池田信夫『日本人のためのピケティ入門』東洋経済新報社,2015年
トマ・ピケティ『21世紀の資本』の解説本で、三章からなる。翻訳は700頁あって高いので、入門書ですますことにした。
第一章は、『21世紀の資本』がどんな本なのかということを解説している。要するに、ピケティの属するパリ経済研究院が、19世紀からの課税史料を20カ国以上にわたって蓄積し、さまざまな手法でデータの穴をうめ、比較可能なようにして、資本収益率>国民所得の増加率(r>g、資本は所得より速く増える。「会社が(土地を買うとかして)でかくなっても、給料はそうあがらん」?)が成り立つことを史料から指摘した(ただし、なんでそうなるのかはまだよくわからんらしい)。ピケティは歴史史料との比較の観点から「資本」を「資産」の意味として用い、労働所得以外は「資本」としている。この点は問題もあるらしい。ピケティはグローバルな資本課税と金融情報の国際的共有を政策として主張しているが、実現の見込みはほとんどないとのこと。
第二章は、ピケティを読むための基礎知識を整理している。所得分配には不平等の拡大をとめる自然な傾向はないとのこと。文明の発展につれて人的資本の価値が高まり、労働者の所得が高まるという説もウソであり、18世紀も最近も物的資本の重要性は変わらない。階級間より世代間格差が大きいというのもウソで、格差の大部分は同世代で起こり、遺産相続によって格差は拡大再生産される。歴史上、r>gがくずれ、国民所得の増加が資本収益率を上回ったのは、第二次世界大戦後の欧州や日本で、戦争により破壊された資本を再建したからであるが、これは例外的な時期で、この例外を「資本主義の根本的矛盾が克服された」としたのは間違いであった。つまり、戦後資本を再建する過程で貧乏人をあつめて働かせたから、国民所得が速いスピードで伸びたけど、資本が再建されると、金持ちがより金持ちになるスピードの方が速くなるということ。
第三章は、「三つのポイント」をのべている。「戦後の平等は幻想だった」では、グズネッツが提唱した「経済が成長するにつれて多くの人が成長の果実を得る」という「中流化」の神話が否定されている。資本が再建されてしまえば、結局、働き手の方が弱いから安い賃金でこき使われるということなのかな?「格差の原因」では、教育とテクノロジーの競争(高い教育をもつ人は需要があるが、テクノロジーによって教育のある労働者などいらなくなるという競争)で賃金がきまるという理論があるが、実際は、大学進学率が上がっても所得分配は変わっていない。教育がなければもっと所得の集中が起こっていたかもしれないので、長期的にみれば教育は賃金格差を減らす手段ではあるが、教育を受ける人が増えても金持ちが増えるわけじゃないのだ。70年代からアメリカで「スーパーマネージャー」がでてくるが、かれらの給与は能力ではなく会社の規模に比例している(ビルゲイツも現役時代より引退したときの方が資産が多い)。サッチャーやレーガンなどの「保守革命」によって、英米で経営者のやる気(インセンティブ)が高まったので、国民所得もあがったのだというのは間違いで、経営者の生産性が上がったという証拠はなく、国民所得が増えたのは人口増のせいで、経営者の報酬の増加は保守革命による税率の低下によるところが大である。世界全体で、対外資産がマイナスであり、「地球人は火星人に借金をしている」状態なのだが、これはタックス・ヘイブン(租税回避地)のせいで、タックス・ヘイブンにかくされている資産の規模は世界の国民所得の10%程度で、先進国の大富豪のものである。「格差をいかに防ぐか」では、現代のアメリカでは金持ちの子が金持ちになる比率が高く、70年以降、下位50%の低所得者の子供の大学進学率は10〜20%で横ばいだが、上位25%の階層の子供の進学率は40%から80%に増えた。現在のアメリカや欧州の教育は格差の固定につながっており、社会的流動性を高めるものではない。マルクス主義者は、金利や搾取をなくすために私有所有権をなくしたが、r>gがなくなった代わりに価格も機能しなくなってしまった。市場と所有権は多くの人を協調させるシステムで、なくてはならないが、グローバル資本をコントロールするには、当初は0.1%くらいでいいので、グローバルな累進資本課税をし、金融情報の共有が必要であるとのこと。
要するに、世界中で好き勝手に資本を増やすなら、税も世界中に払えということなんだろう。グローバリズムというと、儲け方ばかりを言うが、儲けた者の義務である課税はいっこうに「グローバル」にならない。これが問題なんだろう。「グローバリズム」をいうなら、租税もグローバリズムにせよということなんじゃないかな。
池田氏は日本経済の分析もしており、日本で正社員が減ったのは、正社員の多い製造業が海外移転したからで、現在、非正規雇用は年収300万円以下が40%、200万以下の貧困層が24%だそうだ。日本の企業は資本収益を株主にあまり還元せず、内部留保しており、貯蓄超過の状態で、投資されないので、格差はアメリカほど拡大しないが、成長もしないとのこと。アベノミクスの経済成長による「果実」なんて、ないかもしれないのである。日本の会社は給料を上げずに、貯金しちゃう体質なんである。日銀の金融緩和後も円が安くなって輸出がしやすくなると思いきや、貿易赤字は増えており、円安が安定したら生産拠点が日本にもどるというのも、原発停止にともなう電気代の高騰(電気を使って作るもの、つまり機械生産のものも値上がりするのは見えている)や、法人税の高さからみて期待薄である。もはや日本は「ものづくり」の国ではなく、電機メーカーなどは海外の子会社から利益の付け替えなどをして決算を「化粧」することもなく、「税金の安い国で利益を出す」だけである。トヨタが国内生産しているのは「義理人情にあつい」特殊な会社だからとのこと。中国などの国営ファンドが世界を買い占めるというのも誇張で、国内労働者の年金にとられて、海外投資は多くならないだろうとのこと。
要するに、マルクスが『資本論』で指摘したピュアな資本主義の恐怖は全然克服されておらず、戦後の一時期、貧乏人を動員して再建された資本の自己増殖が再び暴走しており、これが現代の格差問題ということなんだろう。鄧小平の言った「先富論」も経済復興では有効だが、いつまでもしがみついていると、資本の暴走を招く。今の日本で「先富論」式に労働者にガマンさせても、冷徹な資本が民草の生活を考えるわけがない。まあ、資本は人間じゃないから、人間の暮らしはトレードオフを考えて、人間どうしが考えねばならないということだ。