■†■ 親として感涙に咽ぶ秀作 ■†■
※(先ずWOWOWのオンライン番組紹介欄より下記を引用させて戴きます)
2005年、イギリスのロンドンで同時爆破テロ事件が起き、それ以後、消息の途絶えた子どもの行方を探しに同地にやって来て巡り合った、カトリック教徒のイギリス婦人とイスラム教徒のアフリカ系フランス移民の男性。思いがけない運命によって出会った男女が、お互いの文化の違いを乗り越えて次第に理解し合うさまを、「デイズ・オブ・グローリー」のR・ブシャール監督がじっくりと観察。「秘密と嘘」のB・ブレシンと「薬指の標本」のクヤテが、鮮やかな対照の妙を披露し、観客の胸を打つ感動作に仕上がった。
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卑劣なテロ事件によるその惨状、犠牲者となってしまわれた方々のお姿をテレビで拝見することが不本意にも増えている昨今。 「親」として、国を越えての悲痛な想いの共有感に心が震えてしまい、終盤にあっては涙が止らぬ自分がいた。
//ジェーンとアリが写っている写真、更にはジェーンの部屋にウスマンが息子のアリにあげたという弦楽器が置かれており… 二人が愛し合い同棲をしていたことが明らかになった中でエリザベスとウスマンは子を持つ親同士として、互いの子がテロの犠牲になっていないことを念じ合い・・・//
萎びたホテルに宿泊していたウスマンが宿泊代が乏しいのでもう引き揚げるというと、エリザベスは娘の部屋での同室滞在を許す。 ここから彼女の中での偏見が徐々に解き放たれていくのが分かる。
ツーリスト会社のデータを辿り、《事に因ると二人は難は逃れられていてフランスに居るかもしれない。きっとそうだ!》という所に結論付けて一旦は安堵。 ウスマンの剥くリンゴを如何にも美味しそうに口にするエリザベス。ここで二人は完全に打ち解けたかのようだった。
//だが・・・
非常にも警察官がエリザベスのもとに訪れる。二人揃って警察に赴くと、そこでDNA鑑定の結果、一致の報告を受けてしまう。//
===6歳の時に逢ったきりの息子。 夫を戦争で失い最愛の一人娘だけが支えのエリザベス。 この事件が起こらなければ逢うことはなかった二人。 タイトルの『ロンドン・リバー』は、人種も宗教も違う人間同士を《同一の不幸》で巡り合わせ、引き寄せ、そして再び二人を、《分かつ川》へ・・・ あたかもそんな《リバー(川)》を指しているかのよう。 この残酷な心の流域は、子を失ってからも生き続けねばならない二人の間に並行に揺蕩(たゆと)うのだろうか。 もうこの流れに合(交)流はないかも知れない。 そんな予感も観ている側に孕ませながら… ===
///『真の幸せは人生を受け入れること。私の国ではそう言う。悲しみのまま別れてはいけない』 ウスマンはそう言ったあと国の歌を口ずさんで聞かせる。
ここからはもう、涙腺が決壊した私であった。立ち去るウスマンを外で呼びとめ、涙と共にハグをしながら「メルシィ」とエリザベスは語り、そして二人は、別れる。///
森の番人として楡の樹を護ってきた彼がラストで仲間に訊かれ、「倒り倒す」そうきっぱりと答える。 菩薩のような慈悲を湛えている彼の中で、やりきれぬ憤怒と憔悴感の深さが、この一言に痛いほど表されていて哀れでならない。
エリザベスには弟が居てはくれるものの、彼女も孤独な生活に戻る。ガーンジー島へで驢馬たちの世話をやき、菜園を耕す日々が待っていた。
鍬を入れているラストシーン…
彼女の息遣いは荒く、鍬の一振り一振りには、深い《怒り》と《悲しみ》が隠(こも)っているのを感じずにはいられない。 一日たりとても娘ジェーンのことを思いださない日はないまま***
【余談として…】
ウスマンを演じたブルキナ・ファソ出身の仏俳優ソティギ・クヤテ氏は本作品で、2009年のベルリン国際映画祭の男優賞を受賞。 しかし残念なことに、2010年 パリにて逝去(享年74歳)との記事を目にいたしました。
ここに慎んでクヤテ氏のご冥福をお祈り申しあげます。(合掌)