語られざる中国の結末 (PHP新書) [Kindle]

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  • PHP研究所
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感想・レビュー・書評

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  • 2022/3/2 Amazonより冬のKindle本ポイントキャンペーンにて721円(361pt)でDL購入。
    2024/3/28〜4/2

    「そこまで言って委員会」や「飯田浩司のOK Cozy Up」などでの出演でお馴染みの元外務官僚、宮家邦彦さんの中国本。あまり偏らない?、宮家さんが中国の未来について、さまざまなパターンを想定して、その対応策を語る。今の外務官僚や政治家たちは、起こりうべきこのような事態に対してちゃんとシミュレーションし、対策を考えてくれているのだろうか。言霊の蔓延る日本で、このようなリスク管理はきちんとやってもらわないと、いつもいつも「想定外」では困るのだ。

  • 非常に示唆の富んだ一冊だった。
    同著者の国際政治ケーススタディに一度参加したことがあるが、その手のシミュレーションになれていなさそうな日本人参加者たちを非常にうまく回していたことを思い出すが、こちらの著作内の未来シミュレーションを拝見するに、そういったことを常に頭の体操の一環としてやってきた方なのだろうか。。。

    ご本人が台湾への語学留学や、北京大使館勤務といった経歴があることも初めて知った。とはいえ、他の中国の専門家で時々いる方のように中国的な”何か”・半中国的な”何か”に引っ張られすぎる事もなく、国際政治の専門家として非常に冷静に過去・現在・未来を分析・予見しているように見える。出版自体は2013年と移り変わりの早い中国にしては既に一昔前のことであるが、特に過去から当時の現代への分析に関しては、今にも通じる中国人・中国政府の考え方や行動を表しているように思える。

    メールがハッキングされていて巧妙なスパムが届くことや、中国国有企業のベストテンは全て軍需産業とか、こういった事実はもっと知られてもいいように思った。また中韓と外交をするにあたり、それぞれの国の思惑・優先順位をどう捉えるか、日本と合致するかどうかという、言われてみれば当たり前のこと、といった視点は今の日本政府がどの程度持っているのだろうか・・と思ってしまった。

    また中国にどっぷり浸かっている中国の専門家とは違うベクトルから分析しているものの、中国自身の変化は彼らの伝統や文化にあるとしているあたりが、類似性を感じさせて興味深い。

    P.74
    一般の中国人には、自分たちが「中華思想」なるものに基づいて行動しているという意識はまったくない。それどころか、中国語には「中華思想」という言葉すら存在しない。(中略)「ジコチュウ」という点なら、アラブ人も中国人に負けていない。(中略)
    その一 世界は自分と中心に回っていると考える
    その二 自分の家族・部族以外の他人を基本的に信用しない
    その三 誇り高く、面子が潰れることを何よりも恐れる
    その四 外国からの経済援助は「感謝すべきもの」ではなく、「させてやるもの」だと考える
    その五 都合が悪くなると、自分はさておき、他人の「陰謀」に責任を転嫁する
    (中略)これらはいずれも開発途上国に概ね共通する「対先進国劣等感」の裏返しだ。(中略)では、「中華思想」なるものは日本人の勝手な創作なのかというと、それも違うだろう。中国人が認めなくても、彼らの自己中心的世界観は厳として存在するからだ。真の問題は、古代から続くいわゆる「華夷思想(中国ではこの用語のほうが一般的である)」が近代以降、変化し続けていることだろう。(中略)研究者のあいだでは、この「華夷思想」が一九世紀のアヘン戦争前後から変容しはじめたことについて、概ねコンセンサスがあるようだ。
    文化的に進んだ「中華(夏)」と劣った「夷狄」の存在を前提とする「夷狄思想」は、中国が優越していなければ成り立たない。ところが、アヘン戦争と日清戦争によって、この「華」が「夷」より優れているという前提自体が破壊されてしまったのだから、話は厄介なのである。(中略)それまで「夷狄」だったヨーロッパ人が突然、「中華」と同格になった。日清戦争後は、「夷狄」であった日本までもが「中華」凌ぐようになった。もう「夷狄思想」だけでは説明できない。アヘン戦争以降、中国は新たな国家像と国際秩序モデルの模索を強いられたのである。(中略)当時の中国知識人が考えたのは、伝統的な「中華」の担い手である「漢族」を、当時の支配者である「満族」から解放することによる国家再建だった。いわゆる「滅満興漢」運動である。(中略)一九一二年、満鉄駆逐、中華回復、衆議政治を唱えた孫文が中華民国を建国した。一九四九年には、毛沢東率いる中国共産党が中華人民共和国を建国した。一九七八年末、鄧小平は非効率な社会主義と決別すべく、改革開放運動を始めた。
    振り返ってみれば、欧米列強の脅威に直面した中国の歴代政治指導者は、西洋文化を拒否しながらも、「華夷思想」に代わる新たな国家観・世界観を確立しようとしたようだ。残念ながら、これらの試みはいずれも失敗に終わったように思える。(中略)古代から継承されてきた中国人の「華夷思想」というDNA自体が徐々に変容しはじめていることも忘れてはならない。(中略)中国がその古めかしい「華夷思想」を十分克服しきれず、アヘン戦争から百七十年経っても、欧米諸国に対し、新たなちゅごくの国家像・国際秩序モデルを示し得ないことへの「列島意識」こそが、中国政治停滞の最大の原因ではないだろうか。

    P.80
    中国語の「民主」とdemocracyは同じではない。中国時にとって「民主」は、いずれ実現すべき「理想」であるが、欧米人にとってdemocracyは「手段」でしかない。

    P.91
    中国には伝統的にキリスト教的な「神」は存在せず、また、その必要もなかった。漢族中国人の考える「宗教」とreligionの意味は同じではない。中国語の「宗教」とは、人に安定感覚・永遠感覚を与える「教え」を意味する。(中略)漢族中国人は現実的民族で、抽象的理論は得意ではない。中国では昔から「神」よりも「完人」や「聖人」のほうがずっと偉かった。言い換えれば、「神の法よりも人間の政治的判断のほうが優れている」ということだ。(中略)中国人は仏教の「輪廻」の概念も受け入れなかった。自分たちはすべて人間であり、来世で兎になるとか、自分の親が前世で蜥蜴だったなどは漢族中国人の想像力をはるかに超えている。彼らは基本的に五感で理解できることしか信じないようだ。この万世一系というか、血を分けた家族だけが一族の「声明を連続させる」という一種の「安定感覚・永遠感覚」こそが、儒家思想の真髄である。その意味では、中国ではキリスト教・イスラム教といった一神教だけでなく、本来の意味での仏教も根付かなかっただろう。さらに、重要と思われるのが漢式思惟の「二元論」だ。「二元論」といってもゾロアスター教のような「善悪」二元論とは違う。漢族の二元論とは、「陰と陽」、「乾と坤」に象徴されるような中国独特のバランス感覚だ。中国式「二元論」では、「陰」は永久に「陰」ではなく、「陽」もまた永遠ではない。両者は対置概念ではなく、その区別も曖昧で、そのあいだでつねに、妥協のために相互乗り入れがあると考える。

    P.93
    中国人はきわめて政治的な生き物であり、政治と無関係な文化や経済など、そもそも中国に存在しない。中国では、中国式の政治的勝ちに基づく思想でしか結論は出せない。「いかに生きるか、いかに死ぬか」を欧米の感覚で議論せよと中国人に求めても、それはできない相談なのだ。
    中国人が理想とする統治形態は、「政治的支配者(皇帝)が徳と仁で被支配者(大衆)を収める」というノブレス・オブリージュの性善説モデルだ。

    P.94
    イスラムがヒンドゥのインドを席巻できなかったのと同様、原始仏教も中国には根付かなかっtな織田。その意味で、中国仏教を確立した人は一種の宗教的天才だろう。インド的輪廻と中国式祖先崇拝をみごとに融合し、中国の伝統文化の上に、仏教啓典を新しく解釈したからである。
    これに比べれば、イスラムの中国かはより困難だろう。もちろん回族のように人種的に漢族に近いイスラム教徒もいるが、彼らはごく少数だ。人間の生活規範を事細かに定めたイスラムの戒律を、漢族中国人が厳格に守とは思えない。

    P.136
    中国人はつねにまず「戦わずして勝つ」ことを考える。「孫子」には「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるおのなり」と記されている。軍事ではなく政治で勝とうとする中国人の考え方の源は、どうやらこの春秋時代の思想家・孫武にあるようだ。(中略)二〇〇三年に改定された「人民解放軍政治工作条例」はいわゆる「三戦」の実施を規定している。この三戦、すなわち輿論戦、心理戦、法律戦の三つの戦術こそが、現代中国版の「他の手段をもってする戦争の延長」ではないだろうか。

    P.164
    米国の関心は西太平洋地域における米国の海洋覇権が維持されることを前提とした「公海における航行の自由」の意地であり、中国大陸における領土獲得や政権交代などではないのである。
    一方中国側、とくに中国共産党の文民政治指導者にとっても、いま米軍と戦争をする利益はあまりない。そもそも、先頭が始まった時点で中国をめぐる多くの国際貿易や経済活動の停止するか、大打撃を蒙るだろう。これは中国経済の終焉を意味する、事実上の自殺行為である。
    そうだとすれば、仮に、たとえば人民解放軍側になんらかの誤解や誤算が生じ、サイバー空間や宇宙空間で先制攻撃が始まり、米中間で一定の戦闘が生じたとしても、それが長期にわたる大規模な戦争に発展する可能性は低いと思われる。

    P.218
    中国は外からは変わらない。外国が外圧をかかえれば、絶対に変わらない。彼らは外国人から指摘されれば、仮にそれが正しいとわかっていても、意地でも変えない。とくに、いまの共産党指導部のメンタリティではなおさらだろう。
    中国を変えたければ、中国自身が内側から変わるのを待つしかない。この巨大で多様な人間集団を短期間で変えるなど至難の業である。(中略)以外に聞こえるかもしれないが、現代中国を理解するキーワードはその「弱さ・脆弱さ」だ。中国人との付き合いが難しいのは、彼らが「強い」からではなく、じつは「弱い」からだ。「弱い」からこそ「怖い」。「怖い」からこそ、彼らは自分たちが長年受け継いできた文化に「逃げ込む」のである。
    自信があれば、もっと上手く外国人と付き合える。自信がないからこそ、主観的判断、自己正当化、短期的利益追求などの自己中心的言動を繰り返し、平気で嘘もつく。じつに扱いにくい人びとだが、彼らがまだ開発途上国のメンタリティをもっているからと思えば、理解しやすいだろう。
    もう一つ外国人が理解すべきことは、中国人が外国からいかに思われているかを人一倍気にする、とても「傷つきやすい」民衆であることだ。(中略)「中華」は徐々にではあるが、必ず変化する。(中略)過去百五十年間、中国はさまざまな変革モデルを試してきたが、結局、中国の変革のヒントは中国の伝統文化のなかにしかなかったことを忘れてはならない。

  • 中国という国について、その歴史的な経緯と、今後について書かれています。日本では一面的な情報が強いイメージの国ですが、そのように見える理由も分かります。どういった歴史をたどってきたのかを知ることで、今後の中国を知ることができるという見方を改めて整理できました。
    今後の中国の歩み方をいくつものパターンで分析され、それに対して日本はどのように動くべきなのかを具体的に書かれています。論理的に一つ一つ丁寧に理解することができます。

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著者プロフィール

1953年神奈川県生まれ。東京大学法学部を卒業後、外務省に入省。外務大臣秘書官、在米国大使館一等書記官、中近東第二課長、中近東第一課長、日米安全保障条約課長、在中華人民共和国大使館公使、在イラク大使館公使、中近東アフリカ局参事官を歴任。2005年8月外務省を退職し、外交政策研究所代表を務める。2006年4月より立命館大学客員教授。2006年10月〜2007年9月、安倍内閣で総理大臣公邸連絡調整官。2009年4月より、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。

「2023年 『通説・俗説に騙されるな! 世界情勢地図を読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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