北海道新聞は2003年11月から2005年6月にかけて、北海道警察の組織的な裏金事件を暴き出す調査報道を繰り広げた。本書の著者の高田昌幸氏はその調査報道の責任者として取材チームを引っ張った人である。関連記事は1400本にもおよび、二冊の本も出版された。この一連の報道は大きな反響を呼び、新聞協会賞、ICJ大賞、菊池寛賞などを受けるほど、高く評価された。もちろん、道新の読者もこの報道を熱く支持したのであった。
しかし、このことは北海道警察からの怨嗟を買い、大物OBである元総務部長を経験した佐々木友義氏から、報道には一部誤報があり、自らの名誉が毀損されたと訴訟を起こされる。さらに驚くべきことには、その訴訟に至るまでに北海道新聞の幹部と佐々木氏の間で何度も話し合いが持たれ、和解案の提示がされていたのである。
その記事とは、香港からの麻薬密輸を「泳がせ」て実行させ、港に着いた麻薬を摘発する手はずだったものを、それに失敗し、麻薬が国内に入ることを許してしまったという、「泳がせ操作失敗」の記事であった。北海道警察側はこの報道は事実無根であり、誤りを認めて、謝罪広告を出せと要求してきた。この報道は北海道警察関係者からの密告で発覚したものであり、文書などの証拠はことの性質上存在しなかった。警察側は情報を垂れ流したのは誰か、としつこく問いただすが、担当記者は情報源は明かせないと主張する。警察からの取材で干されていた道新側は妥協し、「あの報道は確固たる証拠なく報道しましたので、不正確でした、お詫びします」という謝罪広告を掲載するに至った。
しかし、一連の追求をしてきた佐々木元総務部長は自身の名誉毀損も含めて、訴訟に打って出てきた。長い裁判を経て、判決は著者の予想に反して、新聞社側に非を認め、関連した本を出版した出版社二社も含めた三社と記者に計72万円の慰謝料の支払いを求めた。被告側は納得せず、控訴、さらに上告したが、敗訴してしまった。
裏金事件報道のときは読者の評価も高かったが、その後、警察取材において道新はいわば「仕返し」されて、ネタをもらえなくなったため、新聞社の幹部が裏から、北海道警察と交渉し、「泳がせ捜査失敗」と記事を取り下げさせる要求や、その記事を書いた記者(本書の著者)を処罰せよと迫っていたのだ。著者は抵抗を試みたが、処罰は軽い、形だけだから、受けろという圧力をかけられ、仕方なく、処罰を受け入れることになった。
警察は巨大な権力機構であり、その組織からネタをもらって記事を書いている新聞社は基本的に警察に弱いのである。北海道新聞は果敢に警察の暗部に切り込んだが、その代償も大きかったという恐るべき事実がここに示されている。
高田氏はその後、泳がせ捜査に関わっていた警察OBに会い、さらに驚くべき事実を知る。このOBは拳銃の摘発で辣腕を振るった刑事で、その後、薬物に手を出して、逮捕され、刑務所に入っていた人物である。刑期を終えて出所していたこの人物に会い、泳がせ捜査の実態を問いただしたところ、もっと驚く事実が語られた。すなわち、警察が麻薬の密輸を許す代わりに、香港から拳銃100丁を入手し、それを警察に摘発させる手はずが整っていたのに、暴力団側が麻薬だけ密輸し、拳銃の提供をしなかった、というのである。高田氏たちがもっと丁寧に取材しておれば、実は泳がせ捜査失敗の実態はあったどころか、規模がもっと大きかったのである。北海道警察はこの内情をもちろん知っていたのに、道新側が拳銃入手の見返りを求めていたことを知らないことを良いことに、「泳がせ捜査失敗」の記事は事実無根と言い張って、裁判を戦っていたのである。やはり警察は恐るべき組織である。
なお、この拳銃摘発の辣腕刑事も、そのほとんどがやらせであり、裏取引の結果であったことも本人の口から語られている。