人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫) [Kindle]

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  • フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーの代表作の一つです。
    人間がどのように平等を失い、どのように不平等を受け入れてきたかが説かれています。
    この本が出版されたのは1755年ですが、現代に至っても不平等の問題は解決できていません。
    社会や技術の発展による恩恵は確かにありますが、野生人・原始人よりも人類は幸福になっているのでしょうか。
    平等=幸福ではなく、更に平等や幸福などの漠然とした概念はそもそも存在し得ないのではないかと悲観的に考えてしまいました。
    社会的な生物である人類が末永く続く種族であるために、ルソーの思想には今後も研究の余地が残っています。

  • ちんぷんかんぷん。もっと勉強して出直してきます(笑)
    部分部分では「あぁ、なるほど」という時もありましたが。

  • 特になし

  • 心に残ったこと

    人類が実現したあらゆる進歩は、人類を原初的な状態からたえず遠ざけつづけているのだ。わたしたちが新しい知識を獲得すればするほど、もっとも重要な知識を獲得するための手段がますます失われていくのである。こう言ってもいいだろう、人間を研究すればするほど、人間を知りえなくなるのだ、
    人間の魂の原初的でもっとも素朴な働き について考察してみると、理性に先立つ二つの原理を見分けることができるということである。一つの原理は、わたしたちにみずからの幸福と自己保存への強い関心をもたせるものである。もう一つの原理は、感情をたあらゆる存在、とくに同類である他の人間たちが死んだり、苦しんだりするのをみることに、自然な反感を覚えることでわたしは人類には二種類の不平等があると考えている。一つは自然の不平等、または身体的な不平等と呼びたいものである。
    利己愛を作りだすのは理性の力である。そして省察がそれを強める。省察においては人間は自己のうちに閉じこもるのである。人間は省察しているあいだは、自分を苦しめ悩ませるものから遠ざかる。哲学こそが、人間を孤立させるのである。
    ある広さの土地に囲いを作って、 これはわたしのものだ と宣言することを思いつき、それを信じてしまうほど素朴な人々をみいだした最初の人こそ、市民社会を創設した人 なので奴隷たちに残された唯一の美徳は、批判せずに服従することだけである。 新たな自然状態  これが 不平等のゆきつくところ、究極の場所 で野生人はみずからのうちで生きている。社会で生きる人間は、つねにみずからの外で生きており、他人の評価によってしか生きることが自分が生きているという感情を味わうことができるのは、いわば他人の判断のうちだけなのでこの主題について研究できるのは歴史的な真理ではない。仮定と条件に基づいて推理できるだけである。
    真の起源を明らかにするのではなく、事態の本性を解明することがふさわしいので人間が自然状態(エタ・ド・ナチュール)から出たあとでなければ考えることのでき
    知識、すなわち社会状態についての知識を自然状態にもちこんでしまうのでその法についての知識もった上で、その法にしたがうという意志をもつことが必要であ」。それが 自然の 法であるためには、「 その法が自然の声をもって人に語りかけるものでなければならわたしが、自分に似た存在者にはいかなる害もなしてはならないという義務を負う」
    この種の不平等はさまざまなことから生まれるもので、一部の人々が他の人々を犠牲にして、この特権を享受する。たとえば他の人々よりも豊かであるとか、尊敬されているとか、権力をもっているとか、何らかの方法で他の人々を服従させているとかで人民が現実の幸福を捨てて、観念のうちで休息を 贖うことを決意できた。


    彼らのすべての権力と強さを、一人の人間または人々の一つの合議体に与える( 20)」ことでこのホッブズの自然状態と社会の成立の理論にたいして、ルソーはホッブズが「 権威や政府という語の意味が人間のあいだに生まれるようになるまでに、長い時間が経過する必要があったことは、まったく考慮にいれなかった」と批判。
    これらの自然状態の論者はいずれも、還元が不十分であり、真の自然状態に溯ることができていないとルソーは考える。「 結局のところ誰もが、欲求について、貪欲さについて、抑圧について、欲望について、驕りについて語りながら、社会のなかでみいだした考え方を、自然状態に持ち込んだのだった」。誰もが「 野生人(オム・ソヴァージュ)について語りながら、社会のなかの人間を描いている
    ルソーは人間が老齢とともに「 自己改善能力によって獲得したすべてのものを失ってしまう」のであり、「 動物よりも劣った存在になってしまう」と考えるのである。
    さまざまな技術と知識を開発して、輝かしい文明を築くことができる。そしてこの能力こそが「 人間を自己と自然を支配する暴君」に変貌させてしまったものなので
    自然に帰るのではなく、自由で道徳的な生き物として、美徳を学び、「 永遠の報奨をうけるにふさわしい存在となる」ことを目指すというものだった。
    ルソーがこの論文を書いた目的の一つが、
    人が自然状態から社会状態に移行していった理由を解明することにあったからで自然状態は、「 わたしたちの自己保存の営みが、他者の自己保存の営みを害することのもっとも少ない状態であり、この状態こそが、ほんらいもっとも平和的で、人類にもっとも適した状態だ」とルソーは主張
    最後にルソーは人間が自分の自由を放棄できるというグロティウスやプーフェンドルフの理論を三つの観点から批判
    第一に、人間が自由を放棄した場合には、他人がその相手に命令することで悪事をさせることができる。そしてその悪事にたいして責任を負うのは命令した人ではなく、実際に悪事をなした人である。
    第二に、自由は財産のようなものではなく、「 自然から与えられた貴重な贈物」である。この自由は人間の品位を保つために絶対に必要なものであり、これを放棄することは「 自然をも理性をも冒瀆する」ものであり、いかなるものによってもこれを償うことはできない。  
    第三に、ローマ以来の法律では、奴隷の子供は奴隷となることが定められている。その場合に、ある人が自由を売って奴隷となった場合には、その子供たちもまた奴隷になることを意味する。

  •  安易な人間賛歌や悲観に陥らず、客観的な人間・文明・社会の批判を通じて自然としての人間像を描き出そうとしている。そしてその当時批判の対象とされた社会と現代の富裕者特権社会になんと似ていることだろう。現代の政治問題に必読の古典。

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