「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫) [Kindle]
- KADOKAWA (2013年2月25日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (230ページ)
感想・レビュー・書評
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オウム真理教を題材にしたドキュメンタリー映画『A』は、商業的には成功したとはいえないが、国内外でそれなりの評価を得た。本書は、監督である森達也が彼を世に出すこととなった『A』ができるまでの経過を時系列に追いかけたものだ。当初はTV番組の企画として出てきたものが、キー局上層部の意向に背いて、教団を内部から撮るという踏み込んだ取材を続けたため、制作会社から契約を解除され、独力で撮り進める様子が描かれている。著者は、作品となる保障もない中で、何かに衝かれたように撮影にのめりこんでいく。オウムに対して少しでも好意的な意見が攻撃されるメディアの異様さへの反発もある。そして、その撮影の中で森達也のドキュメンタリーの定義が形をもって明確になってくるかのようだ。
「ドキュメンタリーの仕事は自称から、客観的な真実を事象から切り取ることではなく、主観的な真実を事象から抽出することだ。... 映像で捉えられる真実とは、常に相対的だし座標軸の位置によって猫の目のように変わる。」
ドキュメンタリーにおける客観性の否定である。カメラの存在が対象に影響を与えること、撮影するということの主観性を取り除くことができないという事実について謙虚かつ意識的であることがドキュメンタリーのマナーである。
「オウムはわからない。「信じる」行為を「信じない」人間に解析などできない」と結論づけるのは、まるで『エスパー』で超能力に対して同じようにいう著者の姿と重なる。
エピローグで「共同体に帰属することで、思考や他者に対しての想像力を停止してしまう」のを日本人に共通するメンタリティとして挙げている。この点で、オウム信者も警察もメディアも重なっているというのだ。この思いは、後に麻原彰晃の裁判を追いかけた『A3』の内容に結実する。
これらの姿勢は、著者のひとつの人格のもとに一貫して、すべてがつながっているように思う。
この本を読んだ後に映画『A』を観た。オウム信者の普通さと私服警察官による不当逮捕が強く印象に残る。それは事実であるが、同時に森達也という監督が意志をもって切り取った主観による事実でもあった。詳細をみるコメント0件をすべて表示