北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大 (講談社学術文庫) [Kindle]

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  • 今回の旅のテーマは、東プロイセンとハンザ都市を巡ることだったのでマルボルク城(Zamek w Malborku)/ マリーエンブルク城は外せない訪問地であった。
    マルボルクのドイツ名はマリーエンブルク (Marienburg)、この街は琥珀貿易に携わり、ハンザ同盟にも加盟していた上に、一時はグダニスクを支配する立場にもあった。
    そのマリーエンブルクには、世界一のレンガ造りの城として世界遺産にも登録されているマルボルク城があり、ここはポーランドとドイツの因縁の歴史が始まった象徴とも言える城である。
    1410年7月のタンネンベルクの戦いは、ドイツ騎士団とポーランド王国-リトアニア大公国連合軍が激突する中世最大の戦闘であり、その後のマルボルク城の籠城戦も熾烈を極めた。書籍『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』には、その戦の手に汗握る展開が描写されている。

    ● マルボルク城(Zamek w Malborku)へ
    ● マルボルク城を築いたドイツ騎士団、ハンザ同盟との関係、ポーランド王国との確執
    ● タンネンベルクの戦い、『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』 山内進 著 を読む
    ● マルボルク城内部を巡る
    ● マルボルク城で見ることができるトイレ塔(Dansker)

    マルボルク城を巡る、激戦のあった「タンネンベルクの戦い」については、『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』 山内進 著 が詳しく、その描写が絵巻物のようで読み応えがあった。

    この戦いは1410年7月 ドイツ騎士団とポーランド王国-リトアニア大公国連合軍が激突した中世最大の戦闘であった。そして、ドイツ騎士団が没落する契機となった戦いであり、ポーランド史においては一大事件である。

    戦いのいきさつはこうであった。
    1409年8月にドイツ騎士団はポーランド国王に宣戦布告をおこなう。双方とも気運は高まっていたので戦闘準備は万端。ポーランド-リトアニア連合軍はドイツ騎士団の本拠地マリーエンブルク(マルボルク城)の占領を目標と決定し、翌1410年に進撃を開始する。

    ポーランド、リトアニア両軍とも数日をかけて大河を渡り合流し、マリーエンブルク南のクルツェトニク(Kurzętnik)を目指す。それを察知したドイツ騎士団側は、目的地が当初想定していた東ポメラニアと異なることを知り、クルツェトニクに急行する。クルツェトニクにおいて、先んじて騎士団側が陣地を固めた為、連合軍はこれを迂回せざるを得ず、激突の地は更に東のタンネンベルク(Tannenberg / Grunwald)に移る。

    そして、1410年7月15日におこなわれた「タンネンベルクの戦い」は中世史上最大の会戦となる。ドイツ騎士団は総勢2万~2万2千人、ポーランド連合軍側はタタール、ロシアなどの傭兵を含めて3万から5万人の戦闘員がいた。ただし、数の上では騎士団側は劣るが、大砲や鍛錬の上ではドイツ騎士団軍は充分に勝っていた。

    詳細はコチラから↓
    https://jtaniguchi.com/gdansk-malbork-marienburg/

  • 「ヨーロッパ」を拡大するため異教徒を虐殺しまくったカトリック。その血に染まった手を見てやっと「異教徒の権利」を語り出したのだろうか。
    歴史は繰り返す。人は何も進歩していない。いや、変化すらなく、今も繰り返しているだけだ。
    そんなことを考えさせてくれる一冊だ。

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著者プロフィール

山内 進(やまうち・すすむ):1949年生まれ。一橋大学大学院法学研究科博士課程単位修得退学。成城大学教授、一橋大学教授、一橋大学学長を歴任し、現在は一橋大学名誉教授。専門は西洋法制史、比較法制史。主な著書に『北の十字軍』(講談社学術文庫、サントリー学芸賞)、『増補 十字軍の思想』(ちくま学芸文庫)など多数。

「2024年 『増補 決闘裁判』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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