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感想・レビュー・書評
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東京に来てよかった
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地元へUターンしてきた登場人物たちの、拭い難い田舎への呪詛。
ずっとこの地で過ごす事になんの疑問も抱かない知人友人たちへの呪いとも言うべき感情をつらつらと描写している最初の方はなかなか面白かったのだけれど、延々と高校生時代のスターでありアイドルでもあったカッコいい男子、椎名くんが登場してきて彼をめぐる女の子たちのなんだかよくわからない群像劇になってしまって後半は、なんというか、どうでもいい話になった気がする。
ちょっと期待はずれ。
この作品、廣木隆一が監督し、作者自身が脚本を書いて門脇麦と橋本愛が主演した映画になったらしいけれど、ロケ地が富山、と聞いてなるほどなぁ、と。原作中には言及はないけれどやはりこの舞台(モデル)は富山か。
その地元富山ではロケ地マップなど作ってちょっとしたイベント、お祭りにしていたみたいだけれど、原作を読めばわかるように、これは作者の(どうやら本当に富山出身らしい)救いようの無い、チェーストア地獄の文化果つる地、どうしようもない田舎=富山への怨嗟さがにじみ出た作品だからなぁ。喜んでる場合ではないような。 -
読もうと思った理由
著者の「あの子は貴族」が面白かったので他も読みたいと思ったから
地方・退屈な女性の感情がうまく書かれていて面白かったです。読みやすくてほぼ一気に読んでしまいました。 -
「ロードサイド」小説と呼ぶのだそうだ。郊外というよりは、田舎の国道沿いに大型商業施設やチェーン展開の店舗などが並ぶ「ファスト風土」が舞台だ。
主人公たちは、その街で育った若者たちである。視点人物は「女性」。共通して登場する「椎名」は男性。田舎の閉じられた空間で思春期を過ごす「彼女ら」は「椎名」に憧れたり呆れたりしながら街を出たり戻って来たり、街の中にずっと居たり。
果たしてこれは、最近言われる田舎のロードサイドのつまらなさや味気のなさだけを描いているのだろうか。「ここは退屈」というのは、「ここ」が田舎だからなのだろうか。東京や大阪には退屈はないのだろうか。そう思いながら読みすすめた。
「退屈」なのは、田舎だからではない気がした。つまり、「思春期」が退屈なのだ。己が何者かわからない。もしかしたら、何かすごいことができるかも知れない。有名になるかも知れない。白馬の王子様が現われるかも知れない。そんな夢物語を描くからこそ平凡な日々が退屈なのだ。
そしてその退屈さは、男たち、特に「椎名」の見えかたに現われている。ただのおっさんになっていく「椎名」。しかし、その王子様だった頃の記憶だけを、彼女らは反芻する。もはや「椎名」は生身の「椎名」ではない偶像になる。
「椎名」だけではない、彼女らが関わる男たち、東京から戻ってきた男や中年でありながら10代の女の子と性関係を持ち、うまいこと逃げていく男など。彼らの中に彼女らの求める「何か」はない。それを彼女らも気づいている。
どういうわけか16歳でセックスを経験しないといけないと思い込み、王子様を探すが、結局王子様なんていないし、王子様だと思い込みきることもできない。結局、女の子どうしでおしゃべりしているほうがずっと楽しいと知る。思春期はやがて過ぎていくが、少女ともだちとの会話は確実に彼女らの「部品」となって、大人になってもその中に持ち続けていく。その「思春期」の葛藤や煩悶を超えたところに現われる「椎名」は、もう、ただの「男」で、あの熱狂はどこに行ったのかわからなくなる。
「少女どうし」という関係は、「女どうし」とは違う。個別の思いや憧れを共有したくてたまらない情熱や熱狂は、大人になったら薄れてくる。それぞれの暮らしや人間関係の中で、熱は冷め、自分の体温を知る。互いの熱さを感じていた少女たちは、ほどほどの「人肌」を知る。それは「喪失」でも何でもない。「処女」でなくなったら何かを失くすわけではないように。 -
若い頃にあった鮮やかな感情が歳を重ねることで色褪せていくような感じを味わうことができた。
椎名がそれぞれの短編に色んな形で出てくるところが地方特有の狭い人間関係を暗示しているようで、嫌な気分になって大変よかった。 -
2012年刊行。
窓際三等兵が言及しているのを見て、そう言えば読んでなかったとポチッた。「16歳はセックスの齢」がいちばん面白かったかも。作者はこの後は小説家じゃなくてエッセイストになってしまったらしくて残念。この本から影響を受けた作品、いろいろ思い浮かびますな。 -
ものすごい閉塞感が伝わってきた。タイトルも秀逸