- Amazon.co.jp ・電子書籍 (221ページ)
感想・レビュー・書評
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図書館で借りて読む。
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FBをフォローしていると色々参考になる池内氏のデビュー作、なかなかついていくのが大変で正直飲み込めたとは思えない。
1967年6月の第三次中東戦争、いわゆる6日間戦争でイスラエルに敗れたのが現代アラブ史の出発点であり、政治的にも、経済的にも、そして文化・思想的にもそれまでの進路から大きく離れることになる。エジプトのナセル大統領が唱えたアラブ統一は後退し、思想は分極化した。一方はマルクス主義へ向かいパレスチナ解放運動は世界革命の一環として捉えられた。その中で最も極端な行動に出たのが日本赤軍だった。イスラエルに対しては「世界的階級敵」という見方がいつの間にか「世界的陰謀の主体」と言う見方がアラブ世界で拡がり、一方で現体制批判からイスラーム主義が伸長した。
イスラーム原理主義の国際展開を思想的に支えているのが、国際社会を宗教的な善と悪の闘争の場として理解し、イスラエルとアメリカをシオニズムと十字軍と捉えこの悪の勢力の陰謀を絶えず読み込むという認識だ。イラクのクウェート侵攻まで介入の糸口を作るためのアメリカの陰謀だとなる。確かにアメリカの方も自らを十字軍のように規定しているように見える。立場に寄って善と悪は入れ替わっているが。
アラブ世界での終末論の広まりを統計的に示すのは難しい。ユダヤ教やキリスト教では優勢ではない終末論がなぜイスラーム教では日常的に確認されているのか、大きく異なるのがテキストの性質である。聖書が後世に再構築されたものであるのに対し、コーランはムハンマドの言葉をそのままアラビア語で記録されたとしている。コーラン解釈の延長線上にアラビア言語学が成立した。コーランにより7世紀当時の差し迫った週末意識が絶えず意識されるのだ。
コーランによると最期の審判の前に死者は復活し、生前の行いを記録した原簿により判決が下りる。天国にあるのは木陰と泉、果物に美女に酒だ。コーランの天国の描写はムハンマドの時代のアラビア半島の男性の精神的・身体的願望を余すところなく伝えていると指摘している。「天国良いとこ一度はおいで、酒はうまいしねえちゃんはキレイだ」はっはっ。
ハディース集を元にすると終末の前兆はすでに現れてきている。貧富の差の拡大、圧政や不正、イスラーム教徒同士の争いと、非イスラーム教徒の侵入。現代の終末論では湾岸戦争がその前兆と規定される。そして終末の前には偽キリストが現れる。アメリカの傘の下での平和こそが偽キリストがもたらす偽りの平和として捉えられることになる。 -
実際に読んだのは紙の講談社現代新書版(2002刊)。
911を受けて、このような事件を起こすことが十分想定内というアラブ世界の社会思想状況についての論述。気鋭のアラブ・イスラーム研究者である著者はこのときまだ20代で、アジ研で働き始めて間もなく、初めての単著ということでか、「はじめに」は気負った書きぶりだが、第1部は第三次中東戦争敗戦後のアラブ社会思想を手堅く論述して、イスラーム主義が一部の原理主義者だけでなく社会に幅広く、しかも基底の部分に浸透するに至った経緯が説得力をもって示され、門外漢の私は蒙が開かれた気分。第2部はアラブ社会で大量に出版されている終末論の本を論じている。教典類の記述を現実社会に当てはめるようなのはまだしも、UFO・宇宙人・バミューダトライアングル(!)まで絡めるようなトンデモ本まで、ホントにネタではなくマトモに取り上げられているのだろうか。日本でも、出版状況だけみると、実際より多くの日本人が相当トンデモな思想を持っていることになりかねないような気もするが(著者はそれほど長くアラブ諸国に滞在した経歴はない)。
非アラブ社会との情報→世界認識の狭窄は、ネットで解消されないのだろうか? 日本でもネットが発達してから排外主義が先鋭化していたりもするから、あちこちからたくさんの情報を入手できるということが、視野を広げることには必ずしもならないのだろうけど。 -
中東やアラブの情報自体の流通が少ないので、貴重な本。