孤独の価値 [Kindle]

著者 :
  • 幻冬舎
3.57
  • (11)
  • (27)
  • (24)
  • (4)
  • (3)
本棚登録 : 302
感想 : 28
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (125ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • JOKERとあいちトリエンナーレの騒動を体験したあとに読んだのは象徴的だった。
    “芸術というのは、人間の最も醜いもの、最も虚しいもの、最も悲しいもの、そういったマイナスのものをプラスに変換する行為”
    映画や読書の感想で「刺さった」という表現がある。なにかが刺されば痛みを伴う。ひとは痛みを嫌悪する。科学的には痛みは身体的に危険な状況のウォーニング。嫌悪すべき痛みは「知恵」をもたらす。そう考えれば、「芸術」とは心地よくさせるデパートのショーケースではなく、「ひとを痛みで進歩させるもの」と言える。
    JOKERをハリウッドテンプレで作ればサイコ・スリラーになったろう。あの映画はぼくにとって抜けない刺でありおそらく一生ついて回る問いになった。
    その問いを言葉で説明しようとするとどれも上滑りで置いた言葉になってしまう。この問いはシェアする内容ではなく自分ひとりが孤独に抱え込む闇だ。それは自分の大きな荷物かと思っていたけど、本書を読んで孤独に問えることって幸せなことなのかもと思った。
    テレビでも映画でも政治の世界でも「断言する人間」って苦手だ。彼彼女らが断言するのは相手に考えさせたくないから。相手の考える時間を空虚な言葉で埋めて消し去りたいから。
    孤独とは自分に問える時間があること。そして同時にその結果に自分で責任を取ることと言える。

    おそらく現代のコミュニケーションに欠けているのは共感力ではなく、孤独感、言い換えれば距離感なのかもしれない。自ら完結せずしてひとの事を思いやることは出来ない。

    本の感想とは違うかたちになったけど、自分の考え方の一助になった内容だった。

  • この作者のエッセイが割と好きなので、立て続けに何冊か読んでみたのだけれど、小説を読んだ時の印象と違って、ひょっとして森博嗣という人物は、もしかして本質的に他人の気持ちを全く理解していない、あるいは理解できないのではないかという不安が頭をよぎるのを否めない。

    もちろん当然そんなことはないのだけれど(多分)心のどこかには、もしかしたら、という気持ちはいつもある。

    孤独の対処として畑を耕すのがよい、しかし食べられるものを植えたり、花が咲いたりするものを栽培してはいけない、ただ単に畑を耕すだけ、無駄に雑草が育つのを毎日眺めているのが良い、とか、常人のアドバイスを超越してもはや正常な神経とは思えないが、それが多分良いのだろう。

    絆というのは、家畜が逃げないように脚を縛っておく縄のことなのだそうだ。

    とことん他者との関わりを軽視、あるいは無視してる(ように見える)生き方を貫いているから、やはりこの「孤独の価値」と言うテーマはまさに筆者の得意分野だとは思うが、彼にとっても世間一般の悩める若者、寂しがり屋、孤独に恐怖する人たちに、それほど悩むことはない、孤独は悪いことではないんだよ、と伝えるモチベーションはあるのだなあ、とちょっとだけ不思議に思った。
    本当は、凄く優しいいい人なのかもしれない。

    個人的には孤独が好きとか嫌い以前に、団体行動、集団行動、他人と歩調を合わせること自体が苦痛でならないので、結果的に孤独が好きという人間なので、作者の言いたいことはとても良くわかるが、だからといって、うーん。


    2022/07/24

  • 孤独のメリットや良さについて書かれている。再読したい。

  • なかなか衝撃的な本だった。思考停止した大衆は、飼いならされた家畜だと。

    自分も何となく世間の風にあたり、家族愛とか絆とかに絶対の信頼を置いていた。

    けど、著者はそこに疑問を呈する。突き詰めて考え抜くというのは、こういうことなんだと思い知らされた。

    著者は、建築の専門家であり、研究者であり、小説家である。その立ち位置からの洞察は、やはりきわめてユニークだ。

    個人的には、河合隼雄より面白かった。自分は孤独で寂しい、と嘆いている人にすすめたい。

  • 孤独は悪いといった価値観がリアルやテレビやネットで当たり前の価値観として浸透している。しかし、孤独の時間があるから想像できるし、思考も整理される。だから孤独の時間は決して無駄ではないし、人間にとって必ず必要。孤独を悪いと思い込む方がよっぽど良くない。自分は1人の時間で読書をしたり思考する時間が好きである。この時間があるからこそ知識が増えるし、自分の中で大事にしたいことに気づけたりする。孤独は悪いものでないし、これからも世間の価値観に流されずに自分はどうなのか?考えれる人でありたい。

    ◎ページ
    59.60.63.64.65.66.75.78.80.86.106.108

  • 孤独=空腹。現代人はみんなと繋がることがいいこととされ、空腹の時間がなく肥満になっている。孤独になって考える時間、精神集中する時間を作って、思考や行動を軽やかにするほうがいい。
    楽しさが失われると孤独、寂しい。楽しさと寂しさは波のよう。楽しくなったり、寂しくなったりするのが健全な状態。楽しさだけ大きくする、寂しさだけ大きくすることはできない。片方がなくなれば、片方もなくなり、平坦になる。

  • p.2021/9/10

  • とても面白かった。
    大勢でいても心の中は孤独感でいっぱい。そんな人にはおすすめです。また自分に自信がないが故の、悪ぶった仲間のなかでの’’いい子’’にもおすすめです。
    孤独者、人生を味わっている人々は、孤独に弱い人間が群れて直視しないようにしている間にもどんどん先へ進んでいきます。孤独を悪だとする風潮を彼ら孤独者に投げかけている間にも、彼らは微笑んで先へ進んでいきます。
    孤独に打ちひしがれて、祝福を観て。そんな振れ幅の大きい人生と、寂しさを怖れて、孤独にならないように無理に賑やかさばかり求めている人生。大きな寂しさはないかもしれないけれど、思い描いている楽しさにはいつまでも届かない、振れ幅の小さい人生。どちらが深く味わえるのでしょうか。ブランコを想像すればわかりやすい。
    なぜ私が、最近の映画やドラマにそこまではまれないかわかった。最近の映画やドラマは、感情をわかりやすくあらわにすることが多い。しかし現実においてはもっと繊細で複雑でわかりにくい。現実を味わう孤独者からすれば、そういったわかりやすい映画やドラマはどこか陳腐で滑稽だ。
    あまり大袈裟に、わかりやすく感動を安売りすると、そこから溢れた人々が、社会のはみ出しものとして糾弾されてしまう。逆にそんなチープな感動を貪る人間は、私は大丈夫など言って、はみ出してしまった人間を叩く。孤独者は、そういったところとは別の次元にいる。少しでも、マスコミや風潮に違和感を覚える方々はぜひ孤独者として歩んで欲しい。自分にとって不向きなところで勝負することほど無駄なものはない。自分しかいないフィールドで勝負すれば、勝ちも負けもない。逆に勝ちも負けもある。

  • 孤独に関する作者である森さんの思いを語る本。随筆のようなもので、資料を調査したような学問的成果ではない。思っていることをダラダラ書くだけで金になる?のだから良い商売だと思う一方、書かれていることにはかなり共感できるところがある。
    ・社会における最低限の関係は拒絶することなく、それ以外で自由を築く。
    これは、仕事をすることが良いこと という社会の空気を否定し、50代でさっさと田舎に引き籠った?森さんだから説得力ある言葉である。絆という言葉が震災から流行っているが、会社という絆に縛られているサラリーマンは、自由を捨てているに等しい。孤独にならないために定年後も働き続ける人の多いのは不思議だ。自由にならないために定年後も働き続けると訳す人は、さっさとリタイアするのではなかろうか?孤独=自由を楽しめない人は、まだまだ子供だということだと思うこの頃である。

  • 'だから、すべてが本人の思いどおりの人生なのである。僕自身が自分で良いと思ったとおりに生きてきたように、誰もが思いどおりに生きているはずだ、というふうに考えているのだ'

    '…でも、そういう運命的なものを含めても、その範囲内での選択は、個人の自由であり、自分の思いどおりになっているはずだ。もし、自分の思いどおりになっていない、と考える人がいるとすれば、それは、運命を超えたものを望んでいるからであり、そもそも選択肢にない夢を追っているということになるだろう。これが、僕の解釈だ。したがって、こう考えると、他者を羨むこともなく、自分に選べる道をよく見極め、それに集中できる。他者にどう思われても良い、という認識に至るのである'


    何も考えない自分がいてくれたならば、こんなにも他人、そして自分というものを見つめることなんてない。

    見えているものと、感じるものの合間に広がるものに目を向けて考える。そうすることによってますます、考えるということは広がりを見せていく。広がりを見せていく世界と一方で縮小していく世界。様々な姿が同時に立ち上がってきて、と思ったらあっという間に消えていってしまう。そうやって巡り起こっていくものが示していることは、何もかにもが自由だということ。何も捉われるべきものはないのだということ。形を定めることの価値はもうこの内の中には居場所を失っている。ただただ「自分」なんてものが存在としていると認識している「自分」というものがひとり、世界というもののなかにただひとつ、最後の最後に混じることなく残ってしまうような、まるで分割できない最後の一粒のような固まりとして、取り込まれているようなイメージだけが最後に表れる。

    それが、孤独だ。

    孤独であるということは、自由であるということだ。

    別に、世間がよく言うような「自由」が欲しいなんてことは、まったくない。

    ただただ、考える自分、考える自由を手放したくないというだけだ。

    自由という言葉ほど、人間の都合の良いように使われている言葉はない。

    ここで言っている自由の意味を同じように認識できるひとがほとんどいないことが分かる。

    つまりは、ここにも孤独はある。どこにだって孤独がある。

    孤独しかないということだ。


    手放すことができない孤独。それは有難いものだ。

    自分が唯一望んでいるところへ連れて行ってくれるものだと思っている。

    掛け替えのない孤独を、取り返しのつかない孤独を、毎日の中でも大切にして、見つめ続け、考え続け、いまだに上手く分かることができない自分というものを探し続けようと思っている。

    それはとても楽しくて、素敵な孤独なのだ。


    '人生には金もさほどいらないし、またそれほど仲間というものも必要ない。一人で暮らしていける。しかし、もし自分の人生を有意義にしたいのならば、それには唯一必要なものがある。それが自分の思想なのである'

全28件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

工学博士。1996年『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、エッセィ、新書も多数刊行。

「2023年 『馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow』 で使われていた紹介文から引用しています。」

森博嗣の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
米澤 穂信
岸見 一郎
鈴木大介
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×