- Amazon.co.jp ・電子書籍 (176ページ)
感想・レビュー・書評
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現在の経済システムに行き詰っている面があることが分かった。
資本主義のこれまでの流れがよく分かる。
中心と周辺によって成り立つということが腑に落ちた。空間的な中心と周辺がなくたったので行き詰っているというのも分かるが、電子金融空間ができたように新たな関係が成り立つのではないか?もしくは、新しい仕組みがもう始まっているのではとも思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
9年前の本だった!そんな前からこの指摘をされていたのか。
自分が今頃気がついたのだけれど、早くから知っていればよかった。 -
資本主義よ、お願いだから滅んでくれぇという祈りを感じる本。「資本主義の本質」なんて延々と書いているけど、ただ「弱肉強食の理論です」と当たり前のこと言っているだけ。
一番ダメだと思ったのは、ポスト資本主義として著者の提唱する「脱成長(0%成長)」という考え方。車を1台買ったら増やさずに乗り潰したら買い替える、そういう買い替えの消費だけを行う生活様式だそうだ。投資をなくす、そうすることで「成長に囚われた生き方」から抜け出せるらしい。
しかし、果たして著者は実際に新しいモノ・サービスを一切買わずに生活しているのだろうか?もしできるなら一生そうしててもらいたい。そして新しいモノ・サービスを使って便利な生活を楽しむ人を指して格差だなどと言わないで欲しい。
刊行から7年経つが本書に書いてあるような「資本主義の終焉」は起きていない。中国のバブルとやらも崩壊していないし、日本の金利も急騰していない。祈りは届いていないようだ。資本主義の崩壊に賭けて米株先物のショートポジションでも作ってみてはどうか。 -
キンドルのセールで回ってきたので、紙の本は持っているのだけれど購入しておいた。とても分かりやすく書かれている本で納得性が高かった。
この先どうなっていくのかについては書かれていないので悩ましいのだけれど。 -
フロンティアを失った資本主義は中産階級を搾取して存続を図ろうとするからだめだという主張。対案がなく、言いっぱなしのプロパガンダ。決め付けも多くトンデモ本の類。EUはドイツ第4帝国とか謀略史観もいっぱい。
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『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』と同じ著者による新書。『人々はなぜ〜』はリーマン・ショック直前の好況期である2007年に出版されたもので、本書はすっかり低迷している2014年の著書だが、主張は一貫している。しかも前作よりさらに悲観的というか危機を煽るような論調だ。
資本主義が民主主義に取って代わろうとしていることは『人々はなぜ〜』でも指摘されていたが、本書はさらに、資本主義もまた終焉に向かいつつあると指摘する。現在の不況やデフレは一時的な現象ではなく、約八世紀続いた資本主義システムが破綻しようとしているのだと。また大袈裟なと言いたくもなるが、ここで挙げられている論拠はなるほどと言わざるを得ないものが多い。
その趣旨はまず、資本主義は常に「中心」と「周辺」の存在が必要なシステムだが、その「周辺」がなくなろうとしているというもの。フロンティアが消滅した時点で、成長を必須とするシステムは行き詰まってしまう。
また、従来は「中心=先進国」/「周辺=発展途上国」という国単位の区分だったのだが、グローバル経済により組み換えが起こり、「中心=各国の富裕層」/「周辺=各国の貧困層」となりつつある。これは両者が国境で区切られなくなるため、国民国家と民主主義の基盤を危うくする。この辺は切実に実感される。
著者は成長至上主義のような強欲資本主義から脱却し、「ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ」に基づく「定常状態」へ移行すべきと説く。もちろんこれは現在アベノミクスの名で進められている経済政策を真っ向から否定するもので、本書の中ではかなり明確にアベノミクス(及びその基礎となる経済理論)を批判している。
著者の主張は現在の主流ではなく、リフレ派(著者の言う「成長教信者」)が主役になっている。どちらの見方が正しいか、答えが出る頃には自分は死んでいるだろうが、もし破綻が近いなら、なるべくソフトランディングしてもらいたいものだ。 -
資本主義は周辺(フロンティア)を広げて利益を上げることなしには存在し得ない。しかし、空間的にも時間的にも境界線がなくなり、あらたなフロンティアがなくなってきた現在、資本主義が利益を得るためには国内での格差拡大、負債化の道を歩むしかなく、すでに資本主義の拡大する余地はなくなっている・・・ 確かにいくら金融緩和策をとっても企業の内部留保が増えるだけであらたな投資は行われていない。正直、売れる物を考えることがどんどん困難になってきているのだろう。といっても歴史の中にオルタナティブな選択肢を見つけることは困難であり、この本の中にも明確な回答はありません・・・
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あまりに悲観的なお話だったので、何か救いになる材料はないかとレビューを見ていたら「資本主義の終焉を宣言する理由が過去の歴史から見た状況証拠だけでは弱い」という意見を見かけた。そうかもしれない、とは思ったものの…。
成長経済が終焉を迎えるとか、資本主義はどこか(今までは途上国、これからは国内)に「周辺」という搾取対象を必要とするとか、そういうのが感覚的にしっくり来すぎた。「周辺」がなくとも成立する資本主義があるのなら、いいのだけども。 -
ゼロ金利・ゼロインフレ・ゼロ成長時代に突入した先進国が迎える資本主義の終焉に対する警鐘。
地理的な中心・周辺による成長戦略から、電子世界での中心・周辺の創造による成長にも限界があり、これからはいかにして資本主義の終焉に「ソフトランディング」するべきかが問われる。
永遠の成長など、物理的制約の存在する地球上では幻想でしかない。資源という定性的な指標よりカネという定量的な指標のほうが扱いやすいのは仕方がないが、そればかりを追いかけて人間の生活にとって本当に必要なモノを見落としているのではないだろうか。 -
完璧な経済システムなど存在しないであろうし、資本主義が欠点を内包しているということは理解できる。けれど、本書の歴史主義的なアプローチによって、現在すでに資本主義が終焉を迎えている、とするのは、少し飛躍があるのではないかという気がする。著者が指摘しているのは、16世紀の大きなパラダイム変換が行われた時代と現状が酷似しているという、いわゆる状況証拠に過ぎないのではないかと感じるのだ。勿論、危機感を持って対処すべきであるということは正しいと思うのだが。