処女の泉 【DVD】

監督 : イングマール・ベルイマン(『鏡の中にある如く』『ある結婚の風景』『ファニーとアレクサンデル』) 
出演 : マックス・フォン・シドーほか 
  • キングレコード
3.72
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感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988003829001

感想・レビュー・書評

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  • 〜〜教会にろうそくを届けに向かう途中で三人の羊飼いに凌辱され殺されてしまったカーリン。父テーレはそれに復讐を誓い、三人の浮浪者を娘の仇として殺してしまう。〜〜
    ストーリーは簡略するというこうなる。でも、観る人のほとんど(前情報がなく観る人も含め)はこのタイトルからしてキリスト教の匂いを嗅ぎ分けていたに違いないと思います。そして、ストーリーを実際に目にしてそのなかに神の存在する世界観や、登場人物たちの神との誓いを感じとった方も多かったと思います。
    ・召使いのインゲリは異教の神オーディンに祈りを捧げ、家の中ではテーレと、敬虔なキリスト教徒の妻が朝の祈りを捧げている。

    ・インゲリは、オーディンの神を信奉するという小屋の主人に心を見透かされ、恐れて逃げ出す。

    ・父テーレが仇を討つ前に、白樺の木を倒して沐浴をするシーン。

    ・娘を教会へ送り出す前に母はカーリンに
    『わがままを言うと喜ぶのは悪魔だけ。
    神様の罰が当たるわよ』
    『悪魔は無垢な魂を誘惑し、すべての良きものをおとしめる』
    とこの映画の結末を予感させる言葉を聞かせてたしなめるシーン。

    ・娘の亡骸を目にした後、父テーレは神に向かって彼女の亡骸の跡に教会を建てることを誓うシーン。

    など、映画のストーリーのなかで眺めると見過ごしてしまうけど、実は神という存在が支配している時代の、彼らの行動原理、思考原理を強く感じることができる。

    周囲を見渡すと、神が存在する世界観を持った人の姿はは強く感じる。けど、それは神を信じているからなのだろう。
    もし、特定の宗教をもたなくとも、自分を強く信じることができれば同じく強く生きていることを感じさせることはできる。

  • カーリンが、ヤギ飼いの末っ子が死んだのは誰のせい?神はなぜ全てを見ているのに救いをくれなかった?絶望しながらも、このままでは罪の意識に耐えられず生きられないから神に許しを請いすがるしかないテーレ。泉は赦しの意味かな?これでオチが「死体の顔に水をかけたら娘が生き返った」という奇跡ものでないところが、人間の哀しさを感じてとてもいい。

    テーレ、あれだけ「実は憎かった」「見殺しにした」とぶっちゃけたインゲリをよく殺さなかったな…妊娠してたから? 娘の死に気付いて3秒後に夫婦共に復讐を決意するのすごい。

    キリスト教徒ばかりのなか密かにオーディンを信仰しているインゲリは、見た目から他のキリスト教徒の金髪たちと差別化してある。魔女みたいだ。対してカーリンは絵に描いたようなお嬢様、「しみひとつなき清純な乙女」。
    テーレは「父親」感すごいな。見た目も声も喋り方も。一人で木を引っこ抜くシーンがインパクトあった。

    問題のシーンはモノクロでもかなり生々しい。行為が終わり泣き喚くカーリンを、ヤギ飼いの口を聞けない長男は興奮余ってか棍棒で殴り殺してしまう。兄の行動に驚く主犯格の次男だが、すぐさま服をはぎとり隠蔽をはかる。末っ子は逃げようとするカーリンの足を引っ掛けたりしたが、殺したことにはショックで怯え同情を見せるし、兄達から虐待されている様子。
    インゲリがパイに隠したあのカエルがこう使われるとは… ヤギ飼い兄弟がカーリンを誘い込むシーン、変わった楽器の音が不穏さを醸し出してる。

    モノクロでも、民族衣装がとても綺麗だとわかる。カラーだったら衣装や美術ものすごく見応えあったろうな。教会への旅路で見える北欧の大自然も、若い娘2人だけで遠出させるのを許可するほどのどかなところだとわかる。(それで悲劇が…)

  • ユーロスペースで鑑賞
    4.0

  • wikiによるベルイマンの主要なモチーフである「神の沈黙」を重く突きつけられる作品。見ていて目が離せなかった。僕が神を信じていないことが関係するかもしれないけど、叫びかけても応えない神の姿を見ると、神とは自分の中で作り出す存在なのかという気はした。

  • 以前に観た『野いちご』、『第七の封印』と比べてストーリーは分かりやすい。「神とは傍観するのみの存在」だという考え方が話の根底にあると思うので『第七の封印』とテーマはかぶってくると思う。他のベルイマン作品と同じく寓話的で美しい映像だけど分かりやすい分やや平坦で退屈。レイプや復讐も当時はショッキングだったろうけれど今となってはそれほど心を動かされる映像ではない。
    無邪気であるが故に無神経なカリンのことをインゲリが憎んでいるのは女としてよく理解できたけれど、もう少しインゲリのことを描いて欲しかったな。

  • 極めて単純なプロットで、特に破綻もなく、普通である。

    無意味な信仰への皮肉
    最後に少女の亡骸のあった地面から泉が湧き出てくるのは蛇足かな。
    まぁ、どっちに転んでもいいやっ、てなってしまうところに隙を感じる。

  • 写真の美しさに惹かれ見ました。この監督の作品は初めて見ましたが、北欧の人びとの生活風俗がこまやかに描かれ、ストーリーに重厚さを加えていました。

  • 豪農の自宅内で展開される静謐な「私刑」は、見応えがある。終盤、倒れていた
    カリンを抱き起こすと、地面から雪解け水?がわき上がってくる。亡き骸の下か
    ら、生命の息吹を思わせる泉。極めて寓話的である。


    【ストーリー】
    十六世紀、スエーデンの片田舎。ヴェンゲ集落の豪農の一人娘カリン(ビルギッ
    タ・ペテルソン)は、養女インゲリ(グンネル・リンドブロム)を連れて教会に
    ローソクを捧げに行くことになった。下女代りのインゲリは父なし子を宿してい、
    美しい世間知らずのカリンを嫉妬していた。二人は信心深い母メレータ(ビルギ
    ッタ・ヴァルベルイ)と父テーレ(マックス・フォン・シドー)に見送られ馬に
    乗って出発した。教会までの道は長かった。小川の小屋にさしかかり、インゲリ
    はここで待つといいだした。一人先を急ぐカリンは、途中でオシとヤセッポと少
    年の三人の羊飼いに会った。彼らはカリンに食事する場所に案内するといった。
    一方、インゲリは小屋で気味の悪い老人を逃がれてカリンの後を追った。オシの
    カリンをみつめる目がしだいに変った。身の危険を感じた彼女が馬に乗ろうとす
    ると、ヤセッポが邪魔をした。大声をあげようとした時、オシとヤセッポが彼女
    を襲いオシが犯した。--よろめきながら立ちあがるカリンを、オシが後から殴
    り殺した。これを目撃していたインゲリは、恐ろしさのあまり声も出なかった。
    --その日の夕暮、例の三人がテーレの家に夕飯を無心にやってきた。テーレは
    三人に食事を与えた。少年はカリンと同じお祈りに驚いた。テーレ家の人々はカ
    リンの帰宅が遅いので心配していた。食事が済んだ。ヤセッポがカリンから強奪
    した衣服をメレータに買ってくれと頼んだ。すべてを察した彼女は夫に告げた。
    怒りにふるえるテーレは三人を殺す決意をした。不意をつかれた男たちは死んだ。
    あどけない少年までも。復讐したテーレは罪の深さにおののいた。片隅に隠れて
    いたインゲリを案内に、家中で現場に急いだ。無惨に変りはてたカリンをみて、
    人々は呆ぜんとした。テーレは復讐の罪の償いに、ここに教会を建てると誓った。
    テーレがカリンを抱きあげると、不思議なことに泉がこんこんと湧き出した。-
    -後世の多くの人々がこの地に建てられた教会に訪れたという。

    中世の伝説バラードを映画化した「女はそれを待っている」のイングマール・ベ
    ルイマン監督作品。脚本を女流作家ウラ・イザクソンが執筆し、撮影を担当した
    のはスヴェン・ニクヴィスト。音楽はエリク・ノルドグレンである。出演するの
    は新人ビルギッタ・ペテルソン、マックス・フォン・シドー、グンネル・リンド
    ブロム、ビルギッタ・ヴァルベルイなど。なおこの作品は一九六十年度カンヌ映
    画祭特別賞、アメリカのタイムス誌とサタデー・レビュー誌ベスト・テン入選な
    どの栄誉を得ている。

  • ベルイマン作品を観るのは初めてである。
    これまで難解そうで避けてきたのだが、デジタルリマスター版のDVDが出たと知り、観てみることにした。
    それで驚いたのだが、思っていたより難解ではない(少なく共この作品は)。
    というより、拍子抜けするほどわかりやすい作品という感想だ。
    少女への強姦殺人、その父親による復讐殺人という気のめいる題材を扱いながらも、ドラマ性は高く、娯楽と芸術のバランスの取れた、優れた映画作品だ。
    また、映像の処理が素晴らしく、前半、少女が悲劇に合うまでの白と光を基調とした明るい映像と、後半の復讐劇で描かれる黒と闇を基調としたコントラスト。
    正教と邪教もまた、白と黒、光と闇で描かれる。
    この対比がはっきりとしていて、観ているものを引き込んでいく。
    最後に、少女の殺人と父親の復讐を見逃した、神の沈黙に抗議を唱えながらも、なお人間は神への信仰無くしては生きられないという矛盾に苦しむ父親の言葉に、神からの奇跡が起きる。
    その奇跡に、邪教に心囚われていた娘の心が洗われていくラストは見事。

  • 犯され殺されてしまった罪なき乙女の亡骸の跡から泉がわいてきました、という奇跡伝説にもとづくベルイマンの初期作。運命に呼び寄せられるように手にかけた少女の家にやってきた浮浪者たちを立ちはだかった父親が迎えるシーン、憤怒に駆られて加害者たちとともに幼い少年も手にかけてしまう父親、娘の着ていた服を加害者に見せられてすべてを悟る母親、罪におびえる少年の表情が、白黒の鮮烈な映像で刻まれる。
    とにかく映像がすばらしくて強い印象をあたえる映画ではあるけど、蝶よ花よと甘やかされて育てられた金髪色白の「処女」(教会に迎えられる存在)と、父なし子を身ごもっていてみんなに見下されている色黒の下女インゲル(邪教の神に祈る堕落した女)というわかりやすい対比が、なんともなー。無神経なコドモの善意に、つい「死んじゃえ」て思っちゃうのも無理はない。あの両親が娘を甘やかす半分くらいでもインゲルに優しくしてあげてたらよかったのにね、て思います。

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