新書で名著をモノにする 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 (光文社新書) [Kindle]
- 光文社 (2011年4月20日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (177ページ)
感想・レビュー・書評
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一般的に古典的名著とされる昔の書籍は、表現が古臭かったり当時の背景を知らないと理解できない記述が多いため、専門家以外が直接読むのは難しい。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(以下「倫理」論文)もそのひとつで、私も読もうとしたが挫折してしまった。
「倫理」論文は主にマルクスやニーチェの主張に応答する内容となっている。また、初版発表後になされた批判に応えるための追記も多く行われているため、それらの批判についても理解する必要がある。本書は「倫理」論文の内容を現代の日本人に向けて分かりやすく紹介するため、前提となる当時の宗教観や社会情勢、他の学者の主張やその応答も含めて解説している。実際、「倫理」論文自体の内容解説より、背景の説明の方が分量として多いくらいだ。
印象に残った論点として。考察される対象はキリスト教とその母体であるユダヤ教の哲学であり、近代に至るヨーロッパの歴史である。資本主義は端的に言えば金儲け主義だが、ユダヤ人の金持ちは豪華な暮らしをするために金儲けしているのではなく、金儲けそのものが目的となっている。それは彼らにとって蓄財が倫理的行為とみなされるからだが、それはユダヤ教のどういう部分から生じたのか。
また、プロテスタントの中でもやや極端な思想である予定説では、人々が天国に行くか地獄に落ちるかは神によってあらかじめ決定されており、信者の行動によって変更することはできないとされる。善行を積むことで天国に入れてもらえるわけではなく、自分がどちらに選ばれているか知ることはできない中で、自分が神から与えられたとみなす職業に禁欲的に務めることで、天国に行くことになっていることを確認する。
正直、ちゃんと理解できたという自信はない。ただ本書「おわりに」で書かれているように、近代の民主主義や自由、平等といった価値観がヨーロッパキリスト教を源泉として生まれたことは確かであり、ヨーロッパ人でもキリスト教徒でもない我々がそれらの思想を自分たちの中に織り込んでいくためには、それなりの消化が必要なはずだ。今後は、アジアにおける近現代がどのように生まれたのかに関心を持っていきたいと感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
キリスト教の背景から本書を読み解くもので、「世界の脱魔術化」の解釈がユニーク。
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原著が難解なだけに、本書を読むのも技量が要求される。
プロテスタントとカトリックの違いは教養だとしても、その聖書の細かいところを知っているのではなく、理解していないと読むのが難しく感じることがある。
我々日本人の宗教性から、で何が問題の?となってしまう。
高校の時の世界史で三位一体論を学んだ時に、それの一体何が問題なの?と思ったときと似ている。。
資本主義の精神がプロテスタントの倫理構造から自然と発生するか、というのがタイトルであるが、分析しているものはもう少し広い。
例えば、プロテスタントやカトリックを理解しようとするとどうしてもユダヤ教を言及せざるをえない。ましてや、論点がプロテスタントやカトリックの精神性の起源となると、やはりユダヤ教しかもその根源的なところを理解していかなくてはなるまい。
そしてそれは、読者に多量の教養を要請する。
原著が難解なだけに、原著の敷居の高さを知っている人にとっては本書はわかりやすい解説書なのだろうが、私のような教養のない人間にとってはなおも高いハードルである。