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- / ISBN・EAN: 4562474164054
感想・レビュー・書評
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モントリオールの広告代理店で働くトムは、交通事故で死んだ恋人のギョームの葬儀に出席するために、ギョームの実家である農場に向かう。そこには、ギョームの母親アガットと、ギョームの兄フランシスが二人で暮らしていた。
恋人を救えなかった罪悪感から、次第にトムは自らを農場に幽閉するかのように、フランシスの暴力と不寛容に服していく……。
隠された過去、罪悪感と暴力、危ういバランスで保たれる関係、閉塞的な土地で静かに狂っていく日常……。
現代カナダ演劇界を代表する劇作家ミシェル・マルク・ブシャールの同名戯曲の映画化で、ケベック州の雄大な田園地帯を舞台に、一瞬たりとも目を離すことのできないテンションで描き切る、息の詰まるような愛のサイコ・サスペンス。
冒頭からトムとトムの秘密を知っているらしいフランシスの緊張感が漂う暴力と罪悪感を使った支配しされる歪んだ関係を中心にしたストーリーが最後までヒリヒリするストーリー展開、トムとフランシスがフランシスの母を悲しませないためにギョームの恋人のことなど嘘に嘘を重ねるスリリングなサイコドラマ、形だけを繕い裏では虐待し合い支配し合う機能不全家族の怖さがサイコサスペンスの形で適格に描いた傑作サイコサスペンス映画です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
暴力による支配と服従という典型的な共依存関係を、片手に足りる登場人物と閉じた世界の枠の中で、これほど複雑かつ、奥行きをもって描いた作品もなかなかないと思います。
同性愛者のトムは、事故で亡くなった恋人ギヨームの葬儀に参列するため、ギヨームの実家があるケベック州のとある農場に行く。
そこにいたのは、ギヨームの母アガットと、兄のフランシス。
実は、ギヨームは、同性愛者であることを母に隠し、サラという女性の恋人がいると嘘をついていた。
葬儀に現れないサラを罵るアガット。
事実を知るフランシスは、トムに暴力をふるうことで、ギヨームの恋人であった事実を隠して友人として振る舞い、母に実体のない「サラ」の話をするように命令する。
心身ともに傷だらけとなったトムは、それに従う。
いつしかトムは、ギヨームの面影を持つフランシスに惹かれてゆくけど…。
あくまでも私の個人的な解釈ですが、この作品が、共依存的な人間関係を描いた地の作品と一味違うところは、以下の二つに集約されると思います。
まず一つ目は、共依存の関係が、喪失感を共有する当事者たちの無意識の合意による遊戯性や演技性によって始まり、高まった結果、潜んでいた官能性と快感によって、いつしか絡め取られていく狂気じみた様を破綻なく描いている点。
これによって、小さな舞台空間ながら、スリリングさが加わっています。
(真の支配者にして一番の狂人は、フランシスでもトムでもなく、実は、アガットでは…と邪推してみたりして。実は毒親では?って面も垣間見えるし…)
二つ目は、必ずしも共依存ではないかもしれませんが、複数の依存的関係を同時進行で描き、絡ませることに成功している点。
暴力を振るうフランシスと振るわれるトムの関係はもちろんのこと。
アガットと、母を置いて農場から逃げることはできないフランシスの親子関係。
架空の「サラ」に託してギヨームへの気持ちと思い出を語るトムと、サラの関係。
せめてギヨームのよき友人として恋人の家族に認められたいトムと、そのよき友人から息子の話を聞きたいアガット。
様々な依存にあふれており、人間関係の複雑さ、危うさを痛感させます。
物語の最後は、依存のスパイラルから抜け出せたのか抜け出せないのかわからない曖昧なもので、それがまた、奥深さ、そして、闇を感じさせ、強い印象を残しています。
100分程度の中に、一度の鑑賞では理解できないぐらいに様々な要素が複雑なパズルピースのようにはめ込まれた作品です。
連続で見るには重いしつらいので、また時間を置いてもう一度見てみたいですね。 -
グザヴィエ・ドランさん金髪もいいな…ってうっとりしたのも束の間、こわいこわいこわい!ってなりました。
終始不穏で気が抜けない雰囲気です。
トムの恋人ギョームの兄フランシスはかなり横暴でいつキレるかわからない怖さだけど、母アガットも薄っすら狂気じみていて…命たくさんあるはずの農場の寂しさと相まってじわじわとこちらまで蝕まれて暗くなりました。
トム、思い切って帰ればいいのにって何度も思いましたが、兄にも少し惹かれてたのかなと思うと切ないです。
これからトムはどうするんだろう。フランシスもだけど。
アガットの生死も。施設に入れられてるだけだと良いのですけどあやしい。
しみじみ怖かったなぁ。グザヴィエ・ドランさんこういうのも撮れるのか…すっかりはまりました。 -
原題:TOM A LA FERME/TOM AT THE FARM
『キネカ大森名画座2本立て』にて観賞。
同性愛を親にカミングアウトできるか。
主人公トムは亡くなった恋人の実家に彼の葬儀のために訪ねたが、恋人は母親にサラという彼女がいると伝えていた。
恋人だった男の、自分が知らない姿を知る。
恋人のDV兄からは暴力を受けつつも、兄に亡き恋人の面影を見出して次第に惹かれていく。
いつでも逃げられる状況なのに理由をつけて逃げ出さないトムはストックホルム症候群のようで、完全に自分を見失っている。
恋人の死=自分の一部を失う→恋人の実家農家へ=失った自分の一部を探す→失った部分にDV兄が漬け込む→DV兄から逃げる=自分の一部を取り戻す
という構図でだいたいあってると思う。 -
2017.3.19
「たかが世界の終わり」に繋がっていく感じが分かる。 -
誰が狂っているのか、だんだんとわからなくなる。逆に言うと、多かれ少なかれ、みんな狂っている。
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冒頭から漂う不穏な空気が、嫌な予感を誘う。狂気は伝染するのか、それともこの田舎の町の空気感がそれを呼び覚ますのか。
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これは予備知識無しで観たので最初よく話が分からなかった(主人公が同性愛者だと気付いてやっと関係性が理解できた)
抑圧とか暴力とか共依存とか不穏な空気が終始流れているけれどこれは私のイメージするサイコサスペンスとはちょっと違うような・・・ラブサスペンスとも違うし、変にカテゴライズしない方が良さそう。
でも、フランシスの暴力や内に秘めた家族への歪んだ感情、しだいに彼を受け入れていくトムの狂気、真実を知りたくないが故に色んなことに気付かないふりをしている(本人には自覚がないかもしれないけれど)母親等、最後まで目が離せなかったのは確かです。