NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2014年 2月号

制作 : ナショナル ジオグラフィック 
  • 日経ナショナルジオグラフィック社
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  • Amazon.co.jp ・雑誌 (148ページ)
  • / ISBN・EAN: 4910068470249

感想・レビュー・書評

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  • 先端技術で見えた脳の秘密

    途方もなく複雑な人間の脳は、どのように機能しているのか。脳の奥深くをのぞき見る先端技術を駆使した、脳研究の最前線に迫る。

    文=カール・ジンマー/写真=ロバート・クラーク

     脳研究の最先端では、さまざまな試みが行われている。ニューロン(神経細胞)の微細な構造を明らかにする研究もあれば、無数のニューロンが何千種類ものタンパク質をどのように生産して利用するかを調べて、脳のマップを作ろうという取り組みも進む。

     活動中の脳を可視化できるようになると、機能不全も突きとめやすくなる。健常者の脳と自閉症者の脳、統合失調症やアルツハイマー病の患者の脳の構造的な違いを探る研究も始まっている。脳の構造と機能の関係がより詳しくわかってくれば、病気の診断や発症メカニズムの解明につながる可能性がある。
    脳を見るために脳を消す

     脳を可視化する最先端技術の中でも、特に意外なのは、米スタンフォード大学の神経科学者で精神科医でもあるカール・ダイセロスの研究チームが開発した手法だろう。脳を見るために脳を消す――そんな逆転の発想に基づいたものだ。

     ダイセロスの研究室を訪ねると、学生の一人が、ビーカーを5、6個並べた台の前に案内してくれた。彼女はその一つを手に取って、底に沈んでいるマウスの脳を指さした。よく見ないと、どこにあるのかわからない。脳はブドウの粒ほどの大きさで、ほとんどガラス玉のように透明だった。

     人間やマウスの脳は不透明だが、それはニューロンが、脂肪など光を通さない物質に包まれているためだ。だからそうした不透明な物質を取り除いて透明な標本を作れば、脳を切り刻まなくても、脳内のニューロンの位置やつながりを調べられる。ダイセロスは研究員のグァンフン・チュンとともに、不透明な物質を取り除き、透明な分子だけを残した標本を作製する技術を開発した。

     この技術でマウスの脳を透明にしたあと、蛍光物質を使って特定の種類のニューロンを色づけし、たとえば脳の離れた領域を結ぶ回路を観察することができる。色づけする対象を変えれば、さまざまな種類のニューロンの位置や構造を可視化できる。「配線をばらさなくても、配線図がわかるわけです」とダイセロスは説明してくれた。

    「CLARITY(透明性)」と呼ばれるこの技術は、脳科学者たちに衝撃を与えた。
     ゆくゆくは人間の脳の透明サンプルも作製したいとダイセロスは考えているが、人間の脳はマウスの脳の3000倍も大きいとあって、技術的にはるかに難しい。いずれはCLARITYが自閉症やうつ病などの診断に役立つ可能性はあるが、そこまでの道のりはまだ遠い。このためダイセロスは、現時点では安易な期待はもたないように肝に銘じているという。

    ※ナショナル ジオグラフィック2014年2月号から一部抜粋したものです。
    編集者から

     今回の特集で何より驚いたのは、マウスの脳を透明にする技術「CLARITY」です。この技術は、米国の科学雑誌『サイエンス』で2013年の重要な科学成果「ブレークスルー・オブ・ザ・イヤー」の一つにも選ばれました。その衝撃的な写真は本誌にも掲載していますが、2月半ばに発売するiPad版には、蛍光物質で着色した「透明脳」の3Dアニメーションを収録予定。まるで脳の中を探検しているような不思議な気分を味わえますよ。
     もう一つ興味をもったのは、脳からの信号に従って四肢を動かす装置「エクソスケルトン」。脊髄損傷などで体を動かせない患者にとっては、福音となる可能性のある技術です。開発チームを率いるブラジル出身のミゲル・ニコレリスは、今年のサッカー・ワールドカップでこの装置をお披露目したいと考えているそうです。うまく行けば、エクソスケルトンをつけた患者が開幕戦でキックオフをする勇姿を、世界中のサッカーファンが目の当たりにするかもしれません。(編集T.F)

    ゴールドラッシュ再来 揺れるユーコン

    ゴールドラッシュが再来し、好景気に沸くカナダのユーコン準州。鉱山開発の波が、北米大陸で最後に残る原生の大自然を脅かしている。

    文=トム・クラインズ/写真=ポール・ニックレン

     カナダ西部と米国アラスカ州の間に打ち込まれた、巨大な三角形のくさびのようなユーコン準州は、“北のセレンゲティ”とも呼ばれる。カリブーの大群が季節ごとに移動し、北海道に匹敵する面積のピール川流域に原生の自然が残る、野生生物の楽園なのだ。
     だが一方でユーコンは、金、亜鉛、銅といった鉱物資源の宝庫でもある。

     ユーコンの豊かな鉱物資源は、ここへ来て再び、採鉱企業の注目を浴びている。2011年には、鉱業権の申し立てが11万5000件以上に急増した。その背景には、金をはじめとする鉱物の取引価格の上昇などがある。

    「彼らはユーコン全体を食い物にしてしまいます」と語るのはトリッシュ・ヒューム。カナダ先住民による自治政府の一つ、シャンペン・アンド・アシヒック・ファーストネーションズの一員だ。彼女自身も鉱業関連の地図製作を仕事にしている。
     だが、鉱山開発が行き過ぎると、環境や文化に与える損失が利益を上回ってしまう。ユーコンはその曲がり角に差しかかりつつあると、ヒュームは言う。

    「外からやって来て鉱物資源を奪っていく人々は、私たちが狩る動物、私たちが食べる魚、私たちが暮らす大地がどうなろうと、お構いなしです。いっときの好景気が去った後、わずかな地元民だけで破壊された環境を元通りにできるはずがないのに」
    北米で最大級の鉄鉱床が眠る土地

     この地では1870年代から鉱脈探しの試掘が始まっていた。だが、ユーコン川とクロンダイク川の合流地点に近い小川で、3人の金鉱探しが実際に金を見つけたのは1896年のことだ。金鉱脈発見のニュースを人々が知ったのはさらに11カ月後、3人がずっしりと重い金を携えて米国のシアトルとサンフランシスコの港に上陸した時だった。数日の間に、世界中の新聞に大きな見出しが躍った――「金、金、金! 黄金色の宝の山だ!」

     こうして現代史に残る“集団ヒステリー”とも言うべき大狂乱が幕を開けた。蒸気船の運営会社が一獲千金の夢をあおり、切符売り場に殺到した何万人もの人々が、現地の様子もろくに知らないまま奥地へと旅立った。

     終わりは始まり以上に急だった。ユーコン準州が制定され、ドーソンが準州都になって1年後の1899年、米国アラスカ州西部のノームで有望な金鉱が見つかったという知らせが舞い込み、多くの砂金掘りがユーコン川を去ったのだ。壊血病に苦しみ、夢破れた後の過酷な現実に打ちのめされた居残り組の一部は、家財道具を売り払うと故郷へ引き揚げた。

     その後、1961年、スネーク川の支流を数キロさかのぼった所で北米最大級の鉄鉱床、クレスト・デポジットが発見された。その時は試掘が行われただけで、本格的な開発には至らなかった。しかしその後、アジアの新興諸国で鉄鋼の需要が増したことで再び注目が集まり、沿岸部まで鉄道を敷設する話が持ち上がった。

     今、一獲千金を狙う人々が押し寄せ、ユーコンは1890年代以来の好景気に沸いている。ゴールドラッシュの再来なのだ。

    ※ナショナル ジオグラフィック2014年2月号から一部抜粋したものです。
    編集者から

     日本より広い面積に、たった約3万7000人しか住んでいないというユーコン準州。でもその美しい自然にひかれて移り住む若者やアーティストも少なくないそうです。記事に登場するスコット・フレミングという名の大工もそんな一人でした。彼は「厳しくとも充実した暮らし」を求めてユーコンに移住し、金鉱探しを始めますが、あと一歩で大金持ちになれるというところで降りてしまいます。その理由を語った彼の言葉が印象でした。(編集M.N)

    ルネサンスの奇跡 フィレンツェ「花の大聖堂」

    イタリア・フィレンツェが世界に誇る優美なドーム。ルネサンスの奇跡とも言うべき直径55メートルの巨大ドームを造ったのは、短気でさえない男だった。

    文=トム・ミューラー/写真=デイブ・ヨダー

     フィレンツェにあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母)大聖堂のドームは、石造ドームとしては現在も世界で最も大きい。天才フィリッポ・ブルネレスキが革新的な工法で、1436年に完成させた最高傑作だ。だが、あまりに壮大な構想を危ぶむ声も当初はあり、その完成までにはライバル建築家との確執や壮絶な主導権争いといった人間模様が繰り広げられた。

     大聖堂の屋根にぽっかり開いたまま残されていた、巨大な穴をどうするか。1418年、フィレンツェ市の有力者たちはついに何十年も目をそらしてきた大問題の解決に乗り出した。当時としては世界最大となるドーム(クーポラ)の建設を決定したのだ。

    大聖堂とその天井画を360°パノラマビューで見る
    >>もっと大きな画像で見る

     金融や交易で富を蓄え、欧州有数の経済と文化の中心地となったフィレンツェの威信を示すため、この大聖堂の建設が始まったのは1296年のことだった。だが、それから何十年たっても、大聖堂の主祭壇があるべき場所には屋根が造られず、冬の雨と夏の陽光が降り注いでいた。これほどに巨大なドームを建造できる案を、誰も持ち合わせていなかったのだ。
    設計コンペで募った巨大ドームの建設案

     1418年、市の有力者たちは設計コンペを実施し、これらの問題を解決する設計案を募集することにした。優勝者にはフローリン金貨200枚と、永遠の名誉を手にする機会が用意された。「ドゥオーモ」の呼び名で親しまれるこの大聖堂は、フィレンツェ人の発明の才を体現し、ルネサンスの幕開けを告げるものとなった。

     歴史書の記述によれば、コンペに寄せられた設計案は陳腐なものが多かったという。ドームの設計に名乗りを上げたある建築家は、大聖堂の中心に巨大な柱を立ててドームを支える案を出したという。別の建築家はドームの重量を最小限に抑えるため、「スポンジ石」(多孔質の火山岩のことらしい)で建設することを提案した。

     現時点ではっきりしているのは、提案者の一人、フィリッポ・ブルネレスキという金細工師が、一つではなく二つのドームを建てると大見得を切ってみせたことだ。
     短気で小柄な、さえない風貌のこの男は、外側のドームの内側にもう一つのドームを造るという二重構造を提案し、手間も費用もかかる木製の枠を使わずに建設すると約束した。

     ただし、ブルネレスキはライバルにアイデアを盗まれるのを恐れて、具体的な方法の説明は拒んだ。そのかたくなな姿勢は大聖堂造営局の委員たちとの激しい口論へと発展する。彼らは2度にわたりブルネレスキを議論の場からつまみ出し、「愚か者!大口をたたくな」と、ののしった。

     それでも、委員たちはブルネレスキの謎に満ちたデザインに想像力をかき立てられた。もしかすると、この「愚か者の大口たたき」が天才だということを、すでに知っていたのかもしれない。

    ※ナショナル ジオグラフィック2014年2月号から一部抜粋したものです。
    編集者から

     フィレンツェに旅行して、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を目にしない人はいないでしょう。人口40万人足らずの街が世界に誇る花の大聖堂です。このルネサンスの最高傑作を建築したのは、天才フィリッポ・ブルネレスキ。ドーンと空にそびえる巨大なドームは美しいだけでなく、その構造も突出して優れた建造物です。図解に示されるドームの内部構造は必見です。
     天才の仕事には見とれるばかりですが、当時、先輩で著名な建築家ロレンツォ・ギベルティとの間にし烈な主導権争いがあったことはあまり知られていません。記事は、二人の男の情念と確執を描きます。
     お互いを貶めるその陰湿さたるや、いやもうホントに見ていられません。しかし、そんな男たちの情念の果てに、後世に残るあの美しい大聖堂が生まれるのだから不思議です。傑作とは案外、そんなふうに出来上がるのかもしれません。その瞬間に立ち会っているような気持ちにさせてくれる、見応えのある特集です。(編集N.O)

    インドの祭りが明かす 群衆の“効能”

    インドの祭り「クンブメーラ」は世界最大級の宗教行事。ヒンドゥー教徒たちはガンジス河畔に集い、大群衆の一部となることで心身の安らぎを得る。

    文=ローラ・スピニー/写真=アレックス・ウェッブ

     人が大勢集まると個人としてのアイデンティティーが失われ、人間らしい理性や道徳心まで消えてしまう――西洋ではそんなふうに考えがちだ。
    「ところが実際には、人が集まることは社会にとって不可欠な営みであると、私たちの研究成果は示しています」と英国の心理学者スティーブン・ライカーは言う。

    「人は集団のなかに身を置くことで、自分が何者であるかを自覚し、他者との関係を構築するのです。心身ともによい影響がみられます」

     自説を検証するため、ライカーは共同研究者らとインドのアラハバードへやって来た。聖なるガンジス川とヤムナ川、伝説上のサラスワティ川が合流するヒンドゥー教の聖地で、その昔、神と悪魔が争って不死の霊薬「アムリタ」の滴がこぼれ落ちた地とされる。ここで沐浴をすれば、罪は洗い流され、極楽浄土に一歩近づけると信じられている。
    12年に一度、大祭の年には7000万人が巡礼

     毎年、数百万人がアラハバードに巡礼し、沐浴の儀式を行う。12年に一度、星の並びが特によいとされる年の祭りは「マハー(偉大な)・クンブメーラ」と呼ばれ、巡礼者の数は一桁増える。大群衆を迎え入れるため、ガンジス川の氾濫原には急ごしらえの巨大なテント村が出現する。2013年には56日間にわたるマハー・クンブメーラの期間中に、推定7000万人の巡礼者が訪れた。
     メディアや観光客は、裸身に灰を塗りたくった聖者たちの行列に目を奪われる。だがライカーたちの興味の対象は、そうした目を引く人々ではなく、群衆に溶け込んだ普通の人々だ。

     巡礼者たちの日課は夜明け前の沐浴に始まり、一日一食きりの簡素な食事と家事のほかは、祈りと詠唱に明け暮れる。彼らは聖なるガンジス川の水を飲み、沐浴する。地元当局の調べによれば、この川は下水や工場排水による汚染がひどく、飲むにも沐浴するにも適さない。

    「滞在中に体調を崩したことはありませんか」。祭りに参加した70歳と65歳の夫妻に、私は尋ねてみた。夫は首を横に振った。この祭りに参加するのは12回目だが、毎回、来たときよりも良好な精神状態で家路に就くという。本人の言葉を借りれば、「神々の間で暮らす」日々が、人生のつらさを忘れさせてくれるそうだ。「心が元気になれば、体の調子もよくなりますよ」

     研究チームは、2011年の祭りの前後にフィールド調査を実施した。田舎の村々へ調査員を派遣し、巡礼予定者416人とその隣人127人に心身の健康状態を尋ねたのだ。
     村に残った人々は、調査期間中にこれといった変化はなかったと答えている。一方、巡礼者の回答では、健康状態に約10%の改善が認められ、痛みや息切れの軽減、不安の解消、活力の増大などが見られたという。こうしたプラスの効果は少なくとも数週間、うまくすれば数カ月にわたって持続した。

     集団の一員となることで、健康状態がよくなるのはなぜだろう?
     心理学者はアイデンティティーの共有がその鍵だと考えている。「“私”から“私たち”へと、考え方が変わるんです」とライカーの共同研究者ニック・ホプキンズは説明する。それに伴って他者との関係性も変化し、「他人とみなしていた人々が、仲間に見えてくるのです」。互いに支え合い、競争が協調へと変わり、一人では不可能だった目標に手が届く。そんな体験が気持ちを前向きにし、心身の回復力を高めて健やかにしてくれるのだ。

    ※ナショナル ジオグラフィック2014年2月号から一部抜粋したものです。
    編集者から

     海外ニュースで「インドの祭りで将棋倒しの死亡事故」といった報道を目にしたことはありますが、巡礼者の大群衆で知られるヒンドゥー教の祭りを舞台に、心理学者たちがこんな研究をコツコツと進めていたとは意表を突かれました。さらに驚いたのが、巡礼者たちが滞在する巨大なテント村。祭りのたびに短期間で一通りの都市インフラを整備するというのですから、すごいものです。
     写真で見るガンジス川の水は茶色く濁り、大勢の人々がそこで沐浴しています。信者の人たちはこの水をありがたく飲んで、病気にもならず帰っていくというのも不思議です。短めの特集ですが、インドという国の、なんとも言えない奥深さをうかがわせてくれます。(編集H.I)

    わが街はかくも愛しき 老作家、故郷を語る

    街は人々の思い出でできている。見慣れた建物がなくなり、愛する人がこの世を去っても、思い出は色あせない。そんな故郷への愛を、一人の老作家が語る。

    文=ギャリソン・キーラー/写真=エリカ・ラーセン

     私の故郷は、米国ミネソタ州のミネアポリスとセントポール。ミシシッピー川をはさんで両岸に位置する二つの都市は、「ツインシティー(双子の都市)」と呼ばれ、互いに切っても切れない関係にある。

     私を乗せた飛行機は、ミネアポリス・セントポール国際空港へと東から近づいていく。徐々に高度を下げながらミネソタ州に入り、デンマーク郡区の農場の真上を通り過ぎる。母が妹を訪ねて、楽しい夏の日を過ごした場所だ。南へ進路を取ると、セントポールのダウンタウン、そして銀色に光る鉄道の線路が目に入る。この線路を走る長距離列車の郵便車両が、父の仕事場だった。たった今通り過ぎた大聖堂の近く、古い石造りの邸宅が並ぶ通りに私の住まいがある。
    飛行機の窓から見える、ガールフレンドとデートした丘

     さらに進むと、20代の頃にジャズ・クラブによく通ったメンドータの町が見えてくる。上空で旋回し、さらに高度を下げてミネソタ川の上を通って空港に着陸する。飛行機の窓からは、ガールフレンドとデートした丘が見える。降下する飛行機を車の中から眺めたり、キスをしたり……。着陸までの1分間に、過ぎし日の思い出が次々とよみがえってきた。

     空港には新しい滑走路もできたが、そちらに降りるときは、まるで見覚えのない景色ばかりだ。高度が1500メートルを切っても位置関係がわからない。
     私は現在71歳。この地で生まれ、人生の大半を過ごしてきた。地元ではカーナビなど使うものかと思っているが、帰ってきて、自分がどこにいるのかわからなくなると少々情けない。それでも空港から車を東へ走らせ、ミシシッピ川が見えてくれば、すぐに方向感覚が戻ってくる。

     私のお気に入りの日課は、娘を学校へ送ることだ。道すがら、不良ぶった青春時代を過ごした界隈、22歳で童貞を失った家の跡地、そして2番目の妻メアリーと暮らした家の前を通る。離婚しようと決めた途端に彼女の妊娠がわかり、結局別れるのをやめた家だ。

    「なんかおもしろい話ない?」と娘が聞く。そこで「パパは昔、ポニーテールだったんだ。ほんの短いやつだけどね」と言うと、娘はまじまじと私の顔を見た。いや、本当なのだ。1972年前後のわずか1、2年だけだが。どうやら嘘ではないとわかった娘は、腹を抱えて笑った。
     しばらく車を走らせると、カルフーン湖が見えてくる。ポニーテール時代、ある女性とここで裸で泳いだことがある。彼女も今は外科医。どこかで出会っても、あの日の話はしないだろう。それでもこの湖を目にすると、彼女の美しい背中やお尻を、ふと思い出してしまうのだ。

     私はこのツインシティーで計25回も引っ越した。いずれもダウンタウンから数キロの場所だ。この落ち着かない生活は50年近くも続いたが、今は大恐慌の頃に17歳の母がクッキーを売り歩いていた地区に住んでいる。数ブロック南には、かつて父が乗っていた長距離列車が走る。列車の中で郵便物を仕分けする父、クッキーの袋を手に家々を回る母、長いこと欲しかったカヌーをこぐ兄のフィルと私。12歳、43歳、そして71歳と、さまざまな時代の私がいる。歴史を積み重ねた中世の都市のように、この街ではあらゆる時が一つになっているのだ。

    ※ナショナル ジオグラフィック2014年2月号から一部抜粋したものです。
    編集者から

     昨年、大ブームを巻き起こした「あまちゃん」ばりの郷土愛がたっぷり詰まったこの特集。米国人も日本人も変わらないな、と思わせてくれます。が、実は私、地元を愛するアキちゃんより、都会に出たいユイちゃんにシンパシーを感じる派。大学の小論文の模擬試験で「通勤ラッシュ」というお題が出たときは、何も書けず、こう思いました。「ああ、ラッシュにあってみたい!」……今私は、都心から海のそばに引越し、毎朝ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗ってお仕事がんばってます。みなさんはどっち派?(編集H.O)

  • 集団の一員となることで、健康状態がよくなるのは、アイデンティティの共有。私から、私たちへと考え方が変わる。

  • 「脳の秘密」が面白かった。

  • 特に印象深かったのが「ルネサンスの奇跡 花の大聖堂」。

    フィレンツェにあるドゥオーモと呼ばれる大聖堂。
    当時の技術を考えると、建設不可能と見られていた難工事を、
    見事にやってのけたという建築家のブルネレスキ。
    現代でも工法の詳細が分かっていないというから、凄い事ですね!

    「わが街はかくも愛しき」もすごく良かった。
    写真、文章共にとても美しくノスタルジーが感じられる素敵な記事。
    いつでも自分を受け入れてくれる故郷。優しい気持ちになります。

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NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2014年 2月号はこんな雑誌です

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