引用している箇所もいくつかありましたが、それらの歌も不思議と知らない・・・。
聖書やギリシャ神話の物語にはなじみがあるのに古事記の物語は知らないって、日本人としてどうなのかしら。人はどこで古事記を知るものなの?「古事記」「日本書紀」というタイトルは歴史の時間に覚えるけれど。
わかりやすくい解説本があれば読んでみたいと思いつつも、極端に、天皇家万歳!系の本や、逆に天皇家嘘ばっかりや!系の本にあたってしまっても嫌だしなー。と思っていたら、聖書等で読んだ実績のある阿刀田高さんが古事記も書いていることを知り、これ幸いと読んでみました。
以下、自分用備忘録。本書の構成とは無関係に、古事記の上中下巻に分けて記述。
■上巻
[国生み]
*イザナギ・イザナミがまぐわって子(島)を産む。淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の順に。古代、日本の中心は西日本だったんだなーという感じがします。
[黄泉の国探訪]
*さらにたくさんの神様を産む。火の神を産んだときにイザナミ、命を落とす。イザナギ、イザナミに会いに黄泉の国へ。イザナミに、私の姿を見てはいけないと言われたのに見てしまい、イザナギはイザナミとその(黄泉の国の)仲間たちに追いかけられ、やっとの思いで大きな岩を転がして黄泉の国の出入り口をふさぐ。イザナミ「この恨み、忘れないわ、あなたの国の人間を1日に1000人ずつ殺してやるから」イザナギ「そっちがその気なら、こっちは1日に1500人ずつ誕生させてやるから」こうして人口が増加していったらしい。
[三柱の有名な神様誕生]
*イザナミを振り払ったイザナギが、日向の国の河口で身を清めていると、またもやぽこぽこと神様が生まれる。最後に顔を洗うと、左の目からアマテラス大御神(女)、右の目からツクヨミ(男)、鼻からスサノオ(男)が生まれる。アマテラスは高天原(天の国)を、ツクヨミは夜の国を、スサノオは海原を治めなさいということになる。
*が、スサノオは黄泉の国のママに会いたいとごねたため、イザナギに高天原から追い払われる。イザナギは3人の子供に未来を託して隠居生活に入る。近江の国の多賀神社がその隠棲の地と言われる。
[天岩戸]
*高天原から追放されたスサノオは姉アマテラスに挨拶にいく。しかしアマテラスは、弟がまた悪さをしに来たと思い込み武装して迎える。そんなつもりはないスサノオだが全然信じてもらえず、ここで子産み対決。これは神々が行う誓約(うけい、と読む)という習慣で、誓いを立てて神に祈って天意を問う方法だそうだ。男神を産んだ方が勝ち、というルールみたいだが、スサノオの剣を使って女神を産んだアマテラスと、アマテラスの勾玉を使って男神を産んだスサノオと、どっちが勝ちなのか判然としない。ちなみにこの時生まれた男神アメノオシホミミの子孫が神武天皇。だから男神が勝ちなんですね。
*勝ち負けがあいまいなまま帰って行ったスサノオはむしゃくしゃして乱暴狼藉をはたらく。アマテラスは嘆き悲しみ天岩戸の奥へひきこもる。すると世界は真っ暗になり、困った八百万の神々は相談し、岩戸のまえでウズメの命に踊らせて楽しい大騒ぎをしておびき出す作戦を考案、実施、成功。そしてスサノオの高天原からの追放は厳命された。
[八俣の大蛇退治]
*スサノオは島根と鳥取の県境あたりに降り立つ。人家に入ると老人が泣いている。老人はこの土地の守護神オオヤマツミの子アシナズチで、娘はクシナダヒメ。八俣の大蛇が毎年娘を一人ずつ食べてしまうのだが、今年はクシナダヒメの番ということで泣いている。クシナダヒメが美しいのでスサノオは嫁にもらい、大蛇退治を決心する。大蛇に濃い酒を飲ませて酔わせて斬る作戦を考案、実施、成功。大蛇の体の中から立派な剣が現れた。これがのち草薙の剣と呼ばれ三種の神器のひとつとなる。
*大蛇を退治したスサノオはクシナダヒメを伴って出雲の国の須賀の地に宮殿を建てて暮らした。
[オオクニヌシと因幡の白兎]
*オオクニヌシは、スサノオの息子と言われたり6~7代後の孫と言われたり。別名もたくさん持っていて妻と子の数も多いことから、元は別々の人物だったのを統合された神様ではないかと言われている。
*そのオオクニヌシには兄弟がたくさんいて、気心の優しい彼はこき使われていた。兄弟でこぞって、美人と名高い因幡のヤガミヒメに求婚にいく。オオクニヌシが最後尾で海岸を進んでいくと、白兎が皮をむかれて赤裸でぐったりしている。話を聞くと、先行した兄弟たちに騙されてそんな姿になったとか。オオクニヌシは傷をいやす方法を教えてやり、兎は元通りになり、さらに「ヤガミヒメを得るのはあなたでしょう」と予言。
*阿刀田さんの推察では、この兎は、当時海上の要地であった隠岐の使者を表しているのではないか。ヤガミヒメのいる因幡と隠岐は浅からぬ交流があったはず。
[オオクニヌシ出雲一帯に君臨]
*兎の予言は的中し、ヤガミヒメはオオクニヌシを選んだものの、嫉妬に狂った兄弟たちにオオクニヌシは何度も殺されかける。そのたびに助けてくれた母が、地底の国のスサノオのところにいって助けを求めなさいと助言。スサノオが地底の国にいる事情は謎。
*オオクニヌシが地底の国に行くと、スサノオの娘スセリビメがまず現れて、お互い一目ぼれ。娘を奪われて気に入らないスサノオは数々の試練をオオクニヌシに課すが、彼自身の機転とスセリビメの協力ですべてクリア、最後にはスサノオ、自分の太刀と弓矢をオオクニヌシに与えて、兄弟神たちを倒せと激励。その通りになってオオクニヌシは出雲に君臨。
[オオクニヌシとスクナビコナ]
*オオクニヌシが岬に立っていると、大海原の向こうから小さい神様がやってくる。草の実を割った船に乗り、蛾の皮をはいだ着物を着て漕いでくるくらいの小ささ。これがスクナビコナの神で、薬の神様ということらしい。この小さい神様と協力してオオクニヌシは出雲を治め、この地は大いに繁栄。
*スクナビコナの神は、医療技術か、穀物増産技術か、そういうものを象徴しているのかも?というのが阿刀田説。ところで私はつい先日、大阪北浜の少彦名神社に立ち寄った。古い立派な木があった。製薬会社の製品見本のようなものも置いてあった。
[国譲り]
*アマテラスは、高天原から地上の国が栄えているのを見て喜びはしたものの、「あそこはそもそもアメノオシホミミ(アマテラスの勾玉を使ってスサノオが産んだ男神)の国のはず」と首をかしげる。高天原から出雲へ数々の使者を送り込んで交渉、最後には武力を背景に「国を譲れ」と迫った。オオクニヌシは恭順を示したが、隠居の住まいとして壮大な社の造営を依頼する。それが出雲大社。
*高天原勢力、「ここは俺たちの土地のはずだぞ」と迫るのはずいぶん尊大だと思うが、全面的に武力行使に出たわけでもないところは評価できるのか?いずれにせよ古事記・日本書紀は大和朝廷の権力の正統性を謳うための書物なので、いいように書いているのでしょう。ちなみに日本書紀には、旧勢力である出雲の英雄オオクニヌシのエピソードは一切書かれていないそうです。
[海幸彦山幸彦]
*出雲平定後、地上の国に降臨したのは、アメノオシホミミの息子、ニニギの命。地上ではサルタビコが道案内として出迎える。筑紫の東なる高千穂の地に降り立つ。そこで美しい娘コノハナサクヤビメと出会う。その二人の間にできた子供が海幸彦(兄)・山幸彦(弟)。
*ある日二人は道具を取り換えっこして、海幸彦が山へ、山幸彦が海へ行く。山幸彦は海幸彦の道具をなくしてしまう。謝っても、代わりの道具を返しても、許してもらえない。困り果てた山幸彦は、海辺で海神の娘トヨタマビメと出会い、海の宮殿に招かれ大歓迎を受け、結ばれる。
*そこで3年暮らしてから、山幸彦は兄との確執を思い出してトヨタマビメに語ると、トヨタマビメは魚を集めて調べてくれ、道具を見つけ出した。その道具を持って山幸彦は地上に帰る。海神に言われた方法で兄に道具を返すと、兄海幸彦は3年のうちに貧乏のどん底に落ち込む。兄は弟を妬み争いになったが、弟には敵わない。山幸彦は大和朝廷の先祖となり、海幸彦は朝廷を守る隼人となった。
*海に住むトヨタマビメは山幸彦のもとに来て子を産み、子を残して海中に戻っていく。代わりに乳母として妹のタマヨリビメを送る。トヨタマの子は乳母タマヨリと結婚して子を産む。その四男がカムヤマトイワレビコ、のちの神武天皇である。
■中巻
[初代神武天皇の東征]
*日向で生まれた神武天皇は東征に繰り出す。日向→大分→福岡→広島→岡山→大阪→和歌山→熊野(ここで天から3本足のカラス・八咫烏が遣わされ、その導きに従って進む)→奈良県宇陀→奈良県桜井市。神武天皇は逆らう逆賊を平定し服従しないものを追い払い、八俣の国の畝傍にたどり着き、橿原の宮にて天下を治めることになった。
[神武天皇の子供たち]
*神武天皇が日向にいた時に生まれた子の一人がタギシミミの命。大和のあたりで娶った妻がイスケヨリヒメ、そこにも3人子供ができる。神武天皇の死後、タギシミミが義母イスケヨリヒメをめとって3人の義弟を殺そうとする。3兄弟はこれを知り、反対にタギシミミ殺害を企てる。三男カムヌナカワミミの活躍でタギシミミを倒す。このカムヌナカワミミが第2代綏靖(すいぜい)天皇となる。綏靖天皇は葛城の高岡(奈良県御所市)で天下を治める。ここから第9代天皇まではほとんど系図のみの記述で面白くないので「たのしい古事記」では省略されている。
[第10代崇神天皇][第11代垂仁天皇]
色々エピソードはあるが、特に印象に残る話なし。
[第12代景行天皇の息子ヤマトタケル]
ヤマトタケルは父から東国征伐を命じられる。伊勢神宮に参拝し、刀と袋を授かる。この刀はあの八俣の大蛇の体から出てきた草薙の剣。焼津のあたりで国造に謀られ野原で火をつけられるが、この刀で草を薙ぎ払って難を逃れる。だから草薙の剣と呼ぶようになる。
*三浦半島から房総半島に渡る時、海神の怒りを買い海が大荒れに荒れる。海を鎮めるため、愛妻オトタチバナヒメが人身御供となる。その後、ヤマトタケルは東国征伐中に足柄地方の坂の上で「吾嬬(あづま)はや(ああ、わが妻よ)」と叫んだ。この地方を東(あずま)と呼ぶのはこのせいだそうだ。
*このほか色んな地域を平定し、ヤマトタケルは死ぬ。死ぬと白鳥に姿を変え飛んでいく。
*学術的には、ヤマトタケルは実在せず、大和朝廷による逆賊平定の歴史をひとりの英雄譚として書いたのではないかと言われている。
*古事記では、ヤマトタケルが「自分は父に愛されていない」と苦悩する姿が描かれる。息つく暇もなく遠征に向かわされるからだ。そこんところがとても人間的で、文学作品等の題材に使われる所以なのだとか。
*一方で日本書紀では、天皇のためなら喜んで!という忠君ぶりで、死の間際にも「ただ天皇に会えずに死ぬのが辛い」といって死ぬらしい。このことを阿刀田さんは、「古事記も日本書紀も大和朝廷のために書かれたことには違いないのだが、古事記の方がモチーフ化が甘く、人々の伝承されてきた物語ならではの味わいが色濃く残っている」と語っていて面白い。
[第13代成務天皇]
*ヤマトタケルの異母弟。
[第14代仲哀天皇]
*ヤマトタケルの子。后は神功皇后。
*第13~14代の記述では、神功皇后の活躍がメイン。神功皇后は巫女のように神がかりをする女性だった。仲哀天皇の時代、熊襲討伐のため筑紫の香椎の宮(福岡市)に入った際、高官の健内宿禰(たけしうちのすくね)が神意を尋ねると、神がかりした神功皇后が「西に豊かな国がある。その国をお前たちに授ける」と答えた。仲哀天皇は「西には海しかない。この神様偽物なんじゃないの」と反論。これが神の逆鱗にふれ、仲哀天皇は即死。
*神の怒りに触れて天皇急死という事態、残されたものは一生懸命穢れを払う儀式を執り行って神に許しを求めた。そのうえでもう一度神意を尋ねると、神はもう一度同じことを告げたあと、さらに「この国は皇后の胎内にある子が治めるべきである」とのたまう。神功皇后の口を通して(笑)。その通り、神功皇后の子が次の応神天皇となる。
*神は続けて、西の国を得たければこのようにして船で渡れ、と事細かに指示を出す。神宮天皇はお告げのとおりに船を用意し、一気に新羅に攻め込み、新羅国王は降参、隣国百済も海の拠点と定めた。
[第15代応神天皇]
*仲哀天皇と神功天皇の子。胎内にあるときから帝位を約束されていた。応神天皇は子沢山だったが、後継者として有力だったのは、オオヤマモリの命、オオサザキの命、ウジノワキイラツコの命の3人。
*父応神天皇の意向としては最年少のウジノワキイラツコ(ひどい名前だよね)に帝位を譲るつもりだったが、父の死後、それを不服とした最年長のオオヤマモリ(食いしん坊っぽい名前だよね)が弟を殺そうとする。オオサザキがそれに気づいてウジノワキイラツコに知らせ、オオヤマモリは返り討ちにあって死亡、そのあとオオサザキとウジノワキイラツコが帝位を譲り合ってもめているうちにウジノワキイラツコが病死、棚ぼた形式でオオサザキが次代、仁徳天皇になる。
*ここで突然神功皇后の出自が語られる。新羅の王子アメノヒホコがその昔、難波のアカルヒメを追って日本に渡ってきたが海の神が道を塞いでアカルヒメに会わせなかった。アメノヒホコは但馬にとどまって子孫をたくさん作る。そのひとりが神宮皇后。その息子応神天皇は、一時期衰退した大和朝廷を盛り返した中興の祖とも言われるらしいが、血筋的には大陸の人だったみたい。
■下巻
[第16代仁徳天皇]
*堺にお墓のあるあの仁徳天皇。あるとき高い山に登って四方を見回したところ、家々から煙が立っていない。貧しくてかまどに火が入れられないからである。そこで仁徳天皇は3年間税の徴収をやめ、自身も倹約生活を送ったところ、3年後には家々から煙が立ち上り、人々の生活が豊かになったことがわかった。それ以後は、税を取るときも労役を求める時も、しもじもから苦情が出ることはなく進んで協力してくれるようになった。美談。
*仁徳天皇の后イワノヒメは嫉妬深く、仁徳天皇の女性関係をめぐったエピソードも幾つかあるが、その後天皇となったのは本妻イワノヒメの息子たち。第17代履中天皇、第18代反正天皇、第19代允恭(いんぎょう)天皇。
[第19代允恭天皇]允恭天皇は乱れていた氏姓の整理をした。「真実の口」のような働きをする鍋を使って素性をただした。
*允恭天皇も子沢山で、長男キナシノカルが帝位を継ぐはずだったが、妹とただならぬ仲になり人心が離れ、三男アナホの命の方が敬愛を集めるようになる。アナホは兄を殺すことはせず、道後温泉に流す。
[第20代安康天皇]
*アナホの命は第20代安康天皇となる。ちなみにアナホはこの後、妻の連れ子に殺され、允恭天皇の次男と四男は五男に殺される。允恭天皇チルドレンで残ったのは五男のオオハツセの命。オオハツセは、履中天皇の子(つまり従兄弟)、市の辺のオシハの王を倒し、第21代雄略天皇となる。
*殺されたオシハの王にはオケとヲケという二人の息子がいて、父が殺されたあと播磨で馬飼い牛飼いに姿を変え隠れ住む。
[第21代雄略天皇]
*殺して歌ってまぐわって・・・の生涯。個々のエピソードはさほど印象に残らず。日本史に現れた最初の個性的人格という指摘もあるそうで、やり手の専制君主、わがままで気性が激しく、女性関係も積極的。
[第22代清寧天皇]
*雄略天皇の子。妻もなく子もないまま没。雄略天皇に殺された市の辺のオシハの王の、妹であるイイトヨの王(つまり雄略の叔母)という人が、世継ぎにふさわしい人物を探し回る。
*ちょうどそのころ、播磨の有力者シジムの家の宴会で、馬飼い牛飼いの少年たちが舞をさせられた。その歌の中で、自分たちは実はオシハの王の息子であることを告白。この衝撃的事実が、世継ぎを探していたイイトヨの王に伝えられ、二人の王子は国を収める立場となる。勇気を出して告白の歌を歌った弟のヲケの王が第23代顕宗天皇となる。
[第23代顕宗天皇]
*亡き父の遺骨を探して葬ったり、播磨への逃避行の際に大事な食糧を奪った豚飼いを探し出して罰を与えたりする。
*さらに父を殺した雄略天皇の墓も荒らしてやろうと兄オケの王を送り出すが、兄オケは申し訳程度にちょこっとそばの土を掘り返しただけ。もっとめちゃめちゃにしてやれば良かったのにという弟ヲケに対して兄オケが言うには、確かに父の仇ではあるけど親戚だし、偉大な天皇でもあったんだから、あんまりひどいことすると後世の人に笑われるよ、とのこと。弟も納得。
[第24代仁賢天皇]
*弟ヲケは若死に。兄オケが跡を継いで第24代仁賢天皇となる。
[第25代武烈天皇]
*仁賢天皇には7人の子がいてそのうちの一人が武烈天皇となる。
*武烈天皇には子がなく、やむなく第15代応神天皇から5代下った子孫・・・つまり遠い親戚の子を迎えて第26代継体天皇とした。これは史実的にはクーデターかもしれず、継体天皇は便宜的に親戚ということにしたのかも、と言われている。
[継体天皇の子孫]
*継体天皇も子沢山で、そのうち3人の王子が天皇になる。第27代安閑天皇、第28代宣化天皇、第29代欽明天皇。
[欽明天皇の子孫]
*欽明天皇も子沢山で、そのうち4人が天皇となった。第30代敏達天皇、第31代用明天皇、第32代崇峻天皇、第33代推古天皇。
*推古天皇は初の女帝。ここで古事記は終わり。ちなみに日本書紀のほうは第41代持統天皇まで扱っているが、これも女帝。
ふう。
見慣れない片仮名が並んでいると神様の名前に見える病にかかってしまいました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
勉強になる。
昔の名前は覚えられない。 -
1300年も昔に書かれた古事記について、分かりやすくユーモアたっぷりに語るエッセイ。
職場の、世界遺産と旅行が好きな同僚の方に「世界史の本を読もうと思ってるんだけど…」という話をしたら、「世界史よりまず日本史を読みなさい」ということで、この本を推薦いただきました。
実際に読み始めてみて、確かにこの本はとても読みやすく、「古事記」のとっかかりとして優れているなぁと感じています。
神様の子供がのちの天皇だったり、神様が放り投げた岩が遠く離れた地の神社で祀られていたり、神話と日本の歴史が交錯する、歴史と地理の勉強になりつつも興味深い。
物語と歴史が渾然と入り混じっている古事記。やっぱりお話しとして面白いのは、個性的な神様たちが活躍する前半部分かな。天岩戸のお話しなど、小さい頃に読んだ話もでてきて、懐かしさもかんじました。 -
古事記ってちゃんと読んだことはなくて、でも今さらちゃんと読む気もあんまりしなくて、解説本も本屋でたまに平積みされてたりするけどいまいち面白そうなのがなくて、、という状況でまぁこの本なら読んでみてもいいかなと初めて興味をそそられた本。
阿刀田高の本は初めて読んだんだけど、
語り口が軽やかでなかなか楽しかった。
さすが楽しい古事記。
解釈とか歌の訳とかけっこう思い切ってるんだろうとは思うけど、
登場人物の感情を強調してくれてるのでとても読みやすです。
古事記自体はちゃんと読んだことなくてもやっぱり知ってる話は多いもんでした。神話の時代なんかは特に。時系列は知らなくても話しとしてはほとんんど知ってた。
そして読みながら思い出したのは手塚治虫。あぁ、あれ古事記から取ってたんだ。みたいなのがいっぱいあった。
政治的な意味はありつつも伝説、伝承的な意味合いも強い。
いろいろ想像する余地があるとやはり楽しいものです。 -
阿刀田高さんの、古典解説的読み物シリーズです。
ちなみに2014年現在79歳だそうです。この本は2000年の出版。
是非長生きしてゆっくりでも執筆活動を続けて欲しいものです。
「ギリシャ神話を知っていますか」も面白かったですが、コレも、面白かったです。
つまり、古事記の面白そうな要点部分を、楽しく読ませてくれる本。語り口が分かりやすく、文字通り楽しく読めました。
無論のこと、
「書かれてることが史実なわけはなくて、
古事記が作られた当時の権力者さんが、
都合の良いように書いているんでしょうね。
そういう意味では嘘って言えば嘘だけど、
きっと事実の影が潜んでるんでしょう。
それに、嘘だとしても、
その当時の人が想像して創造できるものって、
こうだったんだなー、と思うと面白いですね」
という感じなわけです。
とにかく面白かったのは。
古事記が作られた当時。まあ、天武天皇時代くらいなんでしょうか。その時代の日本の権力者たちは、まだきっと、仏教を形だけ取り入れたくらいですね。
まだ、体系だった宗教や思想というのは、全くなかったんでしょう。様々な民族が不条理に迫害し合って、結束や存在意義を問われるような、そういう大陸的な苦難や受難は、無いわけですから。
だから、こう、戒律というかモラルというか、まだまだそういうの無いんですよね。
僕も不勉強ですが、その後、日本では日本なりの大らかな仏教がもうちょっと根を下ろしますね。きっとその、かなり日本的になった仏教、がモラルをリードしたんでしょう。
そして平安末から鎌倉にかけて、地方の生産性がやや上がってくる。つまり、地元の人でも多少、力のある人が出てくる。武士の誕生ですね。
そうすると、富の分配について、京都の貴族の一極集中が無理になってくる。だって理不尽だもん。それに対抗する「地元利益誘導型の代議士」みたいな武士の棟梁が出てきますね。
そこで恐らく、「土地に密着して土地を持つ者」が、以前より増えたぶん、ムード的な曖昧な仏教の上に、そういう武士階級の資産保全に利するモラルが出来るんでしょうね。つまり結局は、
●資産保全(=棟梁親分一家のパワーバランスの維持)
●資産相続(男尊女卑、長男優先、家名最優先)
ですからね。
閑話休題。
何が言いたいかっていうと。
古事記を読んで思ったのですが。
日本はキリスト教じゃないです。仏教も、まあ雰囲気だけしか日常の戒律としては意味がないです。
やっぱり、上記の鎌倉時代以降に本格的に浸透してくる、儒教。主に江戸時代なんですが。その、日本的に解釈された儒教~朱子学的な考え方が、唯一モラルなんです。まあつまり、それ以外は、家の保全のための、利害のための、なんとなくの道徳っぽいものしか、ない。
それが良いか悪いかという話ではありません。
儒教、というお話で言いますと。
想像ですが、鎌倉時代は元寇とかあるし、そもそも中国側もモンゴルの延長の「元」だったりするんで。
その前の、平安時代。つまり空海・最澄・遣唐使時代。それから平清盛&日宋貿易時代。それから、南北朝室町の、「明」帝国の時代。その辺りで、日本人の中のインテリ層には、最新のモラルとしての儒教が徐々に入ったんじゃないかと思うんですね。
まあつまり、「論語」です。「孟子」です。宋学です。朱子学です。
それが、江戸自体に一気に日本国内でも濃く醸造される。鎖国と、
「徳川家維持の為には、都合の良い保守的な思想だったから」
ですね。
●親に孝行。従う。
●夫に貞操。従う。
●兄に従順。従う。
●君に忠誠。従う。
●体制上目上年上のものに、とにかく従う。
●体制集団の和を尊しとする。
●謙遜謙譲。名君とは家康の如き、寡黙質実剛健人格者。あまり欲望を顕にしない。
●名君、常に民を思い奢らず倹約、民政農政。
●常に大義名分を気にする。
みたいなこと。
儒教~朱子学導入後の日本の気質としては、そういうことがモラルなんです。
「大日本史」だとか「日本外史」なんていうのは、そういう観点で書かれています。
大義名分論と、保守的な序列主義で考えたときに、
「えっと・・・そう考えると一応、論理的には天皇がトップやな。まあでも天皇は、真の実力者が担ぐ神輿に過ぎないけどね」
という、微妙に割り切れない思いも、理屈・学問的に出てきちゃうんです。だけど、「徳川忠君」と「尊皇」というのが両立する。むしろ「徳川忠君」を正当化するために利用できる「尊皇」思想ですね。
背景には当時の天皇家は、徳川から貰える金でなんとか食いつないでる状態だから、OKな訳です。天皇、徳川の言いなりですから。事実上は家来です。何しろ、天皇家自体がそう思ってたわけだし。政治の主権を持ちたいなんて、マッタク思っていなかった。
これがペリーショック以降、
●徳川の政策(言いなりの、なし崩し開国)
と、
●民意(外人生理的に怖い。それ以上に、貿易的に食い物にされちゃう。と、いう危機感)
が、対立しちゃったときに。
「徳川を倒す」お題目・道具として。徳川体制によって儒教朱子学的に醸造された、「尊皇」という思想が利用されるという。コペルニクス的歴史の皮肉が起こるわけです。
明治維新以降、試行錯誤しながらも、
「まあこりゃ、つまり、神主の親玉くらいにしか思ってなかった天皇さんっていうのを、徳川家の代わりにいちばん上に置いて、あとは、別に何も考え方を変えなきゃ良いんじゃないか。みんなスムーズに近世から近代に、とりあえずは移行できるんじゃん」
という訳で明治天皇像が作られます。
当然、儒教朱子学的な理想のモラル像ですね。
明治天皇さんも、そう努力します。
明治時代~昭和戦前に、国民を、
「みなさんは"国民"ってものになりますから。
日本は近代になって
資本主義・帝国主義の西洋先進国の真似を、
していきますよ!
ちょっと戦争とか重税とか貧困とか色々あるけど、
文句言わずについてきてね!」
と、まとめあげて行くときに。
そのための献身や犠牲を求めるときに。
その必要のために、偶像として作り上げた、"天皇"。
これは、長い日本史上、明治~昭和戦前までの、この70年間の間だけ出現した、
「日本史上たった70年間だけ存在した天皇像」
な訳です。
そしてこの「理想の天皇像」は、見事なまでに儒教朱子学的なモラルの体現者だったんですね。
つまり、その頃の国民みなさんが受け入れやすい「立派な人像」というのが、そうだったんですね。
・・・ところが、古事記が書かれた頃は。
そんなモラルが無かったんですね。
だから、そういう虚像を作る必要がなかった。
だから、
「正当性を主張するための偽りの、
都合の良い、カッコつけた歴史物語」
であるはずなのに。
今の感覚で言うと、天皇家の祖先さんたち、みんな無茶苦茶なんですよ。
カッコつけになってないわけです。
●親子で殺し合い
●夫婦で憎み合い、殺し合い
●兄弟で殺し合い
●親子兄弟で、平気で女を共有し。
●王様(天皇たち)は皆、ひたすら、いい女とHしたくて欲望のまま。
●戦いに勝った話は、多くが「姑息な騙しうち」。ぜーんぜん正々堂々としていない。
●その上、戦うときに、「大義名分」が無い。つまり「ほら、こいつこんなに悪だから、俺らしょうがなく戦ったのよ。自衛戦争だもん。モラルの普及だもん。できるだけ平和にしたかったんだけどさ」と、いうような恥じらいというか、現代では必須な、そういう言い訳感覚がない。天皇家が戦う相手はとりあえず「賊」という名詞にはしてあるけど、どうして「賊」なのかという説明は皆無(笑)。
●その上、古事記の記述を普通に読むと、確実に朝鮮なり大陸からの血統が入ってる。まあつまり、どこかの段階で、今風に言えば、天皇さんは、「日本人と朝鮮人のハーフ」になってる。
いや、ほんと、別に良い悪いじゃないんです。
面白いなあって。
ギリシャ神話だってそうだし、旧約聖書とかだってそういうところあると思いますが、結構、残酷非道、唖然、という無茶苦茶さがありますよね。
つまりまあ、近代というか現代的モラルが、当然ながら、すこーんっと、その頃は無かったからなんですよね。
2014年現在。「天皇」を「象徴」ではなくて「主権者」、と、憲法を変更したがってるような人。これが恐ろしいことに絶対安定多数を持ってる政党だったりするんですが・・・。そういう人たちが、古事記を変えることができるんだったら。
きっと、もっとキラキラした、もっと月光仮面みたいな、もっと清廉潔白謙虚道徳者な、天皇家の歴史を書くと思うんですよね(笑)。そして同時に、ちゃんと悪役を、具体的にモラル的に悪く描くと思うんです。
そういう意味で、古事記ってほんと、今の目で読むと、全然美化できてないんです。
人間臭い、欲望と征服と闘争と嫉妬と陰謀、家族血族の愛情と憎悪、相続の独占、猜疑心。そして殺戮と嘘とセックス。
これ、つまり、今でも通用する巨大なニンゲン的娯楽物語だっていうことですね。
ある意味、天皇家がとても人間味溢れて愛おしくなります(笑)。
そして、そんなドロドロ楽しい娯楽物語を知ると。日本全国の神社に行くのが、ちょっとワクワク楽しみになります。なんていうか、
「うわっ!これが、あの映画の、あのテレビドラマの名場面のロケ地だぜ!」
「うわっ!これが、あの物語の主人公が住んでた家だって!」
・・・っという感覚ですね。
歴史というのが、残酷だったり戦争と欲望の渦だったり、悲劇だったり陰惨だったりするのであれば。
だとすると、歴史っていうのは、同時に喜劇であり疾風怒濤のエンターテイメントでもあるっていうことですね。
無論それは、そこから教訓とか、あるいは科学とかを導き出せるものでもあるんですけど。
歴史って、物語だなあ、面白いなあ。
と思えるということは、この本がやっぱり素敵な愉しい本だった、ということですね。
詳しい備忘録的な記述は
http://booklog.jp/item/1/B00E60AW8K
に譲ります。