阿Q正伝・狂人日記 他十二篇-吶 喊 (岩波文庫) [Kindle]

  • 岩波書店 (1955年11月5日発売)
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  • 『狂人日記』
    頭がおかしくなってしまった人の日記を読んでいる、という視点だけで物凄く精神を削られる作品。みんなが自分の肉を食べようとしている、自分の兄も自分の肉を食べようとしている、でも子供なら親に肉を差し出さなくてはならない、とかもう何言ってるの?と最初こそ思ってしまったけれど、家族であれば下の面倒は必ず見なくてはいけない、上の者を立てなくてはいけない、という思想が当たり前のように根底にあるから主人公は発狂しても「ここから逃げ出そう」とは思わなかったんだろうと思った。個人的に兄の客観的な様子を想像すると胸が苦しくなった。精神が破綻した弟の面倒を見て周りの人達にも気を使って、という毎日が続く絶望感。冒頭でもう治って仕事に戻った、という旨が書かれていたが治ったとはどうしても思えずそれもまた絶望感が深い。

    『孔乙己』(コンイーチー)
    科挙にトライできるということはそれだけで読み書きができる人ということだが、同時に科挙にトライできる=いずれ何者かになれる、という刷り込みがされていて「それ以外の物が何も無くなってる人」の話。自分はいつかビッグになるんだから一生懸命やらなくても良いという人に対しての「でも今やらないんだからきっと死ぬまで何にもなれないんだろうな」という冷めた目線。科挙は南米におけるサッカーの様な、人生一発逆転の要素があるけど、必要な才能の中には「努力する才能」の様なものも含まれていて、それを自ら手放しちゃったらもう何も残らないのに…読みながら思いつつも、自分の本棚に全然やってない問題集ばっかり並んでて、まさか私もコンイーチーでは?と不安になったりした。

    『薬』
    きちんと読み切れているか自信が無いが、父は薬代のための銀貨を密告により手に入れたのか、最後はどうなったのか触れられていない気がする。人肉を食べても病気は治らないのに、治ると信じ込んで何でもしてしまう、それが大切な子供のためならなおさら、という冷たい視線で書かれている話だと思った。ただ、もし「それでは病気は治らない」と正しい知識があったとして、「何でもしてやりたい」という気持ちの前で理性的な選択肢だけを選べるのか、という疑問に答えが出ない。教育の必要さを説いている気もするがその前に「正しさとは何か」を問いかけられている気もした。最後の墓地の右側と左側のシーンは本当に何とも言えない。

    『明日』
    小さな子供が死にそうになっている話。また子供が犠牲になる話か、と思いつつ母親の心情が痛いほどわかるというか「全部嘘だったらいいのに、全部考えすぎだったら良いのに」という思いと「現実は非常であるしそれは知っている」という思いに胃が痛くなるような話。医者のセリフに対して「もうダメだとわかってたんじゃないのか?」と思ってしまったが、真実を伝えることが仕事じゃないと考えているケースもある。何の役にも立たない慰めはもしかしたら、この主人公(母親)にだけは必要なことの気もした。やれと言われたことをすべてやっていたら何かが上手くいくかも知れない、という考えに憑りつかれて現実が見えていない状態をストレートに突き付けられた気持ちになった。

    『小さな出来事』
    心が疲れきっていて「(本当は良くないのを知ってるけど)自分以外のことなんてどうでも良くない?」という時に「(本当は自分もこうすべきだと分かり切っている)人徳」を見せつけられた時の話。

    『髪の話』
    満民族と漢民族の入れ替わりが頻繁に起きていた中国ならではの辮髪の話。辮髪の強制で拒否して処刑されたり、歴史としてではなく、その場に生きていた人たちの大変さを考えさせられた。ただの髪型ではなくて、思想や民族性を表すためのモノであり、作中にも「どっちでも良い」と言う人も上から強制されていた、と書かれている。辮髪のカツラの存在も初めて知った。辮髪じゃないと仕事がもらえない、とか、斬首刑、とか髪型一つに生活も命もかかっていたことを知って、今の時代の自由に感謝してしまった。

    『から騒ぎ』
    謀反の際に辮髪を切られた一家の主が、新たに皇帝が即位することになったから今度は辮髪が無いと大変なことになるぞ、と有力者に言われて「さあどうしよう」となる話。辮髪が無ければ仕事どころか死刑かも…などという話を隣近所巻き込んで騒ぎになるのが中国っぽい。この話で夏の農村では夕飯の時に明かりをつけず、まだ明るい日の光の下で夕飯を食べる習慣を知った。上に振り回されるだけの平民たちの生活、という側面から、小さなことに生活を左右される滑稽さや虚しさが書かれている気がした。

    『故郷』
    学校の教科書にも載っていた小説。故郷に帰った主人公が幼馴染と再開し子供時代の友情が長い時間を経て身分差に割かれ、その子供たちが同じ出会いを繰り返し、親として「同じ結末にならないで欲しい」と願う話だと読んだ。定期的に出てくる豆腐屋のババアがとにかくアグレッシブに盗みのビートを刻みつけるので、作品の悲壮感が薄らぐ良いスパイスになっていた。個人的にタイトルが「別離」とかじゃなくて「故郷」なのが凄く救われた。主人公が去ってゆく「故郷」に幼馴染とその思い出が含まれているのが本当に切ない。

    『阿Q正伝』
    とても有名な話で紹介は何度も見かけたけど実際に読んでみると印象と全然違った。
    阿Qは最低限の教育も受けていないような最下層の人間だが、加えて一人も親しい人がいない、というのが物語に深く関わっていると思った。どこにも属すことが出来ない人間から見た、歴史の境界とそこで生活する人々の話。もちろん物語に出てくる田舎の人たちも時代に翻弄されていて、傍観しつつ時代の流れを読もうとしている人々の中で、騒ぎが起きた時に逃げ遅れるのが阿Qの主人公性だ。
    阿Qに対する世間の扱いは過酷だが、本人は決してそれを悲観しない。楽観的な解釈を自分に対して言い含め、個人的にそれが一番残酷だと思った。誰も助けてくれないし、自分でも自分を助けない。何も持たない彼にあるのは「逃げる」という選択肢くらいだ。
    それでも阿Qの持つ、狡さや小心や独り善がりや妬み、諦めを孕んだ楽観に心当たりがない人はいないんじゃないか、とも思う。
    主人公も含めて出てくる人たち全部が「長い物には巻かれろ」なので、歴史的な背景が分からなくてもかなり分かりやすい。注釈で斬首刑が銃殺刑になるのは革命前後の違い、というのを知った。

    『端午の節季』
    主人公はノンポリで事なかれ主義というか完全に傍観者的な立場。教師をしながら役人もしていて、2つの体制に属しながらも目立たないようにのらりくらりとしている。矢面に立たされることは無いが、矛盾の塊。作者自身をモデルにしているらしいが、生々しさがすごい。
    給料が払われない時に「教員の給料は払わないのに子供の学費は取るのか?」というのは、もっともだが、では自分から支払いの督促をしてるのか?という疑問がどうしても浮かぶ。
    妻が「文章を書いて出版社や新聞社に売り込んだら?」というと「どうせ買い叩かれるし」と言い訳を始めるのに「じゃあ宝くじを買おうか?」って言うと「無教養だ」と怒り出す。本当に面倒なやつだな、絶対友達になりたくないタイプだ、と思ったがそ作中には友達らしき人物の影も出てこなかった。

    『白光』
    科挙の試験に落ち続けている主人公が16回目の不合格を確認するところから始まる話。調べてみると科挙の県試は3年に2回の開催らしく、毎年あるわけではないらしい。そこに加えて16回×1.5年間ずっと受験勉強してそれでも不合格という絶望感。自殺する人とか精神疾患にかかる人が量産されていたとwikiにもあるが、この主人公も壊れてしまう。頭がおかしくなった主人公に対して周囲が「今年もか~」と距離を置いており、筆者はこの科挙制度を心の底から下らない、人生をかける価値はない物、として捉えているのではないかと思った。それに対してすべてを注ぎ込もうとする人の滑稽さ、哀れさを書きたかったように感じる。正直受験に失敗した数の方が多いから読んでいて吐きそうになったので短い話で助かった気もする。

    『兎と猫』
    子供のために親が兎を買っていき、その兎を中心とした人間の悲喜こもごもの日常話。愛玩動物も食物網の中にいるとは知りつつも、可愛い生き物に夢中になる人々の微笑ましさ。ただし主人公は猫が嫌いなので『セロ弾きのゴーシュ』とか『にんじん』を読んで「え!?猫は!???」ってなる人は先に気持ちを固めてから読んだ方が良い気がする。青酸カリがなぜ個人宅に…

    『あひるの喜劇』
    魯迅の実体験かと思うようなリアルさで、増えていく生き物たちや中庭の畑の様子が生き生き書かれている。今までの作品との温度差を感じたが、科挙や革命と温かな日常は同じ場所に会ったと思うと現実味を帯びてくる。動物たちの騒々しさが人間の喧騒を上回っていて生命力を感じる話だった。すごく中国っぽくて楽しかった。

    『村芝居』
    クリアな少年時代の思い出話だった。同じテーマの『故郷』と比べ、くたびれていない、汚れていない「思い出」の話。みんなが優しくて、思いやりがあって、利己的じゃなくて意地悪でもない人たちが、魯迅の作品にこんなに出てくるんだ、と軽い驚きもあった。子供たちが協力し合って船の上でとれたての豆を煮て食べるシーン、そしてお母さんが心配で怒りながら待っているシーンがとても印象的。もしかしたら魯迅の理想の少年時代なのかもしれない。

  • 阿Q正伝、狂人日記、故郷を読んだ。
    本物の絶望…理不尽極まりない横暴、
    そうだ、今こそこんな時代があったのだと思い返すべきだ。

    希望とは道に似ている
    道は元からあるのではなく、人が多く通ったところが道になるのだ
    原文のままではないが、深い言葉。
    100年もの時が流れても、変わらず胸に響き迫る。

  • 阿Q正伝しか読んでいない。純文学のひとつだから読んだ。どうしようもない阿Q青年の話。ほんっとにどうしようもない。

  • 阿Q正伝のためだけに購入する・。

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著者プロフィール

本名、周樹人。1881年、浙江省紹興生まれ。官僚の家柄であったが、21歳のとき日本へ留学したのち、革新思想に目覚め、清朝による異民族支配を一貫して批判。27歳で帰国し、教職の傍ら、鋭い現実認識と強い民衆愛に基づいた文筆活動を展開。1936年、上海で病死。被圧迫民族の生んだ思想・文学の最高峰としてあまねく評価を得ている。著書に、『狂人日記』『阿Q正伝』『故郷』など多数。

「2018年 『阿Q正伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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