フューリー(ブラッド・ピット主演) [Blu-ray]

4.11
  • (3)
  • (4)
  • (2)
  • (0)
  • (0)
  • 本棚登録 :12
  • レビュー :5
  • Amazon.co.jp ・映画

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 2014年12月27日 新宿ピカデリーにて鑑賞

     (1800円も払って映画観たから真面目に感想文書くぜひゃっふー! 長文注意)

     この映画についてぼーっと考えていて、ろくにルールを知りもしないくせにチェスの試合を想像した。どんなに強い人でも、自分の手駒を一つも失わず勝つことはあんまりないだろうと思う。そして一度取られた駒は帰ってこない。勝ち負けではなく、敵に取られた駒にスポットを当てる映画が、この「フューリー」だと思った。

     更にチェスの話で恐縮だが、チェス用語に「サクリファイス」という言葉があるのだそうだ。これは勝つためにあえて手駒を犠牲にすることをいう。
     第二次世界大戦で、アメリカの戦車はナチスドイツに比べて、はるかに性能が劣っていた。ナチスドイツのタイガー(字幕ではティガー)という戦車1台に対して、アメリカはシャーマンという戦車5台で戦うという戦法を取った。多少の犠牲はやむなしとして、数に頼むしかなかったのだ。チェスなら犠牲になるのは駒だが、戦車には1台につき5人の人間が乗っている。平時ならば何よりも尊いとされる人命を、当たり前のように犠牲にするのが戦争なのだ。

     そんな過酷な状況下に突然ほうり込まれたのが、新兵のノーマン(ローガン・ラーマン)。訓練したタイピングは速いが、戦車については全くの素人。本人は手違いで配属されたと思っていたみたいだけど、たぶんそれを否定した「ウォーダディ」コリアー (ブラッド・ピット)のほうが正しかったのではないかと思う。たくさんの戦車兵が犠牲になり、人が足りなくなっていたのだろう。
     宗教のことを除けば、ノーマンは戦争を知らないわたしたち現代の日本人とたいして変わらない。観客は必然的に彼の視点に立って物語を追うことになる。
     コリアーはドイツ人と見れば誰でも撃てと言う。降参した兵士。女子供。地に倒れた死体でさえも。ノーマン同様「何もそこまでしなくても」と思ってしまうが、子供でも武器を持っているし、もしかしたら死んだふりをしている奴がいて何をしでかすかわからない。とにかく敵と見れば殺すに越したことはないのだ。観ているわたしたちも、「しょうがないじゃん、やるしかないじゃん」みたいな気分になってくる。
     コリアー達アメリカ兵は、少しも善玉として描かれてはいない。それがこの映画の特徴的な点だ。相手が市民でも殺すし、タバコや卵で女を買いもする。日本における沖縄戦でも、米軍につかまったら辱めを受けるとして集団自決の悲劇を生んだが、本当にそうされたかもな、と想像してしまう。
     それでも、敬虔なクリスチャンたるノーマンは、「僕の良心は曇らない」(My conscience is clear. だったかな)と頑張っていたが、占領した街での出来事がついに彼を変えてしまう。彼を変えたのはナチスへの怒りだ。見せしめとしてさらされた、戦争を拒否した市民の死体。心(と体)を通わせた少女の死。ノーマンは「良心」を捨て去り、ためらいなく敵と戦うようになる。そんな彼に、最後の戦いの前、仲間たちは「マシン」という洗礼名を与えた。

     5人の仲間と走行不能のフューリーだけでナチスのSS大隊300人に立ち向かった最後の戦い。
     次々に倒れていく仲間たちは最期に何か言い遺す暇さえない。コリアーは脱出用ハッチからノーマンを逃がすが、ナチスの若い兵士に見つかってしまう。ところが、彼はノーマンを見逃してくれた。無抵抗の敵を撃つことを拒んだ、少し前のノーマン自身と同じように。自分が捨てたものを持っているナチス兵によって救われたのだ。もっとも考えさせられるシーンだ。

     彼らはなぜ無謀な戦いを選んだのだろうか。
    「戦争は終わる。じきにな。だがそれまでに、大勢が死ぬ」(It will end, soon. But before it does, a lot more people gotta die.)とコリアーは言った。もしも彼らが逃げ出したとしても、代わりにほかの仲間が死ぬだけだ。戦争が終わるまでは、誰かが死んで、誰かは生き残る。それを分けるのは神ではあるまい。これは人間の所業なのだ。
     しかし、彼らだけが犠牲になったのではない。ドイツ兵とて同じなのだ。
     後にノーマンは友軍によって救出され、「君は英雄だ」と称賛されるが、そんなものはどこにもいないことを彼はよく分かっているだろう。
     そこには勝者もいない。敗者もいない。まして英雄などいようはずがない。ただ犠牲者だけがそこにいる。フューリーは、十字架に掛けられたキリストのように、十字路の中央で累々たるドイツ兵の死体に囲まれてただ立ち竦んでいる……。

    (真面目な感想文ここまで)


    【その他こまごまとしたところやヨタ話】

    ・コリアーが言った「歴史は残酷だ」History is violent.
     violentは慈悲のないというニュアンスを含むcruelに対して、もっとフィジカルな意味合いっぽい。
     cruelだと神のせい、みたいなニュアンス出ちゃうな、とか思った。
    ・対ティガー戦はすごい迫力だったが、それよりもドイツ側の車長の指示も字幕で出てたのが印象的だった。
     敵も味方もどちらも人間で、それを両方把握できる観客はそのとき神の視点を得ているんだな。
    ・酒飲む前に予備の弾薬を車内に持ち込んでおけばよかったのでは?
    ・ところでfuryの語源は、ギリシャ・ローマ神話における復讐の女神フリアエから来たそうだ。
     復讐をつかさどる神が女だなんて、神話を作った男たちはよっぽど嫁さんが怖かったのかねえ。


    ※英語セリフの引用はIMDbの投稿によるもので、必ずしも正確ではありません。
     日本語は私のうろ覚えです。

  • 1945年4月、ヒトラー扇動による国民の徹底抗戦下のドイツ領土に進攻する連合軍。
    米兵“ドン”は自ら「フューリー」と命名したシャーマンM4中戦車を駆り、部下とともに戦い、生き残ってきた。しかしその部下のひとりが戦死、彼らの元には新兵ノーマンが補充される。
    事務方の勤務のために教育され、タイプライターは打てるが戦車の操縦などできず、ましてや敵を撃つこともできないノーマン。手違いのような配属を疑う間もなく、「フューリー」を含む戦車部隊は危険な前線任務を命じられる。
    戦いの中の紆余曲折を経て、ノーマンは「フューリー」の乗員たちとの絆を深めてゆくが、途中ドイツ軍の誇る戦車ティ―ガーと遭遇。戦車小隊は「フューリー」を残して撃破されてしまう。
    一両のみ残された「フューリー」。5人の乗員。彼らは課された任務を続け、そして、武装SS300人の軍団が迫りくる――。

    砲撃の火線がCGでそこだけ効果が「スター・ウォーズか!!(笑)」と。そういうところもあったのですが、敵を撃つことすらためらう新兵が、やがて一人前の兵士になっていく過程の成長と皮肉の描写は鉄板とはいえ良かったのでは。最後の最後、ノーマン自身が戦闘のなかで捨てた人格に、自身が救われた演出が個人的に好き。

  • [2014年作、劇場鑑賞]<ユナイテッド・シネマ札幌>
     何と言っても今までに無かったド迫力の戦車戦シーンに圧倒され大満足。「プライベート・ライアン」につながる戦争リアリズムもしっかり描かれている。最後は「300 スリーハンドレッド」にも似たような悲壮的な展開。日本兵なら分かるが常に合理的に行動するアメリカ人がこんな選択をするだろうか?疑問が残るが・・・その答えをフューリー(激しい怒り)としたタイトルに込めたのかな。いつまでも不毛な戦いを続けるドイツによって多数の犠牲者が出ることに対してフューリー。

  • 封切り日に映画館で鑑賞。
    まずは誰も見たことがない戦車戦に度肝を抜かれる。しかもドイツ軍のティーガー戦車が強い強い。アメリカの戦車はこれに比べれば、それこそ紙細工のようなものでまともにやって勝てるはずがない。だってドイツの砲弾はアメリカの戦車の装甲を一発で撃ち抜くのに、アメリカの砲弾をティーガーは軽く跳ね返してしまうのだ。こんな戦車で立ち向かおうというのだから、一種の神風アタックである。
    プライベートライアンのノルマンディ上陸作戦のくだりは誰しも震撼しただろうが、ある種、これはそれをしのぐ描写である。
    しかし、この映画の魅力はそれだけではない。
    主人公の新兵はこのフューリー部隊に配属された1日で天国も地獄も、幸福も絶望も、友情も憎しみも味わってしまうのだが、それらのエピソードがものすごく上手に配置されて、幸福ゲージが上がったり下がったり上がったり下がったりするのである。このあたりの脚本はほとんど完璧と言っていいほどで、ちょっと物語を思い出しただけで恍惚とするほどである。

  • 試写で視聴。
    感想は後ほど。

全5件中 1 - 5件を表示

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

外部サイトの商品情報・レビュー

フューリー(ブラッド・ピット主演) [Blu-ray]を本棚に登録しているひと

ツイートする