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- / ISBN・EAN: 4907953040984
感想・レビュー・書評
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久々の邦画。しかもかなり社会派。
そんな作品のタイトルは「凶悪」、見終えた今の気分は、「最悪」。
タイトルと出演者からして、暗さ満点。
観始めてすぐ、あまりに画面が暗くて、いくら明るくしてもそれ以上明るくならず、シーンを重ねてもずっと暗いので、太陽には申し訳ないけれど、カーテンを閉めた。物理的にも暗い映画なのだ。
お蔭で暗くなった我が家。まだ洗っていない食器が水に浸かっているシンクもアクセントとなり、その演出を手伝っている。
新潮45が実際に取材したノンフィクションを、映画化した作品。
原作は「凶悪-ある死刑囚の告発-」、こちらは未読。実際の事件は「上申書殺人事件」。
新潮45といえば、編集長の中瀬ゆかりさん(作中では村岡希美さんが演じている)。彼女は、わたしが学生の頃、講演に来てくださった。当時わたしはゼミで少年犯罪について研究していて、その時にちょうど、「新潮45が少年法に反して酒鬼薔薇聖斗の顔写真を載せたことについて」ディベートの準備をしていた。当時のわたしには、それに対してのディベートを行うことが負担だったんだろう、そのタイミングで講演にいらしていた中瀬さんに、意見を求めたことがあったっけ。自分のやり方が卑怯だ。あまりにも。
とってもとっても苦しい作品。
最近、心に沁みる洋画ばかりを観ていたせいか、かなりしんどかった。
ストーリーは、編集長の依頼によって死刑囚・ピエール瀧の話を聞くことになった担当記者・山田孝之が、まだ白日のもとにさらされていない事件について打ち明けられ、取材を重ねていく、というもの。
山田孝之が熱心に取材をするシーンがメインだと思っていたけれど、出演頻度とインパクトからして、ピエール瀧主演と言っても過言ではない。暴力の描写が多く、かなり過激。
山田孝之という役者はすごい。正義感ゆえに事件に憑りつかれた記者を見事に演じきっている。しかし家庭を蔑ろにしているというその闇深さもあり、ぴったりな配役。
ピエール瀧とリリー・フランキーは端的に言ってやばい奴をぶれずに演じきっていて、そのあまりの自然さに引いた。ピエール瀧の暴力性と和やかさのギャップ、リリー・フランキーのイカれっぷりはやばい。
山田孝之の妻は池脇千鶴が演じていて、彼女が夫に「私は今生きてるんだよ」と訴えるシーン、認知症の義母との生活に疲れ切っている気持ちを吐露するシーンが印象的でした。事件の取材で彼は追い込まれていた。しかし同様に、妻も追い込まれていた。違った形で、みんな何かに追い込まれている。いずれにしても、放置をすれば膿が出る。
久々に観た、超ヘヴィー級の邦画。
履歴から紹介される作品が、一変した。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人間が一番怖いっていう映画。
実話っていうから恐ろしすぎ!!でもニュースとか見ると普通の人が犯罪を犯しているのが多いのでこの事件も珍しいもんではないと思う。
見るのは正直堪えました。三人目のお爺さんに酒を飲ませるくだりとかは、かなりキツかったです。
あのお爺さん役の人が精神状態大丈夫か心配です。
リリーフランキーさんにピエール瀧さん、こんな役よく引き受けたなって思いますが良かったです。
山田孝之さんも安定した演技力で良かったですし、また見たいとは思わないけど満足出来た作品でした。 -
許せないのは誰
これは実話を元にしたフィクション。
被害者や犯人の話を記者が聞き出し、実際にあった事件を追体験するという構図は「罪の声」と似ている。
同白石監督の「孤狼の血」のような、やり方も描写も汚い映像が続く所にむしろ独自の味さえ感じる。
違法に土地を転がすブローカーと半グレ男が手を組み、何人もの人を殺して金を得てきた。
その事実が明るみになった時、命を換金してきた人間が次々と捕まり、立証できる事件の罪の重さだけを背負わせることになる。
取材の中で余罪を知っている記者としては納得がいかないだろう。
「老人たちは油田だよ」という犯人の言葉、
ある人物の「介護中殴ることに罪悪感を覚えなくなった」という言葉が一つの場所で交わされた時にこのような事件が起きるのだなと。 -
大変なものを観てしまった…と思いました。
胸糞悪いですが圧倒されました。
これがノンフィクションの映画化というのがすごいです。
原作を読みたくなりました。
リリー・フランキーさんの木村とピエール瀧さんの須藤が怖いです。
演技が上手すぎて…特にリリーさん自然過ぎて…容赦ないところと周りの人を大事にする緩急がリアルでした。
法廷で睨み合ってるところピリピリしました。
あと今見たのでピエールさん洒落にならんと思ってしまいました。
山田孝之さんも上手いですが、奥さん役の池脇千鶴さんもすごかったです。
この人は原作にも出てくるのだろうか。
彼女が居ることで一般人というか部外者の視点が入って、観ているこちらははっとしました。記事を読んだ感想、わたしもこんな感覚なんだろうなと思わされます。
しかしやっぱりこれがノンフィクションだというのがすごいし怖いです。
須藤とか先生みたいな人いるんだろうなぁ…
でも3人目のおじいちゃんの家族みたいに、普通に生きてても踏み外すこともあるんだろうな。
狂って転がり落ちるなんて、多分すぐ横にいつもある気がします。 -
胸くそ悪いとはまさにこの映画の為であろう台詞。
観終わった後の爽快感はゼロに近い。
しかし、まさに映画を観たというそんな焦燥感。
何と言っても、ピエール瀧とリリー・フランキーの二人が
圧巻すぎて、言葉を失うばかりであった。
まさに名演。ここまでクソな人間を演じるとは。
勿論、山田孝之だってさすがの一言である。
名優たちの共演で、まさに映画は彩られていた。 -
実際に起きた連続殺人事件を扱った犯罪ノンフィクションの映画化。つまり、園子温の『冷たい熱帯魚』の類似作だ。
愛犬家連続殺人事件の主犯・関根元をモデルにした『冷たい熱帯魚』の村田幸雄(でんでんが演じた役)も冷酷な悪人だったが、本作の「先生」(リリー・フランキー)はさらに怖い。一見温和なインテリ風で、じつは血も涙もないという落差が怖い。しかも、人を殺す場面で妙に楽しそうなところが怖い。
犯罪者型サイコパス(犯罪を犯さないサイコパスも多い)の一典型を、リアルに描き出すことに成功した映画なのだ。
『冷たい熱帯魚』と比べれば、この『凶悪』のほうが映画として優れている。
観客の劣情に訴えるエログロ描写ばかり目立った『熱帯魚』よりも、抑制の効いた演出がなされた本作のほうが、映画としての品格が高いと思うのだ。
終始張りつめた緊張感があふれ、日本映画特有の湿っぽさがないのもよい。乾いたタッチのハリウッド産クライム・サスペンスのようだ。
主人公は、事件の謎を追う月刊誌記者(山田孝之)。しかし、観終わっていちばん印象に残るのは、後半から登場するリリー・フランキーのほうだ。
『ぐるりのこと。』でも『そして父になる』でもそうだったが、リリー・フランキーの演技力はすごい。本業の俳優食いまくりである。 -
* リリーフランキーとピエール瀧がもうぶっ壊れてる。サクサクと人を殺していくし、感情がおかしい。同じヤクザでもアウトレイジに出てくるヤクザとは全然違う。
* 何より怖いのが、二人とも親として普通に子供に優しくしたり、後輩に凄く優しかったり、あくまで普通の人間っぽいところが恐ろしい。本当に普通の人間なんだなって。
* じいちゃん見捨てちゃう家族とか見てると、きっと日本にはまだまだ見つかってなくて、こうやって殺されてる人とかたくさんいるんだろうなーとか思っちゃう。
* ニュースで流れてる殺人事件の裏には、こんな壮絶なドラマが隠れてるのかと思うと本当ぞっとする。
* 山田孝之は実は正義の記者なんだけど、彼の抱えてる私生活も、池脇千鶴がまた嫌な感じで胸糞悪くしている。映画のどこの部分にも光はない。
* それにしてもリリーフランキーの演技力すげえなと思った。そして父になるでも、万引き家族でも、まったく違う味を出していて。この映画で山田孝之睨むシーンとか本当に同じ役者とは思えないほどに怖い。 -
山田孝之が、凶悪の犯人だと思ったら、
正義の記者だった。
ピエール瀧の凶暴な暴力団の存在感がスゴイ。
なにゆえに、殺人をするのかと言うことを考えれば、
「先生」をしたっているがゆえに と言うことだろうか。
先生は リリーフランキー。
人が死ぬことで、お金に換えることができる。
錬金術師。人を殺すことが、カネのためなら、
なんとも思わない。
ピエール瀧とリリーフランキーのなんとも言えぬ緊張感。
ピエール瀧から、手紙をうけて、山田孝之は、真相を追う。
その執念もスゴイなぁ。
編集長には、なかなか認めてくれない。
家にもどれば、認知症の母親がいる。
ヨメは それに手こずっている。
それでも、追いかけつづけることで、真実にぶつかる。
しかし、リリーフランキーに、
本当に殺したいと思っているのは、
山田孝之だろうと指をさして、言う。
その時に、凶悪さが 逆転した感じがある。
うまい、編集力 となる。 -
取材する記者の生活を加えながら、事件解明を進めることで、告発ものから人間ドラマへと視野が広がり、映像作品としての深みが出ました。リリー・フランキーやピエール瀧、山田孝之が揃って素晴らしい演技を見せるので見応えがあります。尼崎や北九州の事件現場を覗き見した気分にさせます。原作も読みたいですね。
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この映画に救いがないのは、裏テーマとしての高齢化社会の問題が重いからなのかも。もちろん殺人は重たいんだけど、事件とそれを追う記者の双方に老人が絡んでいて、特に殺人依頼する電気屋一家の存在が普通に生きる人と異常な事件とが地続きである事を暗示している。