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感想・レビュー・書評
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「融けるデザイン ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論」渡邊恵太(著)
インターフェイスが、どのように変化するのかを考察する。
道具における身体性ということから、野球におけるバットは、身体の一部として認識される。
自己認識の拡張性となり、意識しない透明性を持つことになる。それは、物理性を持つものであるが、コンピュータにおいて、マウスやカーソルは同じように身体の一部として認識できるのではないか?と自己認識の拡張性を考察していく。
それが、移動できないコンピュータでのインターフェイスは、ある意味では、事務仕事の発展であり、コンピュータの画面に制約され拘束される。そこから、メタメディアとして、発展していく。
そこには、現実と仮想の区別がなくなり、体験が重視されることになる。インタラクションデザインが必要となると筆者は説く。「人間を中心にしたデザイン」をどう構築するのか?
ジョブスの進めていた方向性は、「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」という思想だった。
移動が可能なスマホによって、情報は人の行動とともに存在し、目的地に行く。そして、音楽は常にみじかなところに存在する。情報がスマホによって導かれる。ヒトの拡張現実、強化現実という知的能力の拡張が進み、知的増幅装置として、急速に進む。ヒューマンインターフェイスガイドラインを策定して、現実と環境の中に情報がなだれ込んでくる。情報は、水やガスと違って、ワイヤレスになる。
深澤直人は、「人の無意識に注目したデザイン」「無意識に接している行為」をデザイン化する。ギブソンは「直接知覚論」「生態学的視覚論」を展開する。
自己帰属感、「この身体の運動を引き起こしたのは自分自身である」という感覚が作り上げられて行く。それが、スマホなどの「サクサク」感となって立ち現れる。
「情報を得る→理解する→行動を起こして問題に適応する」というプロセスをインタラクションする。重要なことは、情報を得ることではなく、問題を解決することにある。
それは、ネットプラウザを中心としないネット環境によって、より知的および身体的増幅装置として発展していくのである。人と活動とメディアの関係を設計するのが、インタラクションデザインだ。
ふーむ。著者の言っている世界が、少し見えてきているが、カタカナが多くて、具体として実感できないことが、どうも理解しがたい。客観的リアリティから主体的なリアリティの展開。
シャープの「いいデザインはかたちでしょうか。いい時間だと思いませんか」というキャッチコピーから、物質性から体験性を物語る表現だと指摘する。
人間中心のインタラフラクションが、どんな世界に連れて言ってくれるのか楽しみだ。
著者の作っているsmoon、Integlass、LengthPrinte、CastOvenという新しい製品が、体験性を進めている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人と環境がは知覚と行為の循環によって密接に接続している。この循環する系が「体験」であり、そこにある知覚と行為のメカニズムを表出させることが、インタフェースデザインだと理解した。そこでは、情報・物質・メディア側からの発想ではなく、体験側からの発想が大切である。デザインとテクノロジーについて、人間の知覚・行為といった現象レイヤーから考えることができる一冊である。
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ソフト・ハード問わず、広義の「デザイン」に関わる人は読んでほしい。
人間の認知的観点から体験を捉えることでデザインやUI/UXの本質が見えてくる一冊。 -
今日のUI/UXが叫ばれるようになった背景について業界の中でなんとなくは分かっていたものではあったが、この本ではIT環境の進化と人の認知の面から、この理解の難しい「現象」を分かりやすく整理されていた。「自己帰属感」と「運動主体感」というキーワードを導いてiPhoneのUIはなぜ優れているかを解説した部分はとても腑に落ちた。特にモバイルアプリに関わるすべての人が読む価値ありだと思う。引用されていたキャッチコピーが素晴らしい「いいデザインはかたちでしょうか。いい時間だと思いませんか?」
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人は知覚情報の一つとしてモノを見ている。デザインはモノだけでなく、人の知覚情報を形作るものだと筆者は主張する。その知覚情報取得をよりシームレスに、インターネットを通して進ませる複数のインターフェースの登場が予見されている。
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「自己帰属感」とゆうキーワード、UIの検討には必要であることを納得した。
作るものが利用者にとって「透明」であるように作っていこう。 -
コンピュータといえば、机に向かって使うものだった。
それが今はポケットの中すら飛び出して、環境そのものに散りばめられようとしている。
日常に融け込んでいく万能機械、私たちはそれをどのようにデザインしていけば良いのか。
コンピュータはメタメディアと定義できる。
他のメディアが「テレビ=観るもの」「ラジオ=聴くもの」・・と定義される中で、
コンピュータは何でもできる・メディアを包括するメディアだからだ。
何でもできるがゆえに何をして良いか分からないという初期段階において、
コンピュータ上には現実世界のメタファが適用された。
ゴミ箱があり、フォルダがあり、ファイルがある:GUIの誕生である。
しかし本来、コンピュータは現実には存在しないモノすら実現できる場所だ。
コンピュータが十分に浸透・技術発展によりやりたいことが実現できるようになった現在、
UIについてはメタファを利用しないフラットデザインへと変わり、
Twitterという現実世界にはない概念のサービスが出てきている。
この黎明期に考えなくてはならないのは、どのような指針でモノを設計するのかということだ。
本屋で「デザイン」に関する本が平積みされているのも、
コンピュータの万能性を引き出すために必要なノウハウを得ようとする流れのひとつだろうと思う。
本書はその中でも読むべき!と安心しておススメできる一冊(個人意見)。
「技術的にはすごいのかもしれないけど、おもしろくない」
そういうものを創らないために、手に取るならこの本だと思う。 -
これからのデザインは、問題解決の効率さではなく、自己帰属感が設計のポイントになる。当たり前のことだが、丁寧に話を展開してるので、すんなりと頭に入ってくる。ユーザーに無理矢理、使わせるのではなく、ユーザーの生活の流れを変えないで、無意識に便利にするようなサービスをつくることを心がけないといけないと思った。
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1アイテムが1つの役割を担っていた時代から、メタメディアとしてコンピュータが人間の生活に溶け込む時代へ変化した。
その結果、道具と人間の境界(インターフェース)が重要になった。身体の延長として道具が存在しているかどうかが重要になった。