アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風 [Kindle]

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  • 早川書房
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感想・レビュー・書評

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  • 最終章「放たれた矢」のリン・ジャクスンパートのみ120点だと、まず述べておく。


    ちゃかぽこしたいのか。美しき夢見人のフォロワーなのか。妖怪が現象として喝破されたごとく、神よなにものぞと見極めようというのか。

    2023年10月頃、XではSFに対する持論表明がまあまあさかんであった。その中のどれかを特に支持するわけではないが、十人十色な意見がある理由の考察として自身の体験をここに重ね合わせてみようと思う。
    『エンダーのゲーム』という古典的名作がある。第1巻および第2巻は楽しく読んだが、『エンダーの子どもたち』を読み終えたときにはとてもがっかりしていた。著者本人はSFを書いている意識は乏しく、思索的、文学的な志向で書いていたことがシリーズいずれかのあとがきに書かれている。世に出てきたときにSFと見えたとしても、読み手がSFとして読んだとしても、作品がSFであるとは限らない。ここにSF論が多様性をはらむ原因の一つがあると感じる。『エンダーのゲーム』は第2巻ですでに思索的な読み心地を強めているが、SFとして読めた。第3巻以降は、SFとして見ないでくれとばかりに愛憎のドラマ成分が濃くなっている。「ラブロマンス成分を増せば怪獣映画も万人が認める名作になる」信仰は邦画に限らぬようである。怪獣映画はまず怪獣映画として作れ。

    本シリーズについて、読み手たる自身は勘違いをしていた。『グッドラック』初読のとき、それに気づかなかった。再読し、本書を読んで、『エンダーのゲーム』シリーズを通して読んだときに覚えたこと、前述のことを思い出した。
    『グッドラック』と『アンブロークンアロー』はSFではないのだ。『戦闘妖精・雪風』もそうだったのかもしれない。戦闘機とその運用、軍事的なガジェットに精通したように見える作品内容であるがゆえに、作品が含むファンタジー成分をSFであると錯覚させられたのかもしれない。
    SFを「空想科学」と脳内変換できる人類はきっと、スペオペもファンタジーもSFとみなせる。「くうそうかがく」と読んだとき、「くうそう」にかかる比重が高い人類も。読み手たる自身は「かがく」にかかる比重が高めだが、あまり気にしたくないと考えている。

    ちゃかこぽこや妖怪始末人のように、何百頁も費やして読み手を混乱させることによって醸成されるなにかというのは確かにある。しかし、文芸では困難であろうと思う。読み手のペースが一様ではないからだ。中断によって幻惑から醒めてしまうのは映像作品も同様だが、『ビューティブル・ドリーマー』はうまくやってみせた印象が残っている。古い印象だが。
    本書の著者は飽きっぽい性格と見える。なにかを醸成するまでこらえきれていない。その場その場でで文章を生産しているように見える。なにかしら目指すところはあるようだが、計画的にではなく、ライブでそれを探っているように見える。完成度が低いという印象が強い。

    モノローグとダイアローグの長さと量は、著者のスランプの指標であるという強迫観念がある。どの作品がもたらしてくれたトラウマだか不明だが、迷惑極まりない。

  • 2022/6/25読了。
    これでやっと新刊の『アグレッサーズ』にかかれる。

  • 「素晴らしい。きみと話をするのがこんなに楽しいとは思わなかった。特殊戦にきみを行かせたのは正解だったな。実に面白い。きみは、自分は無意識になにを考えているのだろう、といったことにはまるで無関心だろうが、どうなんだ? 意識とは、自意識とはなんだと、きみは思う」
    「意識というのは、<言葉>そのものでしょう」と、いま思いついたことが口をついて出た。
    「自分とは何者かと考える言葉なしでは、<自意識>すなわち<自分>を意識することは不可能だ」
    「言葉を失えば、自意識も消えるというのか?」
    「そういうことになるでしょう、原理的に、そうなる。識字能力がなくても、声を出せなくても、しかし母語を理解する能力があるかぎりは意識はある、と言える。ぼくはそう思う」
    「意識とは言語である、か。単純にして明快な見解だ。明快だが単純に過ぎる、とも言える。きみは、では、無意識な自分というのは存在すると思うかね? この問いの意味はわかるかな––––」
    「自分自身を意識できないのなら<自分>というのはあるのかないのか、ということでしょう」
    「そう、どうなんだ?」
    「それこそ、<自分>という言葉の上でしか、<自分>というのは存在しないのだから、<無意識な自分>などというのは<丸い三角>と同じくナンセンス、言葉の上の遊びに過ぎない」
    「無意識の思考や意思というのは<自分>ではない、というきみの考えはわかった。ではそれはなんだと思う。例えば暗黙知などと言われるようなものは? <自分>が考えているのではないのだとしたら、ではだれが考えているんだね」
    「テストですか、大佐。そのような問いはナンセンスだと、ぼくはそう言っている。 <自分>でも<だれ>でもないんですよ。だれかが考えているのではない、その思考は、自動機械の作動と同じ、エネルギーの流れに過ぎないでしょう。そのどこにも<自分>などというものは存在しない」
    「では<自己>はどこに発生するんだね」
    「だから、言語上に、ですよ」
    「脳の言語野に発生する、ということか」
    「そんなのは知りません。脳なんかなくても言葉さえ存在すればそこに自己が発生する。理屈上、原理的に、そうなる」
    「合格だ」と大佐は言った。

  • クーリィ准将と好きな飲み物の話をしてる場面がとても好き

  • 何となくグットラックの方が最後と思い読み始めたら、こちらの方が続編だった(^^ゞ
    結局ジャムとはなにか判然としないままである。
    いやそれ以前に「普段のわれわれは、そうした仮想の自分といういわば代理人でもって世界を認識し、他社との意思交換をを行っているので。」と自分とはなにかおも謎のなかに包むのである。

  • 絶望的な状況だったグッドラックからの続き。

    まさかの型破りな展開に呆然とするも、読み始めたら面白くて止まらない。

    小説というのは「戦う」ということをここまで純粋に表現できるのか、と読み終わって思う。

    食わず嫌いで雪風シリーズを読み始めたのは今世紀に入ってからだが、これは生きているうちに読めてよかった。

  • シリーズすべて一気読み。
    止まらない。
    機械と人間の境目うんぬんも面白いが、まず目の前の事象に対処すること。
    単純なことから全ての思索は始まるのだなと。
    感じました。
    続編出るんですよね。
    (^◇^;)

  • ジャムとは何ぞや論は止まらない。勝利には哲学が必要だ、ジャムは偏在する、フェアリーは地球だ、確率的にしか語れない、神でありそして神であっても問題ない、、、いやもうなーに言ってるんだこいつら、な第3巻。ラスト一瞬地球を往復しておしまい。と思ったらまだ終わってないとな、、、続きは、出たら考えよう。

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著者プロフィール

作家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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