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感想・レビュー・書評
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”ちきりんさんの提案コンセプト「人生を二回生きよう! 40代で自分オリジナルの人生を始めよう!」
おすすめに感謝。
<キーフレーズ>
・40代で働き方を選びなおす
・「ワーク・シフト」のソーシャル・ブックリーディングでのアンケート
・それぞれが自分の財産の相続人として、その仲間を指定するのです。
・二回目以降の訪問では、それぞれの人が自分の好きなことに集中でき、しかも、自分の回る場所が他の人と同じでなくても、それを不安にも思わなくなる
※旅行のメタファー
・学びを貢献に変える後半人生
・自分が長くはたらいた業界で、自ら考える「あるべき姿」を実現するために、起業
・好きな仕事だけを引きうける「わがまま引退」
・実は早期引退の可否を左右するのは、収入ではなく支出の多寡なのです。
・本当の不安とは、人生が終わるという期間が、明日にもやってくるかもしれない、ということ
★大事なことはただ、「それは、誰に評価されなくても、経済的な見返りがほとんどなくても、やり続けたいと思えるほど好きなことか?」という点だけです。
★自分のキャリアの未来にある5つのモデルを言語化してみてください(実際に文字にすることがとても大事です)
<きっかけ>
個人メール+帰り道会話でのおすすめ。”詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人生80年(もしかしたら100年)の時代に、人生50年の時代の定型ライフプランはもはや成立しない。確かにその通り。現実の変化に合わせて、自分の考え方・生き方をもっと柔軟に変えていっていいんじゃない?という提案。こういう本を読むと、知らないうちに随分と固定観念に縛られている部分が多いことに気付かされる。「自分が本当にやりたいことの優先順位」というのは毎年はじめに見直していこうと思う。
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この本の中にもでててくる「ワークシフト」という本を読んで、ちきりんさんなりにまとめたのが、「人生は二回、生きられる 」ということです。20歳を過ぎてからの最初の就職。2回目の仕事は、40代半ばで決断する。右も左も分からない状況で選択した仕事ではなく、ある程度世の中が見えたうえで、どういった仕事をするべきか考えようということです。
本を読み終えた時には、2回目の仕事をどうするかというだけではなく、どうやって自分が生きるべきか考えさせられます。それは、ワークシフトというレベルではなく、ライフシフトとも言える、もっと大きな視点で生き方を考えることができるでしょう。 -
考え方は好きだけど、世の中の人全員に適用できる働き方ではないとおもう。ある程度恵まれた環境に生まれて、かつ地頭のいい自信のある人間には適用できるのかな。
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当たり前のことが分かりやすく書いてある。世間とか常識とかに惑わされないで、自分はどう思うか、自分はどうしたいか、考えよう、ということ。考えることは、こむずかしいことを積み重ねることじゃなくて、そぎ落としていくことだと思う。
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・9/28 読了.2日間でアッという間に読み終えた.思いがけず自分がこの人の言ってることを実践してしまっていた.ただもっと言うなら2回どころか3回ぐらいは生きられるんだと思うね.ただ人生は思ったより短いから4回ぐらい生き方変えたらおしまいだろうなぁ.4回目は老いのために意図せずに生き方が変わっちゃうことなんだろうけど.グローバリゼーションと格差是正の問題は前に自分が思ってたのと同じことが書いてあって面白かった.考えてみれば当たり前のことなんだけども.
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確かに大学時代、教授に「遊んで暮らしたい」と言ったら怒られました。(まあ、あれは社会でこういうことを言うなという経験の一つだったかもしれませんが。)
大学時代、研究しなければ人生終わりだという強迫観念のある環境にモヤモヤしたものがありましたがすっきりしました。
人はパンのみにて生きるにあらず。 -
「ワークシフト」を読んだちきりんさんが、自分なりの未来の働き方を考えて書かれた本。
最初はこの混沌とした先行きが見えない将来の中で、子どもを自立させるためには何を目標に勉強させたり、親として教えていかないといけないか、そのヒントが欲しいと思って読み始めた。
けれど、むしろ、本の内容としては40代を前にした私の背中をおすようなヒントがたくさん描かれていた。
子どもに前もって頑丈なレールを敷き詰めるよりも(むしろ、親が敷いたレールは、どうもとんでもない方向に行く可能性が高いようだ。)自分自身が迷いながらも、「私はこう生きたい」という道を模索しながら、考えて少しずつ行動をおこしていくこと、これが一番の私が子供にしてやれる教育なのかな。。と思うようになった。
迷いながら、この年でも社会で稼げることを少しずつ子育て中に、家事、育児、仕事の算段を「考えてる」。
そう、忙しさを言い訳に自分の人生を考えず、夫のため、子どものため、という言い訳ですべてを自己犠牲にしているという感覚は、甘えだな。海外で住んでいるから、長年専業主婦をしているから、何もできない、というのも甘えだな。
この子育ての素晴らしい時間の中にも、ママとしてだけではなく、「私」という一人称を育てていくことに、小さな光をみつけた。