劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語(完全生産限定版) [Blu-ray]

出演 : 悠木 碧 
4.47
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感想・レビュー・書評

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  • ほむらの絶望、ほむらの後悔、ほむらの決意。
    痛いくらいにほむらの心情が伝わってきて、その恐ろしいと感じさせるほどの愛の大きさなど、虚淵さんのシナリオだけあって沼の底から突如現れた化け物に胸部を抉り取られたような衝撃でした...。

    表現ひとつひとつがこの作品独特の不気味さのある表現で、世界観とストーリーが噛み合ったストーリーの素晴らしさを再確認させられました。
    画面上の伏線も多く(お茶を入れにいくマミさんが画面から消えた後にちらりと見える黄色いリボンとか)、何度見ても飽きのこない作品です。
    考察厨的にはこれ以上ないくらい、考察するのが楽しい作品だと思います。

  • <PUELLA MAGI MADOKA MAGICA THE MOVIE : REBELLION>
      
    特典CD:2015年12月6日
    『本編BD』2015年12月13日鑑賞
    『特典BD』2016年1月5日鑑賞

  • Blu-rayで再び。やはり面白い、凄い。
    個人的な印象では、前半はビューティフルドリーマー、後半は永井豪版デビルマンかな。虚淵玄の永井豪リスペクトは今までにも見られていたけど、今回は直接話の展開に取り入れてきた。
    他にも元ネタいっぱいで、本編同様に過去の他作品のアイデアの寄せ集めでではある。しかし、その寄せ集めをここまで高い水準で集成し、なおかつあれだけ綺麗に完結した本編から全く予想しない形で物語を構築したというのは大変なことだと思う。

  • 2014 4/13 付属ブックレット等も含めて鑑賞。
    本編はたぶん購入して依頼、4周くらいしている。


    前半の明るい世界も、中盤のほむほむの悲劇も、後半の悪魔化も、どこも何度見ても面白い+かけっぱなしにすると心地いい+イヌカレー空間は良い。劇伴も良い。たぶんこれからもう数周すると思う。

  • 最高だった。
    Blu-rayにあわせての修正も多い。
    流石シャフト。
    映画を何回も観ても、見飽きない。

  • 映画本編はストーリー、映像、音楽、キャラクターどれをとっても素晴らしいの一言。

    オーディオコメンタリーも興味深くて、HOMURA 1st take versionもほむらちゃんの悪魔っぷりが上がってて楽しめた。確かに別物。
    ノンクレジットOPも新しいカットが入っていて、とても満足。

  • 2013年に公開された劇場版"魔法少女まどか☆マギカ"の完結編。さすがに劇場で観ている作品なので、あの時のような衝撃は無かったですが、特典で収録されている"HOMURA 1st take version"は、ほむら役の斎藤千和さんの演技力の高さに驚かされます。もう完全に振りきれてます。これが本当の悪魔ほむら、いや魔王ほむらですね。あのバージョンを劇場で観てたら、作品に対して全然違う印象を持っていたと思います。また、スタッフの作品への愛や気合が感じられる特典で、パッケージとして手元に置いておきたい作品です。

  • はじめに、この映画をより深く知りたい方は、この動画を見ていただきたいです。

    https://www.youtube.com/watch?v=dSBwbaHgXFA

    http://www.nicovideo.jp/watch/1383940330

    (同じ動画です)

    僕は岡田斗司夫以上に「深く」「分かりやすく」「面白く」物語を語る人を知りません。こんな動画を見てしまった後、自分などにはこの物語について語る資格ないとすら思います。

    ゆえに、このレビューでは、暁美ほむらという一人の少女に限定して書こうと思います。




    初めて劇場でこの映画を観たとき、一つだけ腑に落ちない部分があった。それは「私は この世界で死ななきゃならないの」という台詞と「このときを待ってた」という台詞の矛盾である。

    まず、暁美ほむらが円環の理から鹿目まどかという人格をもぎ取ろうと決心したのはいつか? それは間違いなく花畑での二人の会話のときだ。その時に初めて暁美ほむらは鹿目まどかが「自分だって寂しいけどみんなのために神になった」ことを知るし、会話の途中には未来視までしてしまっている(映画のラスト付近のカットが入る)。暁美ほむらはこの時に、彼女を一人にしないために悪魔になる決心をしたのだ。「ひとりぼっちになったらダメだよ」という優しさを、そのまま返すかのように。だからこそ「私にはまだやることがあるから」と言って、一番愛しい人から離れる。

    そして暁美ほむらの魔女化シーン。彼女はインキュベーターに鹿目まどか(円環の理)が観測されないように、魔法少女たちに必死で訴える。ここで死なせてくれと。わたしを助けることはまどかのためにならないのだと。


    さて、彼女が花畑で決心したならば、この魔女化一連の流れは全て「決心」のための演技、作戦だということになる。しかしどう見ても演技には見えない。あれは魂の叫びだ。これはどういうことなのだろう。


    結論から言う。あれは演技ではない。かといって、決心するタイミングが違っていたわけでもない。彼女は本気で「このときを待っていた」し、本気で「この世界で死ななきゃならない」と思っていた。つまり、“矛盾している状態こそが、暁美ほむらとしての正しい姿”だった。上の動画ではこのことを白痴と呼んでいたが、僕はメンヘラだと思っている。暁美ほむらはメンヘラだったのだ。ほら、メンヘラの人って矛盾したことを平気でいうけど、嘘は言わないでしょ? 例えば死んでやるって本気で思ってるけど、結果的に死ねないから嘘になってしまってるだけとか。

    メンヘラだと仮定すると、辻褄が合ってくる。上の発言の矛盾もそうだし、他にも愛の重さ(独占欲的)とか、思い込みの強さとか。魔力だって絶望から希望への相転移で決まるみたいだし。

    そうすると悪魔になることの別の側面が見えてくる。彼女は鹿目まどかを一人にしないために悪魔になったが、それは同時に「本当にまどかを理解しているのは自分だけ」という状態を作り上げることだった。彼女は鹿目まどかが幸せになることでしか、自分を守れない。鹿目まどかの幸せが、ライナスの毛布だった。その証拠に、彼女はこの映画が始まって以来、ようやく精神的に安定する。

    鹿目まどかの幸せという毛布の力は絶大だ。ルールを破るのは良くないと思う、と自分の行動を否定されてもなお、敵になるかもしれないことを自覚してもなお、鹿目まどかに微笑み、リボンをつけてあげる余裕があるのだから。あの泣いてばかりいたメンヘラが。

    もちろん宇宙改竄後の世界は、鹿目まどかがふと自分の役割を思い出すだけで崩れてしまうほどに脆弱だ。暁美ほむらの安定は、とても不安定な世界の上に成り立っている。

    おまけに彼女はもはや、誰からも承認されない。理解されない。神よりも孤独な存在になってしまった。

    それでも彼女は踊る。幸せになるであろうパートナーを思い描いて。

    僕にはそれが、やがてこの世界が失われるのが分かっているかのように見えた。


    おしまい。


    余談だけど、このラストに納得できない人って、ある程度満たされてる人なんだろうなぁと思う。人間は幸せになるもんだと思ってる人って言い換えてもいい。もちろん暁美ほむらに報われてほしいって気持ちもあるけど、そんなことより自分の仲間がいるって喜びが俄然勝つんだよなぁ。別に不幸自慢じゃなくて、やっぱ世界はこうだよね? ていう安心感?

    自分性格悪いなぁとももちろん思いますけどね笑

    あと、僕はメンヘラのことを一切合切バカにしてるつもりはありませんので。あしからず。

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