若者よ、マルクスを読もう 20歳代の模索と情熱 (角川ソフィア文庫) [Kindle]
- KADOKAWA (2013年10月15日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (197ページ)
感想・レビュー・書評
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往復書簡の形式で、マルクスの初期の代表作5つ(『共産党宣言』『ヘーゲル法哲学批判序説』など)をわかりやすく解説した本。
マルクスの初期の5作を通して、マルクスの思想性や作品の意味合いが本書を読むと理解できます。マルクスの初期の5作を読んだ上で本書を読むと、より理解が深まります。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
内田樹とマルクス学者石川康宏との往復書簡のかたちをとった啓蒙書。第2巻も出ている。
マルクスは、結局ちゃんと読まないうちに世間的には終わった学者になってしまった。しかし、その思想はオワコン扱いしていいようなものではないと思う。
レーニン以降ソ連で独裁政権の根拠になってしまったマルクス主義と、マルクスの理想は大きく違うように思う。もっと時間がたったらきっと見直される日がくるのではないか。
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どうもマルクスというだけで何か禁忌的なものを感じて手に取らなかったが、この本に書いてあるように歴史上類まれなる知性を持った人物であることは間違いない。いわゆる共産主義が人類史に残したこともマルクスを後世の独裁者が恣意的な解釈をした結果であり、それだけでマルクスが悪い・危険と思い込むのは筋違いだ。
これまで馴染みのなかったマルクスの著書について、大学教授の二人が書簡を通じて互いの解釈や観点を提示しあう本。誰かが噛み砕いてくれれば確かに読みやすい。が、それでも部分的には意味のわからないところもある。手強い知性に対して粘り強く取り組めることも人間として大事な素養であることは間違いない。そういう意味でもマルクスは模範にできる部分がある。 -
いまさらマルクスなんて言うなかれ。今、マルクスを読む意味が、とても分かりやすく語られている。
マルクスを読むとは、「もがきながら現代を理解しようとした若者の姿に出会うこと」「社会の反映として、自分の意志ができあがっていくものであること」を知ることだ。
わたしも、もう一度、マルクス・エンゲルスの本を開いてみようかという気になった。 -
本書はマルクスの書いた著書について石川氏の書いた書簡に、内田氏が答えるという形式になっている。
正直に言って、石川氏の第1書簡の方はあんまし面白くない。
だって、石川氏の書簡はマルクスの著作の引用と、それに対して氏が短いコメントをつけるというもので、なんか注釈の授業でも受けているような気になる。
そんなものをマルクスにな~んも興味のない僕が読んで、「おもしろい!」と感じる方が難しい。
それに対して内田氏の書簡の方は、氏の著作がいつだってそうであるように、大胆にマルクスを離れて自説が展開されていて非常にエキサイティングで面白い(もちろん、僕が内田ファンだということも大いにあるけれど)。
じゃあこの本、石川氏の担当箇所は要らないかと言うとそうじゃない。
石川氏のマルクス紹介があったればこそ、内田氏の言っていることがより分かりやすくなるのだ(そして石川氏の内容がつまらなく感じる分、内田氏の書簡はいっそう面白く感じされる)。
内田氏は「文化的雪かき」という村上春樹氏の言葉を好んで引用される。
本書の目的は内田氏の「まえがき」に明確に書いてある通り、内田・石川両氏の異なる視点からマルクスを論じることで、マルクスの奥深さのようなものを若者に提示し「なんとなくおもしろそう」と感じさせることにある。
いまや思想的に顧みられることの少なくなったマルクスの思想を紹介する本書の仕事はまさに「文化的雪かき」を地で行く仕事だと言っていいだろう。
でもその「文化的雪かき」にもさまざまなレベルがあるのだ。
本書において内田氏の「雪かき」は除雪機による雪かきに見える。
ガンガン雪をかいていって、見ていても爽快で気持ちいい。
それに対して石川氏の仕事は、そうしてかかれた雪を、スコップで側溝に落としていくような作業だ。
どっちが欠けても雪かきはできないけれど、どう見たって内田氏の方が格好良い(笑)。
なんだかよく分からない話になってしまったけれど、ともあれ続編が楽しみで、ちょっとマルクスを読んでみようかなと思っているので、本書の目的は達成されたことになりそうです。