NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2014年 1月号

制作 : ナショナル ジオグラフィック 
  • 日経ナショナルジオグラフィック社
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  • Amazon.co.jp ・雑誌 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 4910068470140

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  • アマゾンの闘う先住民 カヤポ

    ブラジルのカヤポ族は、“アマゾンで最強”の誇り高い先住民。自分たちの森と文化を死守してきた彼らが今、ダム建設の阻止を目指して新たな闘いに挑む。

    文=チップ・ブラウン/写真=マーティン・ショーラー

     アマゾン川流域の南東部に暮らすカヤポ族は、ある意味では“アマゾン最強”とも言うべき先住民だ。ここに外国人が初めて足を踏み入れたのは、今から何世紀も前のこと。宣教師、黄金郷を探す冒険家、奴隷商人、ジャガーの毛皮目当ての猟師、ゴム樹液の採取人、それにセルタニスタと呼ばれる奥地専門の探検家もいた。ボートで川を移動するのは並大抵の苦労ではなかっただろう。だが、今はセスナでひとっ飛びだ。

     ブラジルの辺境の町トゥクマンから100ノット(時速185キロ)で30分ほど飛び、蛇行するブランコ川を越えると、突然、炎も道路も見えなくなった。もやの底に、原生林が横たわる。眼下に広がるこの森が、南米先住民カヤポ族の土地だ。

     ブラジル政府は、隣接した五つの地区をカヤポ族の居留地に指定している(総面積は日本の本州の半分ほどある)。自然保護区としては世界有数の広大な熱帯雨林を、わずか9000人の先住民が管理しているのだ。

     ブラジル共和国が建国されて11年後の1900年当時、カヤポ族はおよそ4000人いた。だがブラジルの辺境に鉱山や林業、ゴム樹液目当ての業者が進出するにつれて、政府や布教団体の懐柔策が始まった。布地や金属の鍋、なた、斧といった便利な品をちらつかせて先住民を手なずけようとしたのだ。
     こうした接触が、免疫をもたない先住民の間に麻疹などの伝染病を蔓延させた。アマゾン横断道路が建設された1970年代には、カヤポ族の人口は約1300人にまで減ってしまった。
    スティングも支援したカヤポ族の政治闘争

     だがカヤポ族もやられっぱなしではない。1980年代から90年代にかけて優れた指導者が次々と現れ、政治的な闘いを展開した。自治と土地の自主管理を求める闘いのなかで、カヤポ族の首長たちはポルトガル語を習得し、自然保護団体の支援を取りつけた。支援者のなかにはロックスターのスティングなどの有名人もいた。

     こうした運動が実を結び、1988年には新憲法に先住民の権利が明記された。その翌年、シングー川のカララオー・ダム建設計画に対する抗議が始まった。カヤポ族は自分たちの土地の一部がダム湖に沈むとして自然保護団体とともに大規模なデモ活動を展開。いわゆる「アルタミラ集会」の開催に至ったのだ。

     現在、カヤポ族の人口は急速に増えている。ショットガンや船外機付きのボートを所有し、交流サイトのフェイスブックも使いこなす。
     だが最新テクノロジーや貨幣経済の社会慣習を巧みに取り入れつつも、彼らは独自の文化を守り続けている。ビデオカメラで伝統的な儀式や踊りを録画するほか、政府担当者との交渉も記録する。以前は金の採掘会社と手を組んだり、マホガニーの伐採権を売却したりする村長もいたが、いずれも後悔を招く結果となり、今ではそうした関係はほとんどなくなった。

     内部に多少の対立があっても、問題はとりあえず脇に置き、目標を掲げて団結する。そうした柔軟なやり方を学んだおかげで、カヤポ族はブラジルに現存する約240の先住民のなかでおそらく最も豊かで、強い力をもつ部族となった。伝統的な儀式、血縁関係を軸とする社会、「ジェ」と呼ばれる独自の言語、森に関する深い知識、自然と人間が一つにつながっていると考える世界観は、今も健在だ。

    ※ナショナル ジオグラフィック2014年1月号から一部抜粋したものです。
    編集者から

     「アマゾンの先住民カヤポ族」と言われても、なんだかなじみのないテーマだと感じるかもしれません。でも「ブラジルに現存する約240の先住民のなかで、おそらく最も豊かで、強い力をもつ部族」と聞くとどうでしょう。興味が湧いてきませんか?
     彼らは軍隊並みに統率のとれた組織を作り、自分たちの土地と文化を守るために、文字通り闘ってきました。ちょっと過激だなぁと思う半面、誇り高いカヤポ族が格好よくもあります。
     それにしても、ケンジャム村のプカティレ村長はとても日本人的なお顔立ち。知り合いに似た人がいなかったかと、しばし考えてしまいました。(編集M.N)

    博物館に収められた地球の不思議

    世界各地から集められた、貴重な標本の数々を収めた博物館。そこは、地球を知る手がかりがぎっしり詰まった宝箱だ。

    文=ジェレミー・バーリン/写真=ロザモンド・パーセル

     巨大なミズダコが、水槽のエタノール液に漬かっている。隣の瓶には発光生物ヒカリボヤ、壁にはタヒチ産の巻き貝の首飾り、棚には色とりどりのサンゴや藻類が並ぶ。

     230個ほどある収納ケースは、温度と湿度が調整できる特注品で、軟体動物の標本が1000万点も収められている。その多くは、英国のアーネスト・シャクルトンや米国のメリウェザー・ルイスといった探検家や、博物学者たちが世界中から持ち帰ったものだ。

     ここは米国ペンシルベニア州フィラデルフィアにあるドレクセル大学付属の博物館、自然科学アカデミーの収蔵庫だ。今いる軟体動物部門にたどり着くまでに、昆虫部門と古生物部門を通ってきた。どの部屋にも、貴重な資料が山ほど収蔵されている。
    博物館の原点、16世紀ヨーロッパの「驚異の部屋」

     「発見」と言うと探検家の手柄ばかりが注目されがちだが、実際に多くの発見がなされるのは、こうした博物館の舞台裏だ。資料はここで分類され、ラベルを貼られて、目録に記載される。その際に新種が見つかることもあり、作業に数十年かかることも珍しくない。

     人類は、物を集めるのが好きなようだ。狩猟採集民だった時代の名残かもしれないし、混沌とした状況を整理しなければ気が済まない性分なのかもしれない。いずれにせよ所有への衝動は人間のさがと言えよう。進化生物学者のスティーブン・ジェイ・グールドは「収集に取りつかれた者の情熱は休むことを知らない。彼らにとって収集とは、神聖な行為なのだ」と記している。

     そんな強迫観念にも似た思いから生まれたのが博物館だ。16世紀前後、ヨーロッパの王侯貴族や医師たちは、さまざまな物を集めて一つの部屋に展示した。“驚異の部屋”と呼ばれたその空間には、動植物の標本や科学機器、芸術品から突然変異体の標本まで、美しい物や恐ろしい物、珍奇な物があふれていた。これが博物館の原型である。

     1億2600万点の標本を所蔵するスミソニアン国立自然史博物館のカーク・ジョンソン館長は言う。博物館の収蔵室は「自然に関する知識が実物そのままに保存されている場所です。ここは私たちにとっての宝物庫であり、自然科学の殿堂とも言えます」
     収蔵室はタイムマシンでもある。同館の鳥類学者は鳥の化石のデータから、ハワイに生息していた絶滅種を次々と発見している。

     近年では収蔵品のデジタル化が進んだおかげで、標本の整理が進み、研究者同士の情報交換も活発になったという。一般の人も遠方から収蔵品の情報にアクセスできるようになりつつあり、「今やiPhoneがあれば、マサイ族の戦士にも当館のコレクションを見てもらうことができます」とジョンソン館長は語る。

     とはいえ、デジタルデータが実物標本の代わりを果たせるわけではない。自然科学アカデミーの研究員は言う。「もし当館のコレクションが1800万点の標本ではなく、同じ数のデジタル画像だったとしたら、関心を示す人はそう多くはないでしょう」
     スミソニアン博物館のジョンソン館長も同意見だ。「ダーウィンは、生きとし生けるものはすべてつながっていると考えました。博物館の収蔵品はそのことを如実に物語っています。なかには絶滅種もありますが、私たちの手元にはそのDNAが残されています。博物館こそ、“地球の知を守る番人”なのです」

    ※ナショナル ジオグラフィック2014年1月号から一部抜粋したものです。
    編集者から

     博物館の原型となったのは、中世ヨーロッパで生まれた「驚異の部屋」だそうです。この記事の編集を終えた頃、東京駅の商業施設「KITTE」を訪れました。すると、まさに「驚異の部屋」と題した特別展示が! 吸い込まれるように入りました。展示品はもちろん興味深いのですが(昆虫の標本に鳥のはく製、昔の医療器具などなど)、とにかく演出が凝っていて、驚異の部屋の雰囲気をたっぷり堪能できました。
     ちなみに場所はKITTEの2階にあるインターメディアテクの「モデュール」という展示スペース。現在開催中の「京都大学ヴァージョン」は来年5月までやっているようなので、興味のある方は特集を読んだ後に足を運んでみられると、おもしろいと思います。(編集M.N)

    祖国を離れて 出稼ぎ労働者の愛と孤独

    家族により良い暮らしを送らせたいと、中東の産油国へ出稼ぎに行くアジアの人々。お金と引き換えに失うのは、愛する人との絆や触れ合いだ。

    文=シンシア・ゴーニー/写真=ヨナス・ベンディクセン

     アラブ首長国連邦で最も人口の多い都市ドバイ。そこで出稼ぎ労働をするフィリピン人夫妻に取材をした。

     何週間にもわたる取材の間に、たった一度だけ妻のテレサが涙を見せたことがある。フィリピンにいた10年余り前のことを話していたときだ。テレサの実家は首都マニラから1時間ほどの郊外にある。12月のある日、自宅の近所を歩いていて、テレサはふと気づいた。どの家にもクリスマスの電飾が美しく輝いているのに、「うちの家だけ、飾りがなかった」。そう話す顔がみるみるゆがみ、涙があふれた。

    「外国のことはよく聞いていました。外国に行けば、何でも買えると」
     金のブレスレット、米国製の練り歯磨き、コンビーフの缶詰……外国にはきらびやかな商品があふれているようだった。テレサが暮らす町では、石造りの家は外国で稼いだお金で建てた“出稼ぎ御殿”だ。しかし、11人きょうだいの1人として彼女が生まれ育ったのは木造のあばら家で、豪雨で家の壁が崩れたこともあったという。
    「その年のクリスマスを迎える頃、私は家の前に立って誓ったんです。自分が稼げるようになったら、真っ先にクリスマスの電飾を買おうと」

     初めての給料は地元で稼いだ。そのときテレサは高校を出たばかり。買えたのは色つきの電球をつないだ飾り1本きりだったが、壁にくぎを打って自分でそれを取りつけた。
    「誰の手も借りずにやりました。家の前に立って、輝く電飾を見て、私にもできるんだと強く思いました」
     その晩、テレサは外国に出稼ぎに行く決心をした。もう大丈夫、何があっても頑張れる、と。
    出稼ぎ労働者が築いたドバイの超高層ビル群

     21世紀の外国人労働者の実態をまざまざと見せてくれる都市は、ペルシャ湾岸にある。ドバイのだだっ広い国際空港に降り立てば、空港前のタクシー乗り場まで歩く間に、外国人労働者をゆうに100人は見かけるはずだ。
     空港内のスターバックスでエスプレッソをいれる若い女性はフィリピン人かナイジェリア人だろう。トイレの掃除をするのはネパールかスーダンの出身者。タクシーの運転手はおおかたパキスタン北部かスリランカ、あるいはインド南部のケーララ州からの出稼ぎ人だ。

     ドバイの街に林立する超高層ビル群も、出稼ぎ労働者――主にインド、ネパール、パキスタン、バングラデシュなど南アジアの出身者――の労力で建てられた。日が暮れると、労働者たちはビルの建設現場からバスで宿舎まで運ばれる。彼らのほとんどは、刑務所並みに窮屈な宿舎で共同生活を送らなければならない。

     夫婦で同じ屋根の下に暮らせるテレサ夫妻はまだしも恵まれているほうだ。そればかりか、家族全員が一緒に暮らしていた時期もある。出稼ぎ労働者なら誰でもうらやむ境遇だったが、4番目の子が生まれると、それも難しくなった。夫は前妻との間にできた子をフィリピンに残しており、テレサとの間にできた上の子ども2人も祖国へ帰す決心をした。

     今、テレサは上の2人と会えないことをどう思っているのか。そのことに触れるたびに、表情がこわばり、身じろぎもしなくなった。
    「とてもつらい」
     そうつぶやいてから、自分に言い聞かすように続ける。
    「あの子たちは妹がちゃんと育ててくれています。それに、向こうにいれば、フィリピン人として育ってくれますしね」

    ※ナショナル ジオグラフィック2014年1月号から一部抜粋したものです。
    編集者から

     ナショナル ジオグラフィック誌には珍しく、本文は妻子ある男性と独身女性の恋の物語です。2011年6月号「幼き花嫁たち」なども手がけた筆者シンシア・ゴーニーは、人々に寄り添いながら丁寧に取材するジャーナリストで、今回の特集でもその本領を発揮しています。ぜひ本誌で読んでみてください。写真家集団マグナム・フォト所属のヨナス・ベンディクセンによる写真からは、祖国を離れて働く出稼ぎ労働者たちの厳しい現実が伝わってきます。(編集T.F)

    21世紀に生きる“ドラゴン” コモドオオトカゲ

    ドラゴンの異名をもつコモドオオトカゲ。世界最大のトカゲと人間がともに暮らすインドネシアの島々で、保護活動の試行錯誤が続く。

    文=ジェニファー・S・ホーランド/写真=ステファノ・ウンターティナー

     ドラゴンの異名をもつその生き物は、地球の度重なる変動を生き抜いてきた。
     体長3メートル、体重90キロ近くにもなるコモドオオトカゲ(Varanus komodoensis)は現生では世界最大の巨大トカゲ。この種が分岐したのはおそらく500万年ほど前だが、オオトカゲ属には4000万年もの歴史がある。

     コモドオオトカゲの生態はトカゲの典型と言っていいだろう。
     日光浴をし、獲物を狩り、死肉をあさる。卵を産んで守るが、ふ化した子どもを育てることはない。寿命は30~50年で、生涯の大半を単独で過ごす。生息地域は極めて狭く、インドネシアの限られた島々でしか見られない。
    猛烈なダッシュ力と毒をもつ“凄腕ハンター”

     このトカゲは貪欲なハンターで、短距離なら時速20キロで走れる。捕まえた獲物は腹を引き裂くか、脚に深い傷を負わせて動けなくする。
     伝説や物語のドラゴンなら火を吐くところだが、現代のドラゴンは毒のある唾液を分泌する。唾液には血液の凝固を妨げる作用があり、かまれた相手の多くは失血死するか、傷口から病原菌が入るなどして死に至る。そしてコモドオオトカゲは獲物の死を辛抱強く待ち続ける。

    【動画】コモドオオトカゲ(もっと大きな映像で見る)

     死肉もあさる。そのほうが生きた獲物を狩るよりエネルギーの節約になるのだ。腐りかけた死骸のにおいを何キロも離れた場所から嗅ぎつけ、どんな部位でも選り好みせずにたいらげる。

     こうした習性はいささか不気味と思われるかもしれないが、島の人々は必ずしもコモドオオトカゲを恐れたり嫌ったりしてきたわけではない。
     コモド島の村で老人に尋ねると、島人たちは「あの動物を自分たちの先祖だと思っている」という。「神聖な存在なんだ」。かつては島民がシカを狩ると、肉の半分は“うろこをもつ親類”への供え物として置いてくるのが習わしだったという。

     だがその後、状況は変わりつつある。
     正確な数字は不明だが、コモドオオトカゲの数はこの50年ほどの間に減っているとみて、政府が保護に乗りだした。主に保護論者の声に応えるためだが、オオトカゲの観光資源としての経済的価値も見逃せない。1980年、コモド島とリンチャ島の全域および周辺の小島を含む生息地の多くが、コモド国立公園に指定された。後に自然保護区が三つ加わり、そのうち二つはフロレス島にある。

     国立公園内ではコモドオオトカゲだけでなく、その獲物となる動物も保護されている。つまり、人間がシカを狩ることは禁止され、もはや村人が肉を供えることもできない。そのせいで、トカゲたちが気を悪くしていると言う者もいる。

     人間を襲うことはめったにないが、最近いくつかのニュースが報じられた。昨年には、体長2メートルを超すコモドオオトカゲが国立公園内の事務所に入り込み、2人のレンジャーの左脚にかみついた。彼らは空路でバリ島に運ばれて手当てを受け、事なきを得た。別の場所では、83歳の女性が体長2メートル超のトカゲを、手製のほうきと正確なキックで撃退している。女性のほうも手をかまれ、35針も縫った。2007年には、サッカーの試合の合間に木陰で用を足していた少年が襲われ、出血多量で命を落とした。

     今ではコモドオオトカゲがうろついていると、村人たちは大声を上げて石をぶつけるようになった。人間を襲った“前科者”のトカゲは政府が村から遠い場所に移送しているが、大抵は元の場所に戻ってしまうようだ。

    ※ナショナル ジオグラフィック2014年1月号から一部抜粋したものです。
    編集者から

     コモドオオトカゲの写真をじっと見ていると、「これにまたがって、どのくらいまで振り落とされずに行けるかしら」と、つい考えてしまう私。情報を探して、ある動物研究家の著書を読んだところ、「乗りたい!」という彼の夢は、あっさりきっぱりレンジャーに断られたとか。本誌を読んで同じ野望を抱いた方、残念でした。(編集H.O)

    野心の祭典 プーチンのソチ五輪

    ロシアの復権をもくろむプーチン大統領の野心が、黒海沿岸のリゾート地ソチに冬季五輪を連れてきた。だが血なまぐさい歴史とテロの影が開催地を覆う。

    文=ブレット・フォレスト/写真=トマス・ドボルザック

     2014年2月7日に開幕するソチ五輪。フィギュアスケートやスキーのジャンプ競技に注目が集まるが、開催地であるソチとは、どんな場所なのか。

     ロシアはもはや大帝国ではない。それでも広大な領土をもつほかの国々と同様に、今もその復権を夢見ている。2週間にわたる冬季オリンピックが、その野心の舞台となる。
     だが、ロシア南西部の黒海沿岸にあるソチは、開催地にはおよそ似つかわしくない場所といえよう。つい最近まで内戦が続いていたグルジア共和国に隣接し、かつて山岳民族のチェルケス人の大量虐殺が行われたとされる土地だからだ。

     しかも周辺にはダゲスタン、チェチェン、イングーシ、カバルダ・バルカルなど、イスラム教徒の反政府勢力が台頭する共和国が集中している。
     一触即発のこの地域で治安を維持するために、ロシアは人々に恐れられた民兵組織「コサック」を復活させた。テロリストによる大会妨害の噂、暖冬による雪不足への懸念、ロシア議会で成立した反同性愛法の撤回を求める動きの活発化……こうした不安要素に対し、プーチンはオリンピック会期中のソチでの抗議活動や集会を禁止した。
    準備費用は史上最高額の5兆円

     皇帝ニコライ2世の帝政時代から旧ソ連時代まで、黒海沿いの保養地ソチには北部の厳しい寒さから逃れて富裕層が集まり、さまざまな保養施設が建設された。だが、そうした建物も今ではさびれて朽ちかけている。ヤシの葉がそよぐ、ロシアでも数少ないこの亜熱帯気候の都市は、あか抜けない客しか来ない時代遅れの保養地となっていた。

     しかもオリンピックの開催地とはいえ、実際の競技は別の場所で行われる。スケート競技は南へ27キロの黒海沿岸にあるアドレル、スキー競技は東に47キロも離れたカフカス山脈の山間の村、クラースナヤ・ポリャーナが会場だ。

     アイスリンクや、ボブスレーとスキーのコースをはじめ、競技場は新たに建設されたものがほとんどだ。各会場を結ぶ鉄道や道路などのインフラも一から造られた。これまでに費やされた建設費は約5兆円超、過去のどのオリンピックよりも大金がつぎ込まれている。

     そもそもオリンピックはビジネスではない。だがソチでは、スポーツの祭典という本来の役割すらも二の次になっている。プーチンは、この大会を自らの功績の頂点として誇示すべく、10年以上も前から構想を温めてきたのだ。

     数年前まで、クラースナヤ・ポリャーナには人口数千人のひなびた村があるだけだった。住民が話す独特の方言や、頻繁に起きる雪崩のせいもあり、谷あいの村は外界から隔絶されていた。
     だが大規模な建設工事が始まって約2万人もの労働者が流入すると、村はすっかり様変わりした。さらにオリンピック開催の余波で、ここで大量の民族虐殺があったという、忘れ去られていた過去にも再び注目が集まっている。

    ※ナショナル ジオグラフィック2014年1月号から一部抜粋したものです。
    編集者から

     マツコ・デラックスもびっくりのフィギュア・スケートおたくの私は、トービル&ディーン組のボレロを生放送で見て衝撃を受けたクチ(あ、年齢がわかってしまう?)。当然五輪は、夏より冬に燃えるタイプです。プーチン大統領が大会を観戦したという本誌の写真。リンクの壁に日系企業の広告がずらりと並んでいるのも、しっかりチェックしました。去年のGPファイナルでしょうかね。ムムム。フィニッシュした日本のエースに、もしプーチンが満面の笑顔でスタンディングオベーションをしていたら? なんてったって曲はラフマニノフ。ありえる。いや、それって金メダルよりすごいことかも!……そんな勝手な妄想を楽しむ今日この頃です。(編集H.O)

    誰も知らないクライミングの楽園へ

    中東の国オマーンの北の飛び地、ムサンダム半島の沿岸は岩登りの穴場。命知らずの若いクライマーたちが難攻不落の岩に挑んだ。

    文=マーク・シノット/写真=ジミー・チン

     世界で最も混み合う石油輸送路であるホルムズ海峡に面し、わずか40キロ先のイランと向き合うオマーンの飛び地、ムサンダム半島は、世界でも有数の軍事戦略上の重要地点だ。何百年もひっそりと孤立してきたこの半島を、部外者が訪れることはめったになかった。

     山がちな半島の海岸線は複雑で、いくつもの湾や入り江が迷路のような地形を織りなすリアス海岸となっている。海辺にそびえる石灰岩の断崖や絶壁に挑んだクライマーは、これまでほとんどいなかった。

     しかし、筆者は28年間のクライマー生活を通じて、これほど魅惑的な岩石層を初めて見た。一帯の断崖は海からいきなりそびえ立ち、「ディープウォーター・ソロ」と呼ばれるスタイルで登るには、絶好のポイントとなっている。
     ディープウォーター・ソロとは、深い海や川、湖などの水辺にある岩を限界ぎりぎりまでフリークライミングで登り、力尽きたら水に飛び込むというスタイルだ。ロープを使って降下する方法と違い、落ちるときに一歩まちがえば大けがや死亡にもつながる。

    【動画】ディープウォーターソロ(もっと大きな映像で見る)
    密輸業者の行き交う海峡でフリークライミング

     同行したガイドには「イランに近すぎる」と渋い顔をされた。ガイドは首都マスカット在住の元警察官だ。濃霧の向こうに、海峡を通過する石油タンカーの巨大なシルエットが浮かぶ。荷箱を山積みした高速艇が何十隻も海上を往来している。「密輸業者ですよ」と、彼が教えてくれた。

     国連の経済制裁下にあるイランでは食料や医薬品、その他の物資が不足している。ムサンダム半島で最大の町ハサブは、イランから高速艇で1時間、アラブ首長国連邦のドバイから陸路で200キロほどの距離にあり、密貿易の一大拠点となっているのだ。

     サラーマ島には昼過ぎに到着した。島とは名ばかりの、海からそびえ立つ巨岩だ。船を係留する場所がないので、エンジンをかけたまま、島の少し沖に停泊することにした。
     島をとりまく断崖には、海水の浸食作用で洞窟ができていた。アーチ状の天井には、暗灰色の石灰岩に、手がかりや足場になりそうな小さな凹凸が点在する。これこそ、求めていた挑戦の舞台だ。

    ※ナショナル ジオグラフィック2014年1月号から一部抜粋したものです。
    編集者から

     オマーンの特集って、そういえば以前にもあったような……おぼろげな記憶をたどってみたら、なんとそれは18年も前のことでした(愕然)。1995年5月号「石油の夢覚めたオマーン ラクダレースと自動車電話の流行る国」というタイトルに、時代感がにじみます。
     自動車電話ってご存じでしょうか? レンガほどもある、ごつくて重い車載電話が自慢の種だった時代が、そういえばありました。記事が掲載された95年にはスマホはまだ存在せず、インターネットも普及はまだまだ。米国の編集部とはCompuServeというパソコン通信のメールとファクスでやりとりしていました。隔世の感がありますね。(編集H.I)

  • アマゾンの原住民もFacebookを利用している。
    出稼ぎ労働者の待遇があまりにも悪い。

  • 一番印象的だった記事は「出稼ぎ労働者の愛と孤独」。

    アラブ首長国連邦の首長国の一つであるドバイ。
    昨今爆発的な経済発展を遂げているけれども、
    ドバイに暮らす210万人のうち、この国の国民はわずか1割。
    残り9割はなんと出稼ぎ労働者だという!驚きでした。

    近代化、グローバル化が進むほど
    裕福な人はさらに富み、貧しい人はさらに貧困に喘ぐ。
    祖国にいる家族に少しでも良い暮らしをさせるために、
    愛する人と離れて、刑務所並みに窮屈な宿舎で毎日を過ごす。
    なんて悲しい世の中なんだろう。やるせない…。

    「プーチン 野心の祭典」の記事も興味深い。

    ソチオリンピックの影にある血塗られた歴史。
    手つかずの自然が残っていた美しい村は、
    大規模な公共施設の建設で一変する。

    内戦が続いていたグルジア共和国に隣接し、
    かつてチェルケス人の大量虐殺が行われたとされる土地。
    プーチンはオリンピック会期中のソチでの
    抗議活動や集会を禁止しているという。
    ロシアの復権を世界中に誇示しようという彼の思惑。
    やはりこの国は恐ろしいというイメージが拭えない…

  • カヤポ族の現状は興味深かった。出稼ぎ労働者は、今後の日本の少子高齢化にとっても人ごとではない。

  • 「出稼ぎ労働者の愛と孤独」が特に印象に残った。クウェート、カタール、
    アラブ首長国連邦といった国々は、総人口に対する市民権のない住民(出稼ぎ労働者)の割合が世界で最も高く、90%近くにまで達するという。もともと人口が少なく労働力が不足しているのに、石油収入で潤っている今では、誰もサービス業や肉体労働をやりたがらず、外国人労働者をどんどん受け入れている。
    ドバイのリッツ・カールトン・ホテルで、泳ぐ客に飲み物を運ぶ「プール大使」の写真が載っていたけど、その服装にあきれた。スーツかタキシードを着て、シルクハットまでつけてプールの中を歩いていた(もちろんビタビタ)。向かう先には白人しかいないみたいだけどきっと金持ちなんだろう。価値観の違いと言ってしまえばそれまでかもしれないけど、この仕事には絶対にもっと別の適切な服装があるはず。カネにものを言わせて、不合理も無駄も気にしないお国柄がうかがえる。自分は幸か不幸かこういうサービスを利用することはないけど、利用したくない。
    記事では出稼ぎ労働者の悲哀がいろいろと紹介されていた。久しぶりに帰国できても「私が帰省している間は金が入ってこないんでね。妻はさっさと送り出そうとするんですよ」という人も。仕送りは一度味をしめたら最後で、家族はどんどんそれに依存して、より多くの仕送りを期待するようになる。出稼ぎ労働者はATMのような存在だとも。

    外国に出稼ぎに行かずにすみ、普通に働けば生活できる日本のありがたさを感じた。きれいなプールも産油国より身近だしありがたい。日本に来ている外国人労働者の人たちにもこれからはもっと敬意を持ちたい。

  • 「だからこそ、年長者が若者に言ってやらなければならない。白人の作った者を使うんじゃない。白人には白人の文化があり、私たちには私たちの文化があるんだとね。まねばかりしていると軽く見られて、何もかも奪い取られてしまうだろう。でもこちらが伝統を守って違いをはっきりさせていれば、彼らも無茶はしてこない」

    カヤポ族の村長の言葉がぐっと刺さった。
    早晩カヤポ族も現代人の生活にまぎれてしまうかもしれないけど、伝統を守るってこういうことでもあるのだな。
    この観点で見ると、歴史上、世界中に伝播してくる大きな文明を、無秩序に受け入れて消え去った文化がゴマンとある一方、何とか自分たちの伝統を守って生き永らえている強い文化もあるのだろう。

    「人類学者たちはかつて、先住民の文化を純粋なまま残しておきたいと考え、現代文明が導入されるのを毛嫌いした。だが文化も生き物と同じで、都合の良いものは取り入れながら進化する。それでも強い伝統は大切にされ、この先も守られていくはずだ。オウムの羽飾りを頭にかぶり、ペニスケースを着けて暮らす方が、バットマンのTシャツに短パン姿で生活するより偉いかどうかは分からない。だが、カヤポ族がもつ森の動植物に対する深い知識や、多様な文化、そして豊かな自然そのものにはいくら評価してもしきれない価値があるはずだ」
    そうだそうだ。

    出稼ぎ労働者の話も悲しくてやりきれない。

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