- Amazon.co.jp ・電子書籍 (259ページ)
感想・レビュー・書評
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書店で平積みになっているのを、「売れているなあ」と思いながらしばしば眺めていた。
でも「嫌われる勇気」は自分には必要がないから読まなくていいかなと思いつつ、約10年。
ついに読む時がやってきた。
しかも台湾の友人にすすめられて。
(その友人が、台湾の別の友人に本書をすすめたところ、「私は人から嫌われても全然気にならないからいいかな」と、私と同じようなことを言っていたらしい(笑)いやいや、読んだほうがいいと思うよ)
フロイトやユングばかり読んできた私にとっては、アドラーの超ポジティヴシンキングは衝撃だった。
「トラウマは、存在しない」にも驚いた。
自分の過去の分析もいいけど、今ここを大切にして。人はいつでも変われる。変わることを恐れないで。
ざっくり言うとアドラーはそんなメッセージを発しているように思う。こう書くとちょっとバカっぽいけど、読めば読むほど元気が出てくるから不思議。
いろいろ刺さった。
例えば「人は怒りを捏造する」。これはまあ、脳科学的にも納得がいく。感情が行動を導くのではなく、行動が同時に感情を喚起するというのが正確なところ。
それと似た文脈で、「あなたの不幸は、あなた自身が「選んだ」もの」。これも、そんなわけないじゃん、と思いながらも、でも不幸は主観によってしか不幸としか見なされないとすれば、たしかにそうだと納得してしまった。
「承認欲求を否定する」これも痛快だった。
承認欲求=モチベーションの源泉みたいになってるけど、これにはめちゃくちゃ共感した。
この構図は根本的に変えたほうがいいと私も思った。
とくに、依存関係が生まれやすい日本においては、「課題の分離」は不可欠。とくに親子関係。子の課題を親が先取りして解決しようとするパターンが急増している。
私は子どもの頃にアホみたいに山や川で遊び倒した記憶を思い出すと幸福感に満たされ、その記憶が「自己肯定感」に繋がっていると日々感じているが、なるほど、自己肯定という言葉の裏にもいつも否定が、評価が隠れている。
本書にあるように「自己受容」という言葉のほうがしっくりくる。使っていこう。
最高だったのが、「ダンスするように生きる」。
人生の目的が何であれ、とにかく過程を楽しみ、その瞬間瞬間、人生を完結したものとしてみなす。これ、生きる上でめちゃくちゃ大切なことだと感じた。
言い換えれば、いつ死んでもいいように生きるということ。
紹介してくれた友人にも感謝。 -
『嫌われる勇気』は、何度も読む価値がある。
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2013年出版ということだが、未だに売れ続けている大ベストセラー。
悩める青年と、アドラー心理学を説く哲人との対談形式になっていてとても読みやすい。
読んでいて抱く疑問や反駁を青年が即座に代弁してくれるのが最高に気持ちいいし、最後まで諦めずについていくことができる。
アドラーは心理学者だけれど、その思想はとても哲学に近いものがあった。あるいはキリスト教にも。
「私の心理学はすべての人のものだ」とアドラーが言う通り、これまで読んできた本にもいくらか似たエッセンスを感じるものがあったなぁと思った。「夜と霧」や「塩狩峠」なんか特に。
自分の中でアドラー心理学を完全に咀嚼することはまだ難しいので、以下引用を書き残しておく。折々読み返すこと。
【トラウマは、存在しない】
アドラーが「経験それ自体」ではなく、「経験に与える意味」によって自らを決定する、と語っているところに注目してください。たとえば大きな災害に見舞われたとか、幼いころに虐待を受けたといった出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロだとは言いません。影響は強くあります。しかし大切なのは、それによってなにかが決定されるわけではない、ということです。われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。
【あなたの不幸は、あなた自身が選んだもの】
あなたは人生のどこかの段階で、「不幸であること」を選ばれた。それは、あなたが不幸な境遇に生まれたからでも、不幸な状況に陥ったからでもありません。「不幸であること」がご自身にとっての「善」だと判断した、ということなのです。
【人は常に「変わらない」という決心をしている】
アドラー心理学は、勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ、"勇気"がたりない。いうなれば、「幸せになる勇気」が足りていないのです。
【自慢する人は、劣等感を感じている】
強い劣等感に苦しみながらも、努力や成長といった健全な手段によって補償する勇気がない。かといって、「AだからBできない」という劣等コンプレックスでも我慢できない。「できない自分」を受け入れられない。そうなると人は、もっと安直な手段によって補償しよう、と考えます(優越コンプレックス)。
【非を認めることは「負け」じゃない】
怒りっぽい人は、気が短いのではなく、怒り以外の有用なコミュニケーションツールがあることを知らないのです。だからこそ、「ついカッとなって」などといった言葉が出てきてしまう。怒りを頼りにコミュニケーションしてしまう。われわれには、言葉があります。言葉によってコミュニケーションをとることができます。言葉の力を、論理の言葉を信じるのです。
【「人生の嘘」から目を逸らすな】
アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の嘘」と呼びました。
【「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない】
ニヒリズムではありません。むしろ逆です。他者からの承認を求め、他者からの評価ばかり気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。
そして、覚えておいてください。もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。
【対人関係の悩みを一気に解消する方法】
まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか。冷静に線引きをするのです。
そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。これは具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。
【ほんとうの自由とはなにか】
カントの「傾向性」とは、本能的な欲望、衝動的な欲望ということです。では、そうした傾向性のおもむくまま、すなわち欲望や衝動のおもむくまま生きること、坂道を転がる石のように生きることが「自由」なのかというと、それは違います。そんな生き方は欲望や衝動の奴隷でしかない。ほんとうの自由とは、転がる自分を下から押し上げていくような態度なのです。
「嫌われたくない」と願うのはわたしの課題かもしれませんが、「わたしのことを嫌うかどうか」は他者の課題です。わたしをよく思わない人がいたとしても、そこに介入することはできません。無論、先に紹介したことわざでいうなら「馬を水辺に連れていく」ところまでの努力はするでしょう。しかし、そこで水を呑むか呑まないかは、その人の課題なのです。
【あなたは世界の中心ではない】
自分の人生における主人公は「わたし」である。ここまでの認識に問題はありません。しかし「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです。
あなたもわたしも世界の中心にいるわけではない。自分の足で立ち、自分の足で対人関係のタスクに踏み出さなければならない。「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人になにを与えられるか?」を考えなければならない。それが共同体へのコミットです。
【自分には価値があると思えるために】
人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。これがアドラー心理学の答えになります。
【若者は大人よりも前を歩いている】
しかしこのとき、たとえ家族から「ありがとう」の言葉が聞けなかったとしても、食器を片づけながら「わたしは家族の役に立てている」と考えてほしいのです。他者がわたしになにをしてくれるかではなく、わたしが他者になにをできるかを考え、実践していきたいのです。
他者を「敵」だと見なしたままおこなう貢献は、もしかすると偽善につながるのかもしれません。しかし、他者が「仲間」であるのなら。いかなる貢献も偽善にはならないはずです。あなたがずっと偽善という言葉にこだわっているのは、まだ共同体感覚を理解できていないからです。
【「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てよ】
われわれはもっと「いま、ここ」だけを真剣に生きるべきなのです。過去が見えるような気がしたり、未来が予測できるような気がしてしまうのは、あなたが「いま、ここ」を真剣に生きておらず、うすらぼんやりした光の中に生きている証です。
人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与えようとしている。過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。
【人生最大の嘘】
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。
あなたはこれまで。「いま、ここ」から目を背け、ありもしない過去と未来ばかりに光を当ててこられた。自分の人生に、かけがえのない刹那に、大いなる嘘をついてこられた。
【無意味な人生に「意味」を与えよ】
アドラーのいう「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」とは、まさにそういうことです。人生一般には意味などない。しかし、あなたはその人生に意味を与えることができる。あなたの人生に意味を与えられるのは、他ならぬあなただけなのだ。と。
あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ身失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。
つまり、「わたし」が変われば「世界」が変わってしまう。世界とは、他の誰かが変えてくれるのではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない、ということです。アドラー心理学を知ったわたしの目に映る世界は、もはやかつての世界ではありません。
もう一度、アドラーの言葉を贈りましょう。「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」。 -
どうしてこの本を1日でも早く読まなかったのか…後悔すらしてしまうほどに素晴らしい本でした。
アドラー心理学の目的論をまさに世界がひっくり返っていくような心地で読み進めていきました。
対話形式であり、出てくる青年がまさに自分が思う疑問を哲人にぶつけてくれるので、自分がそこで対話しているかのような臨場感を感じました。本が伝えたい内容が頭の中にじんわりと浸透していき、理解がかたまっていきます。
自分を振り返るきっかけと、これからの人生自分自身で生きていく勇気、その先にある幸福。これらをこの一冊を読み込むことで手に入れることができる。素晴らしい本との出会いでした。
これだから読書はやめられませんね。
岸見先生のアドラー心理学入門も読みたいです。 -
オーディブルにて。
アドラー心理学、ぜひ若いうちに読んでください。
自分のためにも
まわりの人のためにも。
自分は自分であって、
他者との線引きも境界も必要です。
それが分かるだけで、楽な気持ちになることはたくさんあると思います。 -
友人が対人関係で悩んでいたので、本書を紹介してみました。
ついでに私も久しぶりに再読してみました。
元々私の座右の銘は「継続は力なり」なのですが、
本書を読んでから、それに「人事を尽くして天命を待つ」を加えました(笑)。
そして当時、本書に従って意識した具体的な内容は
・原因論(トラウマ)を否定し目的論に焦点を当てる
・課題の分離
・労働による他者貢献
の3つです。仕事の上でもプライベートでのお付き合いの上でも意識して行動してきました。
イメージとしては、いつも自分の頭の上に矢印があって、それが自分の方?相手の方?どっちを向いてる?と自問自答する感じです。
とはいえ、近しい人にほど感情に捕らわれないようにするのが難しくて全く偉そうなことは言えないのですが、それでも確実に昔よりも日々楽しく思うままに、そして自信をもって生活が出来ていると感じています。
今回再読し、改めてそれを実感しました。
目的論に焦点を当てれば努力する気力が湧くし、課題の分離を意識すれば他人にイライラすることが減り、他者貢献をすれば(そのために人事を尽くすのです)自信がつきます。
私の受け止め方が合っているかはわかりませんが、今回再読したことで改めて考えさせられる部分もみつかったりして、やっぱりよい本だなあ~と実感しているところです。
また何年か経ったら読み返そうっと。 -
とにかく読んで良かった。思わぬ視点が得られた。
青年との対話形式も良かった。青年の発言には共感しかない。それにアドラーの理論で答えてくれるのでとてもしっくり来る。
一番良かった所は、
他者のことを「行為」のレベルではなく「存在」のレベルで見ていく。何をしたかではなく、そこに存在していることそれ自体を喜び、感謝の言葉をかけるのです。という所。
しかし、「アドラーの考えを理解できるには生きてきた年数の半分が必要」とあって、気が遠くなった。
定期的に読み返したい。 -
アドラー心理学について、青年と哲学者の対話形式で解説が進む。青年は自分に自信が無いけれども、哲学者へ自分の反対意見をぶつけ、論破したくて噛みついてしまうところは、自分にそっくりであり、思わずニヤけてしまった。もちろん、哲学者との対話を重ねながら、青年は「無知の知」に気づき、自ら変わっていく。
哲学者の話を理解できず、葛藤する青年の心の描写がところどころに挿入されている。これが、読み手の理解度確認(おさらい)の役割になっており、この本をとても読みやすくしている。 -
想像を遥かに超えて、良かった。『嫌われる勇気』って言うタイトルから、ゴリゴリの精神論を振りかざしてくるかと思い手が出ずにいたが、非常に凪を想起されるような穏やかな押し付けがましいところなんてない、素晴らしい作品だった。哲人と青年の対話形式で話が進んでいくのも読みやすくて、小説を読んでるような感覚。
眼から鱗なテーマがよりどりみどりだが、あえて一つ選ぶとしたら『勇気づけ』というアプローチ。褒める事は他者に自分には能力がないという信念を形成していく、自分の主観によって「私は他者に貢献できている」と思うことが、己の価値を実感することなどの言葉がずしっと胸に響いた。
後は、人生は今ここに、の刹那的なものという熱い言葉が最終章に現れ、やられました。
しかし、青年は自分の悩みや葛藤を恥ずかしいほどトレースしていて、論破されてる姿に焦る俺。